うさこさんと映画

映画のノートです。
目標の五百本に到達、少し休憩。
ありがとうございました。
筋や結末を記していることがあります。

0327. Klute (1971)

2010年02月22日 | 1970s
コールガール / アラン J. パクラ
114 min USA

Klute (1971)
Directed by Alan J. Pakula, 1928 - 98, New York. Written by Andy Lewis and David P. Lewis. Music by Michael Small. Cinematography by Gordon Willis. Costume Design by Ann Roth. Performed by Donald Sutherland (John Klute), Jane Fonda (Bree Daniels) and Roy Scheider (Frank Ligourin).
Pakula: Sophie's Choice (1982)


スタイリッシュな映像でゆっくりとみせていくミステリー。探偵クルートは多くの俳優が演じたがる役にちがいない。原題はKlute, タイトルロールでもある。ドナルド・サザーランドは自然なふるまいでよかった。わたしは力演型のジェーン・フォンダがにがてなのだけれど、この作品ではていねいにおさえた演出がされている。カメラワークもずいぶんと凝っていて、映画らしい映画だった。

コールガールが精神分析医とディスカッションをする反復シーケンスは、やや冗長かもしれない。二度目からはカットをごく短くするか、回数をへらしてもよかった。あるいはナレーションとして重ねつつ話を進行させていくという終盤でのオーヴァーラップを早めに導入することもできたろう、でもちょっとした編集で調整できる点である。

下着をつけずにタイトフィットのニットで登場するフォンダの衣装はアン・ロスが担当している。多くの作品を手がけてきた第一線のデザイナーで、1970年代初頭のモードがよく伝わる。


from IMDb "Klute"

メモリータグ■最終シーン。家具が運び出されたあとの、がらんとした古いアパートメント。ハッピーエンドをクールな演出でおさめてみせた。





0326. Sophie Scholl - Die letzten Tage (2005)

2010年02月15日 | 2000s
白バラの祈り / マルク・ロトムント
120 min Germany

Sophie Scholl - Die letzten Tage (2005)
Directed by Marc Rothemund. Written by Fred Breinersdorfer. Cinematography by Martin Langer Performed by Julia Jentsch (Sophie Magdalena Scholl), Fabian Hinrichs (Hans Scholl), Johanna Gastdorf (Else Gebel) and Gerald Alexander Held (Robert Morh).


原題は『ゾフィー・ショル、最期の日々』。1943年にミュンヘンでヒトラー批判のビラをまいた、実在のドイツ人学生たちの物語だという。主人公のゾフィー・ショルは、兄とともに現場からゲシュタポに連行される。シナリオはゾフィーとナチス側の尋問官のやりとりが主体で、対話劇にちかい。たがいの主張が対峙するさまは緊密で、このまま舞台劇に仕立てることもできそう。地味な作品ながら、史実として、観る価値はたしかにある。

わたしにとっていちばん衝撃だったのは、尋問で暴力がもちいられていないことだった。尋問官の裁量しだいという「運」も大きいらしいが、第三帝国成立以前のワイマル憲法は基本的に生きて運用されている。人格をおとしめ、尊厳をうしなわせる取りしらべの手法はいっさいとられていない。容疑者がうら若い女性であるという点で尋問官の同情をよびやすかった可能性をはぶいても、この描写にそれほどおおきな誇張はないのだろう。アレントやウィトゲンシュタイン一族などの証言をひくまでもなく、当時のドイツにおける社会的意識の成熟性を裏づける記録はすくなくない。けれどそれを、映像として目のあたりにする経験は強烈だった。

人間であるものに対して、あの国では、二〇世紀なかばにはこの法意識が浸透していた。かつて、啓蒙期以前の宗教裁判や尋問にともなわれたとされる身体的な拷問、言語的な拷問、人格を毀損し尊厳をうしなわせるためのあらゆる精緻な技術を思いおこすとき、比較的みじかい歳月でその制度が拭いさられ、劇的な構造の変化が社会におこったあとであることをあらためて認識させられる。

そのありさまを衝撃とおもうのは、かたわらでホロコーストが並存していたという異様な二極性が映像の外部に透けるからだ――ご存じのように、キリスト教的に異教徒は「人間」の定義から外れるにせよ、である。その教会の論理を脱した近代固有の秩序のもとに、「有害な種を処分し、絶滅させる」という意識が収容所を運用した当事者を支配していたことは数々の記録で知られる。

