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うさこさんと映画

映画のノートです。
目標の五百本に到達、少し休憩。
ありがとうございました。
筋や結末を記していることがあります。

0418. あこがれ (1957)

2013年09月30日 | 1950s

あこがれ / フランソワ・トリュフォー
25 min France

Les Mistons (1957)
25 min  Directed by Francois Truffaut. Short story by Maurice Pons. Scenario by Francois Truffaut (uncredited). Cinematography by Jean Malige. Film editing by Cecile Decugis. Music by Maurice Leroux. Performed by Bernadette Lafont (Bernadette Jouve) .  Gerard Blain (Gerard).  Michel Francois (Recitant).



初期のトリュフォーの、ひそかに有名な短編。スカートをひるがえして自転車をこいでいく若い娘の映像だけが記憶に残っていた。その軽やかさと夏の光の追憶感がいまみてもすばらしい。舞台的な演出の型を重くひきずっていた20世紀前半の映像とはあきらかに違う、さらりと素直なみずみずしさがあふれてきた。でもこんなお話だったかしら。

原題はレ・ミストン、『悪童』というより『悪ガキども』(というしかありません)。名づけようのないわくわくした憧れと、未分化な嫉妬と敬意をそのままに “気になるお姉さんをひたすらつけ回した子供時代の夏休み” の悪ふざけが、回想とともに語られる。淡い喪失と夏の終わりと、未知の何かへの期待、いまもにがい少年期の思い出――と書くと、どこか男性作家の特権的な主題のようでもあるけれど、これを少女の眼にしてみれば、それはそれでなりたつに違いない。相手を傷つけて愉しんだ自分たち、どこかでみとめてほしかった憧れの相手に訪れた思いがけない悲劇。おお。

なんにせよ、少年の感性をとらえてトリュフォーの右に出る映像作家はそういない。リズミカルな編集もよかった。説明的なつなぎかたをすると、あの遠い追想の感じは出なかったろう。とても音楽的な映像だと思います。



メモリータグ■テニスをする恋人同士。白く輝くテニスウェア、陽光のなかで笑う娘の鮮やかさ。繁みでみている少年たち。






0365. 地球の静止する日 (1951)

2012年06月07日 | 1950s

地球の静止する日 / ロバート・ワイズ
92 min  USA

The Day the Earth Stood Still (1951)
Directed by Robert Wise. Produced by Julian Blaustein, screenplay by Edmund H. North based on "Farewell to the Master" by Harry Bates. Cinematography by Leo Tover. Estimated budget: $1,200,000. Performed by Michael Rennie (Klaatu), Patricia Neal (Helen Benson), Hugh Marlowe (Tom Stevens) and Lock Martin  (Gort).



この作品は、むしろ原作がひそかな名作だと思う。"Farewell to the Master”(あるじへの告別)という短編で、作者はハリー・ベイツ。1940年のシンプルなSFなのに、悲劇的な美しい宇宙人像や、その宇宙人より優位にある英明なロボットという像がいちはやくえがかれている。アシモフやクラークやディックに大きく先んじる独創性だった。同じ人物の遺体が二つ出てくる謎などはほとんどレムを連想する。なによりタッチがいい。人物の奥行き、知性、ある種の不透明な優しさや配慮の感じがすばらしかった。

映像のほうは――残念ながらあまり感銘はない。SF映画史上では古典のひとつで、たぶんよくできているのだろう。制作された1951年当時の米国の文化的コードに違和感が漂うのはしかたがないとして、手堅く演出されている。原作とは別に独自の筋が立てられ、これはこれでコンパクトにまとまっていた。原作が一人の書き手の柔らかなイマジネーションを刻んでいるとすれば、脚本は複数のプロの合理的判断を示している。有名な「反核SF」映画でもあるそうで、「科学倫理のメッセージ」によって成功したSFかもしれない。

絶大な科学力をもつ宇宙人クラートゥがロボットを伴って地球を訪れ、平和的な警告をしようとする。“地球は最近原子力を獲得したようだが、いずれ宇宙でそれを使うだろう、だが汚染や暴力はゆるされない。多くの星の協定で、重大な逸脱に対してはその星を破壊することも定められている。それをあらかじめ告げにきた”という。いわば宇宙連合大使である。大使さま、どうか東京電力へもご訪問ください。

ところが地球の(つまりアメリカの)軍はただちにこの大使を射撃して負傷させてしまう。アメリカ市民は地球侵略の風説や脅威論に傾き、政治家と軍事関係者は力によってしか思考できない。この状況下で宇宙からの警告の重要性を理性的にうけとめたのは唯一、科学者たちでした(笑)というのが物語の核になる。

