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うさこさんと映画

映画のノートです。
目標の五百本に到達、少し休憩。
ありがとうございました。
筋や結末を記していることがあります。

0451. 白い恐怖 (1945)

2017年01月08日 | 1940s

白い恐怖 / アルフレッド・ヒッチコック
111min | USA

Spellbound (1945)
Directed by Alfred Hitchcock. Screen play by Ben Hecht and Frances Beeding suggested by novel  "The House of Dr. Edwardes" by Hilary St George Saunders and John Palmer. Adaptation by Angus MacPhail. Art of dream sequence is based on designs by Salvador Dali.  Performed by Ingrid Bergman (1915-1982) as Dr. Constance Petersen, Gregory Peck as John Ballantyne. Michael Chekhov as Dr. Alexander Brulov.


http://www.potsdam.de/event/mit-hitchcock-im-kino-spellbound


主役のイングリッド・バーグマンは精神科医という設定で、めがねをかけて白衣をひるがえし、煙草をふかして登場する。そのステレオタイプな造形や、頻出する女性蔑視の表現、なにより徹底的に論理性を度外視した展開が気になって、ヒッチコックを好きだったわたしでも十代のころは集中できなかった作品だった。でもいまは、その荒唐無稽をねじふせて場面ごとの起伏を作り上げようとこころみる映像語法の気迫のほうに引きつけられる。いまも変わらず目に飛び込んでくるのは、怖い場面の光と影とカット割り、アングル、カメラワークの強烈な演出力です。

たとえばニューヨークの中央駅の場面が出てくる。医師役のバーグマンが、記憶喪失の患者(兼恋人)を切符売場の列にならばせてこう命じる。あなたはまえにここで切符を買ったはず。あのブースまで行き、切符を買ったときの行き先を思い出しなさい。この患者が中央駅から自分で切符を買って列車に乗ったという証拠はなく、その主張には根拠がない。でも表情の演出やカット割りで、緊迫した瞬間に高めていく。思わずコンテを見たくなる。

「プロットの弱点をどう乗り越えるか」は、物語制作における最大のチャレンジのひとつではないかと思う。弱みのない脚本などない。「ここがどうしてもだめ」と作り手が思ったら、その作品はかたちにならない。このまえ『プレステージ』を観直してみて、つくづくそう思った。あのプロットには、ほぼ致命的な弱点がある。でも時間軸を行き来する複雑な語り口で観客の気をそらし、ぎりぎりで見せ切ってしまう。あれは手品をえがいた作品で、作品じたいが手品になっている。その頭脳的な戦略設計と、底知れない執念にうなった。すべての創作は手品なのです、きっと。

ヒッチコックの作品群という流れのなかに『白い恐怖』をおいてみると、ヒロインが自立して専門職をもち、自分の意志で事態をリードしていくのはこの作品が最初かもしれない。女性役に対するあの作家の嗜虐性に対しても、このあたりから男性役の自虐性の比率が高まっていく傾向を感じる。原題はスペルバウンド(呪縛)で、呪われた王子の呪いを賢女が解いてくれるおとぎ話の変形として理解できることに気づく。魔法の国で修行をしてきた善き魔女の、愛と魔法で呪いが解けるこのお話は、ディズニーの世界と変わらない。20世紀のある人びとにとって、フロイトはまさしく大魔法使いだったのだろう。だから学術の論理性にとらわれる必要はありませんわ。ビビディバビディブー。



メモリータグ■卵入りのコーヒーを淹れる coffee with an egg in it という台詞を主役が口にするところがある。なんだか気になっていたら、IMDBに説明があった。ポットに生卵を割って殻ごといれてしまい、コーヒーの粉とまぜて、お湯をそそいで火にかける。沸騰したらかきまぜて、また十分に沸騰させてから火をとめて、一杯だけ水を注いで、しばらく待つ。ポットの底で卵が粉と固着しているので、そのまま静かにカップにつげば濾さなくてすむという。だいたいコーヒー10杯くらいまでで卵1つという割合のようです。パーコレーターなどが登場するまえの工夫で、雑味も取れるのだとか。ううむ。たしかにネットをみると類似のご紹介がさまざまにみつかる。ただ、物質的利便性が世界最高度に追究されていたあの20世紀なかばのアメリカで、その淹れ方が一般的だったかどうか。作中で主役がコーヒーを淹れる相手は東欧系らしい老教授なので、彼の習慣に合わせたという記号かな? この淹れ方は北欧や東欧が由来とされているとも書かれていたので、そうかもしれません。いろいろ愉快に想像しました。





