Re:SALOON & VBA

職業と・・・「決め・分け」論⑪

さんざん、受けて来た教育の愚痴を書いたが(
じゃあ、自分がとはならず、だからこそ偏った自分には、向かないと言うか、
理想化して、自分がなってはいけないというのが、教師という職業だと思う。

じゃあ、「分かりたい」派のゴリゴリの小生に
何んの仕事が向いているのか?
なのだけど、やはり本質的には「研究者」だろうなと思う。
で、研究者を目指したかというとさにあらず、大学に残るという選択肢はなかったなぁ~
「残れば?」と誰かに言われた気もしたが、「受験」で、大いに落ちこぼれていたので、
教育する側に回る自分が想像できなかった。変人(偏人)は、教育者になってはいけないとも思うし・・・
そして、すでに、説明する、説得する、に興味を失っていたので(人は興味のないことは説いても理解しないと思い込んでいた、今もだけど・・・)
研究者=教育者という固定観念を脱ぎ捨てられず、
かつまた、理数系の学部でもなかったので企業の研究所という未来はなかった。

伝統工芸の職人には、憧れるなぁ~
下積み時代は、「決まっている」ことありきだろうけど、
棟梁になれば、そこは、創意工夫・独創のし放題(だという夢想)

で、それも、ならず、
人材不足のITエンジニアになりました。大手ではなく、中小企業。
コンピュータの世界、「決まっている」ことだらけなんじゃと
あるいは、「決めて」行くのが仕事なんじゃと思うと思うけど、
やはり、今「何故」こうなっているか、そして、「何故」こう変えるかという側面のある仕事。
「理由」を分析し最適解を出せば、自ずと、方法は「決まって」くる。
勿論、どっちかに「決めて」くれないと進まない部分があって、
そこは、お客さんが「決める」のが、「決まり」の仕事。
なので、向いている仕事だと思う。

でも、会社なので、
管理職という仕事があり、変人(偏人)が決めてはいけないという信念(?)の自分には壁がやって来る。
使われ方にもよるのだけど、エンジニアとして、ある程度出来、歳喰って来ると、
単独の仕事が増えて来た。いつものチームで中心にいるというのではなく、
アウトロー、飛び道具的使われ方をして、あちこちに行き、本社にも転勤し、また、バブルがはじけて戻って来て
と、そういう使われ方をして、管理畑からコースアウト、そして、会社では居場所がなくなり、
これなら、フリーランスの方が自分に合うのではと、今に至る。
そういう壁がありました。

フリーランスの谷間に、他業種のバイトは随分しました。
結局は、「決められた」通りにやる仕事で、そこでは、「決めたい」派の人が活きる現場なんでしょうね。
大学の時のバイトの、資料館の司書的な仕事は、結構、向いていたかな?
「決める」部分は、ほぼ無くて、分類の「訳」が分かれば、有利な仕事だったかも・・・

管理職や、経営者、には、「決める」能力は不可欠。
アンタが「決めない」と、仕事が回らないという仕事。

その他に、
「決めたい」人が最も、向いている(?)のは、政治家でしょう。
「私が、決めます」という顔のポスターが、貼られている。
何を根拠とするか、党利、党略? 政治権力、因習、そして、お金。昔なら戦力。
信念、理念というのもある。学者の意見? シンクタンク どうなんでしょうね。
今の政治家は、どうやって、政策を「決めている」のか、
「決めたい」という欲求、俺が「決める」人、偉い人というプライドがあって、
「分かりたい」派からは、「分かりたくない」政治の仕組みになっている。気がする。

この辺は、人の(できれば「分かりたい」派の)考え方を聞いてみたい。

「決め・分け」論①

コメント一覧

frontflug
テーマからは、少しズレますが、今日は「敬老の日」でした。後、1時間ありますが・・・
誰とも会いませんでした。コンビニには行きましたが・・・

初老なので、敬われる方になると思いますが、
老人は、もう、生き方を変えることはない、出来ないと思います。

「決めたい」人は、「決めたい」ままで老人になるし、
「分かりたい」人は、「分かりたい」ままで老人になる。
頑固爺に自分もなるのかなと思っていましたが、
頑固爺さんは、「決めたい」派の人ですね。
自分の中でこうあるべきという「決まり」があって、
世の中の変化が許せない。
ただ、周りは相手にしなくなって行く。

「分かりたい」爺さんは、好々爺と言いたいところですが、
「理解力」は、どんどん落ちて行きます。
「理解」したいという気持ちも、薄れて行きます。
ただ、経験は、山ほどあるので、過去のことと、類推して
当てはめて考えるかなぁ~
そこで、法則を見出せるかどうか・・・このテーマで書き始めたのは、そういうことなのかなと
敬老の日に思いました。
frontflug
> 人は興味のないことは説いても理解しないと思い込んでいた、今もだけど・・・
これは、傲慢な考え方かも知れないが、
自分が他の人のことを理解することは出来ても、
他の人が、自分を理解することはない
という考え方をしてしまう。
だから、人との関係は、こちら側が相手を理解する(歩み寄るという片務的な関係)で、解決すると思い込んでいるし、
実際、そういう関係しか、なかった気がする。
ここで、こういうことを書いているが、果たして理解してくれる人がいるのかどうか・・・
frontflug
職場であった、若いのに年功序列を飛ばして、出世する奴、した奴(奴というぐらいだから年下)
は、まず例外なく、「決めたい」派だったと思う。

勿論、今は、フリーランスだし、プロパーさんの年下は普通なので、
随分、過去の話だけど・・・

職場では、「決めれる」人が求められている。
下が、それを求めているいるというより、トップの人事権のある人が、
その「決めれる」人を抜擢する感がある。

「決めれる」人は、ある意味、人(部下だったり、同僚だったり)を責めれる人でもある。
その人、自身はエンジニアの能力はそれ程でなくても、
というか、その人自身は、エンジニアの仕事はそれ程てせずにマネージメントに回って行って
出来ない人を責めている、叱責している、そういうある意味、僕らが嫌がる嫌われ役を
出来るからこそ、上司に、眼をかけられることがあるのだろうな・・・

小生とは、真逆のタイプ。

あるとき、最初の会社の経営が、思わしくないとき(何度か会社を替わっています)
ほぼ同世代の若手が、社長の肝入りで、救世主の様に入って来た。
小生の信頼していた副社長の上に、ナンバー2の立ち位置で、
如何にも、有能という感じで入って来た。そこまで、社長が見込んだのだから、
さぞかしスゴイのだろうと思っていたら・・・
口だけだったようだ。人に夢を抱かせる能力は長けていたのだろう。
半年もしない内に、小生の同期の女子社員を連れて退社して言った。
彼女は、今、どうしているかなぁ~

彼以来、口の立つ人物には、眉に唾するようになってしまった。
というか、やはり、言ったことに応じた能力を求めるようにはなっている。

その後も「決めたがる」人、にはいろいろな職場で何人かに会ってはいるが、
出来る人か出来ない人かは、臭いで分かる感じがする。

逆に、自分には、マネージメント能力(差配)しかないから、
君らが、働きやすい環境をつくるのが仕事と言ってくる人もいて、
そういう人は、ホントにありがたい、感謝している。
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