クラートゥは宇宙連合の科学力を証明するために地球上の動力を30分間停止してみせたのち、彼を助けた一人の女性に挨拶をして平和に去っていく。この照れたような挨拶のカットを一枚はさんだのはよかった。

人物設定はスーパーマンの系列である。科学の論理的側面についての細部はなく、映像や特殊効果も歴史的な範囲にある。けれど第二次世界大戦時の核攻撃に多くの科学者が衝撃を受けていた時期にはタイムリーな企画だったろう。

いかなる破壊のこころみにも耐えるほど硬いというロボット――名前はゴート――はふにゃっとしたかわいいお人形。うーむ、どうみてもゴムだわ。周囲にたく さんのピアノ線が映ってしまったカットもある。ピアノ線を隠すのはたいへんで、一本ずつ刷毛やモップでつや消しを塗っていたらしい(汗)。多くの「特撮」 は、ほんとうに涙ぐましい奮闘の結果だった。

 

メモリータグ■それにしてもヒロインのパトリシア・ニールのややこしい巻き髪のヘアスタイルや襟元のボンボンはすごい。1950年代のアメリカのモードの古風さが伝わってきた。このあと1960年代に入るとモダニズムが席捲することになる。とても斬新だったろうとわかる。

 


0318. Il ferroviere (1956)

2009年09月08日 | 1950s

鉄道員 / ピエトロ・ジェルミ
118 min Italy

Il ferroviere (1956)
Directed by Pietro Germi. Written by Alfredo Giannetti, Luciano Vincenzoni and Pietro Germi. Cinematography by Leonida Barboni. Music by Carlo Rustichelli. Performed by Pietro Germi (Andrea Marcocci), Edoardo Nevola 1948 - (Sandro Marcocci), Sylva Koscina (Giulia Marcocci), Carlo Giuffrè (Renato Borghi) and Luisa Della Noce (Sara Marcocci).


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鉄道運転士のささやかな家庭に起こる離散、家族性の回復、父の喪失をえがいている。イタリアの、いわゆるニューリアリズムの系列に分類される作品らしいけれど、これはすなおに「人情物」でいいのでは。リアリズムという感じはあまりうけない。スタイリストの方針もそう。ちいさな雑貨店に勤める娘夫婦は、ぱりっとした若手実業家と美人女優にみえるし、年少の坊やは小公子フォン・トルロイのようにおっとりと品がいい――なにより、サイズのあった服を着ている。お給料が下がって暮らせないという台詞は口にされても、おうちにはテーブルクロスもエスプレッソも石鹸もある。たとえば『自転車泥棒』だと、奥さんはベッドのシーツをはがして質屋に入れちゃうという凄みがあるのですが(笑)。

でも、ていねいに、人物ひとりずつに愛情をこめて書かれた脚本だと思う。そのことがすべて。こじれてしまう対人関係の底にもおたがいに対する友愛がある、でも表現できないだけなのだという設定を崩していない。最後にはみんなわかりあえてしまう。だからこそ多くの観客に愛されたのにちがいない。娘と夫が仲たがいをした理由を洞察する奥さんの台詞は「これまで話をしてこなかったことが問題なのよ」というもので、なんだか対話の不在を分析するハーバーマスのように深遠なのです。

労働争議をあつかった小説や映画のうち、もうどれだったか思い出せないのだけれど、ストライキを断行している組合員たちの間に、経営者の娘が病気だという知らせがめぐってきて、重苦しい空気になる場面を思い出した。小説だったと思う。労働者たちは経営者に同情はするけれど、でも自分たちのお弁当のサンドイッチには、肉のかわりにチーズしか入っていないという。それは、男の自尊心をひどく傷つけることらしかった。そういう具体性は印象にのこる――食べ物だからでしょうか!?



メモリータグ■夫婦が眠る部屋の隅にちいさなベッドをおいて、末っ子もそこで寝る。





0303. Lebedinoe ozero (1957)

2009年07月18日 | 1950s

白鳥の湖 / ゾーヤ・トゥルビエワ
80 min USSR

Lebedinoe ozero (1957) aka. Swan Lake
Directed by Z. Tulubyeva. Performed by Maya Plisetskaya, 1925 - (Odette / Odile) and Nikolai Fadeyechyov (Siegfried). マイヤ・プリセツカヤ、ニコライ・ファジェーチェフ


『白鳥の湖』の、歴史上の版をひとつみてみた。このまえみた世紀末のロンドンの自主公演版とはかなり対照的に、こちらは20世紀冷戦時代のソ連が威信をかけた「国宝」としての上演である――ここで40年後のボーン版を上演したら、きっと火あぶりだわ(笑)。

