うさこさんと映画

映画のノートです。
目標の五百本に到達、少し休憩。
ありがとうございました。
筋や結末を記していることがあります。

0165. イングリッシュ・ペイシェント (1996)

2006年11月30日 | 米アカデミー作品賞and/or監督賞

イングリッシュ・ペイシェント / アンソニー・ミンゲラ
160 min USA

The English Patient (1996)
Directed and screenplay by Anthony Minghella, based on Michael Ondaatje. Cinematography by John Seale. Performed by Ralph Fiennes (Count Laszlo de Almásy), Juliette Binoche (Hana), Willem Dafoe (David Caravaggio), Kristin Scott Thomas (Katharine Clifton), Naveen Andrews (Kip), Colin Firth (Geoffrey Clifton), Julian Wadham (Madox).



原作も読ませるけれど、映画もいい。癖のある気難しいイギリス人を演じたのはレイフ・ファインズだったと、つい先日になって知った……友人のブログで。

いますぐとって返さなければ、愛している相手は重傷をおったまま助からない。その状況で拘束されてしまう人生を思うと、息が詰まりそうなくらい怖い。菊花の契りより怖い。戻ると約束したのに、助けにくるといったのに、ひとりで死なせることはできない。なによりも、見捨てられたと思いながら死なせることはできない。ほんとうの意味で「ひとりで死ぬ」とはそういうことなのだから。

それはきっと、けものたちにはひんぱんに起きていることだろう。どんぐりが不作の秋、衰弱した子供に柿をとろうと里へ出てとらえられた母熊、家族の餌場を探して撃たれた雄鹿。自分は深手をおい、のこしてきた家族はもう死んだ。それなら自分も死なせてほしいと願うだろう。イギリス人の患者はそう願った。死なせてほしいと頼まれて、涙を膨大に流しながら致死量のモルヒネを注射器に吸い上げる看護婦は、会えないまま自分の父親をうしなった娘である。彼女は家族の最期をみとりたかった。ひとりで死なせたくなかったという悔恨を抱えている。患者と看護婦は合わせ鏡の関係にある。

毎日新聞の「ねこ新聞」という随筆欄に、ある家の庭先で仔猫をうんだ母猫の話がのったことがある。赤ん坊猫たちをのこして母猫が戻らない。薄情だと思っていたら、数日後に縄をまつわらせて帰ってきた。食べものを探しに出たところを、ご親切で愚昧な人間に「保護」されてしまい、縄をかみちぎって必死で逃げてきたらしい。しかも避妊手術までされていたという。産後の弱った体にはひどくこたえたろう。生殖器を切り取られたのではお乳も出なくなったかもしれない。

それぞれの生には、絶体絶命に譲れない事情がある。最低限の継続観察すらせず、めりめりと木を裂くように拉致監禁しておきながら「弱っていたので保護してあげたの」といいつのられて生きるより、わたしなら相手をかみ殺して死ぬほうをえらびたい。でも死にきれなかったときは、どうかたっぷりのモルヒネを(弱気)。そしてわたしの家族に知らせてください、いつまでも知らずに待つことがないように。そしてあなたが死ぬときに、わたしはそこにいますと。




メモリータグ■身づくろいもそうそうに、ドレスの背中のファスナーがあいたまま庭を走り出るジュリエット・ビノシュ。わきたつような表情がすばらしかった。

天井画のえがかれたドームを、灯火を手に揺られつつ眺めるシーンはあの映画の名場面。撮影するがわも「これは名場面」と確信していたと思うので(笑)、あえてほかを選びたくなる。1999年米国アカデミー賞9部門受賞。作品賞・監督賞・撮影賞・編集賞・助演女優賞・美術賞・衣装デザイン賞・録音賞・音楽賞・



0164. The Gauntlet (1977)

2006年11月25日 | 1970s
ガントレット/クリント・イーストウッド
109 min USA


The Gauntlet (1977)
Directed by Clint Eastwood. Writing credits Michael Butler and Dennis Shryack. Cinematography by Rexford L. Metz. Performed by Clint Eastwood (Ben Shockley) and Sondra Locke (Gus Mally).



