うさこさんと映画

映画のノートです。
目標の五百本に到達、少し休憩。
ありがとうございました。
筋や結末を記していることがあります。

0259. あなたは天皇の戦争責任についてどう思いますか? 96.8.15靖国篇 (1997)

2008年05月27日 | 1990s
What Do You Think about the War Responsibility of Emperor Hirohito?
53 min Japan / Yutaka Tsuchiya

『あなたは天皇の戦争責任についてどう思いますか? 96.8.15靖国篇』 (1997)
監督:土屋豊


1996年8月15日、靖国神社に参拝した人びとへのインタヴューを主体に、戦没者追悼式や戦争当時の記録映像などの挿入映像を加えて構成されたヴィデオ・ドキュメンタリー。作品としてのねらいが明確で、記録的意義も高い。「新宿篇」もあるらしい。年月をおいておなじ試みをおこなうといった連続性を期待したい。

映像は、ふつうの撮影画面に加えて、その画面をテレビで再生している状態を再度撮影したリプレイ・シューティング(ダブルフレームシューティング)などから構成されており、この変化が、内容への距離感や批評性を演出して効果を挙げていた。ざらついたヴィデオ感にはクローネンバーグなどをへた世代の感覚を感じる。

おもな質問は「当時、天皇はどういう存在だったか」「天皇の戦争責任についてどう思うか」「いまの天皇制をどう思うか」。インタヴュアーは制作者の土屋さん自身と、もう一人の女性が担当している。

回答者は全員、お年を召したかたがたである。これは参拝者の年齢構成を反映しているとかんがえていいのだろう。インタヴューにこたえている18人のなかで、昭和天皇に戦争責任があると事実上明言したひとは1人しかいない。「謝ってほしかった」と述べた女性である。8月15日に靖国神社に参拝する人びとは、当時の天皇への批判を口にすることはまずないらしいことが伝わるが、それ以上に、口にすることが「できない」という印象のほうが重くにじんできた。内的抑圧などとつるりと定義してすませることのできない、ひどく重いなにかが、その奥にうずくまってみえた。

わたしにとって、いちばん印象にのこったのはそこである。それは歴史の傷というのか、ある国土と膨大な数の人びとがくぐり抜けた社会的苦痛、永久に引き裂かれた時代の傷のようなものである。それが誰によって始められたのか、なぜ始まったのかは別の問いになる。けれど、直視することができないほど暗く、深く、重く、二度と消えない巨大な傷を、このひとたちは自己の内部にわかちもっている。このインタビューは、ごく限定された問いへの反応をつうじて、ことばの奥に巣食う、より深刻なものを透かしていた。





内容概略

▼挿入映像▼
5人の閣僚が靖国に参拝したというテレビニュース

▽インタビュー1男性高齢者
元志願兵。「当時、天皇は神だった。日本は食糧がなかったから満州を開発した。昭和天皇に戦争責任はない。大臣や上のひとが御前会議で決定した」

▽2男性高齢者
「天皇は絶対の存在だった。日本は縦社会だからしかたがない」
天皇の責任は?「そっとしないと後ろから、という……。オウムだってそう。中東もそうでしょう。アラーの神は絶対でしょう」

▽3女性高齢者
「天皇は絶対の存在でした。でも神ではないですね。天皇は国の象徴。天皇陛下がいらっしゃらなければ日本はだめになる」

▼挿入映像▼
大本営発表12月8日の開戦発表映像
捕虜をしらべる日本兵の映像
教育勅語を読む戦時の子供の映像

▽4男性高齢者
「大学の友人は半分以上学徒動員されて死んだ。神としてここにまつられているのは当然。天皇は絶対的だったし、自分たちが国を守ることは義務で当然だとうけとめていた」
天皇の戦争責任は?(直接の返答なし)「象徴としての天皇はみとめたい。戦争の責任は? 日本はそういう政策をとらなければやっていけないという教育をうけてきたから、そういうものだと思っている。いまも在位していることに違和感はない」

▼挿入映像▼
戦没者追悼会の天皇夫妻の映像

▽5男性高齢者
「天皇は国の象徴。平和のために努力をされていると思っていた。戦争責任についてはむずかしい。国民全部が責任を負わなければならない。天皇は、むかしは一般人とは会えなかった。神様のようだった。いまは民主的、人間の代表」

