フォンテーヌの家  わたしのつぶやき

横浜市南区で趣味の会[フォンテーヌの家」 

母親って何なのでしょう・・・。

2009-12-29 22:00:45 | 日記
12月29日 火曜日 晴れ

母が富士宮からやって来ました。
弟が今朝一番で出掛け、母を病院に連れて行き検査の結果、肺の中の水は抜けていたそうです。
医師からの許可も出て大いばりで我が家にやってきました。大正生まれは気丈ですね。

午前中、病院に行き検査を受けたりしただけでも疲れたと思うのですが、
驚いたことにそのまま畑に出て大根やら小松菜を抜いてきたというのです。
弟は畑の脇で車から母を降ろして車を止めに行ったそうです。

畑で一仕事をしてから帰りがけ買ってきたお弁当で昼食を済ませ、荷物の準備にかかったとか・・・。
冷蔵庫の中身を全部持ってきていました。弟が発泡スチロールのケースを準備したようです。
お陰で我が家の冷蔵庫が満杯になってしまいました。

4時には着くようにすると弟が電話してきましたのに、4時に再度電話がありまだ母の家とのこと。
母の悪い癖で常に予定は未定、母を急かしたような言葉を言えばそこで嵐がやって来ます。

暗雲が立ちこめ先に進めなくなるのが常ですから誰もが何も言わないようになっています。
弟はこのようなことを想定してしていたからなのでしょうか、わたしの同行を却下していました。
「行けば疲れるだけだよ。迎えに行くだけなのだから良いよ」と言う弟に従いました。

母からは「あなたは来る気がないのね。来てくれれば楽なのに」と昨夜電話で嫌みを言われました。
なんと言って良いのか返事に窮しましたね。

母を迎えるにはお風呂も部屋も母好みにしておかないとご機嫌が悪くなりますから、
わたしの家ですることが沢山あるのです。
なんと言いましても数日泊まるだけなのに、トイレのタオルの掛け方から注意されます。
兄や弟が奥さんを母の所へ近づけない気持ちも理解出来ます。その分、弟や兄が頑張っているのですが。

胸水が貯まっている間も母はサワーを飲んでいたそうですから、我が家にはありませんので、
弟にサワーを買うように頼みましたが、車から降ろさず帰って行ってしまったのです。
仕方がないので、お酒の販売機を探したのですが見つからず、酒屋さんに走りました。

珍しく「美味しい、美味しい」と言いながら飲んでいましたね。
塩分やカリュームを控えなくてはいけないし、糖尿なのでカロリーも控えるようにしますと、
母が喜ぶようなお肴は難しいですね。困ってしまいました。

この頃の母の煮物は味が濃すぎて、わたしはあまり食べられないことがあります。
母は歳のせいで少し味覚音痴になっているのかもしれません。
弟は「このお正月が最後だと思うよ」と淡々と言いましたが、食欲もありますし、
ガッツもありますし、もう数年大丈夫のような気がしています。

我が儘な母親でも、やはり何時までもいて欲しいと思っています。
母親という存在は何なのでしょう・・・。
わたしの娘達は彼女たちの母親タルわたしをどう思っているのでしょうね・・・。
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4 コメント

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 (空・風・土)
2010-01-03 11:27:47
老いた母ってなんなんでしょうね、、
人間関係にも賞味期限ってあるんじゃないかな、と思います。私、その昔、母がいなければ、生きていけない、母の姿があれば、幸せって思い、学校からすっ飛んで帰った記憶もしっかりあります。でも85歳の母(元気なんですが)と向かい合っていると、リズムの違い、言葉の交流のちぐはぐさ、などが、チクチクと胸を刺します。おおらかになれない私が悪いんですけどね、自分を責めることにならないように、注意して接すると、どっと疲れだけが、残ります。なんだかなあ、、。だから、娘には、母を労わろう、という気遣いをしなくてすむような、ちょっと不良っぽいいい加減な母になろうと思ってます。
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「母」は重たいテーマです。 (わたし)
2010-01-05 21:03:07
「母」と言うテーマはわたしにとって本当に「悩みの種」になっています。
わたしは母の娘であり、わたし自身も娘たちの母親なのですから。

老いた母を看ていますと、何年か先のわたしが目の前の母の姿と重なり嫌な気分です。そんな光景を無意識のうちに描いていますから、わたしにとって嫌な母の言動が、何気なくわたしの神経をずたずたにしています。

歩くのも大変な身体になりながらも、自分の本来の家から離れ、子供の住むところからも離れて住む母。母が好んでしている今の生活なのですが、それでも「この歳になっても誰も一緒に住んでくれない」と嘆きの言葉を吐く母。

わたしも24年後こうなるのでしょうか・・・。
今わたしが感じている「負担」を娘に背負わせることになるのか・・・と思いますと、生きる気力が消滅しそうです。

後10年、あるじが居てくれていれば此処まで思い悩む事は無かったかもしれません。
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母と娘 (空・風・土)
2010-01-06 16:43:24
私の数少ない親しい友人で、老いた母との関係で悩まない人は誰もいません。でも誰も、母を案じない人はいません。みな、眉間に皺よせたりしながら、愚痴こぼしながら、誠実に関わっています。そして、皆、母との関わりを具体的に誠実な行動を伴う世代は私たちで終わりね、とも話しています。娘にこの複雑な心の葛藤を味わせたくないと。多分、娘には、嫌われる母親にはなりたくない、という願望もあるのかもしれません。嫌われることなんか考えず、素直に老いていくのが自然なんでしょうかね、、
分かりません。でもね、先の事はどうなるか分かりませんもの。先の事は、事実ではありませんから。事実は今の事だけですもの。
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なるようになる・・・。 (わたし)
2010-01-11 18:04:00
コメントを戴きながら書けずにいました。
何度も何度もコメントを読ませて頂きました。
丁度母が我が家にやって来たりしていましたので、母の我が儘にうんざりしたり、歳だから仕方ないと思ったり・・・。
その繰り返しをずっとしていました。

何処かで母を疎んじている自分を感じて、そんな自分に嫌気がさしていましたからでしょうね。
母の背中を見ていますと、20年後のわたしに重なるのが辛く思っていました。

なるようになる、と言うお言葉、確かにそうですね。やっとそう思えるようになりました。
又アドバイスを下さい。ありがとうございました。
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