監督と主演をこなしたイーストウッドはまだ若い。1930年生まれ、この作品の時点で三十代なかば。でもこのひとは、感心するくらい雰囲気が変わらない。6フィート4インチ(1.93メートル)という背のたかさはそのまま、髪を白くして皺をふやせば今の顔になる。

ここでは証人になる娼婦を法廷まで護送する警察官を演じている。上司はスキャンダルをかくしていて、発覚をおそれて証人を抹殺しにかかる。定型どおりのストーリーだった。

山場は一斉射撃のシーンだろう。主役はバスをのっとって、証人と二人で法廷にむかう(「おれはただしいことをしている、だからバスをのっとってもゆるされる。バイクを盗んでもゆるされる、ひとを殺してもゆるされる」)。ところが悪役の上司の采配で、銃をかまえたおおぜいの警察官が配置されている。進んでくるバスにむかって、警官たちは大量の銃弾を浴びせる。ヒーローとヒロインは、鉄板で保護した運転席を死守しながら法廷にたどりつく。畏敬にうたれたように立ちつくす警官たち。おしまい。

アメリカン・ムーヴィーでスターの役柄といえば、まずはタフガイ系ヒーローが思いうかぶ。「ガンマンの系譜」である。この作品はその点でも典型的……と書くといかにもファロス神話のラベルがぺたりとはりつきそうだけれど(笑)、アメリカン・ヒーローの条件はかわらない。一にルックス、二に腕力。三、四がなくて五に弁舌。映画史上の「タフガイ」は誰から始まるの? ダグラス・フェアバンクス・シニアかな。



メモリータグ■ヒーローとヒロインが二人で貨車にのりこむと、まちかまえていたように「ならず者」たちに襲われる(ほんとうは、かれらはそのまえに主人公にバイクを奪われた被害者です)。ヒーローはとっさに銃を干草のなかに隠して手首を縛られるままになる。彼を助けようとヒロインはグリーンのシャツをはだけ、胸をさらして男たちを誘う(アメリカでメジャー興行の作品にヌードやセミヌードが使われるのは、おそらく1970年前後だけでは)。そこで主人公は憤然と縄をひきちぎって立ち上がり、隠しておいた銃を手に、暴行をくいとめる。ふふ、缶詰のほうれんそうがでてきそう。

#こうした状況で最後まで立ち上がれない男性主人公が出てくる例は、ヒッチコックの『裏窓』くらいでは。足をギプスに覆われた男が持っているのは銃ではなく、望遠レンズだけだった。ヒッチコックいいなあ、なさけなくて。




0163. オリバー・ツイスト (2005)

2006年11月22日 | 2000s

オリバー・ツイスト aka. オリヴァー・ツイスト / ロマン・ポランスキー
130 min UK / Czech Republic / France / Italy

Oliver Twist (2005)  
Directed by Roman Polanski. Screenplay by Ronald Harwood, based on Charles Dickens. Cinematography by Pawel Edelman. Performed by Ben Kingsley (Fagin), Barney Clark (Oliver Twist).



とにかくなんでも撮れてしまうポランスキー。引き出しの多いひとで、これは自身の子供のために制作したというから、パパ、すごい(笑)。たとえば、もしビル・ゲイツが自分の子供のために児童むけコンピューターを開発させたら……。でもそのときは、「すばらしいコンピューターね。でもあなたのパパは、ほんとうはこわいひとなのよ」とこっそり言ってしまいそう(汗)。

映画の制作費は80億円。『ピアニスト』の倍ときいた。大部分は19世紀なかばのロンドンを再現した重厚なオープンセットの費用だろう。プラハに組んだのだそう。

制作方針としては『テス』に共通する古典作品のスタイルをとっている。完全にオーソドックスで、へんにいじることをしていない。名優を配し、ゆっくりした速度で語りすすめていく。それがたいくつだというかたには、光のつかいかたやカメラワーク、衣装の考証といった総合的な完成度のたかさをご覧になることをおすすめしたい。BBCの名作物ではこの深い色味は出ない。ナルニアも光は浅かった。たんなる技術の問題ではない、美意識です。それを含めて、でも正確にはなにが違うのだろう? ポランスキーはわたしにとって、底が知れない作家の一人。不思議な奥行きがあるのだけれど、そのタッチをつくりだしている鍵がわからない。