▽6男性高齢者
「あれを侵略戦争とは思わない。自衛のたたかい。米英が日本に石油を禁じた。だからやむをえず進出した。若干侵略の意味もあったと思うけれど、でもそうは思っていない。天皇の戦争責任は…」(報道受付をすませてほしいと靖国の宮司がわって入る。インタビュー中断)

▼挿入映像▼
追悼会の橋本首相の式辞

▽7男性高齢者
「当時のひとは命をかけて戦ってたの。閣僚が参拝するのだって堂々とやればいいんだ」

▼挿入映像▼
天皇陛下万歳と叫ぶ当時の映像

▽8男性高齢者
「ソ連は自分につごうのいいことしかやらない。今日も天皇制を廃止しろとか町で言ってたけど、あいつらなんかソ連にいけばいい。参拝について内政干渉をするのは頭にくる。それをつっぱねない政治家もおかしい。天皇の戦争責任はない。(当時のひとは)国のために(戦争に)いったんだ。いまは自分のためばっかり。自分は毎年参拝している。さきに逝った者にすまないと思って来ている。あたりまえだ。いまも皇室がつづいていることについては? 日本はそれでいいんじゃないか」

▼挿入映像▼
皇太子の結婚式パレードの映像
敗戦の昭和天皇の詔をきいて平伏するひとびとの映像

▽9女性高齢者
「まえの夫がレイテで玉砕した。骨もない。位牌だけ。再婚した相手もシベリア抑留を経験していたが、靖国にくるというといい顔をしない。それに魂がここにあるとも思えないので、靖国にはあまりこなかった」(つづく)

▼挿入映像▼
追悼式の天皇夫妻の映像

(つづき)「自分は娘時代、ずっと戦争中だった。天皇は絶対の存在だった。でも天皇は敗戦後、記者会見で、広島について「しかたがない」といった。天皇陛下のためというので召集令状がきて、どこへでも行かなければいけなかったのに」(つづく)

▼挿入映像▼
追悼式の現天皇夫妻の映像

(つづき)「あれは負け戦だった。子供がうまれて一週間目に夫は招集されていった。軍に入るのに誰も付き添いがきてはいけないといわれて行けなかった。二度と会えなかった」(つづく)

▼挿入映像▼
追悼式の天皇夫妻の映像。昭和天皇の追悼式の映像

(つづき)「昭和天皇は黙って亡くなった。戦争のあと事実をあきらかにすべきだったし、謝まってほしかった」

▼挿入映像▼
追悼式の天皇夫妻の映像。「おことば」を読む天皇

▽10男性高齢者
「当時、(国民は)昭和天皇をもりたてて戦争に勝ちたい一心でやっていたのではないか。いまは、いっしょに陛下と苦労したなと思っていて、憎しみなどはぜんぜん感じない。子供のころから、ずっといっしょにきた」

▽11男性高齢者
「天皇は神様で、命令は絶対だった。いまはこの時代だからそんなことはいってられないけど。いまは?尊敬くらいだけど。参拝は、亡くなった友人に会いにくるため。二度とああいう戦争をしないように。ぜったいにやってはいけないことだ」

▽12男性高齢者
「天皇陛下はごりっぱなかたで、そのかたのためなら、いつどこで戦死しても悔いるところはないというのが当時の兵隊でしょう。戦争責任についてはむずかしい質問で、言えない。裁判などの歴史でぜんぶあきらかにしてあるから。それ以上のことはなにもいえない」

▽13男性高齢者
「天皇は当時、神様みたい。いまも、昔ほどではないけど。戦争責任はないと思う。象徴だから。責任があるとしたら軍」

▽14男性高齢者
「当時は陛下のために命をささげるのが常套。なんとも思わなかった。戦争も国のために戦うということ。(いまの自分の参拝は)戦友のことを考えるため。戦争責任は陛下にはない。当時の世相だった」

▽15男性高齢者
「戦没者は神様として祀られている。国のために赤紙でひっぱられたのだから当然。天皇についてはぜんぜん反対はない。飾り物だった。気の毒。責任はないと思う。あれは軍部が左右した。天皇制はいまもつづいているが、戦後そうなったのはよかったのじゃないか。マッカーサーのおかげでしょう」

