うさこさんと映画

映画のノートです。
目標の五百本に到達、少し休憩。
ありがとうございました。
筋や結末を記していることがあります。

0393. ツリー・オブ・ライフ (2011)

2013年03月30日 | カンヌ映画祭パルムドール

ツリー・オブ・ライフ / テレンス・マリック
139 min USA

The Tree of Life (2011)
Written and directed by Terrence Malick. Cinematography by Emmanuel Lubezki. Original Music by Alexandre Desplat. Production Design by Jack Fisk. Art Direction by David Crank. Set Decoration by Jeanette Scott. Costume Design by Jacqueline West. Performed by Brad Pitt (Mr. O'Brien), Sean Penn (Jack), Jessica Chastain (Mrs. O'Brien). Estimated budget: $32,000,000. Gross: $13,303,319 (USA) (21 October 2011)


監督がテレンス・マリック、タイトルが『生命樹』と聞いた時点で覚悟はしていた。つまり、ある種の特異な冗長性についての覚悟です。でも見始めて、まだ覚悟がたりなかったことがわかった(笑)。

この作品は映像につきる。時間そのものを映し込んでは破砕していくような大胆な美しさで、光の揺らしかた、匿名的なアングル、カメラワーク、編集、そのどれにも才能が刻印されている。子供たちや母親の表情、官能的な水の表情、それぞれに感嘆するものがあって、ふつうの撮影ペースで撮っていてはどうみても撮れそうにないショットが多かった(案の定、赤字だそう)。撮影はエマニュエル・ルベツキ。2011年カンヌ映画祭パルムドール。

テーマはなにか――「ひとつの家族のいとなみを軸に、生命とはなにかを問う映像叙事詩」とでもいえばいいのか――ミクロコスモスとマクロコスモスを行き来しながら、神への問いかけがつづく。「宗教映画」とまで書いていた紹介もみたけれど、それはどうかな。しいていうなら有神進化論的な世界観ではあるだろう。でも生命はわたしたち生き物にとって普遍的な主題なので、とくに意識しなくても観られるように思う(なんにせよ恐竜まで登場するのです……)。

「家族の歴史」と「自然の歴史」はもうすこし有機的にリンクさせることができた気がする。子供たちを抑圧していた父親の謝罪も調和的に過ぎる。なにより根本的に長い。それでもたいへんな労力をそそいだ作品であることはたしか。

母親役のジェシカ・チャスティンは非常によかった。主演は最初の時点ではヒース・レジャーだったらしい。それは・あまりにも・正しい。実現しなかったことはこの映画のために残念です。役柄は古いアメリカの支配的な父親像で、結果的にブラッド・ピットが演じている。美術は詩的。女性の衣装は醜い。記号はまちがっていないのだけれど醜い。




メモリータグ■庭の大樹。

 

 

 

 


0392. シェイム (2011)

2013年03月23日 | 2010s

Shame シェイム / スティーヴ・マックイーン
101 min UK

Shame (2011)
Directed by Steve McQueen. Written by Steve McQueen and Abi Morgan. Cinematography by Sean Bobbitt. Film Editing by Joe Walker. Performed by Michael Fassbender (Brandon) and Carey Mulligan (Sissy). Estimated Budget: $6,500,000. USA Gross: $4,000,304 (20 April 2012).

 

性的な題材を扱って独創性を出すことは、現代ではとても難しい。ほとんどの禁忌が消費されつくしているから。今回、主人公の一連の代償行為だけでこれほど遅い展開をとるのであれば、映像そのものに優れた文体がほしかった。「抑圧に苦しむ者の性的異常」を一つずつ行為だけで伝達するならそれなりの強度と逸脱が必要になるが、それはそれでやることが普通すぎる。なんにせよずいぶんまじめな話で、UKカウンシルから制作費の支援を得ている。イギリスのインディーズ系作品。

それでも、内面的な主題を台詞の補助なしに提示したことは評価したい。クライマックスも努力していた。とはいえ、あと一歩弱い。兄妹間の性的欲望が主題なら、実現して破滅するほうが迫力があったろう。ここでは兄は最後まで妹を拒絶し、妹は自傷行為にいたる。兄は以前のような過剰性欲を発揮しなくなる。おしまい。主題の追い込みが浅い。

