片倉さんは、困難な「さらしなの生一本」にあえて挑戦することによって、蕎麦打ち技術を極めた。それによって蕎麦界に確固たる地位を築いた訳だが、それは一体どん意味を持っていたのであろうか。
「さらしなの生一本」への関心の高まりは、「師客」であった高岸や小林の助言に基づくものであったが、片倉さん自身の性質からもその蕎麦に向かうのは必然的なものがあったのではないか。魯山人から影響を受けたという器への関心の高さを考えても、凡人の嗜好とは異なる。さらには、音楽にも(例えば、ベートーベンなどは3番や5番は聴かず、他の交響曲を好んで聴いたという)、絵画にも親しんでいたという。おそらく、身近にいた人は、他にもこうした氏の人となりを示す幾つもの例を知っているだろう。
しかし、「さらしなの生一本」は現実的な蕎麦ではない。日常的な蕎麦ではない。さらしな粉は、大量の蕎麦から少量しかとれない。それは、店の「看板」になりえたとしてもメニューの中心にはなれない。事実、新宿「一茶庵」の人気メニューは「とろそば」であったという。この事実は重い。
「さらしなの生一本」に取り組んだからこそ、技術を高められ、人を引きつけた。しかし、その蕎麦は、多くの人が日常的に支持する蕎麦ではなかった。私はここに大きな問題を感じる。
「さらしなの生一本」への関心の高まりは、「師客」であった高岸や小林の助言に基づくものであったが、片倉さん自身の性質からもその蕎麦に向かうのは必然的なものがあったのではないか。魯山人から影響を受けたという器への関心の高さを考えても、凡人の嗜好とは異なる。さらには、音楽にも(例えば、ベートーベンなどは3番や5番は聴かず、他の交響曲を好んで聴いたという)、絵画にも親しんでいたという。おそらく、身近にいた人は、他にもこうした氏の人となりを示す幾つもの例を知っているだろう。
しかし、「さらしなの生一本」は現実的な蕎麦ではない。日常的な蕎麦ではない。さらしな粉は、大量の蕎麦から少量しかとれない。それは、店の「看板」になりえたとしてもメニューの中心にはなれない。事実、新宿「一茶庵」の人気メニューは「とろそば」であったという。この事実は重い。
「さらしなの生一本」に取り組んだからこそ、技術を高められ、人を引きつけた。しかし、その蕎麦は、多くの人が日常的に支持する蕎麦ではなかった。私はここに大きな問題を感じる。