ところで、盗賊頭のフェイギンをベン・キングズリーが演じたことが話題になっていた。この役は、1948年にデヴィッド・リーンが手がけた映像化ではアレック・ギネスがつとめている。キングズリーはダイナミックな役づくりで演じきっていた。しばらくまえの『ヴェニスの商人』でシャイロックの役はアル・パチーノがやったけれど、このひとで見てみたかったとさえ感じた。



メモリータグ■田舎道。飢えながら歩いてきたオリヴァーはぱったりと行きだおれ、親切な老婦人にごはんをもらいます。周囲の広々とした原っぱと林が美しい。




0162. The Da Vinci Code (2006)

2006年11月18日 | 2000s
ダ・ヴィンチ・コード/ロン・ハワード
149 min USA

The Da Vinci Code (2006)
Directed by Ron Howard. Akiva Goldsman (screenplay), Dan Brown (novel), Cinematography by Salvatore Totino. Tom Hanks (Dr. Robert Langdon), Audrey Tautou (Agent Sophie Neveu), Ian McKellen (Sir Leigh Teabing), Jean Reno (Captain Bezu Fache), Paul Bettany (Silas).



数年前に目をとおした原作は、作者自身がいかにも映画化を期待していそうな匂いのするものだった。じっさいに映像化された作品についてあまり高い評価をきかない。理由は自分で見て確認できた。演出や視覚情報では、話の基本的な弱点をカバーできなかったのだろう。美しい僧院や有名寺院などが撮影されているので、観光映画としてたのしむといいかもしれない。

ということで映画はさておき、原作について。冒頭、ルーブルの館長が、死に瀕してとはいえレオナルドの画布になぐり書きをする。その驚きにまず耐える。ところがなぐり書きの発見者も、ひと目みるなり平然と、「この謎が解ける?」などと訊く。レオナルドの作品が損傷されたら世紀の大事件でしょうに、この反応。一瞬、ある朝目がさめたら巨大な虫になっていた。しかし世界は変わらないという異様な設定を思い出した。

カフカの場合、その状況のなかで生じるあらゆる苦悩と焦燥をつたえる克明な描写に満ちているのだけれど、ここでは全員あたりまえという顔。そこでこちらも覚悟をきめる。これはそういうレヴェルの話らしい。そして、その覚悟が正しかったと知ることになる……。

とはいえ、むきになるまでもない。あそこまで他愛のない知識やその借用を奥義のようにならべつづけられると、最後は笑い出してしまうひとのほうが多かったのでは。たとえばハーヴァードで美学を専攻している学生が黄金分割さえ知らず、興奮しきって質問をつづけたり、当の教授が僧院でユダヤの民の基本的な印に気づかず、ひとから教えられて驚いている。その水準は最後までかわらない。

わたしたちは、ものごとについて調べる場合、ひとつずつの「知識」はつねに表布にすぎないことを思いおこす必要がある。布には裏地がついている。その概念を位置づけてきた文化的文脈、解釈の系譜というぶあつい裏地である。裏地を知るまで、その表布は使えない。知らずに使えば失笑をさそう。これは自分をかえりみてもこわい。

同時に、外からみてあやういのは、その事態と市場性がむすびついた場合に、むしろ一種の放任状態が生みだされることだろう。表布の乱脈使用について、知識層はしばしば完全に黙殺するほうをえらぶからである。それは最大の侮蔑の表現であるにもかかわらず、逆に市場での「評判」だけが野火のようにひろがっていくという事態をうむ。

この作品が世界各地で販売され、累計4900万部という実績をのこした事実について、専門家はいちど冷静に考えてみてもいい。ほんとうに・それで・いいのだろうか。徹底的な大衆小説だからという理由で別次元の話として無視するだけではなく、プロとしての説明責任について考えてみてもよかったのではないか。レオナルドの生地のイタリアでさえ、「ダ・ヴィンチ・コード展」といった名称で催しがなされたらしい。あのときはさすがに、なぜ「ダ・ヴィンチ展」ではいけないのかとエーコが苦言を呈していた。舞台にされた欧州の知識人のうんざりした反応と、アメリカ人観光客の熱狂の、鮮烈な対比が印象にのこる。