もしこのクライマックスを撮りなおせるなら、具体的にどうするか――浴室で、妹が自分の手首を切りながら兄に性行為を強要する。浴室に血が流れ出す。兄は抑圧と恐怖にのたうちながら妹の自傷を阻止しようと揉みあい、両者はしだいに血にまみれつつ、恐慌的に性行為に移行する。結末は? 妹は意識不明。兄は崩壊した表情。自死と倒錯と暴力と抵抗と愛の行為を極限状態で重ね合わせたあとは、みじかく締めくくる。そのほうがインパクトが得られた気がする。現実ではしてはいけません。でもアートでは現実を凝縮しないと。現実を超えないと。

ノミネートされて逃した賞も多いようだけれど、ヴェネチア映画祭では国際映画批評家連盟賞と男優賞を得ている。監督のスティーヴ・マックイーンはこれが長篇2作目、アフリカ系イギリス人、ロンドン生まれ。主演のファスベンダーは献身的な肉体労働が評価されたのだろう。特別な集中力はあまり感じられなかった。冒頭から表情を作ってしまっている(俳優にとって自意識の克服は大きな課題かもしれない)。推定予算は約6億5000万円(650万ドル)。

追記:Imdbでは上映時間101分。日本のキネノートでは90分。10分も差があるのは、たんなる記載の誤り? それとも大幅なカットがあるのかしら。

 

メモリータグ■BGM。平均律はともかく、すべての映画でグールドのゴルトベルク(1982)は禁止にしては。もはや使われすぎて、恥ずかしさのあまり台無しになった場面がまた一つ。それとも主人公はじつはレクター博士だったのでしょうか? 教えてくれ、クラリス。

 

 


0391. イングロリアス・バスターズ (2009)

2013年03月16日 | 2000s

イングロリアス・バスターズ / クエンティン・タランティーノ
153 min USA | Germany

Inglourious Basterds  aka. Inglorious Bastards (2009)
Written and directed by Quentin Tarantino, 1963- USA. Cinematography by Robert Richardson. Film Editing by Sally Menke, Production Design by David Wasco. Art Direction by Sebastian T. Krawinkel. Performed by Brad Pitt (Lt. Aldo Raine), Melanie Laurent 1983- (Shosanna), Christoph Waltz (Col. Hans Landa), Eli Roth (Sgt. Donny Donowitz), Michael Fassbender (Lt. Archie Hicox), Daniel Bruhl (Fredrick Zoller), and Diane Kruger (Bridget von Hammersmark). Estimated Budget: $75,000,000. US Gross: $120,523,073 (USA) (11 December 2009) by Imdb.

 

タランティーノ、全開。あいかわらずの喰えんちん、まじめさが足らんティーノ。でも才能は足りている。ナチス占領下のフランスが舞台なのだけれど、真剣さと悪ふざけの混合率が絶妙で、こんなのってあり? と顰蹙の連続で笑わせながら、したたかに物語を運んでみせた。緊迫した場面の演出力はたいへんなもの、そのくせ思いきりでたらめな選曲もすごい。

もちろん暴力的です(きっぱり)。R15。でもキメラあるいはキッチュ(あるいはパロディー)であることが、あちこちで宣言されている。どこかで一枚たがをはずす。それはこの作家の風変わりな心遣いでもあると思う。あの戦争を誰の側からえがいても、かならず誰かを傷つける。だから、ほんとうのことを言うときも「ただの悪ふざけさ」とタランティーノは肩をすくめる。ぜんぶ嘘だよと。そういう深いところで、このひとは信じていいと思える作家。じつはまじめさも足りているのです。

キメラという点では役者もさまざまにおもしろかった。ポリグロットのドイツ将校を演じたクリストフ・ヴァルツは高評価を得て、カンヌ映画祭と米国アカデミー賞の両方で男優賞を制している。このひとをはじめ、全体にみなさんしっかり「役者」なのですが、ひとりブラッド・ピットだけは「スター」。役者になろうとあまり力まなくてもよかったかもしれない。たぶん役作りのイメージはボガートあたり。あの投げ出すようなつぶれた喋り方で、どの場面もひたすらがんばる。でもパロディーとしても無理なものは無理というか、正直ミスキャストと思うけれど、とにかく努力はしている。おそらく彼が出ることで興行的な保証が変わるのだ。