▼挿入映像▼
戦争中の爆撃の映像、戦場の映像
追悼式での昭和天皇の「おことば」が音声で流れる
追悼式での平成天皇の「おことば」が重なる

▽16女性高齢者
「戦病死した弟が祀られている。軍からは死亡の知らせもなく、偶然、知人からの情報で知った。軍に問い合わせたら、しばらくして戦病死とわかった。当時、自分の命は惜しくないと自分も思っていた。天皇については尊敬していたし、国民を守っているとみんな思っていた。りっぱなかたで、お慕いしている。弟が戦って死んでいった、その悔しさの相手はアメリカです」

▽17、18男性高齢者2名
「戦争は軍の決定。天皇はぜったい反対だった。自分が靖国に参るのは当然、戦犯が祀られたということで具合がわるくなったけれど、ここにくるのは戦友のため。戦争は外国から圧迫されたから。当時、中国にいたのは日本軍だけじゃない。イギリスやフランスだってまえからいた。日本は負けたからなんと言われてもしょうがないけど、ほかだって侵略してきた。われわれだけ侵略というのはおかしい。南京虐殺だってそう。日本から強制連行したかだってわからない。現地のひとたちはそれで商売していた。パンパンだった」(つづく)

(途中、インタビューに答えている映像をテレビ再生した画面に切り替わる。個々の画面のサイズはちいさくなる)。

(つづき)「いまの天皇制については、べつにそれでいいと思う。ずっとつづいてきたし。日本もそれでつづいてきたんだし。なくなったら、共産主義とかになっても知らないよ」

▼挿入映像▼
テレビのひとつに映された追悼会の映像がかさなる
ノイズ処理をほどこしたテレビの映像がかさなる

作品終了





0258. Peep 'TV' Show (2004)

2008年05月26日 | 2000s
ピープTVショー / Yutaka Tsuchiya
98 min Japan

Peep 'TV' Show (2004)
監督・脚本・編集:土屋豊、撮影:二宮正樹、美術:江田剛士、共同脚本:雨宮処凛、出演:長谷川貴之(長谷川)、ゲッチョフ詩[しおり](萌)、上田昭子(ナゴミ)、梨紗子(梨紗子)


日々、複数の場所で盗撮した映像をウェブサイト"Peep 'TV' Show"で流しつづける唇ピアスの青年を軸に、二〇〇二年の八月十五日から、九一一テロの一周年にあたる九月十一日までを日誌的な演出でかさねていく。あのテロの当日、テレビに映し出される映像を美しいと感じた、という感覚が青年の動機の底にある。現実と映像の境界が崩れた世界のなかで「現実」をもとめて覗き見をつづける青年や、ネットやカメラを経由した「現実」の希薄感を生きる人びとを、ドキュメンタリーの雰囲気で仕上げたフィクションのヴィデオ作品。

この作品もつねづね「政治性」で語られているようだが、そうではないだろう。映像がもたらす現実感からの乖離がテーマではないのか。そこに着目するなら、この作家の感覚はむしろ健全で、オーソドックスでさえあると気づく。現実はカメラによって略奪されつづけてきた。「まさにこの瞬間を薄切りにして凍らせることによって、すべての写真は時間の容赦ない溶解を証言している」とスーザン・ソンタグはすでに一九七七年に書いている。多木浩二がくりかえし引くように「写真は美しすぎる」のである。ましてその薄切りを重ね合わせて瞬時に編集、発信し、世界に伝播する機能をそなえた映像メディアには、圧倒的な現実溶解力と自己増幅力がある。現実をすりかえる、その異様な力を感じとった自己の疑問と不安に、いわば素手で向き合った作品である。

ピアスの青年は、小箱や靴などあちこちに小型カメラをおいて、渋谷の町や人波を写していく。それと知らずに写される人びと。店内の盗難防止カメラを監視する若者や、セックスサイトをみて自慰をする若者など「見られる」人びと、「見られることを意識する」人びとがつづく。

