月曜の夜が発熱のピークでした。
熱はその後だんだん引いたものの腹痛は続き、
木曜日くらいまで満足に御飯も食べられませんでした。
でもまあ我輩のダイエットには少し貢献したかもしれません。
果物とか小サイズのうどんや蕎麦とか冷奴なんかを食べてました。
金曜日になって、ようやく普通の物が食べられるようになりました。
研修医生活が始まってからず~~っと、考える度に苛立つことがありました。
これだけの学歴を持ち、重責に耐え、労働時間も長い僕たちが
どうしてこんなに薄給で、休暇もほとんど取れない状態なのかと。
社会が医師を冷遇しているんだったら、我々だってそれに見合った働きをすればいい、
自分の患者は大切にするけれど、どこかの無医村なんかどうでもよいし、
救急だって所詮見知らぬ他人、夜中は断ってやったらいい、とまずそう思いました。
他人のことなんか気にせず、自分のことだけ考えて生きたらいいと思ったわけ。
その次に思ったのは、とにかく今は自分の能力を伸ばすことだけ考えようと。
優秀な医師になって、なかなか代わりを探せないようなレベルに達したら、
そこで高給と十分な休暇を要求して、いやなら病院やめてやる・・・と脅そうかと。
しかしそもそも日本の社会全体が、外国人留学生から"まるで社会主義国"と評されるほど
悪しき平等主義に満ちておるわけです。
医師でも弁護士でも社長さんでも、有能な奴はせっせと汗して働き税金を納めてるのに、
その一方で地方公務員はのうのうと彼らには十分すぎる給料をもらい、
もっと言うなら不当に生活保護を受けて生活しておる輩もいるわけです。
「ベンツに乗った生活保護」とか本当にいるそうですから。。。
日本の政府が医療費をケチる以上、いくら病院に待遇改善を求めても、
そうそう変わらないであろうことにも気付きました。
日本と欧米諸国を比べた場合、以下のような変わったところがあります。
・日本は患者数に対する医師・看護師の割合が非常に低い→長時間労働を強いられる。
・日本の薬価は異常に高い→売り上げの多くが製薬会社に流れ、病院の利益にはならない。
・日本の医療材料は異常に高い→おなじく手術などの売り上げも多くが業者のもとへ。
・薬事法により自由な輸入はできない→製薬会社などは手厚く保護されています。
・国の予算で医療費の割合が低い→たくさん働いても売り上げは伸びません。
・自由価格を設定するのが事実上不可能→頑張ろうにも商品価格の壁があるわけ。
日本の社会や、政府の政策がこれから大きく変わるだろうとは思いません。
だから勤務医としていくら頑張っても、長時間労働&ハイリスク&薄給は避けられないでしょう。
開業医はうんと流行ればまだ儲かるけど、厚労省の意向一つで診療報酬なんて下げられます。
かと言って政治家にでもなって社会を変えられるかというと、それまた無理でしょう。
政治家1人で世の中を動かせる時期なんて、歴史上でもあまりなかったことだし、
それに有権者の大半は、たいして能力も知力もない大衆です。
有能者が評価されて良い待遇を受けられる社会なんて、愚昧な大衆は望まないでしょう。
無能者が有能者に対して抱く反発心なんて、これまでの人生で数限りなく見てきました。
誰かに給料もらって生活しようとする限り、満足な待遇なんて得られない。
今の日本の社会で動いている保険診療のシステムに乗っかって医療を続ける限り、
馬車馬のように働いてようやくマシな売り上げになる薄利多売方式を強いられる。
そう思いました。
まだ今は全然ビジョンを描けませんが、今のうちから経済も法律もお金のことも勉強して、
なにか医者とは別の生き方を目指したっていいんじゃないかと考えました。
自分が思うように生きて、その生き方を続けてたくさん収入を得たいなら、
結局は自分の才覚と努力で、どこか世の中に居場所を見つけていくしかないでしょう。
お金が目当というよりは、色んな制度と搾取に縛られた状態から解脱したいだけ。
努力してそれが報われる環境を切り開いていこうというだけ。