フランス育ちのユダヤ女性を演じたメラニー・ロランはとてもスクリーンに向いている。まだ十代のころ映画のセットを見にいっていてドパルデューの目に止まり、デビューしたという経歴を読んでなっとく。『トロイ』でヘレン役を担当していたダイアン・クルーガーがドイツ女優の役で登場。え、このひとドイツ語すごく自然では、と驚いたらドイツ人でした(笑)。今回のほうがはるかによかった。日頃「ハリウッド俳優」を演じていたひとたちが、ここではヨーロッパ人の顔に戻っているのが印象的で、ああそうだったのだと。

おしまいに、いまなおナチに扮しては惨殺される役をまじめに演じつづけるドイツの俳優たちに謹んで一礼。つらかったでしょう、ありがとうございました。この作品は「バスタード」である無頼なユダヤ人特殊部隊がナチ狩りをしていく話なのです。

 


メモリータグ■昔の映画館。作品名のロゴを、ひとつずつ手で並べていく。愉しい。


 

 


0390. 少年と自転車 (2011)

2013年03月09日 | カンヌ映画祭審査員大賞

少年と自転車 / ジャン・ピエール・ダルデンヌ、リュック・ダルデンヌ
87 min Belgium | France | Italy

Le gamin au velo (2011)
Written and directed by Jean-Pierre Dardenne and Luc Dardenne. Cinematography by Alain Marcoen. Digital film coloring by Raphaelle Dufosset. Performed by Thomas Doret (Cyril Catoul), Cécile De France (Samantha), et Jeremie Renier (Guy Catoul).  

 

ブルーの濃淡を背景に少年の赤いTシャツが鮮やかに動いて、深みのある美しい映像がつづく。『赤い風船』を思い出した。デジタルフィルムの色彩担当、ラファエル・デュフォセの腕前も大きいのかもしれない。

ダルデンヌの繊細で新鮮なタッチは健在。淡々としているけれど、なみの演出力ではこうはいかない。編集も大きめの歩幅で独創的な展開感を出していた。原題は『Le gamin au velo(自転車の少年)』。2011年カンヌ映画祭審査員グランプリ。

例によって結末をどうみるか。父親に棄てられた少年のみじめさを厳しく追い込んでいったあとで――そこまでダイアローグもふくめて非常によかった――とつぜん調和的にゆるめる。緊張感は大幅に消えた。2005年の『ある子供』のときほど、すとんと弱いわけではなくて、劇的な帰結を徹底的に避けて日常性を重視するのがダルデンヌのスタイルなのだろう。でも映像としての強い終止表現というものはあるはず。やはり惜しい。優しすぎて残酷になれないのかもしれない。

この題材とこのタッチだと、やはりトリュフォーの『大人は判ってくれない』(1960)が頭に浮かぶ。結末の表現の違いと共に、あわせてご覧になるのもおすすめかもしれません。

 

メモリータグ■少年の手に戻ってきた「パパが買ってくれた自転車」は、もう少年の体には小さくなりかけている。何年前に買ってもらったものなのか、それを宝石のようにたいせつにしているありさまが、泣きたくなるほどせつない。さすがだった。 

 

まったくの余談■最後のクレジットに流れるピアノは誰なのか、ついそちらを聴いてしまった。「わたしは世界で最高のコンサートピアニストの一人です」と音に書いてある(笑)。一音一音ちょっと異様なほど表情があって、同時に成熟していて、では惹かれるかというと必ずしもそうではないのだけれど、ようするにプロ中のプロ。検索するとやはりブレンデル。うーん、結局そういうことなのね。楽器は限界くらいまで華やかな音色に調整されているいっぽう、中高音部のキーに少しばらつきがあって、かなり弾き込まれたよく鳴るハンブルクスタインウェイ……たぶん。(自信はありません)。

 

 