映像は1950年代のボリショイバレエの公演をドキュメンタリーふうに編集したもので、おもな踊りをつなぎ、ナレーションで解説をそえている。おそらく当時のソ連当局が人民教育のためにつくった、一種のプロパガンダ作品ではないかしら。ときおり踊りの途中でもカメラが観客席にきりかわるのは、「最高の芸術をささえる、よき市民の姿」を演出しているのだろう(汗)。優雅なよそおいも多いこの人びとは、一般市民というより特権層に近いのかもしれませんが……。

画像や音声が古いことは問題にならない。二十世紀なかばの演出や上演状況をつたえる動画史料はすくないだろうし、この映像は、社会主義国が国家をあげて厳格な芸術教育制度をうちたてた時代の空気をただよわせて、不思議な価値をおびてみえる。ここに映っている観客や踊り手の多くは、もう生を終えたのにちがいない。どんな人生だったのかしら? やすらかに死ねたのかしら?

ソヴィエト連邦は――複雑怪奇で悲惨な粛清の論理をともないつつも――まえの時代の芸術資産の多くを保護する方向でうごいた。否定された活動も多かったいっぽうで、ひとたび肯定された作品が、あからさまな政治性をおびた内容に改竄されることはあまりなかったようにみえる。たとえばスターリンの権威で悪魔がおいはらわれ、白鳥が自由になるといったレヴェルの修正は耳にしたことがない。そこは共産期の中国とことなる点だったのだと気づいた。

なんであれプリセツカヤはこのとき三十代、登場しただけで場内から長い拍手がわく。やわらかな腕のうごき、こまやかなパ、強靭な表現、おそろしくりっぱな、堂々とした白鳥だった。なにより二十世紀なかばのモスクワの人びとは『白鳥の湖』という作品が心底好きだったのだろう。終幕でジークフリートがロトバルトの羽をひきちぎった瞬間、これも割れるような拍手がひびいておどろいた。この場内の熱い一体感は演出とはおもえない。

三幕ではダイナミックなピルエットがみられるけれど、意外なことにあの有名なグランフェッテはなかった。あれは二十世紀後半にはじまった「ほんの近年の流行」にすぎないの? いまでは40回以上まわることも多いようだけれど――バレエに縁遠いわたしは、たまたま目にしたオペラ座のデュポンの公演で、ピエトラガラがあっさり40回はまわるのをはじめてみて、あぜんとした記憶がある――。これはそうした技巧性を前面に出した競いあいにいたるまえの美的基準をおしえてくれる上演記録でもありそう。バレリーナたちの体形も、がいして今よりふっくらしてみえた。

白鳥といえば女性、黒鳥といえば32回転。まるで絶対のように思いこんでしまう数かずの「常識」も、じつはみるみる変わりつづけているとわかる。そもそもチャイコフスキーの初演当時、『白鳥の湖』は酷評されたのだとか。「単調で退屈」ですって! なんだか愉快ですね。



メモリータグ■モスクワの装置は布が主体。ちょっぴり紹介される舞台裏がたのしい。





0207. Witness for the Prosecution (1957)

2007年06月26日 | 1950s

情婦 / ビリー・ワイルダー
116 min USA

Witness for the Prosecution (1957)
Directed by Billy Wilder, adapted by Larry Marcus based on the play by Agatha Christie. Cinematography by Russell Harlan. Costumes for Miss Dietrich by Edith Head. Performed by Tyrone Power (Leonard Steven Volel), Marlene Dietrich (Christine Helm/Vole), Charles Laughton (Sir Wilfrid Robarts, lawyer), Elsa Lanchester (Miss Plimsoll, nurse).


冒頭でバッキンガムやエッフェル塔がでてくると、逆にアメリカの映画の匂いが漂う。いかにも観光的なのだ。ここでもロンドンの光景をなめていくカメラワークをつうじて、台詞が始まる以前にイギリスの映画ではないことがわかる。舞台が日本であれば? やはりゲイシャがでてくるのかしら(笑)。

ディートリッヒが知的な魔物のように「検察側の証人」を演じた有名な作品。この女優の妖艶さを消し去って、怜悧な刃物にしたててみせたワイルダーの判断はすごい。

弁護士を演じたチャールズ・ロートンが魅力的だった。階段にとりつけたエレベーターで上がり下がりをたのしそうにくりかえす小児性から、法廷弁護士としての海千山千の技術まで、えがきこまれた人格の幅がたくみに表現されている。雰囲気は、ちょっとヒッチコックに似ています。



メモリータグ■この弁護士は、依頼者の目に鏡をあてて、その人物の「正直さ」を判定する習慣をもっている。まったく動じない被告。ひどくわずらわしそうに視線をはずす検察側の証人。




0156. Detective Story (1951)

2006年10月15日 | 1950s

探偵物語/ウィリアム・ワイラー
103 min USA

Detective Story (1951)
Directed by William Wyler (1902-81), based on a play by Sidney Kingsley. Cinematography by Lee Garmes. Performed by Kirk Douglas 1916-(James 'Jim' McLeod), Eleanor Parker (Mary McLeod), William Bendix (Lou Brody), Lee Grant (Shoplifter), Cathy O'Donnell (Susan), Craig Hill (Arthur).

