しっぽこBLOG

にゃんこの“しっぽこ”のような、どーでもいいblog。おしごと、にゃんこ、バイクのことなどなど

ひょん

2006-02-22 | etc

先日、深夜に知人から電話がかかってきた。
すると、会話の途中に「プッ」「プッ」とプッシュダイヤルの音が鳴ったので、
「どうしたの?」と聞いてみれば、
「あ、間違えてゼロを押しちゃってた」と言う。
ゼロ・・・ゼロォォォ???
「いかん!ゼロは!ゼロは連打してはだめなのだ!こわい~」と思わず恐怖の叫びをしてしまった。
案の定、彼は「プププププププー!!!」と連打。
もう、気絶しそうだ。
それは、なぜか。
それは・・・「ひょん」が来るのよ!

「ひょん」とは、我が一族に代々伝わる「妖怪」であります。
一つ目で一つ足にでっかい口。
悪いことをしたら、「ひょんっひょんっひょんっ」といってやってきて、窓から中を覗くのだ。
しかも、それを呼べるのは大人だけ。
父親が「そんなことしたら、ひょんに電話してやる!000-000・・・」と言って受話器を持つと、もう恐怖の絶頂だ。
電話を持ってる妖怪。
今考えたらおかしいよな。
しかし、この妖怪は一族残らず代々伝わっているのである。
毎度登場の姉1.2もさることながら、従兄弟にいたるまでみーんな「ひょん」の恐怖におののいて過ごしたのだ。
ある時、みんなで想像する「ひょん」を書いてみたが、全員てんでばらばら。
そういや、情報は最低限。
しかも、悪いことをしたら「ひょん」にどんなことをされるかっていうのも、
「怖くて言えない」。
ある意味、子供の想像力をかき立てる情緒教育だったのか。
まぁ、これは万国共通らしく、N.Y.の姉1の娘、クリスティーナも
案の定、姉1に「ひょん教育」されていた。
彼女がわるさしたら、「ひょん、よーぼおっと!」というと、
「ヒョン、ダメー!ノー!ノー!ゴメンナサイー!」と号泣。
ふっふっふ。我が一族の妖怪も、海外デビューじゃ。

とにかく、このことをその知人に話したらおもしろがって自分のブログに書いていたので、反論してみた。


エキスキューズミー!

2006-02-20 | etc

私は道を聞かれやすい。
それは昔からだ。
そして、だいたいが「おばさん」「おじいさん」。
さらに最近では「外国人さん」が圧倒的に多いのだ。
※ぼびーの件は除く。

ご存じでしょうが、私は英語はしゃべれません。
でも、なぜか声をかけられてしまうのです。
で、なぜか尻込みもせずわかったようなフリをしていたら、通じているみたい。
ま、一度だけ心斎橋で「オーパはどこですか?」と聞かれたのに、
「え?オーバーうってるとこ?!」ってなことはありましたが。(その時はたまたま帰国子女の友達が近くにいたので助けてもらった)
それ以来、とりあえず勘違いはない。※しつこいが、ぼびーの件は除く。
今年に入って、道を尋ねられたのは、

1.JR大阪駅「米原行きはどの電車?」とインド系の女の子。また米原ってマニアック。
2.OCATで「日本橋はどっち?」と日本橋方面から歩いてきたインド系のカップル。
 コレに関しては、私は携帯で電話していたのに、私に突進してきた。
 (ほかにもたくさん人はいた)電話を切って一緒に行ってあげました。
3.地下鉄御堂筋線で「この電車は心斎橋行くの?」とこれもインド系の男性に。
 ワタシは本町で降りないと行けなかったので、 本町まで一緒にいてあげて、ネクストステーションよー!といって逃げた。
4.先週末、枚方市駅でおばさんに、まったく違う方向のスーパーの道を聞かれた。

てなペースだ。
そうそう、数年前に旅行で行った台湾でも。夜遅く「台北駅」近くを歩いていたら、台湾人のファミリーに道を聞かれたっぽい。(だと思う)大学でほんの少し習った中国語(これでも「中国映画」が卒論)の中でかろうじて覚えていたコトバ、「ウォー シー リーウェンレン~!」※ワタシ ハ ニッポンジン アルヨー
といって、頭を下げたら、「阿、阿・・・」と残念そうにしていた彼ら。
あのときだけです。お役に立てなかったのは。

しかし。なぜ道をきかれるのだろうか。
ガードがゆるい?
うん。しかし、この10年くらいキャッチのにぃちゃんたちは寄ってこないし寄ってきても玉砕。
そんなにゆるいとは思わんのだが・・・。
いや、結論的に聞かれてイヤではないのだが、急いでいるときは困ったりするので、
聞かれなくてもいい方法、てか、なぜ聞かれやすいのか、
だれか教えて。


新しい1年

2006-02-16 | 季節

32歳1日目。
前日にも書いたが、初日は血尿な朝だ。
びっくり(笑)
実は、今月にはいってからプランニングで悩んだり、ずーっと書いているので、プライベートで文字を打つのが非常に苦痛だったのだ。
ですので、大変ご無沙汰しておりました。

しかし、31歳の1年間は、思ったより長く感じた。
club30(クラブサーティ※仲間内で三十代に突入したときに自動入会のクラブ)に入ってからは、
「転げ落ちるように早い」と聞いていたが、確かに30歳の1年間は早かったような気がする。
というか、29歳という響きと、30歳という響きに自分自身がついていけてなかったような感じだ。
その点、31歳の1年間は結構変化の年だったのでいきいき活動できたのかもしれない。
32歳の私は、まあるく生きたいと思います。
数字ってそうできてる気がする。
0 でびっくり
1 で尖ってがんばる
2 で少しまあるく
3 でさらにまるっぽく
4 でちょっと尖ってがんばる
5 で少しまあるくなりはじめ
6 でかなりまあるく
7 でシャープに
8 でダブルまあるく
9 で次の準備
0・・・

というわけ。
諸先輩がた、どうでしょうか。

ひとつ大人になりました

2006-02-15 | 季節

15日は、バースデーだった。
子供の頃からそうだが、バレンタインデーの次の日というのは、
なんだか複雑。

1.女の子からもチョコをもらう事が多い。
2.チョコレートを渡した次の日にプレゼントをもらうので、ホワイトデーと一緒にされてしまいそう。
3.バレンタインデーと一緒くた
4.でも覚えられやすい。

などがあげられる。
というわけで、今年は1.2.3.がヒット。
生まれた頃の時間に、母にメールを送っておいた。
「32年前の今日はありがとう」
ロマンのかけらもない・・・というか文才のない母の返事は、もちろんまったくもって感動的なものではございません。

しかし・・・問題はプレゼントと引き換えに渡したようなチョコレートだ。
家には材料も機材もないので、突然実家に帰り、かつて「これ買ったんちゃうん?!」といわしめたという料理上手、姉2の秘策アドバイスを受けながら作ったが、仕上がりは大爆笑の渦である。
「このふんころがしみたいなの、どうすんの(爆笑)」by姉2
・・・。
3次元制作物は非常に苦手という私の威力を発揮した作品に仕上がったというとわかりやすいだろうか。
頼む。暗がりで食べてくれ。

翌朝、血尿が出た。
本人が思っていた以上にストレスだったらしい。