Fis-dur日記帳

博士課程院生Fis-durの日常

フェミニストは非フェミニストの価格を吊り上げた

2012年08月09日 | Weblog
女性の"自己実現"ということについて、
親の世代のフェミニストが馬鹿のように思えてきました。
田嶋陽子といった顔も心も汚らしい人たちのことです。

女性は家にこもっていろという価値観が蔓延していたのなら
それを打破したことは評価します。
多様性と自由はあるべきですし、私も熱心な女医さんは評価します。
しかし、家事や生活をないがしろにしての社会進出とは
いったい何なのでしょうか。
家族のパンツも洗えないような自意識過剰の人に
家族を持つ資格はありません。
履いたパンツ=汚い、という一面的な見方しかできず
それをどうして自分が洗わなければ、というのが詰まらぬエゴです。
一緒に暮らす家を清潔に保とうとか、家族に綺麗な衣類を着せようとか
そういう気持ちが育たないのは未熟さと愚かさに過ぎません。

フェミニストは女性の価格を吊り上げました。
が、ほとんどの男性は今でも
伝統的な役割もある程度は果たしてくれる女性を評価します。
要するに「女性は家事をするのが当たり前」から
「きちんと家事をしてくれる有難さ」に変わったわけです。
この点ではフェミニストの努力の甲斐がありました。
彼ら自身はもう少し賢い女性たちのための人柱になったわけですが。
男性が女性に伝統的な役割を期待するのが間違っているというなら、
そういう女性は男性に経済力、安定性、身体的優越性、父性、包容力など
伝統的な美点を求めるべきではありません。

義母がこの点、娘の非常に悪い手本になったようです。
昔の人ですから外で働きつつ、家事は一応していたようです。
しかし所詮嫌々やっていますから、子供に当たり散らし、
そのせいでうちのヨメの人格形成は一部良くないと思います。

家族のために御飯を作るという行為をどういう気持ちでしているのか
お前には分かっていないだろうと先日ヨメに説教しました。
三流の上司たちが思いついた雑用に翻弄され、自分がストレスをため、
日常生活を犠牲にして旦那に当たり散らすという構図には飽き飽きしました。
話が非常に通じやすいことと、容姿が好みの範疇であるのが取り柄でしたが
生活軽視と、子供を作る気がない点が大きなマイナスです。
同じくらい話が通じやすく、一緒に努力してくれて気が合う人が見つかれば
乗り換えても何ら悪くないのではないかと思ったりします。
プロフェッショナルな仕事をしつつ、家庭を一緒に築いてくれる人なら
私も心から大切にできると思います。
・・まあ今までも大切にしてきましたが一方通行で、嫌気がさしているだけですが。