0449. 断崖 (1941)

2016年11月20日 | 1940s

断崖/アルフレッド・ヒッチコック
1h 39min | USA

Suspicion (1941)
Directed by Alfred Hitchcock. Written by Samson Raphaelson, Joan Harrison and Alma Reville based on a novel by Francis Iles. Music by Franz Waxman. Cinematography by Harry Stradling. Film editing by William Hamilton. Performed by Cary Grand (Johnnie), Joan Fontaine (Lina), Nigel Bruce (Beaky). Academy Awards, USA 1942 Won Oscar Best Actress in a Leading Role: Joan Fontaine.
    

http://www.joylesscreatures.com/reviews/suspicion


淀川さんの声:はい、今日は『断崖』です。ヒッチコックのこわーいこわーい名作ですね。このヒロイン、『レベッカ』でさんざんいじめられた、あのジョーン・フォンテーンです。今度もさんざんいじめられる、かわいそうなかわいそうな、またそのフォンテーンが、ほんとうにきれいなんです。まあいかにもヒッチコックごのみの、それはそれは清楚で品のいい女優さん、ヒッチコックがどんなにお気に入りだったか、それはもう、舌なめずりするようないじめかたでよくわかりますね。でもフォンテーン、この映画でアカデミー主演女優賞、取りました。がんばったかい、あったんですね。

このお話、大きなお屋敷で育った箱入り娘が、ハンサムな男性と知り合って、まあ、たちまち好きになって駆け落ちしてしまうんです。この男をケーリー・グラントが、いかにもまあ、洒脱に演じるんですね。ところがいざ結婚してみると、この男が、まあ仕事もない、財産もない。うそばっかりつくんですね。豪華な新婚旅行、楽しかったと思ったら、ぜんぶ借金だった。そういうのをグラント、ほんとうにじょうずにやるんです。なにを考えてるんだか、わからない。でもそれを演じて下品にならないんですね。そしてまた、そこへのらりくらりとよくわからない友達が転がり込んできたりして、どんどんあやしくなる。でもほんとのところはどうなのか、そこはわからないんですね。もう、目が離せませんね。

そしてジョーン・フォンテーン、このあやしい夫から保険金めあてで殺されるんじゃないか、だんだん、だんだん、ほんとうに怖くなっていく。ここ、有名な場面、出てきます。広い広い、がらーんとした暗い夜のお屋敷で、ケーリー・グラントが奥さんにミルクを持っていく。ミルクのグラスをお盆にのせたのを持って、静かに階段を上がっていく。このミルク、それがきらきら、きらきら、白く輝いている。どうみても毒入ってるんじゃないか、モノクロの画面でそこだけが真っ白、もう、ぞくぞくするほどこわいですね。これ、ミルクのなかにランプをいれて光らせたんです。ヒッチコック、もう、ほんとうに凝っていますね、名場面です。

そしてきれいな奥さん、もう怖くてたまらなくて、最後はとうとう実家へ逃げ出そうとします。そうすると、このだんなさん、それなら車で送るから、いうんですね。夜の道を運転していって、途中で、断崖絶壁、出てきます。どんどん迫ってきます。ああどうしよう、そこで車のドア、ばーんと開くんです。ああ落ちる落ちる、突き落とされる。クライマックスですね。そしてどうなるか。はい、いつもだったら、ここからさきは言いません。でも今日は特別サービス、結末こっそりお教えします。このだんなさん、それはそれは口がうまいんですね、そんなことは思いすごしだよ、というんです。そうなると奥さん、そこはもともと箱入り娘ですから、まあそうだったのね、ごめんなさい。すなおにだんなさんと、もと来た道を引き返していくんです。映画、そこで終わってます。そのあとどうなったのか、これはもう、みなさん一人ずつ、想像して楽しんでください。

