最近は、人物の写真は滅多に撮らないが(というか皆無に近い)
子供が、小さい頃は、「撮り過ぎ」と言われる程、多くの枚数を撮っていた。
初期は、フィルムカメラで、暫くして、デジタルになったので
撮り易くなった(敷居が下がった)。
幼児期の子供の写真を今、見ると、単純に「幸せ」だったな・・・と思ってしまう。
今の、彼ら(娘・息子)と比べると、そこに写っている子は、
「別人格」なんじゃないか?
とすら、思う。どこかで、配役が入れ替わっているんじゃないか?
子供はホントに面白い。
世に育児ノイローゼという言葉があるが、想像すら出来ない。
(今、苦労されている方には、申し訳ないが・・・)
「あんたは男だから、何もせず、育児のいいところだけ見ているからそうなんだ」と
陰口を言われそうだが・・・
そんなことはない(少し反論させてもらうと)
子煩悩と人に言われたし、勿論、在宅のときは、ほとんど子供といたし、
おしめも換えたし(布おむつだった)、哺乳瓶でミルクも上げていた。
抱っこ紐で、散歩も随分していた(義母さんから連れ出し過ぎで、落ち着かない子になると陰口も貰った)
息子は、酷いアトピーでもあり、治療も大変だったが、
苦になった記憶はないなぁ~、子供とは単純にそういうものだと思っていたから・・・
長々と自分の子育て経験を書いてしまったが、
スゴイ偏見かも知れない(眉に唾して読んで欲しい)が、子育てを苦痛と感じる人は、
「決めたい」派の人なんじゃないかと思う。
最も、「決まらない」存在が、幼児だろう、何をしでかすか分からない。
可能性の塊、小生にとっては、それはもうワクワクする存在だが、
この「決まらない」存在自体が、「決めたい」人には、苦痛になる。のではないか?
逆に、成長して、彼らなりのルールが、彼らの中に出てくると、
小生には、何だか、「寂しい」「詰まらない」と感じがした。
小生の息子は、親の反作用なのかも知れないが(小生もまた、「決めたい」父親の反作用で「分かりたい」派だと思っている)、
先入観の塊、偏食家なので、「世の中を味わうことで損している」とさえ思っていた。
食べる前から、美味しくない筈と決め込んで、食べたことがないものには箸をつけない
(隔世遺伝で、小生の父親とそっくり)
可能性の塊、「孫」が生まれるのは、あと、何年後だろうか・・・
子供の恋愛は、聞いたことがない、非モテ、非リア充なのは、
悲しいことに親譲りなので、責めて生きている間に・・・とは、思ってしまう(未だ大学生です)。
「決め・分け」論①
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