マーラー / ケン・ラッセル
115 min UK
Mahler (1974)
Written and directed by Ken Russell (1927 -, England). Cinematography by Dick Bush. Art direction by Ian Whittaker. Costume design by Shirley Russell. Performed by Robert Powell (Gustav Mahler), Georgina Hale (Alma Mahler), Ronald Pickup (Nick).
ラッセルは何をやりだすかわからない作家の一人でけっこう緊張するのだけれど、これは最初から最後まで霊感があった。なによりマーラーの音楽のとめどもなく流れ出す肥沃さが、誇張と夢想を重ねて対象の核を表現しようとする映像の作風と深いところで共鳴している。
シンフォニーの九番を書いたのち死の強い恐怖にとらわれていた最晩年のマーラーがアルマと汽車で旅行するシーケンスを軸に、過去や夢を挿入してつなげていく。この構成処理が優れていた。役者はほぼ全員、驚くほどうまい。主演のロバート・パウエルなんてマーラー本人が演じるよりうまいに違いない(笑)。このあたりはイギリスの演劇人たちの底力を感じる。
冒頭すぐにシンフォニーの五番の四楽章が出てきて、ヴィスコンティのあの有名すぎる場面がパラフレーズされ、マーラーがそれを見つめる。その時点で、おお、なんでもありなのね、まあお好きにどうぞと笑いながら受容することになる(マンの『ヴェニスに死す』は1912年。マーラー没の翌年で、作中の時系列で言えばまだ書かれていない。ヴィスコンティにいたってはほぼ60年後の作品という大胆な未来参照である)。そして受容するだけの価値はある。寓意はつぎつぎと露骨なまでに具象的なかたちをとって挑発的に突きつけられる。それをおもしろく絵にする手腕こそがラッセルの真骨頂なのだ。実際これだけ変なことをやっていてスタイリッシュに成立するのは構図とリズムと光が美しいからで、ラッセルは演出家としてしたたかに冷静である。そう、彼はこの作品でうまく踊った。
マーラーがウィーンの芸術監督の地位を得るためにカトリックに改宗する寓話の場面だけは、そこまで踊るのかとはらはらしたけれど、ユダヤ人の音楽家とヴァーグナー家の関係をイギリス人がどれほどキッチュに描こうと、日本人のわたしはコメントする当事者の立場にない。なにしろ鉄製の六芒星を炎に投げ込んでマーラーが鍛えると、ひとふりの剣に変わっちゃうのです――もちろん『指輪』のジークフリートの剣である。
(一つだけ、しつこく書いておくと、ここも未来参照です。コジマ・ヴァーグナーが第三帝国風の衣装を身につけてマーラーを鞭で飼いならしていく演出で、十九世紀の人物を二十世紀の政党と同化して位置づけるのは言うまでもなく短絡。その危険ともども、ラッセルは百も承知だろう)。
なんであれヴァーグナーとマーラーの人間的な共通項は多い。その自我肥大、異様な世俗性と崇高、天才、妄執に近い野心、本質的にナラティヴな作家であること――それはお話に音楽をつけるといった水準の物語性ではない。音そのものに劇的な表象を負わせる傾向のことである――そして思い込みの強さ、神経質さ、迷信深さ。ヴァーグナーが一日に四回浣腸していた時期があるのをご存じですか? 水は体を浄化すると信じていたのだ、いやはや。
あれやこれやを考えると、あの改宗場面でサディスティックにマーラーを飼いならす役は、コジマ・ヴァーグナーのかわりにいっそリヒャルト本人にしてしまうほうが、よりアーティスティックだったかもしれない。ほんとうの問題はナチスでもないし、政治でも社会でも宗教でもない。その表層をこえた、人間性についてのもっと深い皮肉をえぐり出せる。音楽上の共通性と影響関係も語れる。あの二人の曲や、身勝手な言動の特徴を重ねることで、寓意はさらに残酷に、かつ内的なものになったろう。そもそもヴァーグナーの音楽を、ユダヤ人のマーラーほどよく理解し、自在に継承した人間も少ない。両者の根底にあった化け物のようないびつさと天才を併記して皮肉るほうが強烈だとわたしは思う――もちろんあの場面を見たから言えることですが。
演奏はハイティンクとアムステルダム。そうか、ちゃんと依頼したのね。ほんものの遊びは贅沢です。
メモリータグ■うるさいから外界の音を消せと妻に命じるマーラー。実際に消して歩くアルマ(!)。カウベル、教会の鐘、羊飼いの笛、村人の踊り、さまざまな音がマーラーの脳裡の音と重なり、夫妻の動作も重なる。楽音、外部音、挙動、風景、内面のもろもろが相乗し、輻輳し、速度を上げて凝縮していく。ここは絶妙。使われているのは(たぶん)四番一楽章、三番五楽章、一番二楽章、二番五楽章などなど。角笛のあたりですね。