うさこさんと映画

映画のノートです。
目標の五百本に到達、少し休憩。
ありがとうございました。
筋や結末を記していることがあります。

0359. 十月 (1928)

2012年04月26日 | 1920s

十月 / セルゲイ・エイゼンシュテイン

Oktyabr (1928) aka. October
Written and directed by Sergei M. Eisenstein and Grigori Aleksandrov. Cinematography by Vladimir Nilsen, Vladimir Popov and Eduard Tisse. 
Second Unit Director or Assistant Director: Mikhail Gomorov, Maksim Shtraukh and Ilya Trauberg. Performed by Vasili Nikandrov (V.I. Lenin).
 

ふたたびエイゼンシュテイン。1917年の十月革命を「忠実に再現」した作品。レーニンが民衆を主導して暫定政府を倒していくまでが描かれる。動的な絵づくり、群集シーンの壮絶な迫力に驚く。カット割りもこまかい。大作で、セカンドユニットを置いている。当時の機材でやれることは全部やったという感じ。

この作品の音楽はショスタコーヴィッチと明記されている(IMDBの記述では音楽Edmund Meiselと記されているけれど、すくなくともうさこが観た版は、クライマックスのあたりなどいかにもショスタコーヴィッチ)。こうしてみるとエイゼンシュテインとショスタコーヴィッチくらい「運命的にぴったり」な組み合わせはないかもしれない。その気になると二人ともおそろしく騒がしい(笑)。なんというか、タルコフスキーとバッハがぴったりなように、エイゼンシュテインとショスタコーヴィッチはぴったり。

 

メモリータグ■巨大な跳ね橋が上がっていく。このひとが撮ると、どうしてこう画面がせまってくるのか。アングル、カットのつなぎかた、その執念だろう。あいかわらず「かわいそうな動物」が配されていて、ここでは馬が宙吊りにされる。ご存じのようにドストエフスキーでもトルストイでも、「かわいそうな馬」の描写はあまりにも迫真で、うさこは読み返したくないほどですが、エイゼンシュテインも動物を多用して効果を上げる。この作品ではほとんど出ないけれど『全線』などがそうだった。

 

 

 


0358. ストライキ (1925)

2012年04月19日 | 1920s

ストライキ / セルゲイ・エイゼンシュテイン
82 min, Silent, Black and White, Soviet

Stachka (1925)
Directed by Sergei M. Eisenstein, 1898 - 1948. Written by Grigori Aleksandrov, Sergei M. Eisenstein, Ilya Kravchunovsky, Valeryan Pletnyov. Produced by Boris Mikhin. Cinematography by Vasili Khvatov, Vladimir Popov, Eduard Tisse. Art Direction by Vasili Rakhals. Performed by Mikhail Gomorov (Worker), Ivan Klyukvin (Revolutionary), Aleksandr Antonov (Member of Strike Committee.).


エイゼンシュテイン。『ポチョムキン』と同じ年に撮られた作品だけれど、こちらはあまり話題にされない気がする。いかにも国家的な作品だからでしょうか? 攻撃的な労働争議が主題で、資本家層と警察に抑圧されて崩壊していった二十世紀初頭の工場労働者たちがえがかれる。労働者を謳い上げるたんなるプロパガンダの構造にならないところはやはり特異な才能。おそらくすべての作品で政治的な枠を踏み越えてしまっている。この作品を、たとえば『A  nous la liberte(自由を我等に)』(ルネ・クレール, 1931) の楽観性とくらべると、緊迫した劇的な空気は際だっている(くらべるほうがいけない)。

警察の暴力、市民への放水、リンチ、扇動者たちによる放火、軍の出動。演出は場面ごとに工夫がこらされていて、工場の内部では機械類の迫力のあるアップや複雑な細部、ぎらぎらした光が強烈な絵をつくっている。ストライキに入り、ひと気のなくなった工場の場面では動物たちをたくみに導入、全体に多用されるアップや鋭い挿入はいかにもこの作家らしい映像文体かもしれない。とにかく画面全体がいつも激しく動いている。この第一作ですでに創作者として完成していることにあぜんとするけれど、制作当時、エイゼンシュタインは二十代なかば。肖像写真をみるとあのひとの髪って爆発したように立っているでしょう? あれは頭のなかでいつも映像が爆発しているから(笑)。

