うさこさんと映画

映画のノートです。
目標の五百本に到達、少し休憩。
ありがとうございました。
筋や結末を記していることがあります。

0343. インストーラー (2007)

2011年04月26日 | 2000s

インストーラー / ジュリアン・ルクレール
94 min France

Chrysalis (2007)
Directed by Julien Leclercq. Written by Julien Leclercq and Franck Philippon. Cinematography by Thomas Hardmeier. Production Design by Jean-Philippe Moreaux. Art Direction by Alexis McKenzie Main. Performed by Albert Dupontel (David Hoffmann), Marie Guillard (Marie Becker), Melanie Thierry (Manon Brügen).
Budget:$12,000,000 (estimated) 推定予算1200万ドル(約12億円)


SFのプロダクションデザインは難しい。この作品に出てくる「遠隔手術」も「電子署名」も、ちっともおもしろくないのはなぜなのかしら。

第一の理由は物語の本筋と関係がないからだろう。「あらゆる細部は主題と結びついていなければならない」という恐怖の大原則は、SFだろうと時代劇だろうと変わらない。こういう典型的な失敗例をみると落ち込む。

第二の理由は映像そのものが平板すぎて死んでいることにある。手術台に患者の心臓の映像が送信されてきてもエックス線画像なみの白い不鮮明な輪郭だけで、カメラワークもロングのまま。これでは1950年代です。カメラはもっと寄って施術者の視点に近いところまでひきつけて、どうみても現実にみえる鮮やかな心臓がそこにあり、その濡れた臓器が自在に拡大されたり切り取られたりしていけば、もう少し臨場感や説得力が出たかもしれない。恐怖の大原則その二は「映像それじたいが生きて喋らなければならない」である。

しかしこんなことを並べていたら、原則その一で申しぶんないのはドストエフスキー級の作品だけになってしまう。原則その二は……。やめます。

物語は、人間の記憶を消去したり取り出したり、コピーもできるという記憶制御装置「クリザリス」が要になっている。語り口はものすごくややこしい。主人公の男性刑事ダヴィドは連続誘拐殺人犯を追跡していく。いちどは逮捕したと思った相手はじつは誘拐犯の双子の兄弟で、ダヴィドは真の誘拐犯に逆襲され、自分の記憶を消されてしまう。

この連続誘拐犯ニコロフは開発元から盗み出した「クリザリス」を通じて、著名な医師とひそかに手を結んでいる。医師は交通事故に遭った自分の娘マリーの脳から記憶を取り出して、誘拐犯がさらってきた女性エレナの脳に移し変え、エレナの外観をマリーの容姿そっくりに整形して「娘」を再現していたのである(デカルトのお人形みたいに)。ただしエレナの本来の記憶が完全には消えていないため、マリーは人格が混乱してくる。

刑事ダヴィドは自分の記憶を消されたものの追跡を再開し、マリーの入院先で誘拐犯と遭遇、カンフーで対決して打ち勝つのであります。ばしばし。これで事件は解決。ダヴィドはさらわれた女性エレナが自分の記憶を取り戻せるよう守っていくと告げて、二人は仲良く立ち去っていくのでした。

なんでこうなるの~~っ。

は言わないことにして、ひさしぶりにフランスのSFを観たからいいや。



メモリータグ■食事のテーブルでは背中をまっすぐ伸ばして座って、お料理を運んできた人には、にっこりと目を合わせて「ありがとう」を言おうね――どこの国でも。というしつけは懐かしかった。日本でやるには勇気がいる? そういえばフランス出身男子が、その“にっこり”と“目を合わせる”と、たんなる“マナー発揮”だけで「日本の女の子って、ほんとかんたんに落ちるねえ」とつくづく感心していて、爆笑してしまったのを思い出す。日本出身男子のみなさんもおためしになっては。




0342. Paranormal Activity (2007)

2011年04月17日 | 2000s
パラノーマル・アクティヴィティー / オーレン・ペリ
86 min | 99 min (extended version) USA

Paranormal Activity (2007)
Written and directed by Oren Peli. Cinematography and editing by Oren Peli. Performed by Katie Featherston (Katie), Micah Sloat (Micah), Mark Fredrichs (Psychic), Amber Armstrong (Amber).


強い臨場感がある。俳優自身にもヴィデオカメラをもたせて「ドキュメント」の語法を推進し、だがその素材をあくまでフィクション作品の演出として冷静に処理している。つまりカメラワークに矛盾が出ることをためらわず、そのまま押し切っている。それが作品としての強さになっている。

市場では「ホラー」に分類されるのだろうが、日常を侵食していく超常と憑依の気配がきちんと伝わってくる。演出はもしかすると、こまかい台詞を決めずに概要だけを俳優に伝え、それを俳優が自分の言葉で即興的に喋るといったスタイルをとったかもしれない。

これほど地味な反復表現で、最後まで集中がとぎれない理由は、おもに二つあると思う。一つは撮影方針。すべて一軒の家の敷地内で撮られている(玄関前のポーチなどを含めて)。奇妙なできごとが起こる家を離れないことで閉塞した緊迫が高まる。もう一つは脚本の絞り込み。テーマと離れる生活描写をそぎ落としていきなり主題に入る。このためいやおうなく「進行している超常現象」という問題だけが眼前におかれる。音楽もない。

監督・脚本・撮影を担当したオーレン・ペリはこれがデビューらしい。IMDBによればイスラエルからアメリカへの移住者で、この作品の推定予算は1万5000ドル(ざっと150万円)。このあと続編が2本制作されていながら、自身で監督したものはほかに現在編集中の "Area 51" しかない。マイク・リーや、とくにミヒャエル・ハネケをよく研究している印象を受けたが、さらに「ヴィデオ化が進んだ世代」にみえる。

もちろん弱点はいろいろある。ヒロインが受動的な恐怖と不満のネガティヴな表現ばかりなので次第に感情移入しにくくなるといった点を別として、おそらく最も多く挙がる声は「もっと速く」「もっと次々に」展開できないのかということだろう。むしろそれをしなかったことに意志と個性を感じる。

ただ、主人公の女性が怖がる表現はもっと省略できるかもしれない。いったん異様な現象が現実感を獲得して「なにかがいる」という文脈ができれば、あとは気配と痕跡だけで怖い。だからそれに対して泣き叫ぶ反応までつけ加える必要はない。蛇足になる。ほんとうの怖さは観客の怖れがもたらす緊張そのもののなかにある。怖れとは深く内在的なものだとわたしは思う。こわがる女の子を映す外面的な映像よりも、たとえば前のシーンで異常なことが生じた廊下を無言で映しながらゆっくり移動するほうが、さらに凄みが出ただろう。その意味で、最終場面でカメラが固定したまま、視野の外で何かが起こることはすばらしい。「想像させる」力を知っている。



メモリータグ■ヒロインを演じた俳優はあと15キロから20キロ体重を落として撮影に臨むと、キャリアがひらけたかもしれない。でもその体格にリアリティーがあった。