うさこさんと映画

映画のノートです。
目標の五百本に到達、少し休憩。
ありがとうございました。
筋や結末を記していることがあります。

0440. おおかみこどもの雨と雪 (2012)

2014年11月21日 | 2010s

Wolf Children / Mamoru Hosoda
117 min Japan

おおかみこどもの雨と雪 (2012)
原作・監督:細田守、脚本:奥寺佐渡子、細田守、編集:西山茂、製作指揮:城朋子、製作「スタジオ地図」、キャラクターデザイン:貞本義行、作画監督:山下高明、美術監督:大野広司、美術設定:上條安里、音楽:高木正勝、声:宮崎あおい(花)、大沢たかお(彼)、黒木華(雪)、西井幸人(雨)、主題歌:アン・サリー


www.kadokawa.co.jp


いまさらですが『おおかみこどもの雨と雪』をみる。たいへんな力作だった。綿密で、ていねいで、地道なプロセスをじっくりとえがきながら、つねに起伏をたやさない。ファンタジーの主題に対してリアリズムのスタイルをとることで、人狼の子供を育てる母親の重労働とその身体的な重さを間近に伝えていた。物語は監督した細田守さんのオリジナルだそう。よくこんな作品を作れたものです。

しいていえば2Dセルアニメーションの伝統上にあるシンプルな人物描線のデフォルメと、背景3Dの迫真的な作り込みをどのように融合させるかは、アニメーション界をつうじて今後の課題だと思う。たとえば必死で農作業をしている登場人物の腕がふにゃふにゃのゴムのようだったりするいっぽうで、豪快な滝はほとんど実写に近い。このままばらばらの追究をつづけると、一枚の絵としてなりたたなくなる。映像表現としての本質的な重力が違いすぎるのだ。キャラクターは貞本さんの設計だからこれでいい、といった認識では埋められないものがある。

それでも「宮崎アニメ」の後継者たち――すなわち発展的で独創的な才能――は、ジブリの外から現れてくることを、この作品はよく告げている。アニメーション史上において、ウォルト・ディズニーの後継者たちがディズニーという帝国企業の外から現れたことには明確な必然性がある。外部には富裕な予算もぶ厚い組織力もない代わり、天才の呪縛もない。離れてよかったのです、細田さん。



メモリータグ:子供たちが小学校に入り、学年が上がっていくプロセス。カメラをパンでふりながら、育っていく子供の性格を淡々をみせる。鮮やかな演出でした。






0439. ハンナ・アーレント (2012)

2014年11月05日 | 2010s

ハンナ・アーレント / マルガレーテ・フォン・トロッタ
113 min  Germany | Israel | Luxembourg | France

Hannah Arendt (2012)
Directed by Margarethe von Trotta. Screenplay by Pam Katz and Margarethe von Trotta. Cinematography by Caroline Champetier. Barbara Sukowa (Hannah Arendt), Janet McTeer (Mary McCarthy), Julia Jentsch (Lotte Koehler), Axel Milberg (Heinrich Bluecher), Ulrich Noethen (Hans Jonas).


アレントをえがくとしたら、社会的に最もとらえやすい切り口はやはりアイヒマン裁判なのかもしれない。ここでは物語をその経緯に集中させ、点描的な回想でみじかくハイデガーとの関係にもふれることで、「巷間の二大論点」を配置している。アレントの思想や生にまつわる多くのことがらを思い切って捨てた大胆な脚本構成によって、むしろしっかりと人間性を伝えることに成功した。主演したバルバラ・スコヴァも重量級の存在感があった(かつてローザ・ルクセンブルクを演じたひと)。2013 German Film Awards作品賞・主演女優賞。

フォン・トロッタの演出の精度は高い。脇役、端役など画面をさらりと横切るだけの人びとにもいきいきとした表情と個性をあたえて、この地味な作品に強い臨場感を醸成している。時代考証はおそるべき追究心で、道具や衣装類だけでなく、映像のトーンそのものをつうじて時代を再現することをこころみている。いま観客として1960年代を生きている思いがした。撮影は『神々と男たち』で繊細な光をとらえていたカロリーヌ・シャンティエ。

クライマックスは大講堂での講義場面。アレント自身の反論をストレートに肯定的に提示している。力のこもった、いい場面なのだけれど、作品のメッセージを単純化してしまうという点では限界ぎりぎりなので、ここで終わらないようにと思わず祈ってしまった(笑)。大丈夫でした。

いま現在、その全体主義と排斥の論理をつうじて深刻な犠牲を生み出している国のひとつにイスラエルがある。アレントは『全体主義の起源』で、特定の国民ではない汎ヨーロッパ人としてのユダヤ人像とその多様性、そして彼らに対する排除のメカニズムがどのように機能していったかをつぶさに切り分けていた。アイヒマンについてのアレントの見解に対してユダヤ系の人びとからわき起こった激しい非難は、ほかならぬその民族内に強烈な民族的全体主義と排除のメカニズムがはたらいていることを示していた。その異様なまでの相似性には悲劇的な補償性を感じる。

こう書くことによって、よその人びととその苦しみを批評したいわけではけっしてない。アレントが指摘した「考えない罪」は、ユングを参照してとらえ直すなら「神話的な何ものかに自己を明け渡すことの危険」でもあるだろう。日本には、すくなくとも明治以降ずっとその「神話的な何ものか」が生きている。わたしたちには、つねに乗り移られ、憑依される危険がある。



メモリータグ■アレントの仕事部屋。