Ref. Other works by Wylers: The Best Years of Our Lives (1946), Roman Holiday (1953).



原作は舞台劇。ほとんど一つの空間を使い回して「刑事の仕事」をえがくコンパクトさで、一日の群像劇をつくっている。つぎつぎと容疑者が連行されてくる。それぞれの事情がある。いまの『ER』や『24』などからわたしたちが受けるスピード感にちかいものを、当時のひとは感じたのでは。

最後は、撃たれた刑事のために救急車が呼ばれようとする。でも、それより牧師を呼んでくれと本人がいう。すると、即座に同僚が牧師に電話をかけるのにはおどろいた。まるで、吐きそうなのでトイレにつれていこうとしたら、それより洗面器だといわれたみたいにあっさり了解してしまう。

「おれ、もう死ぬから医者いいよ」「あっそう」みたいな。

もちろん映画の話ではあるのだけれど、この反応は当時、自然だったのでしょうか。わたしが同僚だったら救急車以外の選択肢はありえない気がするけれど、「そうか、まにあわないか」という瞬時の合意が、ここでは成立している。戦争が終わってまもないころで、誰もがまだ死を濃密に記憶していたの? 死というものの明確な手ざわりが、あのひとたちにはあったのだろうか。

隣りにたたずむ生きものが、たったいま呼吸の間合いを変えたと知るように、急速にちかづいてくる死の速度を本人が計れるなんていうことは、きっともうない。いまは死は遠い。死の感触が遠ざかるとき、逆に、死へむかう生の怖れが膨張する。それはそれでくるしい。この映画のように、「坊さんを呼んでくれ」「よっしゃ」というふうには、なかなかいかないものだろうし。



メモリータグ■エリノア・パーカーは「美人女優」なのだろう。"わたしって、つめたい顔がすてきでしょ"という表情が不思議だった。怒って、傷ついて、なにもかもを失おうとして、はげしく混乱しているはずの場面なのに。



0149. Paths of Glory (1957)

2006年09月14日 | 1950s

突撃/スタンリー・キューブリック
87 min USA

Paths of Glory (1957)
Directed by Stanley Kubrick based on a novel by Humphrey Cobb. Cinematography by
Georg Krause. Performed by Kirk Douglas, 1916-(Col. Dax), Ralph Meeker (Cpl. Philippe Paris), Adolphe Menjou (Gen. George Broulard), George Macready (Gen. Paul Mireau), Wayne Morris (Lt. Roget/Singing man), Richard Anderson (Maj. Saint-Auban), Joe Turkel (Pvt. Pierre Arnaud) and Christiane Kubrick (German singer).



最後に酒場のドイツ娘がつたない愛の歌を歌い、フランス軍の兵士たちがハミングで唱和して、涙を流す場面はなんとなく記憶にあった。遠いなあ。キャプラやカルネや……。

第一次大戦当時のフランス軍。軍上層部は強引な攻撃命令が失敗した責任を現場に転嫁するため、敵前逃亡という冤罪で三人の兵士を銃殺する。弁護士の連隊長がけんめいの弁護をこころみるけれど、むくわれない。この連隊長をカーク・ダグラスが演じる。酒場のかわいい女の子はキューブリックの奥さんですって。

全体に、まだ戦前の映画のストイックな語法がていねいに踏襲されている。モノクロのきまじめさ。映画がカラーになり、超拡大路線にむかうのは1960年代からなのだろう。この3年後に『スパルタカス』がリリースされることを考えると、急激な変化に驚く。それにしてもこの安定したできばえ……。

こじつけた帰結がないことに好感がもてる。無意味な処刑の結果を、論理としての正義で回収することなどできるはずがないのだ。死は回復できない。食べつくされたケーキのように、生きていたものはあとかたもなく消え、どこにもいなくなる。



メモリータグ■司令部がおかれた広いシャトー。天井が高い。シンプルな、昔の映画らしい映画の空気が出ていた。この空間はいまもあるのだろう。建物は、動物よりも長寿だ。生きている者はそこをすたすたと通り過ぎる。