メモリータグ■映画で使われた小道具の暗号器。ちいさな円筒形で、表面の文字列をくみあわせてロックを解く。とても美しく仕上げられていた。どこに発注したのだろう、ほんものの精密機器の職人に依頼したもののようにみえる。

いっぽうでコスチュームはひどい。ひどいけれど理屈はとおっていて、ヒロインは話の進行にともなって次第に服を着くずしていく。かつて『ローマの休日』でこころみられた、一枚のシャツの着こなしを変えていく有名なスタイリングである。ヒロインはまずコートを脱ぎ、ついで襟元がくつろげられ、カーディガンのボタンがはずされ、やがてシャツとスカートだけの軽装になる。

ただし、その先はありません(笑)。




0161. Firewall (2006)

2006年11月10日 | 2000s
ファイヤーウォール/リチャード・ロンクレーン aka. ロンクレイン
105 min USA

Firewall (2006)
Directed by Richard Loncraine, written by Joe Forte. Cinematography by Marco Pontecorvo. Performed by Harrison Ford (Jack Stanfield), Paul Bettany (Bill Cox), Virginia Madsen (Beth Stanfield), Mary Lynn Rajskub (Janet Stone) et al.


銀行ネットワークのセキュリティー担当者が「強盗」に押し入られて、ハックを強要される。首謀者を演じたポール・ベタニーがめだつ。1971年生まれのイギリスの俳優で、ラッセル・クロウが主演した『マスター・アンド・コマンダー』ではダーウィンをモデルにした学者を演じていた(Master and Commander: The Far Side of the World, directed by Peter Weir, 2003)。あれは静かな善人という設定だったけれど、今回の役はむしろ、ブレードランナーでルトガー・ハウアーが演じたレプリカントや、24-Vでジュリアン・サンズが担当したテロ組織のリーダーに近そう。身長は1メートル91センチ。どうりでフォードより一回り大きかった。

全体はすこしだけ「リアルな味つけ」をめざしたらしい。脅迫チームの方針がぶれたり、主役がスーパーマンではなかったりする。でもそれならこの大男と正面から殴り合った場合、勝てないほうがリアルでは、と笑ってつっこみをいれながらまずまず観ていた。ポランスキーには遠く及ばないものの、ふつうのテレビドラマくらいの期待度でみればこたえてくれそう。

ただし、「ファイアーウォール」というタイトルにはちょっと無理がある。ネットワークのセキュリティーをくぐる手段は、この話ではあまりメーンになっていない。そもそも、ディスプレイに表示されていく口座名の長いリストをスキャナーで読んでOCRにかけるという思いきりプリミティヴなアプローチ。この場合、せめて手動で一度チェックしてほしい。読み取りエラーが続出しそう(笑)。

なお主人公を手助けする秘書は、『24』でクロイを演じたLynn Rajskub。偶然だろうけれど、この作品も主人公の名前はジャック。24とおなじ。そういえば、いまレンタルで宣伝が出ている連続ドラマ "Lost" の主人公もジャックだった。ジンクスでもあるのかしら。



メモリータグ■家族ごと誘拐された愛犬。このGPSの信号をもとに追跡することで、しろうとでも諜報機関のエージェント級の活動が可能に……。ただ、現実にはあの端末はまだかなり大きいのでは。卵くらいあるはず。猫や小型犬にはつらい。




0160. もののけ姫 (1997)

2006年11月05日 | 1990s

Mononoke-hime, aka. Princess Mononoke (USA) / Hayao Miyazaki
134 min Japan

もののけ姫(1997)
原作・脚本・監督:宮崎駿、製作:氏家齊一郎、成田豊、色彩設計:保田道世、美術:山本二三(にぞう)、音楽:久石譲、出演:松田洋治(アシタカ)、 石田ゆり子(もののけ姫・サン)、田中裕子(烏帽子御前)、美輪明宏(モロ)、小林薫(ジコ坊)、森繁久彌(乙事主)、森光子(ひいさま)、西村雅彦(甲六)、上條恒彦(ゴンザ)、島本須美(トキ)