音楽のクレジットがないけれど、うーん、打楽器の使い方などはショスタコーヴィッチを連想します。

なんであれ、きっと日本では上映もされなかったのでは。この作品が制作された1925年当時の日本はアジアでも有数の全体主義的軍事政権という国家体制の完成途上にある。そうした政治体制は不思議なことに民衆から支持されるという歴史的逆説を指摘していたのはアレントだった。

 

メモリータグ■ストライキを続行して貧窮し始める労働者家庭。おなかをすかせた小さな女の子が「パパ、ごはんにしようよ」と無邪気にねだる。ぎゅっとせつない。これでは壮絶な夫婦げんかになるのも無理ないけれど、かわいそうな痩せた子猫を蹴飛ばさないで(涙)。


 

 


0357. ロビン・フッド (2010)

2012年04月12日 | 2010s

ロビン・フッド / リドリー・スコット
140 min USA, UK

Robin Hood (2010)
Directed by Ridley Scott. Screenplay by Brian Helgeland. Story by Brian Helgeland, Ethan Reiff, Cyrus Voris. Cinematography by John Mathieson. Production Design by Arthur Max. Performed by Russell Crowe (Robin Longstride), Cate Blanchett (Marion Loxley), William Hurt (William Marshal), Mark Strong (Godfrey), Oscar Isaac (Prince John) and Max von Sydow (Sir Walter Loxley).


ロビン・フッドはつくづく人気の高い題材らしい。ざっとみただけでなんと十三回も映画化されている。というわけで十四本目のこの作品は、十二世紀のイングランド王リチャード一世の十字軍遠征末期から弟ジョン王のマグナカルタ制定前くらいの時代を生きた主人公と設定して「歴史もの」の構想をとった。「中世、ひとりの男が義賊になるまで」という主題です。脚本はブライアン・ヒルゲランド*。愚かなイングランド王の性格描写、フランスの残忍な武将の動向、さまざまな内戦、ロビンの状況などフォローする方向が多いのでたいへんですが、ざくざくとまとめてあるので大丈夫。構想が大きいだけに、脚本にこまかな傷はいろいろあるし、終盤は演出もけっこう手荒い。でも140分という長さが気にならない、映画らしい映画でした。

(*ブライアン・ヒルゲランド:『LAコンフィデンシャル』『ポストマン』『ミスティック・リバー』『ロック・ミー』などを手がけてきた脚本家。たとえば、このまえ見た『ザ・ウォーカー』の脚本とくらべた場合、数段うえの力量があることは確かです)。

映画らしい映画――つまり息をのむほど美しい森をワンシーンのために探し、中世の村をまるごと作り、カメラが回ればアヒルさんがせっせと行進をする。カメラがパンし始める冒頭ではかわいいネズミちゃんが杯からぶらさがって名演技を披露し、カメラが近づくと人間の俳優たちがさりげなく会話を始める。水滴をまつわらせながら放たれる矢はCGで、城壁から落下する歩兵はスタントの真剣勝負。水中撮影はセカンドユニットのプロだろう。透明な炎に彩られて緑のなかで老貴族が葬られるシーンはとてもたいせつに撮られていたけれど、あの繊細な蔓編みの棺は誰がデザインしたのかしら。あの手のこんだ独創的な棺が映るのはほんの数十秒。そして燃やされてしまう。燃やすのは炎のスペシャリスト。さまざまな炎が使われていた――静かな炎、暴力的な炎。

スクリーンに映っているものはすべて、もうない。わたしたちが見ているのは、あとかたもなく消えてしまったものばかりなのだ。

映画館で、本編が終わって人がつぎつぎに席を立っていく間も、エンディングクレジットに小さな活字でまだリストされつづけている膨大なスタッフの名前を観るとき、うさこは胸が熱くなるのです――。少なくともちゃんとした映画のときは(笑)。そしてこの作品はとびきり贅沢な「娯楽映画」です。推定予算2億ドル(約200億円)は浪費されていない。タイトルバックに使われた2Dのペイントアニメーションも魅力があった。たぶん実写を変換するペイントプログラムを使ったアレンジメントで、手で自由にいじれるのに違いない。愉しそうだなあ。