ゴスロリの女性は渋谷の街路に座るピアスの青年を訪れ、「なにみてんの」とたずねる。彼は「現実」とこたえる。青年は頭から布をかぶって視界を遮断している。かわりに覗きカメラに映ったもののほうを現実として見るわけである。この演出をふくめ、脚本は全体にもうすこし象徴性を高めて凝縮することができたようにみえる。幼い感じがそのままに投げ出されている瞬間も多かった。けれど凝縮を拒む、希釈された日常という実感が作者の意図でもあるのだろう。

次第に青年のサイトを眺めるようになる人びとの姿も描かれていく。ゴスロリの女性やひきこもりの男性など、誰もが、どこかでなにかを盗み見たり、見られたりしている拡散した日常が、覗き見をしている青年のサイトを覗き見する姿へとすこしずつ収斂していく。

ピアスの青年はビニール袋に猫をいれて密封した状態をライヴ映像で流し、窒息させるかをオンラインで問うたりする。ここは唯一、胸が悪くなった。きわめて具体的に、抵抗できないまま暴力をうけている生きものの身体が描かれているからだろう。

やがてゴスロリ女性は青年と接触するようになり、盗撮に参加しはじめる。ピアスの青年は自分も猫のようにビニール袋に入って叫んでみせたりもする。ネットでこれをみた女性は悲鳴をあげる。ただ、猫のシーンとは逆に、ここはリアリティーがない(笑)。暴力とは自発的に無傷で止めたり、かんたんにリセットしたりできるような遊戯性をゆるさない水準にあるもののはずなのだ。

九月十一日、「そしてぼくは三機目を待ちました」とピアスの青年は打つ。あのテロの映像を壁一面に映しながら、暗い部屋でピアスとゴスロリの二人はただ座っている。「ここが、ボクたちのグラウンド・ゼロ」というメッセージが映し出されて、作品は終わる。




0257. 新しい神様 (1999)

2008年05月25日 | 1990s
Atarashi Kamisama, aka. The New God / Yutaka Tsuchiya
99 min Japan

新しい神様 (1999)
監督・脚本・編集・出演:土屋豊、主題曲:加藤健、出演:雨宮処凛・伊藤秀人ほか。


自己を肯定するよりどころをもとめてパンクバンドで活動する若者をつうじ、現代の日本社会の空虚感をとらえたヴィデオ・ドキュメンタリー作品。ここで若者たちが熱をこめて語る「ウヨク」は、みずからの帰属をゆるす大きな共同体の夢なのだろう。

"民族派"のバンド「維新赤誠塾」のヴォーカル活動をしている女性におもな焦点があてられる。2008年のいまはまったく別の活動をおこなっている雨宮処凛さんである。彼女はいじめられて少女時代をすごし、自己否定感が強いという。人形をつくるようにもなったが、共同体から排除されつづけた自分が社会とつながっている実感があるのはこの「右翼としての活動」だけだと語る。ただ、本人の自己認識とはべつに、この音楽活動が古典的な概念における右翼的政治活動と定義できるものかは慎重に考える必要があるだろう。

雨宮さんは元赤軍派議長の塩見孝也さんに誘われて北朝鮮を訪問する。こちらはいわゆる伝統的概念における、ばりばりの「左」。そもそも右、左という記号が、すでに遊戯性をおびてひさしいことを思い起こさせる。元赤軍派の塩見さんでさえ、左も右も「反米で一致しているのだ」と語る。だから北朝鮮をみておく必要があるのだという。

作中では雨宮さん自身が自分にむけて設置したカメラに独白するなど、シンプルなビデオクリップを挿入する手法が多くとられている。この「自分語り」ともいえるセルフシュート部分のディレクションは、編集をつうじておこなわれることになる。自分の感覚について語りつづける彼女の独白を、作者はていねいに、ある方向にむけて編集している。それは、彼女が自己の願望と逃避性に気づいていくという自己認識の方向性である。一連の外的な状況はその契機として機能していくのであって、その記録が目的ではない。この作品の価値はそこにある。