0148. The Killing (1956)

2006年09月12日 | 1950s

現金に体を張れ/スタンリー・キューブリック
85 min USA

The Killing (1956)
Directed and screenplay by Stanley Kubrick based on a novel by Lionel White. Cinematography by Lucien Ballard. Performed by Sterling Hayden (Johnny Clay), Coleen Gray (Fay), Vince Edwards (Val Cannon), Jay C. Flippen (Marvin Unger), Elisha Cook Jr. (George Peatty), Marie Windsor (Sherry Peatty), Ted de Corsia (Randy Kennan), Joe Sawyer (Mike O'Reilly) et al.



天才。1928年生まれのキューブリックはまだ二十代なかば、緻密で冷静な演出はやはり抜きん出ている。犯罪がしくまれていく段どりをノンリニアなドキュメンタリータッチの演出でおっていく。シーンのくりかえしなどは出るものの、果敢な実験だったろう。「完全な犯罪」計画の、どこで破綻が始まるかをこちらも緊張しながら観ていられた。うまくいくはずがない、という不安定さが確実に深まっていくようにできているのだ。やっとの思いで得た大金が風に吹き飛ぶシーンは、ながらく定番になったよう。

絵に描いたような「悪い妻」のシェリー、その妻を溺愛している気のちいさい夫のジョージが人間的な味を添えてくれる。マルの『死刑台のエレベーター』の洗練されたエレガンスはすばらしいけれど、この作品のトーンをつくっているみじめさもいい。原作はライオネル・ホワイトのハードボイルド、"Clean Break"(『完全なる消散』)。



メモリータグ■夫が撃たれて戻ってくると、いかにも迷惑そうにシェリーは言う。「ジョージ、撃たれるなんてばかねえ、外へ出てタクシーを拾いなさいよ」。このひとが、いちばんハードボイルドかも(笑)。




0041. War and Peace (1956)

2005年07月05日 | 1950s

戦争と平和/キング・ヴィダー

War and Peace (1956)
Directed by King Vidor. Audrey Hepburn (1929-93) as Natasha, Henry Fonda as Pierre, Mel Ferrer as Andray.


ひどすぎる。これほど膨大なコストをかけて、あの原作を子どもだましの紙芝居にしてしまう幼稚さはあんまりです。『武器よさらば』よりさらにひどい。


0004. Suddenly, Last Summer (1959)

2005年05月29日 | 1950s

去年の夏、突然に/ジョゼフ・L・マンキウィッツ

Suddenly, Last Summer (1959)
Directed by Joseph L. Mankiewicz Tennessee Williams (play), Elizabeth Taylor 1907- as Catherine Holly, Katharine Hepburn 1932- as Mrs. Venable, Montgomery Clift 1920-1966 as Dr. Cukrowicz. Costume Design Norman Hartnell (costumes: Katharine Hepburn) , Jean Louis (costumes: Elizabeth Taylor)


キャサリン・ヘップバーンとエリザベス・テーラーにそれぞれべつの衣装デザイナーがついているのがいかにも当時らしい。テーラーというのは、いつ見てもべったりした厚化粧しか記憶に残らない女優で、異様に表情のないこの女性をスターとするハリウッドそのものの異様さが強い印象を与える。彼女はこの時点でまだ二十代後半らしいのに、死人のように老けている。

テネシー・ウィリアムズの原作なので、基本的に台詞劇。言葉で深いところに入る力はある。悪魔的なものにまで迫りたかったのだろうけれど、それはどうかな。アメリカの映画界としては当時、せいいっぱいの「インテリ劇」だったろう。姪のロボトミー手術を依頼する富豪の未亡人と、未亡人が溺愛していた息子の死について何かを知っているらしい姪。20世紀前半のアメリカにおけるフロイト、脳手術、精神科への関心は通俗的に広く浸透していたことが、さまざまな作品から見てとれていつも驚く。このルートはどこから来ているの?

モンゴメリー・クリフトは太陽のあたる場所で共演して以来だろう、同性愛という当時の禁忌は彼には重かったらしく、のちに厳しい死に方をしている。

Ref. (from IMdb) "By that time he was an accomplished actor, notable for the intensity with which he researched and entered into his roles. He was also by that time exclusively homosexual, though he maintained a number of close friendships with theatre women (heavily promoted by studio publicists). and he was set to play in Taylor's reflections in a Golden Eye (1967), when his companion Lorenzo James found him lying nude on top of his bed, dead from what the autopsy called "occlusive coronary artery disease"."



■メモリータグ:温室、白い水着