鉄道員 / ピエトロ・ジェルミ
118 min Italy
Il ferroviere (1956)
Directed by Pietro Germi. Written by Alfredo Giannetti, Luciano Vincenzoni and Pietro Germi. Cinematography by Leonida Barboni. Music by Carlo Rustichelli. Performed by Pietro Germi (Andrea Marcocci), Edoardo Nevola 1948 - (Sandro Marcocci), Sylva Koscina (Giulia Marcocci), Carlo Giuffrè (Renato Borghi) and Luisa Della Noce (Sara Marcocci).
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鉄道運転士のささやかな家庭に起こる離散、家族性の回復、父の喪失をえがいている。イタリアの、いわゆるニューリアリズムの系列に分類される作品らしいけれど、これはすなおに「人情物」でいいのでは。リアリズムという感じはあまりうけない。スタイリストの方針もそう。ちいさな雑貨店に勤める娘夫婦は、ぱりっとした若手実業家と美人女優にみえるし、年少の坊やは小公子フォン・トルロイのようにおっとりと品がいい――なにより、サイズのあった服を着ている。お給料が下がって暮らせないという台詞は口にされても、おうちにはテーブルクロスもエスプレッソも石鹸もある。たとえば『自転車泥棒』だと、奥さんはベッドのシーツをはがして質屋に入れちゃうという凄みがあるのですが(笑)。
でも、ていねいに、人物ひとりずつに愛情をこめて書かれた脚本だと思う。そのことがすべて。こじれてしまう対人関係の底にもおたがいに対する友愛がある、でも表現できないだけなのだという設定を崩していない。最後にはみんなわかりあえてしまう。だからこそ多くの観客に愛されたのにちがいない。娘と夫が仲たがいをした理由を洞察する奥さんの台詞は「これまで話をしてこなかったことが問題なのよ」というもので、なんだか対話の不在を分析するハーバーマスのように深遠なのです。
労働争議をあつかった小説や映画のうち、もうどれだったか思い出せないのだけれど、ストライキを断行している組合員たちの間に、経営者の娘が病気だという知らせがめぐってきて、重苦しい空気になる場面を思い出した。小説だったと思う。労働者たちは経営者に同情はするけれど、でも自分たちのお弁当のサンドイッチには、肉のかわりにチーズしか入っていないという。それは、男の自尊心をひどく傷つけることらしかった。そういう具体性は印象にのこる――食べ物だからでしょうか!?
メモリータグ■夫婦が眠る部屋の隅にちいさなベッドをおいて、末っ子もそこで寝る。
フォレスト・ガンプ / ロバート・ゼメキス
142 min USA
Forrest Gump (1994)
Directed by Robert Zemeckis. Screenplay by Eric Roth. Novel by Winston Groom. Music by Alan Silvestri. Cinematography by Don Burgess. Performed by Tom Hanks (Forrest Gump), Robin Wright Penn (Jenny), Gary Sinise (Lt. Dan Taylor), Mykelti Williamson (Pvt. Benjamin Buford 'Bubba' Blue) and Sally Field (Mrs. Gump).
主人公の生家の入り口は古風に典雅で、広い森にむけて赤煉瓦で門壁が築かれている。その光景が好きで、思わず映像をとめて眺めてしまった。タイトル「フォレスト・ガンプ(Forrest Gump)」は主人公の名前であると同時に「森のばか(forest gump)」を連想させる響きでもある。
そうしてこの森の庭にある大木は、軽い精神遅滞をともなう主人公を象徴するものになっている。ゆっくりと時間をかけて育っていき、いつのまにか並みはずれた大樹として多くの人を受け入れる存在になる。そこにはいかなる邪気もなく、祝福だけが漂う。善良であれ、という「天使のテーゼ」ですね(笑)。
公開当時、アメリカの人びとが共有する二十世紀後半のさまざまな社会的記憶を重ねた主人公の人生が、熱烈な共感を呼んだのにちがいない。人種差別撤廃運動、ヴェトナム戦争、ヒッピー文化、歴代の大統領、ジョン・レノン、その暗殺、さらにそれぞれの時代を表象するポップソングがあしらわれて、全編が「アメリカン・メモリーズ」として機能している。演出はどちらかといえば平凡なのに、ゼメキスは監督として幸運な成功をおさめた。この作品で1995年米国アカデミー賞を6部門受賞している。作品賞・監督賞・脚本賞・主演男優賞・編集賞・視覚効果賞。
根底に流れるプロテスタンティズムを含めて、明快にアメリカ人の・アメリカ人による・アメリカ人のための一作で、共有しうる基盤をもたないわたしにとってはとても難しい作品なのですが、こうした映像の数々をつうじて、アメリカの記憶は世界の記憶と化した面は否定できない。いやはや、二十世紀は映画の時代だったといえそう。でもこの作品を各国で翻案したら案外おもしろいかもしれません。日本の二十世紀後半を生きた主人公には、どんな記憶が重なるのでしょうか。
メモリータグ■中門の白い垣根もノスタルジック。
104 min USA, Canada
The Day the Earth Stood Still (2008)
Directed by Scott Derrickson. Screenplay by David Scarpa. Screenplay in 1951 by Edmund H. North. Cinematography by David Tattersall. Performed by Keanu Reeves (Klaatu) and Jennifer Connelly (Helen Benson).
「チェンジ」と「生物の多様性の尊重」を呼びかける時代にあっているという判断かしら、1951年の有名なSF作品をリメークしたものだそう。地球を保護するためには暴力的な人類を滅ぼすしかないという宇宙人連合の決定を、性善説的な動機から人間がくつがえす。つまり、人間は変われる、という主張がなされる。『幼年期の終わり』のような斬新さをふたたび模索することはこころみられないまま、まずは2時間の娯楽が提供されている。
でも青みを帯びた巨大な球体が半透明できれい。なかではさまざまな生命が泳いでいる。
us.imdb.com/media/rm249206016/tt0970416
邦題の『地球が静止する日』は、『地球がもちこたえた日』くらいのほうが、違和感はすくなかったかもしれない――比喩としても事実としても、この物語で地球は静止しない。とはいえ、旧作とのかねあいなどを考えると訳題は変えにくかったのだろう。タイトルをどう訳すかはいつもむずかしいですね。
宇宙連合の代理人として地上に送られたエイリアン、クラートゥにキアヌ・リーヴズ、かれを助けようとする科学者にジェニファー・コネリーをあてている。撮影のセカンドユニットは世界各地の風景をつぎつぎと撮りにいったようにみえる。この作品に投下された資本は、それでもきっと回収できたのだろう。下の1951年版の護衛のロボット「Gort」は、今回も同じイメージで復元されている。敵をビームで焼きはらっている様子はラピュタを思い出させる。なによりこのポスターのタッチをみると、子供のころにわくわくして読んだ「SF」のなつかしさがわいてきます。新版も、そこに漂う「空想科学小説」の残り香をたのしめるかもしれません。
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メモリータグ■エイリアンと数学的会話をかわす「人類のひそかな代表」は、ノーベル賞を受賞した科学者。このシーンは樹木の素材とガラスを組み合わせた、おちついた書斎で撮られていた。BGMのバッハは有名すぎる曲よりも、コラール前奏曲あたりがあっていた気がする。