事実、はやい時点で作者の土屋さんはつぎのようにナレーションをはさんでいる。「左と右。人からみれば正反対かもしれないが、民族を思う人間に右も左も関係ないとぼくは思っている」。この作品の目的がいわゆる政治性の描写にないことはこのことばからも明らかだろう。しいていうなら、社会性である。作品がすすむにつれて、民族というアイデンティティーも論理的につきつめられたものではなく、青年たちにとって帰属願望をかきたてる幻想のひとつであるらしいことがおのずと透けてくる。作者は、現代の社会の浮遊感とそこに生きる人々の感覚を切り取ろうとしているのだ。若者たちの「政治活動」の政治的無目的性や、あるいは軍事的全体主義への理解の幼さを見抜きつつ、否定せずに、よりそってささえていく。そのスタンスは最後まで一貫している。

「維新赤誠塾」のバンドリーダー伊藤俊人さんは、なぜ活動をおこなうのかをこう説明する。けだるい、つまらない社会のなかで、懸命にものごとにうちこむことをばかにする風潮がある。すくなくとも戦争の時代は、生きるか死ぬかという極限の状況だった、だから肯定する。その状況にあこがれるのではないのかと水をむける作者に、まさにそうで、それ以外ないとこの青年はこたえる。

ぬるい日本、平和ぼけの日本、とかたる若者たちの声がかさねられる。
靖国を訪れた中高年者は、お国のためにつくした、勝つと信じていた、と語る。

ではここで焦点をあてられた若者たちはなにを望んでいるのか。雨宮さんはかつて寺山修二の作品の影響で、国家や政治という観点にめざめたという。しかし現在の自己の活動について、じつはなにをしていても実感がないとやがて語る。命をかけるまでにつきつめられたら、はじめて実感がわくのではないかと思って活動をしているという。

北朝鮮ではよど号の旧メンバーなどとも会合をもつが、それは同窓会のような飲み会にみえる。全体の雰囲気も政治的訪問というよりは観光にしかみえない。事実、同窓会なのだ。かれらは当初、雨宮さんの目に、ジョークを口にする「おもしろいひとたち」である。ところが討論がはじまったころから彼女は「頭がよくてついていけない」「議論になるとこわい」「帰りたい」とあっさり認識をかえる。いっぽう翌日サーカスをみれば楽しくて、ずっとここにいたいと言い出すのである。幼いともいえるこの正直さが、自己に気づいていく鍵なのかもしれない。

いっぽう土屋さんは日本で「天皇制はいやだし、まえの戦争はまちがっていたひどい戦争だったと思う」と語り、自分が気になるのは自分自身に誇りがもてるかどうかだけである、日本人の心などいらない。自分が一人で立っていられるかが誇りであると明言する。これを北朝鮮にいる雨宮さんのシーケンスと重ねる、このひとも正直だ。

帰国したのちの雨宮さんは、国家に信をおく社会の団結を肯定的に語る。旅行はたのしかったらしい。そこには軍事的全体主義が、じつは個を剥奪することによってはじめて帰属を可能にするものであるという構造への認識はまったくない。「自分が社会とつながる」願望を満たせるという表層だけがみえている。

熱っぽく北朝鮮への憧れを口にする彼女に、「まさに戦前の日本だね」とさりげなく土屋さんは相槌をはさむ。だが彼女はその含意には気づかない。民族といえば、つながることができる。それがうれしいとだけ思う。そこに批判力はなく、少数民族や多様な価値観への認識も欠落しているが、PTAや学校という共同体から排除された原体験が彼女にはある。自分が生きている社会構造を客観的に分析する力が、驚くほど未発達なままの若者たちの思考力が浮かび上がっていく。だが、ふと彼女は口にする。帰属する場がほしい、それが民族であるだけで、信じられたら幸せだともいう。このひとも、どこかでわかってはいるのかもしれないと、ここで観客は気づく。おもしろい箇所である。

民族主義には抑圧が生じると思うと土屋さんは語る。みんなちがうのにそれをひとつにしようとすれば無理がでる。そのことが気になるという。この認識は、左派というより、むしろ戦後のマジョリティーをささえた意識だろう。健全といったほうがはやい。この監督には一種の感化力があるのかもしれない。とつぜん伊藤くんはいいだす。「信じるものは自分しかない」。だが雨宮さんは返す。「だって自分なんてないもん」。

話すほどかれらにちかづいていき、かれらを好きになると土屋さんはいう。雨宮さんの関心は、つまるところ自己愛にあるようにみえる。ひとに尊敬されたいのだ。北朝鮮でも民族派でもいい、呼ばれて「予定がはいったときがいちばんうれしい」という。この自意識を使うために、作者はセルフシューティングをすすめたのだろう。