医学部を卒業すると、普通は勤務医・開業医・研究者・省庁の医官くらいしか職業がありません。
たまに弁護士の資格をとって法曹の道に進む人もいますが。
でも、それ以外の進路を考えてもいいんじゃないかと思いました。
比べる相手がでかすぎて口はぱったいかも知れませんが、
魯迅だって孫文だって大村益次郎だって、一時は医学を学んだ人なのです。
自分の待遇と社会にずっと不満を抱えながら生きるより、
自分がより良く生きるために闘うほうがずっといいです。
まだ方向性は固まりませんが、将来自分に役立つものを得るために、
これからの時期をいかそうと思います。
患者のために身を粉にして働くことだって、得るものがないわけじゃありません。
自分の知力と体力をフルに使って、他人のために必死で働くことは、
たぶん後から振り返れば大切な経験になるでしょう。
臨床医として人の身体について知識を得、患者を通して世の中の色んな階級の人を見ることも
きっと勉強になると思います。
大学院に行って研究しても、きっとそこから得る物があるでしょう。
なにかするには資本が必要なので、たいした額じゃないけどお金も貯めなきゃいけません。
できるだけ色んなことを吸収して力を蓄え、自分の生きる方向性も見定めたいと思います。
今までずっと学問と芸術に興味を持ってきたし、今後もきっとそうでしょうが、
これからは自分が世の中で生きていくためにも、色んなことを勉強しようと思いました。
学問だって芸術だって、ほんとに向上しようと思ったら、
自分の全人格と全能力を賭けて対峙しなきゃいけません。
あるいは注射一つ、挿管一つにしても、習得できるまで同様の努力が必要です。
「数学の問題1つであっても、自分の全てをかけて何時間でも考えろ」と言ってた先生がいます。
もちろん考えぬく価値のある良問を選ぶ必要はありますが、僕も実際そうしてきました。
今までずっとそうしてきたんだから、何をいまさら恐れることがあるものですか。
自分の人生1回きりなんだから、思うようにやってやるつもりです。
熱はその後だんだん引いたものの腹痛は続き、
木曜日くらいまで満足に御飯も食べられませんでした。
でもまあ我輩のダイエットには少し貢献したかもしれません。
果物とか小サイズのうどんや蕎麦とか冷奴なんかを食べてました。
金曜日になって、ようやく普通の物が食べられるようになりました。
研修医生活が始まってからず~~っと、考える度に苛立つことがありました。
これだけの学歴を持ち、重責に耐え、労働時間も長い僕たちが
どうしてこんなに薄給で、休暇もほとんど取れない状態なのかと。
社会が医師を冷遇しているんだったら、我々だってそれに見合った働きをすればいい、
自分の患者は大切にするけれど、どこかの無医村なんかどうでもよいし、
救急だって所詮見知らぬ他人、夜中は断ってやったらいい、とまずそう思いました。
他人のことなんか気にせず、自分のことだけ考えて生きたらいいと思ったわけ。
その次に思ったのは、とにかく今は自分の能力を伸ばすことだけ考えようと。
優秀な医師になって、なかなか代わりを探せないようなレベルに達したら、
そこで高給と十分な休暇を要求して、いやなら病院やめてやる・・・と脅そうかと。
しかしそもそも日本の社会全体が、外国人留学生から"まるで社会主義国"と評されるほど
悪しき平等主義に満ちておるわけです。
医師でも弁護士でも社長さんでも、有能な奴はせっせと汗して働き税金を納めてるのに、
その一方で地方公務員はのうのうと彼らには十分すぎる給料をもらい、
もっと言うなら不当に生活保護を受けて生活しておる輩もいるわけです。
「ベンツに乗った生活保護」とか本当にいるそうですから。。。
日本の政府が医療費をケチる以上、いくら病院に待遇改善を求めても、
そうそう変わらないであろうことにも気付きました。
日本と欧米諸国を比べた場合、以下のような変わったところがあります。
・日本は患者数に対する医師・看護師の割合が非常に低い→長時間労働を強いられる。
