うさこさんと映画

映画のノートです。
目標の五百本に到達、少し休憩。
ありがとうございました。
筋や結末を記していることがあります。

0350. ライフ・イズ・ビューティフル (1997)

2011年10月14日 | カンヌ映画祭審査員大賞

ライフ・イズ・ビューティフル / ロベルト・ベニーニ
116 min  Italy

La vita e bella (1997)
Directed by Roberto Benigni, 1952 - , written by Vincenzo Cerami  and Roberto Benigni. Cinematography by Tonino Delli Colli. Performed by Roberto Benigni (Guido Orefice), Nicoletta Braschi, 1960 -  (Dora), Giorgio Cantarini (Giosue Orefice). 

 

強制収容所に入れられたユダヤ人の物語を、どたばたのコメディーに仕立てて観客を説得できるだろうか? ありえないとお思いになるかたは、この作品をどうぞ。主演は監督をかねていて、イタリアの有名なコメディアン、ロベルト・ベニーニ。さすがというか、至難のアプローチを制した凄さに、すなおにうなった。いかにもイタリアらしい饒舌なスタイルで、たとえば日本の、たけしのような寡黙なコメディーのスタイルとは非常に違う。でも共通するのは機知だろう。ひとを感心させようと思って書ける性質の作品ではないけれど、生涯一度の、捨て身のファンタジーである。

主人公のユダヤ人、グィドは愉快なアプローチで一人の女性の心を得る。これが前半。息子が生まれて幸福な家庭が成立するが、しだいに社会は反ユダヤ的になり、ついに一家は収容所へ。グィドは機知を駆使して幼い息子を守り、妻を励ます。これが後半。さて、このプロットでどんな脚本が書けるか――。

この作品は周囲で評価が高かったのに、腰が引けて観ずにいたもののひとつ。じつはタイトルの真正面すぎるセンスにおそれをなしていた。なにしろ『ライフ・イズ・ビューティフル』です(笑)。イタリア語の原題もそのまま "La vita e bella", いやはや本気らしい。観てみると、語りの手法や演出はむしろ古風といってよく、二十世紀前半の大衆喜劇を連想させる擬古主義を意図していたようにみえる。それこそフランク・キャプラ『It's a Wonderful Life(素晴らしき哉、人生!)』(1946)みたいな。というわけでタイトルも、その擬古的参照性を示唆していると考えれば……ううむ。難しいやん。

『海辺のカフカ』というタイトルのかわりに『母と息子の再会物語 人生はすばらしい』だったら、やっぱり目もあてられない(しつこい)。冒頭に主題や最終宣言や裸をどさりと横たえて始めるのは論文かポルノである。多くの創作は作法が逆で、本音は伏せたままあらゆる芸で翻弄し、最後の最後にただ一度刀を抜いて、ばさりと斬り伏せて終わる。

でも大丈夫、この作品も本編はちゃんとそうなっている。前半の細部は豊かな伏線として後半で新しい活力を帯び、命がけの冗談へと集約されていく。大詰めではみごと一刀、裂帛の気合で袈裟がけがきます。

1998年カンヌ映画祭審査員グランプリ(Grand Prize of the Jury)。翌1999年の米国アカデミー賞は外国映画賞・音楽賞のほか、主演男優賞をこの作品に捧げた。なんでもどうぞ。例年ならパルムドールで申し分なかったと思う。ただ、この年はアンゲロプロスの『永遠と一日』が出品されていて、さすがに大賞はそちらになった。当たり年の幸運な審査員長はマーティン・スコセッシ。



メモリータグ■収容所で幼い息子が訴える。「ぼくたちはボタンや石鹸にされるんだよ」。父親はすべてを知りつつ、笑いとばして息子をいいくるめる。「だまされたね。どうやって人間を石鹸にできるんだい?」