雨宮さんは「一水会現代講座」に呼ばれて北朝鮮の話をする。しかし自分が評価されていないことを感じ取り、おちこむ。かれらを「国士」でないと否定する言葉に、土屋さんは率直な応答を返す。あなたが求めているのは共同体で認められることであって、ナショナリストの会であるかどうかは問題ではないのでは。だから違和感があったのではないかというのである。

ここから、雨宮さんは自己の位置を内省しはじめる。ディクション(方向の指示)という点ではこれ以上のディレクションはないともいえるだろう。伊藤さんも、社会とどうつながればいいのかという問いをみずからに投げかけるようになる。

二人の若者は「リベラリスト」に接近していく。しかし伊藤さんの認識が批評性を獲得しないことはこの時点でも変化がない。「現在を肯定したいなら過去を肯定すべきだ」という論理で帝国主義時代の日本を肯定することを主張する。そこには、全体主義が敗北したことで現在の民主制が成立しているという歴史の転換への認識が欠落している。また、現在の日本社会を否定して過去を肯定していたはずの自己の立脚点との矛盾にも気づいていない。だがこの青年も、おそろしくすなおである。

いっぽう雨宮さんのほうは、自分が日常の苦痛をやわらげる道具としてナショナリズムに傾倒していたのではないかと口にし始める。生死が剥き出しになる状態への憧れとともに、政治的に先鋭な指摘を口にする瞬間の自分への快感があったともみとめる。しかし、つまるところこの国は変わらないとくりかえし口にする。なげやりな表情。この社会的言及から、ふたたびカメラは街路の若者の表情と声、靖国を訪れる高齢者の表情と声へと敷衍していく。そこでは現社会のモラルハザードや空虚感を示唆することばがかさねられる。

土屋さんのナレーションがかさなる。「この空虚な感じはなんだろう。雨宮さんはそれを戦後民主主義とアメリカ帝国主義によるものと思い、わたしは天皇制によると思いたがっている。その飛躍の間になにかがあると思う。個人と社会の間、空虚な日常と物語としての国家」

ふたたび人々の声。

雨宮さんと伊藤さんは新しいコンサートをおこなう。平和をぶっつぶせと歌う。あれ、変わらないじゃないかと思ってみていると、これまでの「右翼」維新赤誠塾から、「左翼」のメンバーをバンドにいれた、「左右共闘をめざす」のだと伊藤さんが説明する。右も左もないという。なるほど。同時に日の丸と君が代を尊重し、さきの大戦でたたかった人々を尊敬せよという以前と同様の趣旨を語る。「先の大戦 侵略よばわり お前がそんなに立派なの」という歌詞の歌がうたわれる。

ひとまずかれらは自分たちが依拠する場に「右」という名前をつけることをやめた、ということは理解できた。従来の概念の右・左とは、もともと自分たちの立脚点が異なるものであったということを部分的にであれ認識したのかもしれない。しかし戦争当時の市民的犠牲と、それを生み出した軍事政権システムへの評価が混同されていることはまだ変わらない。さて、この子たちが、このあとどこまで気づくだろうと、おとなはふと思う。あるところからさきは、白紙にもどって徹底的に謙虚に勉強をするしかないのだけれど……。でもこの青年たちは、信じられるおとなが身近にいれば、それで案外やっていけるのかもしれない。そういう、ちいさな物語が近くにないのだ。

手ごたえ。はげましてくれる仲間。待ったなしの戦い。その自己肯定と連帯の実感が感じられるのは、いま、病とスポーツと災害の現場くらいにみえる。被災地のヴォランティアにむかう人びとと、国旗を振り回してサッカーの応援で絶叫する人びととの共通項である。

最後に土屋さんは、このようにして対話をおこない、違いはそのままにわかりあえた、このつみかさねによって社会をかたちづくっていきたいと語る。教師が生徒をみちびくようなまなざしと共感をもって、作品は終わる。

この作家の力はそこかもしれない。外部的な視点をたもちながら、高い共感能力で、じわじわと眼前の若者を感化していく。この作品で、じつは監督こそが決定的な登場人物である。