苦しんで作られた作品にちがいない。ひとつの構想が長年にわたって生きつづけ、いくどもいくども練りなおされていくとき、その命が深いほど、致命的にそこなわれていく危険もまた深いように思える。異なる位相の物語が重層的にはらまれて、それぞれに揺るぎない必然をそなえたまま、どれも死なずにひきずられていく。それらがどうしてもひとつの世界のうちに場をえることができなければ、たがいに巨大な亀裂と化して内側から壊れていくだろう。強い生命力をもつ物語は、みずからを破壊しようとする力もまた強いのだ。『もののけ姫』には、何度もそういう危機に直面した痕跡を感じる。おそらく数十年はあたためられてきた構想だろうと、むしろその痕跡から推しはかることができる。実際にドラマトゥルギーとしてもいくつか難所があるけれど、こんな大構想が最終的にかたちになりえたことそのものが驚異というしかない。奇蹟の一作である。

最大の危機のひとつは、もののけ姫の人物設定そのものだったのではないか。このタイトルロールは主役ではない。ではなにを象徴しているのだろう。

彼女の微妙な位置はおそらく、アシタカという主人公との均衡による。この少年は、宮崎作品のなかで、もっとも雅(みやび)な男性主人公として仕上がっている。知的で、品格があり、潜在的に大きな力をそなえていながら静かなたたずまいをしている。だがこのような少年像は、じつはこの作品まで一度もえがかれてきていない。はじめての造型であるはずなのに不思議なほど完成度がたかく、すみずみまで彫琢されつくしている。なぜだろう? 考えると、一連の状況が風の谷と酷似していることに気づく。少年はゆるやかな消滅の危機にあるちいさな共同体にそだち、ゆくゆくは王となるよう定められていながら、その共同体を守るために、そこから離れざるをえない。そして森を見守る、かなめの位置に立つことになる。アシタカは性別をいれかえたナウシカなのだ。おそらく作者は無意識だったかもしれない、だが屈指の完成度をそなえて生み出されたのは当然である。

この人物を得たことで、物語をうごかす焦点は彼一人に集約された。それは物語の重層性がはげしくぶつかることで生み出される巨大な矛盾までも、この主人公が引き受けることを意味する。造り手は、もっとも深く思いをこめた人物を、もっとも厳しく試みるものなのだ。このときもののけ姫は彼が守るべき対象として、その造型はむしろ単純なものになった。この女性は、ひとのかたちをとった森とみることができる。彼女は引き裂かれ、その傷は癒えることがないままに生きつづける。


観終えると、おもわず柳田國男さんや網野善彦さんの著作を読み返したくなる。室町という時代設定そのものに、ここしかないと思わせる洞察の鋭さがあった。



メモリータグ■深い森のなかを獅子神が歩く。その足元に草がはえ、また枯れる。震えるほど凄い。





0159. ルパン三世 カリオストロの城 (1979)

2006年11月03日 | 1970s

Lupin the Third: The Castle of Cagliostro / Hayao Miyazaki
100 min Japan

ルパン三世 カリオストロの城 (1979)
監督:宮崎駿、脚本:宮崎駿、山崎晴哉、製作:藤岡豊、原作:モーリス・ルブラン、モンキー・パンチ、作画監督:大塚康生、音楽:大野雄二、美術:小林七郎、声優:山田康雄(ルパン三世)、島本須美(クラリス)、増山江威子(峰不二子)、小林清志(次元大介)、井上真樹夫(石川五右ヱ門)、納谷悟朗(銭形警部)


名作(笑)。宮崎さんは三十代の後半でこの作品をつくり、五年後に『風の谷のナウシカ』を発表する。うーむ、栴檀は双葉より芳し。練りこまれた脚本で、緻密な細部がすばらしかった。この作品はそれまでの蓄積においてひとつの集大成であると同時に、ここからさらに高度な新しい流れがあふれ出す結節点のような位置づけになっているのでは。非常に重要な作品だと思う。