 


0389. アレクサンドリア (2009)

2013年03月02日 | 2000s

アレクサンドリア / アレハンドロ・アメナーバル(aka. アメナバル)
127 min | 141 min Spain

Agora (2009)
Directed by Alejandro Amenabar. Written by Alejandro Amenabar and Mateo Gil. Cinematography by Xavi Giménez. Production design by Guy Hendrix Dyas. Art direction by Frank Walsh. Costume design by Gabriella Pescucci. Performed by Rachel Weisz (Hypatia), Max Minghella (Davus), Oscar Isaac (Orestes), Michael Lonsdale (Theon). Estimated budget by Imdb: $70,000,000. USA gross: $617,840 (15 October 2010)

りっぱな作品だった。これほど政治的に歓迎されない描写(すなわち商業的に危険な姿勢)を貫いた制作関係者の信念に、つつしんで敬意をささげます。最高点。

脚本と監督はアレハンドロ・アメナーバル。原題は『Agora(アゴラ)』。五世紀初頭のアレクサンドリアで活動した女性の科学者・哲学者ヒュパティアを取り上げている。エジプト古代宗教教徒、ユダヤ教徒、キリスト教徒が抗争をくり返すなかで415年にキリスト教の僧侶たちに虐殺された史実で知られる。これを見て「あのひとたちはつくづく愚か」と嘲笑するか「わたしたち人間はいつも愚か」と感じるかはひとによるだろう。普遍的な観点をとったほうが生産的ではありそう。

でも異なる思想を尊重できないなら宗教など持たないほうがいいと、この作品から教えられることも確かです。作中ではヒュパティアが天体の運行について実験と考察を重ねる姿や、襲撃直前のアレクサンドリア図書館から必死で書物を運び出すありさまがえがかれていく。思想的には、自己の信念を曲げなかったことで知られている女性でもある。

美術も衣装も装置も一流。ときに大胆なカメラ使いも興味深い。レイチェル・ワイズはこの作品に出てほんとうによかったと思う。「単純に正義を楽しむ娯楽作」でなくていいとお思いになるかたは、ぜひご覧になってみてください。

 

メモリータグ■三次元軌道の楕円は俯瞰で円にもみえる。

 

細部についての作外の余談:「神の言葉であるから従え」と聖書を持ち出して歪んだ政治力を行使するキリスト教の司教キュリルが引用するのは、いわゆるパウロの書簡のひとつ。ただ、じつをいえばあれは新約聖書のなかでも副次的な位置づけの文書でしかない。でも引用を聞いた市民はその事実を検討することも反論することもできない。なにしろ手元に聖書がないのです。あまりに一方的なこの不均衡が改善されるには、単純化していうならルターを待たなければならない。

引用のおもな箇所は「婦人が教えたり、男の上に立ったりするのを、わたしは許しません」だった。テモテへの第一の手紙第2章12節です。いやはや。初期キリスト教会は、古代ギリシア社会などとくらべれば女性に人間としての基本的権利を認めたいっぽう、おもにパウロが各地の教会に書き送った書簡をつうじて女性にこまかな制約を課したことでも知られる。たとえば「男も女もない」といった平等宣言があるかたわら「婦人は教会のなかではかぶりものをつけなさい」といった、今日からみれば差別的な文言が残されている。

それらは時代的な文脈のなかで理解するべきものとされ、一字一句遵守する読解はおもだった教会ではとられていない。それでも読むだけで不愉快? そう、わたしも心がざりざりする。じつは教会で式を挙げる花嫁のヴェールも、パウロの「かぶりもの」指示からきている……(汗)。とはいえ2000年前の実務的文献に、いまも使える箇所があるほうがむしろ不思議ともいえる。ヴェールも、現代ではひとつの文化的慣例としてその名残りをとどめているにすぎない。コスチュームプレイであるととらえて、お式をなさるかたはのびのびどうぞ。そもそも儀式とは遊戯なのです。と、話がそれました。この映画が国内外で大きな賞を受けていないことはほんとうに不思議で、キリスト教に批判的な主題であったことが(すくなくともアメリカ国内では)影響したろうとわたしは思っています。