うさこさんと映画

映画のノートです。
目標の五百本に到達、少し休憩。
ありがとうございました。
筋や結末を記していることがあります。

0090. イノセンス (2004)

2005年12月17日 | 2000s
Innocence / Mamoru Osii

イノセンス (2004) 脚本・監督 押井守


押井さんは作画監督としてはなみなみならぬセンスがあると思う。ただ、あらためて思うけれど、脚本はむり。このひとの長台詞のほとんどは幼ないナルシシズムの域を出ない。物語の生命が腐るまで、どの場面もクサイ言葉でこねまわしてしまう。この作品はその傾向の極みで、結果として全体の展開速度がまったく上がらないまま、ひたすらだれる。離陸しないまま滑走路を移動するジャンボ機のよう。実写ならシーンごとの素材を大幅に刈り込んでテンポを上げることで多少救えたかもしれない。でもCGとはいえ、アニメではそうもいかない。良い箇所をあげるなら、ブレードランナーの影響が濃すぎるにせよ、北端の都市のデザインは豪奢ですばらしかった。

『攻殻機動隊』の1がよかったのは、士郎正宗さんの原作の密度が高いことと、それを生かして仕上げた伊藤和典さんの脚本の手堅さが大きいのでは。絵のうまさでいっても士郎さんは名手だけど……。人間の重心の移動感をきちんと出せるひとはそういない。士郎さんには士郎さんのクササがあるんですけど(笑)、あそびがあるし、他の要素も多い。押井さんが扱うとそこだけ培養されて、どっぷり浸ったものになってしまう。



■メモリータグ:北端都市の、中国風の祭。




0089. 千と千尋の神隠し (2001)

2005年12月14日 | ベルリン映画祭金熊賞

Spirited Away / Hayao Miyazaki


千と千尋の神隠し (2001) 宮崎駿


冒頭、車が山道にさしかかる手前で、はやくも奇妙な気配が漂いはじめる。右手に古い鳥居がみえるのに、鳥居のすぐ真後ろには大樹がはえている。くぐれない鳥居なのだ。ぞっとするうち、あやしい気配はどんどん濃くなる。この先すべり込んでいこうとしているのはどういう場所なのか。一瞬ごとに予測のつかない展開が用意されている、この作家の屈指の名作。シンプルに階段を下りることだけで、もう物語になっている(これは『ハウル』でもそうだった。あの作品の最高のシーンは階段を登るシーンかもしれない)。

この『千と千尋』で、奇妙な気配が漂うなかをつき進んださきの世界は、すべてが奇妙にできている。食べ物屋の軒先に下げられた「生あります」の看板。だがさりげなく添え描きされているのは目玉の絵。こわいなあ、いったいなんの「生」なのよ(笑)。そうかと思うと四季の花が同時に咲き誇る異様な庭。銭湯らしいのに、「ゆ」は「ゆ」でも「油」と書かれた油屋。その異様に巨大な煙突から立ち上る煙は黒い……なにを燃やしているのやら。夜の水のなかを船がすすんできて、降りてくる客の描写はもう圧巻である。透けた体に顔だけが浮いている。あれはチェシャ猫の逆。にやにや笑いだけが残る猫と、仮面から現われる神。

実際、この物語は宮崎版のアリスで、どのシーンもほんとうに独創的ですばらしい。またとなくおかしく、だがその奥に凄絶なこわさと孤独がひそむ。そこに生きているすべてのものは、この世のものではない。物語の底に、無数の死が透けてくる。それを深く象徴しているのはハクだろう。川をうしなった川の神は、死者にほかならない。かれは殺された神なのだ。どうやってもとの世界に戻っていくことができるのか、その見とおしは描かれていない。けっして描かれないもの、描かれてはならないものが、ここには膨大に隠されている。作り手はそのことを、徹底的に認識している。

エンディングのクレジット部分でつづくシーンは何度みても釘づけになる。うつくしくておそろしい。物語が展開された舞台が、静かに映し出され、そこには誰もいない。なにもかもが生き終えて、すべての人物が去ったあとの光景にみえる。通り過ぎられた時間がそこにある。みつめていると、かつて自分が生きていた場所をみているような気がする。いつのまにか、死者の目線になっているのだ。

2002年ベルリン映画祭金熊賞。ポール・グリーングラスの『ブラディ・サンデー』が同位受賞している。審査員長はインド出身の監督ミラ・ナイール(aka. ミーラー・ナイール)で、審査員特別賞(Special Jury Prize)はアンドレアス・ドレーゼン『階段の途中で』 Grill Point が得た。

メモリータグ■水のうえをすすむ電車。見知らぬ場所へむかいながら日が暮れていく、はげしいものがなしさ。