(もちろんわたしたちはいまも他者をガス室に送っている。日本の保健所で子猫はおびえて告げるだろう。「ぼくたちは楽器やアクセサリーにされるんだよ」。老いた犬が静かに訂正する。「大丈夫、みんな窒息死させられるだけだ」「なぜ知ってるの?」「わたしをここへ連れてくるとき、飼い主がそう言った」。でも、この話はまた別の機会に。ただし保健所という強制収容所の現実とはべつに、日本で販売されている天然毛皮の小さなアクセサリーや毛皮のバッグ類は東南アジアで虐殺された猫のものである可能性があることは申し添えておきます。猫がもがいて自分の毛皮を傷つけないよう、首に縄をゆるくかけて吊るし、長時間でゆっくりと絞殺していく処理場――収容所――がある。NPOが告発していて、現場の写真も公開されている。輸入する国と製品を買う人びとがいなくなれば、おそらく状況は改善されます。動物たちのアウシュヴィッツはつづいている。そのことを知ってください。)
 

 


0349. ホテル・ルワンダ (2004)

2011年10月04日 | 2000s

ホテル・ルワンダ / テリー・ジョージ
121 min / South Africa et al

 
Hotel Rwanda (2004)
Directed by Terry George. Written by Keir Pearson and Terry George. Cinematography by Robert Fraisse. Performed by Don Cheadle (Paul Rusesabagina), Sophie Okonedo (Tatiana Rusesabagina), Nick Nolte (Colonel Oliver), Joaquin Phoenix (Jack Daglish).

 
 
まいった。観なければならない映画のひとつ。娯楽のためではなく、証言し訴えるためにつくられた作品に属するからである。大丈夫、退屈はしない。実話をもとにした脚本はよく整理され、なまじなフィクションよりも緊迫した展開をみせる。ナタで虐殺される恐怖のなかで脱出を模索する状況が、緊迫しないはずがない。

 一九九〇年代にルワンダで起きた、フツ族とツチ族の内戦と虐殺を取り上げている。ツチ族の人びと千人以上をホテルに受け入れて保護し、脱出に導いたフツ族のホテル支配人が主人公になる。ツチ族は殺されるいっぽうだったのかという素朴な問いがわくが、枝葉は刈り込まれ、とにかく主題がまっすぐ伝えられていく。この英雄的な危機と打開の物語に対する反論は、あらたな創作のエネルギーをもってなされる以外にないだろう。それはいわばクセノフォンに対する反論である。

内戦の対立のほか、設定の軸はもう一つある。人種と経済格差だ。欧州系の人びとには脱出のチャンスがあたえられるいっぽう、アフリカ系の人びとは見棄てられる。たとえ修道女であってもアフリカ系であれば例外ではないことが明示される。ホテルという「宿」を担う者の倫理という象徴性そのものが深くユダヤ‐キリスト教的であり、主人公の妻はキリスト者である。かれらの名もヨーロッパ系。そうした設定(あるいは事実)は皮肉な効果を上げている。雨のなか、欧州人だけを乗せて出発する国連の脱出バス。バスの乗客は仰角で映され、カメラの移動につれて欧州の人びとは目をふせる。いっぽうホテルのまえに立ったままのアフリカの人びと。その先頭で一人濡れそぼる主人公。背後から部下が傘をさしかけに出てくる。的確な映像表現である。

描写はこのとおり単純明快で、スタッフはテレビの出身かもしれないと思いながらみていた。監督のテリー・ジョージは『In the Name of the Father(父の祈りを)』1993などで脚本を担当してきている。プロデュースには十人以上が名をつらねていて、すこしずつ資金を出し合ったことがわかる。ホアキン・フェニックスやジャン・レノが一部に顔を出す。 

 

メモリータグ■世界はこの虐殺の映像をみても「こわいねというだけ」で救いにはこないと予告する撮影家。彼自身は命の危険を冒して現場を撮影してきたにもかかわらず――。そう。危機に対する第三者の課題は、端的にいえば何ができるか、ということになる。日本は自衛隊を派遣できるかもしれない。でも私は? できることしかできない。まずはこの映画を多くのかたにおすすめします(!)

 

 
余談:最初は主人公の支配人が、じつはツチ族なのかと思ってみていた。ツチ族が糾弾される空気のなかで、彼は緊張しているからである。フィクションであればそういう主題の立て方もできるだろうが、やがて彼の家族がツチ族であることがわかる。なるほど。