Re:SALOON & VBA

このテーマの発端・・・「決め・分け」論⑦

この「決め・分け」論をここに書き始めた動機。

小生(一人称代名詞で迷うが今回は「小生」で行きます)、
mixiというSNSで、日記のような駄文をたまに書いていた。
「決め・分け」的な二分法で考えるようになったのは、去年からなんだけど
どんどん、自分の中で有効になった来た。
自分の周りや、世の中で起こったことを(理由を)考えるとき(つまり「分かりたい」と思うとき)
かなり、すんなり、理解できるようになって来た。

で、気付いたことは、mixi日記に書きたいが、
mixiは(オワコンなので)、かなり、読んでくれる人が限定されているというか、
マイミクさんが、どういう人か分かっていると、
「決め・分け」論が、「理解」ではなく「誤解」されるなというのが
予想がつく。
つまり「決めたい」系の人には、「誤解」ではなく「批難」ととられる可能性が、
危険性がある。ので、書けない。

そして、書いている日記と、書きたい日記が徐々に、乖離して行くことに・・・
というか、書きたい気持ちはあるが、表現できないことに。

で、誰も、小生個人とこのブログのオーナーとを結びつけることがない、
ここで、書きたい文章を書くために、下地をつくろうかなと・・・
書き始めたのが発端です。

何が有効かに話を換えると
そもそも、二分法で考えるというのは、「分かりたい」派には結構、有効です。
「分ける」というのが「分かる」のそもそもだから、当たり前と言っては当たり前だけど・・・

「決めたい」「分かりたい」に近い分類で、
「父性原理」「母性原理」というのがあるかなと思う。
「父性原理」は、「決断力」「推進力」そして「切断」
「母性原理」は、「内包」「赦し」などの言葉が、小生には思い浮かぶ。
日本は「母性原理社会」、でも、戦時中は「父性原理」が優越したとか言われたりする。
どっちかだけではなく、相補的にどちらもなのだけど、
「父」「母」と書くと、「男性」「女性」と見てしまいがちになる気がする。
勿論「父性原理」=男性 限定ではない筈だが、そう見てしまいがちになる
(気がするように小生には思える)

「決めたい」=「父性原理」
「分かりたい」=「母性原理」
となる訳ではないが、近いものは感じる。
一側面を強調してみている気もするが、「決めたい」人の価値観で言っているんだな
「分かりたい」気持ちが出ているなと、観た方が、よく見えることがある気がする。

「決めたい」は、多くの選択肢から、ひとつ乃至は、少数を選択する。
「分かりたい」は、混然としたものを現象・性質・原理で多くの要素に分解する。
逆の方向性を持っている。

勿論、この文章は「分かりたい」派の小生が、分解する方向で書いてます。
つまり、どれが大事で重要なん? と思ったあなたは、「決めたい」と思ってません?

「決め・分け」論①

コメント一覧

frontflug
自分の書いたこの項の文章を読み返してみて、
分かり難い、表現の稚拙な、独り善がりの駄文だなと感じる。
ここまで読んでくれた人がいたら申し訳ないと思う。
そんな奇特な人がいるようにも思えないが・・・

文章能力がそもそも劣るのが大原因ではあるが、
言い訳をさせてもらうと、
分かり難い文章の方がいいのではないかと思っている節はある。
その分かり難い文章でも、分かる人だけに読んでもらいたいという隠れた気持ちもある。
ハードルというか、障壁というか、設けている。

小生、あるときから、人の理解を求めなくなった。
特に、こういう自分の気付いたことについては・・・
これは、自分だけの観方で、それはそれでいい、誰かに知ってもらうことは必要ないと
ある意味、諦めている。

勿論、昔は、そうではなかった。
そう、そして、予想通り、痛い目を見た。

小生にも少なからず友人がいる。いたと過去形にしてもいいが、別に絶交した訳でもないし、
今は、常日頃、連絡を取り合う相手でもないというところで・・・

この友人は、「決めたい」派の人物であって、
「決めたい」彼とそれを「分かりたい」小生では、ある意味、WinWinの部分がある。
彼は、小生に「決めたい」という意図で、話をする、小生が「分かりたい」と思って聞く、
そして、小生が、「分かった」ことを彼に伝えると、彼は、それを賞賛と受け取る。
この関係は、凄く上手く行く。

ところが、小生が伝えた「分かった」が、彼を苦しめるときがある。
そう、彼がそれを非難と受け取ったとき。
小生の「分かった」ことは、タダの分類、分析で、賞賛でも批難でもないのだが、
彼は、「決めたい」のだから、好悪のどちらかに「決めて」しまうのだ。

否や、そうではないのだと、「分かった」ことを
更に詳しく説明して、彼にも「分かって」もらいたいと思うのだが・・・

いやいや、そもそも、彼にそれを「分かる」ことに何の意味がある。
彼が求めているのは「決めたい」ということ、
彼が、その彼の価値観を分かって、僕の価値観は間違っていたということは、
どこまで行っても、「間違い」=「決められなかった」になってしまう。

彼は、小生をすごく褒めてくれることがあった。親友だと言ってもくれた。
僕の一番の「理解者」だとも言ってくれた。
だが、それは、ある意味、自分も褒めてくれということの裏返しだったのかも知れない。
それは、穿った観方かも知れないが、彼は、小生に自分を「決めて」欲しかったのだと思う。

彼とのやり取りを通して、
自分が気付いたことを理解して欲しいと思うことは、
ある意味、小生と同じような「分かりたい」指向性を持った人に向けてでないと危険かも知れないと考えるようになった。

誰もが「分かりたい」と思っている訳ではないということ。
自分が「分からせよう」とすることも、そのまま、伝わることではないということ。

人によっては、
薬にも、毒にもなりうるということ。

薬になる、人だけが越えて来れるバリアになればいいかなと・・・
というのが、この駄文の言い訳である、多分。
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