音楽はポピュラーすぎてちょっと惜しい。さらに欲をいえば主人公はもうすこし若く見える俳優が演じたほうが自然だったろう。リドリー・スコットはラッセル・クロウと組むのがよほど楽なのかしら。義父の老貴族を演じた俳優は深い品と風格があって、誰だろうと思ったらマックス・フォン・シドー。おおやっぱり。至高の俳優です。

 

 

メモリータグ■新緑の森。ためいきが出るほど透明な色彩で、構図のセンスもさすが。

 

 


 


0356. ザ・ウォーカー (2010)

2012年04月05日 | 2010s

ザ・ウォーカー / アルバート・ヒューズ、アレン・ヒューズ(ヒューズ兄弟)
118 min USA

The Book of Eli (2010)
Directed by The Hughes Brothers: Albert Hughes and Allen Hughes. Written by Gary Whitta. Cinematography by Don Burgess. Production Design by Gae Buckley. Art Direction by Chris Burian-Mohr. Set Decoration by Patrick Cassidy. Performed by Denzel Washington (Eli), Gary Oldman (Carnegie), Mila Kunis (Solara), Jennifer Beals (Claudia).


演出は幼い。脚本も冒頭でもっと早く文脈を形成しないと、廃墟のなかを謎の武闘派が一人歩いていくだけでは意味をなさない。心配になったうさこは映像のなかに入っていって「もしもし廃墟のガンマンさん、よろしかったら自己紹介を」とうながしてあげたくなりました――つまりその基本的な提示が映像でおこなえていない。セットやアート(背景画)はいろいろ考えられているけれど、全体にナルシスティックな匂いが濃い。制作側が自己満足に陥ってはいけないという例の一つかもしれない。監督はアルバート・ヒューズ、アレン・ヒューズ。『フロム・ヘル』などを作ってきた。脚本はゲイリー・ウィッタ。

途中からようやく話が少しずつ示され始め、そのあまりの単純さに驚きつつも、かろうじてなんとか見られるものになって終わる。実際、そうとうな制作費を投じていることは素人目にもわかるので、なんとかしないと(笑)――IMDBによれば推定費用は八千万ドル――約80億円。俳優たちは多くがアフロ系やヒスパニック系、ユダヤ系で、人種として少数派の観客を対象にしたキャスティングらしい(ハリウッドはいまだにこうした商業区分から脱却するつもりがないようにみえる)。

日本での公開題は「ザ・ウォーカー」。原題は "The Book of Eli"(イーライの書)。カタストロフ後の近未来に、一冊だけ残存している聖書をもって「西へむかえ」と神から預言を受け、北米大陸をえんえんと歩いているのが主人公のイーライ。なにしろ神さまのお告げで守られているので、彼が放つ鉄矢は百発百中、背後から撃たれてもなんのその、隠れ家にRPGを撃ち込まれても無傷という超人ぶりで、そこまでされるといくらなんでも笑ってしまったのですが、これを大まじめに演じているのがデンゼル・ワシントンというのも意外。彼をはばむ悪者が聖書を奪おうと襲ってきます。がんばれイーライ、西方浄土サンフランシスコに着けば聖書を印刷してもらえるぞ、というわけで古典的複製技術によりめでたく聖書は保存されたのでした。おしまい。

なんでこうなるの~っ

は言わないことにして、ヒロインのミラ・クーニスがかわいかったからいいや。

この作品は「聖書外典」と位置づけることもできる。主人公イーライはエゼキエルやホセアのような預言者、あるいはフィリポやペトロのような聖人で、彼が“聖書を運んだ物語”を記したものが "Book of Eli", すなわち「エリ書」であります(うそ)。

とはいえ、水もシャンプーもろくにない世界に車もガソリンもマシンガンも弾丸もふんだんにあるといった細部は水とシャンプーに流すとしても、遺された聖書が紙の英語版一冊という設定に信憑性を与えるには、全世界の電子的データがすべて崩壊したという技術的細部くらいはあってもいいかなあ、せめて(汗)。これではアイパッドで遊んでいる小学生のみなさんも納得してくれません。

 

 

メモリータグ■ラストシーン。聖者の感化で武闘派と化した少女は、母を救うために旅立つのでした。でも、とつぜん刀をかついで忍者ルックって……(笑)。