戦後、あの行為があらわになったときの全世界の驚愕を理解するうえで、この映像作品はまちがいなく助けになる。なぜあのドイツ人が、あるいは、なぜわれわれが、という無限の慟哭が始まった。それはこの作品にえがかれた近代の倫理が国内で熟していたことと無関係ではない。たとえば日本であの戦争中に天皇を批判して特高警察に連行された場合、どのようなあつかいが待っていたかを想像してみるといい。前近代的な暴虐と、あそこで起きたことは根本的にちがうのだ。

作品の話にもどろう。ゾフィーを演じたユリア・イェンチュの表情は終始、堂々としている。手持ちカメラをまじえた映像は端正だった。やや清潔すぎるタッチかもしれないけれど、ドイツの現存世代が、この作品を制作できるようになるまでに社会的苦痛が癒えつつあることが静かにうれしい。あの虐殺を国家的恥辱として命をかけて訴えたドイツの若者がいた事実が、ユダヤの人びとにとってもなぐさめになることを祈っている。



メモリータグ■冒頭まもなく、ゾフィーが大学のホールに巻いたビラの映像。彼女たちがつくったビラの一部はやがて英国当局の手にわたり、作品の最後に、英国空軍がドイツの街に空からビラを巻く映像が呼応してしめくくられる。イギリス、かっこよすぎ。





0325. 奇跡の海 (1996)

2010年02月11日 | カンヌ映画祭審査員大賞

奇跡の海 / ラース・フォン・トリアー
159 min, USA:153 min (director's cut)
Denmark | Sweden | France | Netherlands | Norway | Iceland

Breaking the Waves (1996)
Written and directed by Lars von Trier. Co-written by Peter Asmussen. Cinematography by Robby Müller. Performed by Emily Watson, 1963 - (Bess McNeill), Stellan Skarsgard (Jan Nyman), Katrin Cartlidge (Dodo McNeill) and Adrian Rawlins (Dr. Richardson).

以前、公開されたころに一度観た。これほど難しい題材を、これほど自然な仕上がりで提示してみせた作り手の才能に驚いたことをおぼえている。今回見直しても基本的な印象は変わらない。周囲の友人たちの共感はあまり得られなかったけれど(笑)、わたしはまれな作品だと信じている。

主演のエミリー・ワトソンの表現がみごとなことも決め手のひとつだろう、いったいどうやってこの表情を撮ったのかと息をのむカットが再三あった。撮影はすべてハンディカメラだそう。監督のトリアーは俳優に対して苛酷なことで有名らしいので、ドキュメンタリーのようにさらさらとしたこの臨場感の背後にどれほどの緊張があったかは想像するのもおそろしい。ワトソンの配役はヘレナ・ボナム・カーターが降りた結果だという。作品にとっては幸運だった。

冒頭、結婚式から始めた脚本にはむだがない。とにかく一組のカップルが結婚した、話はそこから始まる。披露宴のスピーチなどでざっと背景の説明はつけてしまう。教会が支配する因習的な寒村の共同体秩序、男たちが油田に出稼ぎにいくことでささえられる質素な経済、過干渉といえる家族関係、よそものであるらしい花婿の像。これらのなかで異彩をはなつ主役、ベスの独創的な人格が全体を強烈に牽引していく。

結婚してまもなく事故で全身麻痺になった夫は、ほかの男と性関係をもつよう妻に強いる。この真意がかならずしも透明にはえがかれず、複数の解釈を呼びこむのは意図的なものだろう。奇蹟の構造は現実の不透明さとはかかわりがない。そのことがかえって明確に浮かびあがるからである。聖性のパラドックスをえがく設定は斬新なだけに、作中で説明を重ねるほど成立があやうくなる繊細さも帯びている。その意味ではベスに理解を示す医師の位置づけはとりわけ難しかったにちがいない。主人公への共感を強めるうえで重要な機能をになうと同時に、緊張を弱める要素にもなる。ここをほとんどぎりぎりのバランスで切りぬけた、その冷静な判断にも感心する。

1996年カンヌ映画祭審査員グランプリ(Grand Prize of the Jury)。パルムドールはマイク・リーの『秘密と嘘』だった。比べようがない異質な二作ながら、出品水準は高かった年といえそう。審査員長はフランシス・フォード・コッポラ。



メモリータグ■医師を性交に誘う主人公。子供のような素朴な身体の描写が現実感をささえている。この作品で身体の官能性は周到にとりのぞかれている。