はい、いかがでしたか。こわかったですねえ。でもこの結末、ヒッチコック、ほんとうはちがうふうにしたかったんです。あの毒のミルクの場面、もっと最後のところで使いたかったんですね。ほんとうのクライマックス。そして奥さん、毒だとわかっていて飲むんです。わたしは夫を愛してる、でもどんな人だかわかっている、わたし、もうどこにも行き場がありません。それをお母さんにだけは伝える手紙を書いて、なんにも知らないふりをして飲むんです。まあ、かなしいかなしい愛情。そしてだんなさん、そのお母さんあての手紙、なに書いてあるかは知りません、それ鼻歌まじりにポストに投函する。それでおしまい。これ、ほんとうにすばらしくなったでしょう。でも当時のケーリー・グラント、奥さんを殺す犯人にするにはあんまり人気がありすぎました。それでヒッチコック、結末変えたんですね。残念です。でもこの映画のこわさ、それでもちゃんと伝わりますね。それではさよなら、さよなら、さよなら。




メモリータグ■冒頭、この令嬢が眼鏡をかけて、列車のなかで読んでいる本が『児童心理学』。それで両親がひそかに、うちの娘、インテリすぎて結婚できないんじゃないかと話しあう。ううむ、時代が出ています。




0315. Ossessione (1942)

2009年08月29日 | 1940s

郵便配達は二度ベルを鳴らす / ルキノ・ヴィスコンティ
118 min Italy

Ossessione (1942)
Directed by Luchino Visconti, 2 November 1906, Milan - 17 March 1976, Rome. Scenario and dialgue by Mario Alicata, Giuseppe De Santis, Gianni Puccini and Luchino Visconti, Novel "The Postman Always Rings Twice" by James M. Cain. Cinematography by Domenico Scala and Aldo Tonti. Costume Design by Maria De Matteis. Performed by Massimo Girotti (Gino Costa), Clara Calamai (Giovanna Bragana), Dhia Cristiani (Anita) and Juan de Landa (Giuseppe Bragana).


ヴィスコンティは、かならずしも若いころから完成されていたひとではないと思う。でも映像の演出力が最初から圧倒的だったことは、この作品をみるとよくわかる。真夏の汗や街道の埃や労働者の体臭や、毎日夫と寝ているベッドに、妻が行きずりの男を引き入れたあとのシーツの匂いまで漂ってきそうな、強烈な絵づくりをしている。


www.jahsonic.com/Neorealism.html

そもそもこんな映画をよく1942年に撮ったもの。不倫に陥ったカップルが共謀して夫を殺す。懊悩しながら離れられない愛人たちの、貧困層出身者同士の悲劇的な結末までをなまなましくえがいていく。制作環境は第二次大戦のファシズムのまっただなか、ムッソリーニもヒトラーも現役である。そういえば『無防備都市』は1945年。1940年代のイタリア映画はすごい。

冒頭、三年くらい一度も服を洗わずに野宿をつづけたようなぼろぼろの身なりでマッシモ・ジロッティが登場する。野良犬のようなこの主役が壮絶な迫力で撮られていて、台詞に頼りがちなこの作品の展開を、映像面で支えている。ジロッティは、もともとポロと水泳の選手として有名だったそう。ヴィスコンティ(1909 - 76)のあとはロッセリーニ(1906 - 77)やデシーカ(1902 - 74)など、名だたる監督と仕事をしている。たしかに主役にしか据えようのない顔でした。目に光をあてて撮ると、鳥肌のたつような空虚な表情が浮かぶ。

それからヴィスコンティは犬と子供の使い方がじょうず。さりげないけれど、どちらも好きなのだろう。わたしは『ベリッシマ』を観ていないのですけれど――美少女コンテストのお話――観てみたくなりました。



メモリータグ■街で手持ちぶさたの主人公に声をかけられる、ちょっとかわいい娘。端役のバレリーナだと自己紹介をする。そして、おそらくは体を売って暮らしの足しにしていることもあとでわかる。彼女の台詞や描写はかなしさが出ていて、とてもよかった。




0261. On the Town (1949)

2008年07月06日 | 1940s

踊る大紐育 / スタンリー・ドネン、ジーン・ケリー
98 min USA

On the Town (1949)
Directed by Stanley Donen and Gene Kelly. Screenplay by Adolph Green and Betty Comden, based on idea by Jerome Robbins. Produced by Arthur Freed. Cinematography by Harold Rosson, four songs by Leonard Bernstein. Performed by Gene Kelly (Gabey), Vera-Ellen (Ivy Smith), Frank Sinatra (Chip), Betty Garrett (Brunhilde Esterhazy), Ann Miller (Claire Huddesen) and Jules Munshin (Ozzie).