・日本の薬価は異常に高い→売り上げの多くが製薬会社に流れ、病院の利益にはならない。
・日本の医療材料は異常に高い→おなじく手術などの売り上げも多くが業者のもとへ。
・薬事法により自由な輸入はできない→製薬会社などは手厚く保護されています。
・国の予算で医療費の割合が低い→たくさん働いても売り上げは伸びません。
・自由価格を設定するのが事実上不可能→頑張ろうにも商品価格の壁があるわけ。
日本の社会や、政府の政策がこれから大きく変わるだろうとは思いません。
だから勤務医としていくら頑張っても、長時間労働&ハイリスク&薄給は避けられないでしょう。
開業医はうんと流行ればまだ儲かるけど、厚労省の意向一つで診療報酬なんて下げられます。
かと言って政治家にでもなって社会を変えられるかというと、それまた無理でしょう。
政治家1人で世の中を動かせる時期なんて、歴史上でもあまりなかったことだし、
それに有権者の大半は、たいして能力も知力もない大衆です。
有能者が評価されて良い待遇を受けられる社会なんて、愚昧な大衆は望まないでしょう。
無能者が有能者に対して抱く反発心なんて、これまでの人生で数限りなく見てきました。
誰かに給料もらって生活しようとする限り、満足な待遇なんて得られない。
今の日本の社会で動いている保険診療のシステムに乗っかって医療を続ける限り、
馬車馬のように働いてようやくマシな売り上げになる薄利多売方式を強いられる。
そう思いました。
まだ今は全然ビジョンを描けませんが、今のうちから経済も法律もお金のことも勉強して、
なにか医者とは別の生き方を目指したっていいんじゃないかと考えました。
自分が思うように生きて、その生き方を続けてたくさん収入を得たいなら、
結局は自分の才覚と努力で、どこか世の中に居場所を見つけていくしかないでしょう。
お金が目当というよりは、色んな制度と搾取に縛られた状態から解脱したいだけ。
努力してそれが報われる環境を切り開いていこうというだけ。
医学部を卒業すると、普通は勤務医・開業医・研究者・省庁の医官くらいしか職業がありません。
たまに弁護士の資格をとって法曹の道に進む人もいますが。
でも、それ以外の進路を考えてもいいんじゃないかと思いました。
比べる相手がでかすぎて口はぱったいかも知れませんが、
魯迅だって孫文だって大村益次郎だって、一時は医学を学んだ人なのです。
自分の待遇と社会にずっと不満を抱えながら生きるより、
自分がより良く生きるために闘うほうがずっといいです。
まだ方向性は固まりませんが、将来自分に役立つものを得るために、
これからの時期をいかそうと思います。
患者のために身を粉にして働くことだって、得るものがないわけじゃありません。
自分の知力と体力をフルに使って、他人のために必死で働くことは、
たぶん後から振り返れば大切な経験になるでしょう。
臨床医として人の身体について知識を得、患者を通して世の中の色んな階級の人を見ることも
きっと勉強になると思います。
大学院に行って研究しても、きっとそこから得る物があるでしょう。
なにかするには資本が必要なので、たいした額じゃないけどお金も貯めなきゃいけません。
できるだけ色んなことを吸収して力を蓄え、自分の生きる方向性も見定めたいと思います。
今までずっと学問と芸術に興味を持ってきたし、今後もきっとそうでしょうが、
これからは自分が世の中で生きていくためにも、色んなことを勉強しようと思いました。
学問だって芸術だって、ほんとに向上しようと思ったら、
自分の全人格と全能力を賭けて対峙しなきゃいけません。
あるいは注射一つ、挿管一つにしても、習得できるまで同様の努力が必要です。
「数学の問題1つであっても、自分の全てをかけて何時間でも考えろ」と言ってた先生がいます。
もちろん考えぬく価値のある良問を選ぶ必要はありますが、僕も実際そうしてきました。
今までずっとそうしてきたんだから、何をいまさら恐れることがあるものですか。
自分の人生1回きりなんだから、思うようにやってやるつもりです。