Re:SALOON & VBA

人間は矛盾のなかで生きている

トーマス・マンの「魔の山」新潮文庫 高橋義孝訳 を読んでいます。
下巻 第六章 雪 まで読みました。まだまだ、先は長いです。

脳科学者が語る「生きる意味」と「生き方の選択」
――わたしたちはなぜ生きているのか? 脳科学者・中野信子 | マイナビニュース (mynavi.jp)

なども、ちょうど読んで

「生きている事は身体に悪い」
「人間は矛盾のなかで生きている」ということを、ある人の感想でみたので

途中経過的に、思うところを、書いてみようかと

【エンジニアとしての見解】
直接的に関係はないのですが、ヒントになるかも知れないのて書くのですが
エンジニアとして「矛盾」で想起されるのは、
ソフトウェアの半分以上は、実際には、実行されないということです。
ソフトウェア(プログラム)は、コマンド(指令)の集合体な訳ですが、
目的の機能(生きている事)の為に、実行する部分は、半分以下なのです。
半分は、一度も実行されずに終わります。
コマンドには、必ず、そのコマンドが失敗した場合に実行されるコマンドが用意されます。
その失敗時のコマンドもまた、失敗することがある訳です、そうすると倍々ゲームで。
家に例えると、壁とか、天井とか、床下とか、予備の入ることのない部屋が半分以上ある。
開発の工数(費用、時間)も、半分以上は、そういう異常時の場合のテストをしています。

素人の作成したプログラムだと、実行される部分だけというのもありうるのですが、
そういう部分が、どうしても、ある訳で、
とぎどき起きるシステムの大規模障害というのは、そういう部分が露呈したと言えると
思います。

【人間個体の生きる目的】ソフトウェアの要件
で、ミス、エラーを回避して、正常時の、通常経路を確保して
プログラムを作成するというのが、エンジニアの仕事なのですが、
これ、人類の進化に、似ていないかというのが、今回の気付きです。

人間個体の目的は、生き続けることですが、
これは、不可能です。今のところ。

で、じゃあ、人間個体を、人類という種の存続、進化とした場合、
人が生きる目的は、エラーパターンの具現化、
つまり病気の発症ということかと
つまり、これは、体に良くないことリストを作る作業が生きるということ
あらゆる選択肢、可能性の内、こういうことをすると病気になり、
それをしない方が、種としての進化につながるというパターン出し
残ったものが、より、完成された人間に近づく
ということは、どうやって、生きて、そして死ぬかというパターンの
一例として、一人の個人の目標がある。

ある意味、病気になるために、生きている、生まれてくる
という「人間は矛盾のなかで生きている」と

【人文主義者の矛盾】
トーマス・マンの小説「魔の山」を今、読書中なのですが、
そこで、
人文主義者のセテムブリーニと、イエズス会士ナフタとの議論の中で描かれることを
自分なりに、図式化すると(自分なりの分類をすると)
ナフタは、究極、絶対からの遡及であり、
セテムブリーニは、絶対を到達できないもの(絶対を求めることの欺瞞への嫌悪)として
現状の人類の到達点の底上げ と解釈している。

ナフタの求める神、つまり究極、絶対者は、
数字で言うと、無限大です、何を掛けても無限大は、無限大です、何で割っても無限大は、無限大です。
でも、無限大には、永久に到達できないのです。
ところが、ほら、後ろをちょっと振り向いたら、そこに、もう一つの絶対がある。
そう、0、ゼロ、無です。
ゼロに何を掛けてもゼロは、ゼロです、何で割ってもゼロは、ゼロですって、ゼロは割れない数です。
無限大は、神ですが、ゼロは悪魔です。

人間の生は、無限大に一歩近づくためのエラー事例を一例追加して、
もう一つの絶対、無に帰る、その中間期間、生と死の中間のマジックタイムではないか
という。

妄言

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「読書」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事