バーンスタインの原曲、ジェローム・ロビンスの振りつけ、アーサー・フリードのプロデュース、スタンリー・ドネンとジーン・ケリーの共同監督。MGMミュージカルの代表作のひとつ。

ミュージカルは、ダンスがしっかりしていればいまでも楽しめる。「人間のからだ」という基本的な枠は、百年たらずではほとんど変わらない。身体で表現されたものの凄みは、ちゃんと伝わってくる。だからアステアのダンスは一時期それなりに見たし、ロビンスが振りつけた作品のいくつかは意識して見たほうだと思う。でも『踊る大紐育』は、こんどはじめて見ました。

ロビンスの、いわば最初期の作品で、いくつものダンスの見せ場がある。舞台で成功したあと映画化される際にスタッフやキャストが入れ替わったため、ロビンスは「原案」としてだけクレジットされてきたらしい。そのあたりのいきさつは、津野海太郎さんの『ジェローム・ロビンスが死んだ ミュージカルと赤狩り』平凡社(2008)を読むとおもしろい。

『踊る大紐育』でいちばん見せるのは、中ほどに出てくる長いタップダンスのデュエットだろう。ジーン・ケリーと、相手役のほっそりした女の子、ヴェラ・エレンが、それはそれは楽しそうに踊りまくる。ケリーの、いかにもアメリカンでスポーティーなダンスは、やはりタップにこそ向いているとわかる。正直、バレエのまねごとみたいなシーンよりは段違いにおもしろかった。本格的なバレエはなまじな訓練ではむりだし、カジュアルに流しては通用しない。あれは正確な動きをつみかさねないと迫力が出ない性質のダンスだからである。なので、そうした場面はいまからみればご愛嬌。

でも、カレオグラファーがやりたかったことはわかる。可能なかぎり、さまざまな種類のダンスを入れたかったのだ。そのあたりはさすがにロビンスというか、完全主義者の執念を感じる。24時間のできごとという時間枠の設定もあって、当時のミュージカルとしては破格のスピード感とダイナミズムだったにちがいない。

ああ、アメリカだわ(笑)。



メモリータグ■ベリーダンサーの扮装で、警察の追っ手をごまかす水兵たち。シナトラの陽気な女装は笑えました。





0168. The Big Sleep (1946)

2006年12月19日 | 1940s

三つ数えろ / ハワード・ホークス
114 min or 116 min (director's cut) USA

The Big Sleep (1946)
Directed by Howard Hawks. Screenplay by William Faulkner, Leigh Brackett and Jules Furthman, based on the novel by Raymond Chandler. Cinematography by Sidney Hickox, Music by Max Steiner. Performed by Humphrey Bogart (Philip Marlowe), Lauren Bacall (Vivian Sternwood Rutledge), John Ridgely (Eddie Mars), Martha Vickers (Carmen Sternwood).



なにかといえば建物を吹き飛ばさないと気がすまない時代にいたるまえ、まだタッチやダイアローグが重視されたころのハードボイルド。すくなくとも火薬の消費量は小さじ三杯くらいしかないし、ボガートの情けなさやローレン・バコールの動じなさが、いかにもクールな白黒映画である。脚本のスタッフにはフォークナーが入っている。

お話はなにがなんだかわからない(笑)、なのに見ていられる。マーロウの切りぬけかたに予測がつかないからだろう。チャンドラーのこのシリーズの第一作でもある。けっきょく半世紀以上たってみて、この速度で充分通用することがわかる。いまは爆薬の量とスタントの人数が増えただけなのかもしれない。

バコールはこれがボガートとの二作目。十九歳で共演した第一作 "To Have and Have Not" (1944) のあと、当時四十代なかばのボガート (1899-1957) と結婚、この"The Big Sleep" (1946) は結婚後、最初の共演ということになるらしい。それにしても、この時点でまだ二十一歳なんて愕然とする。年齢不詳、おとなの女性そのものだった。「二十歳から四十歳までなら、どの歳にも見えた」というカポーティーのフレーズを思い出す。



メモリータグ■雨のあいだに一杯飲もう、とマーロウを誘う本屋の女の子。いかにもチャンドラーの会話で、めがねをはずして髪をほどくと美女に変身、マーロウは「ハロー」と驚く。村上春樹さんが徹底的に吸収しつくした技法だろう。