うさこさんと映画

映画のノートです。
目標の五百本に到達、少し休憩。
ありがとうございました。
筋や結末を記していることがあります。

0160. もののけ姫 (1997)

2006年11月05日 | 1990s

Mononoke-hime, aka. Princess Mononoke (USA) / Hayao Miyazaki
134 min Japan

もののけ姫(1997)
原作・脚本・監督:宮崎駿、製作:氏家齊一郎、成田豊、色彩設計:保田道世、美術:山本二三(にぞう)、音楽:久石譲、出演:松田洋治(アシタカ)、 石田ゆり子(もののけ姫・サン)、田中裕子(烏帽子御前)、美輪明宏(モロ)、小林薫(ジコ坊)、森繁久彌(乙事主)、森光子(ひいさま)、西村雅彦(甲六)、上條恒彦(ゴンザ)、島本須美(トキ)



苦しんで作られた作品にちがいない。ひとつの構想が長年にわたって生きつづけ、いくどもいくども練りなおされていくとき、その命が深いほど、致命的にそこなわれていく危険もまた深いように思える。異なる位相の物語が重層的にはらまれて、それぞれに揺るぎない必然をそなえたまま、どれも死なずにひきずられていく。それらがどうしてもひとつの世界のうちに場をえることができなければ、たがいに巨大な亀裂と化して内側から壊れていくだろう。強い生命力をもつ物語は、みずからを破壊しようとする力もまた強いのだ。『もののけ姫』には、何度もそういう危機に直面した痕跡を感じる。おそらく数十年はあたためられてきた構想だろうと、むしろその痕跡から推しはかることができる。実際にドラマトゥルギーとしてもいくつか難所があるけれど、こんな大構想が最終的にかたちになりえたことそのものが驚異というしかない。奇蹟の一作である。

最大の危機のひとつは、もののけ姫の人物設定そのものだったのではないか。このタイトルロールは主役ではない。ではなにを象徴しているのだろう。

彼女の微妙な位置はおそらく、アシタカという主人公との均衡による。この少年は、宮崎作品のなかで、もっとも雅(みやび)な男性主人公として仕上がっている。知的で、品格があり、潜在的に大きな力をそなえていながら静かなたたずまいをしている。だがこのような少年像は、じつはこの作品まで一度もえがかれてきていない。はじめての造型であるはずなのに不思議なほど完成度がたかく、すみずみまで彫琢されつくしている。なぜだろう? 考えると、一連の状況が風の谷と酷似していることに気づく。少年はゆるやかな消滅の危機にあるちいさな共同体にそだち、ゆくゆくは王となるよう定められていながら、その共同体を守るために、そこから離れざるをえない。そして森を見守る、かなめの位置に立つことになる。アシタカは性別をいれかえたナウシカなのだ。おそらく作者は無意識だったかもしれない、だが屈指の完成度をそなえて生み出されたのは当然である。

この人物を得たことで、物語をうごかす焦点は彼一人に集約された。それは物語の重層性がはげしくぶつかることで生み出される巨大な矛盾までも、この主人公が引き受けることを意味する。造り手は、もっとも深く思いをこめた人物を、もっとも厳しく試みるものなのだ。このときもののけ姫は彼が守るべき対象として、その造型はむしろ単純なものになった。この女性は、ひとのかたちをとった森とみることができる。彼女は引き裂かれ、その傷は癒えることがないままに生きつづける。


観終えると、おもわず柳田國男さんや網野善彦さんの著作を読み返したくなる。室町という時代設定そのものに、ここしかないと思わせる洞察の鋭さがあった。



メモリータグ■深い森のなかを獅子神が歩く。その足元に草がはえ、また枯れる。震えるほど凄い。