12月17日 木曜日 快晴
良いお天気でした。
介護認定の更新のため、市の方が御出になると言いますので弟と母の家に行ってきました。
寒いという予報を聞いていましたので、こんなに良いお天気になるとは知りませんでした。
素晴らしかったです。
先ず東名を走っていた時、大井松田の手前で富士山が綺麗でした。朝日が昇り始めるところです。
写真には見えませんが淡いあかね色の光が、雲や山の端をうっすら染めていて素晴らしかったです。
まもなく大きくて真っ赤な太陽が昇ってきました。感激でした。
母の認定の面接を無事終えてから、父のお墓参りに向かいました。
わたしのあるじも3年前にこの霊園に埋葬しましたので、良く一人でお参りにきたものです。
人気のない霊園でたった一人でお参りする時の寂しさ、
それ以上に、お参りをして帰る時には後ろ髪をひかれる思いで辛かったですね。
娘達の婿殿の意見もあり、この霊園をお返しして今は横浜霊園の霊廟にお預かりして頂いてます。
来年、お花が綺麗な時期に改葬をすることになっています。ホッとしています。
お墓から
このお墓からの富士山がとても素敵なので、富士山が大好きでした父が自分のお墓と決めていました。
誘われて我が家も妹の家も一緒に買っていました。あるじは山が好きでしたから良かったのでしょうね。
ただこのお墓へはバスもありませんから、困るのではと言うのが婿殿の意見だったのです。確かです。
お墓からの帰り道、富士山の裾野までしっかり写せるところがありましたので、車を止めて貰いました。
真っ青な空に雲がポカリポカリと浮いていて素晴らしい富士山でした。久しぶりに見ました。
お墓からの帰り道
昼食は、父の好きな五平餅とラーメンを頂きました。クルミみそ味で美味しかったです。
霊園の近くにあります小さな食堂の、手作りの五平餅とラーメンが好きでした。
お店のご主人も奥様も父と親しく、家にも遊びに御出になったことがあったようです。
五平餅の店近辺
母の畑でカボスや小松菜などを採ってきました。母も陣頭指揮にたって頑張っていました。
弟は畑のまわりの草が生えないような工夫をしながら、何か蒔いていましたね。
太陽の光を受けて、下草が黄金色になっていました。午後3時頃の富士山です。
この写真の左側の影を作っている向こうに母の家が建っています。
母の畑から
畑仕事の途中で、総監督の母が「もうじき赤富士になるかもしれない」と声をかけてきました。
こ充分わたしには赤富士でした。雲が多すぎるのが気に入りませんが仕方ないです。
雲のシルエットが、富士山に影を作って居るのも良いと思いましたし、
富士山の下の方は、すでに日が傾き陽の光が当たっていません。
多分、真っ赤な赤富士にはならないでしょう。
母の畑から赤富士
わたしの予想通り、赤富士はこの写真の頃がピークでした。
直ぐにグレーの富士山になってしまいました。それからあっという間に薄暗くなって来ました。
お墓参りをしてから、母と並んだ写真を弟に撮って貰いました。
いつまでこうして歩いてこられのか、本当にもう分かりません。
わたしの右腕に母の左手を絡ませて、右手には杖を持ちやっとの思いで歩いています。
我が儘な母ですがやっぱり何時までも元気でいて欲しいと思いますね。
妹も弟も母は100歳まで大丈夫と言いますが・・・・。
良いお天気でした。
介護認定の更新のため、市の方が御出になると言いますので弟と母の家に行ってきました。
寒いという予報を聞いていましたので、こんなに良いお天気になるとは知りませんでした。
素晴らしかったです。
先ず東名を走っていた時、大井松田の手前で富士山が綺麗でした。朝日が昇り始めるところです。
写真には見えませんが淡いあかね色の光が、雲や山の端をうっすら染めていて素晴らしかったです。
まもなく大きくて真っ赤な太陽が昇ってきました。感激でした。
母の認定の面接を無事終えてから、父のお墓参りに向かいました。
わたしのあるじも3年前にこの霊園に埋葬しましたので、良く一人でお参りにきたものです。
人気のない霊園でたった一人でお参りする時の寂しさ、
それ以上に、お参りをして帰る時には後ろ髪をひかれる思いで辛かったですね。
娘達の婿殿の意見もあり、この霊園をお返しして今は横浜霊園の霊廟にお預かりして頂いてます。
来年、お花が綺麗な時期に改葬をすることになっています。ホッとしています。
お墓から
このお墓からの富士山がとても素敵なので、富士山が大好きでした父が自分のお墓と決めていました。
誘われて我が家も妹の家も一緒に買っていました。あるじは山が好きでしたから良かったのでしょうね。
ただこのお墓へはバスもありませんから、困るのではと言うのが婿殿の意見だったのです。確かです。
お墓からの帰り道、富士山の裾野までしっかり写せるところがありましたので、車を止めて貰いました。
真っ青な空に雲がポカリポカリと浮いていて素晴らしい富士山でした。久しぶりに見ました。
お墓からの帰り道
昼食は、父の好きな五平餅とラーメンを頂きました。クルミみそ味で美味しかったです。
霊園の近くにあります小さな食堂の、手作りの五平餅とラーメンが好きでした。
お店のご主人も奥様も父と親しく、家にも遊びに御出になったことがあったようです。
五平餅の店近辺
母の畑でカボスや小松菜などを採ってきました。母も陣頭指揮にたって頑張っていました。
弟は畑のまわりの草が生えないような工夫をしながら、何か蒔いていましたね。
太陽の光を受けて、下草が黄金色になっていました。午後3時頃の富士山です。
この写真の左側の影を作っている向こうに母の家が建っています。
母の畑から
畑仕事の途中で、総監督の母が「もうじき赤富士になるかもしれない」と声をかけてきました。
こ充分わたしには赤富士でした。雲が多すぎるのが気に入りませんが仕方ないです。
雲のシルエットが、富士山に影を作って居るのも良いと思いましたし、
富士山の下の方は、すでに日が傾き陽の光が当たっていません。
多分、真っ赤な赤富士にはならないでしょう。
母の畑から赤富士
わたしの予想通り、赤富士はこの写真の頃がピークでした。
直ぐにグレーの富士山になってしまいました。それからあっという間に薄暗くなって来ました。
お墓参りをしてから、母と並んだ写真を弟に撮って貰いました。
いつまでこうして歩いてこられのか、本当にもう分かりません。
わたしの右腕に母の左手を絡ませて、右手には杖を持ちやっとの思いで歩いています。
我が儘な母ですがやっぱり何時までも元気でいて欲しいと思いますね。
妹も弟も母は100歳まで大丈夫と言いますが・・・・。