ヒロインは冒頭ほどなく、ウェディングドレスで真っ赤なシトローエンを運転して逃走中、というもうしぶんなく印象的な演出で登場する。彼女は、自分を助けた人物が気をうしなっているのに気づくと、長い礼装用の手袋をはずし、水にひたして相手の額を冷やす。そのまま去っていったあとの手袋のなかに、重要な指輪がのこされている。この流れるようなシークエンス。はやい展開で観る側を引きつけながら、"果敢で清楚なヒロイン"という人格提示をすませ、しかも物語の核心につながる指輪が、ごく自然なかたちで主人公の手にはいる。物語は、こんなふうにして動き出すものなのだろう。

のちの『もののけ姫』で、タイトルロールのヒロインが冒頭から三十分たってまだ登場にいたらなかったような「思いいれの重さ」は、ここにはまだない。どうしたらたのしく、おもしろいものを作れるか。その職人的な課題がひたすら追求され、純粋に達成されている。才能には、ぞんぶんな自由をあたえればいいとはかぎらない。むしろ制約とむすびついたとき、思いがけない幸福な成果がうまれることもある。あるいはもともと、すぐれたひとは自分に制約を課すことがうまいのかもしれない。

たとえば舞台設定。ここではひとつの城が周到に使いつくされている。堀の水路、尖塔の幽閉室、急勾配の大屋根、城内の礼拝堂、地下室の造幣施設、庭先の森、大時計のメカニズム。シーンなどいくらでも増やせるセルアニメーションであるにもかかわらず、でたらめをしていない。それどころか、宮崎さんはこの城を庭園ごと、きちんと設計したに違いない。そしてどのシーンでどこを使うか、時空間をすべて配分したろう。本格的な実物感が出ているのは、その結果だと思う。小道具をふくめて時空のヴィジョンを克明に思いえがき、それぞれの性質をいかすという一流の仕事で、古典的な「娯楽作品のつくり」をよくふまえてもいる。

クライマックスでは主人公たちが塔の大時計という高所からもっとも低い水の中まで一気に落ちたあと、その水がひいていくというダイナミックな変化をはさんで、ひいたあとの水底から古代の都市があらわれる。つまり物語がもっとも大きく動くところで、主人公の空間的な移動ももっとも大きく、速く、そして舞台そのものの視覚変化も最大になっている。「わくわく」は偶然ではうまれない。さまざまな効果がぴったりかみあっているのです。



メモリータグ■いい脇役は、どうしたらつくれるのか。出番が少ないのに、場面をさらうという出し方がひとつありそう。この作品では五右衛門。キュートだった。



ちょっと余談:ルブランのいにしえの作品は、これとは無関係になんとも手軽な元祖エンターテインメントなのだけれど、映像化するならあれこそ若いころのアラン・ドロンでぴったりだったろう。あやしい伯爵夫人は誰かなあ、ジャンヌ・モローでは知的すぎる? 



ねこさらいのジョニー・ウォーカー[番外]

2006年11月01日 | 番外
20061101

映画ではなくて現実の話。ブログのLiving, Loving, Thinkingで、つぎの記事が紹介されていた。
http://kikko.cocolog-nifty.com/kikko/2006/10/post_221a.html

またたびで猫たちを誘い込んでは捕獲器に閉じ込め、とうてい生き延びられない場所に遺棄しつづけていたというおぞましい「猫さらい」の男の行為。自分の猫がいなくなり、必死でさがしたひとが事実をつきとめて告発している。やっとの思いでみつけた猫は、白骨の遺体になっていた。

被害にあったのが人間だったら、吐き気のするような連続殺害事件としてあつかわれるだろうに、この行為が「合法」だとすればことばをうしなう。



#「ジョニー・ウォーカー」は村上春樹さんの『海辺のカフカ』に登場する、邪悪な猫さらいです。

追記:被害にあったねこたちの、飼い主のかたのブログがありました。http://sakurana55.blog54.fc2.com/