映画と音楽そして旅

主に懐かしい映画や音楽について…
時には新しい映画も…

(妄想ひとり旅) (6) 人気列車集結!

2006-03-23 00:12:01 | 旅 おでかけ
 孫がどこからともなく出してきたのが「681系サンダーバードでした。これは北陸本線で従来の「雷鳥」に代わる新世代特急列車として、JR西日本が民営化後に始めて開発した列車で、大阪ー富山間で活躍しています。
 先頭車両など合わせて6両編成の列車は明るいクリーム色に統一され、パンタグラフなど細かい部分も精巧に作られています。私は平行する国道を走っていたら、いつもこの列車の前身「雷鳥」に追い抜かれていました。
 その後国道バイバスが出来て車のスピードは出るようになりましたが、「サンダーバード」は更にスピードアップされ、最高速度160km/hも出るそうでとてもお付き合いできません。
 もう一つが私にとって今でも憧れの{トワイライト・エキスプレス」です。この列車は正午に大阪を出発して早朝に札幌に到着する長距離寝台特急です。
 {たそがれ}迫る日本海などJR各社の13線区を、まるでオリエント急行みたいなデラックスな気分で一気に走り抜けるのです。
 札幌へはジャンボ機で一っ飛ぶびでしたが、たまにはこんなゆっくりした旅もいいと思います。
 さて!遠くへ行きたい!知らない町へ‥夢はは果てしなく‥
  <行く先々で 想い出すのは‥> そう、あの青春の1ページです‥
  でも肝心のモノが‥?あってもなくても‥参加できると云う‥
    新企画「モーソー・ツアー」がいよいよスタートします。
  
    明日はこのツアーの「始発駅」の「下見」に行きたく思います。
     
 

(妄想ひとり旅)(3) 我が家のSL

2006-03-22 00:18:23 | 音楽
 こんなことを考えていると急に旅に出たくなりました。
 我が家の大蔵大臣兼ソージ大臣の家内に提案すると、「この間草津温泉へ行ったばかりやがな‥忘れたらあかんし‥」と一蹴されました。「それもそやな‥まだそれから2週間しかならんがな」と落ち込んでいる私に向かい、なにかごそごそしていた家内は「これででも遊んでたらどーや」とボール箱をドサンと置きました。
 それは以前に私が「孫」達に買ってやった鉄道模型でした。最近は孫たちも飽きたのかあまり使われていないようです。
 おもちゃとはいえNゲージの正規の模型で、一時は六畳間を占領して孫を相手に「営業運転」をしていた実績もあります。鉄道模型とかプラモデルの類は、子供に買ってやったつもりが、実はいつの間にか子供よりも大人の方が懸命になる‥と言う「伝説」がありますが、我が家では大人も子供もクールなのか、それ程のめりこむこともなくここしばらくお蔵入りしていました。
 しかし過去の輝かしい栄光を背に我が家のSLは、再び「陽のあたる場所」へと、復活の日を迎えたのであります。久しぶりに触った金属製の「D51」蒸気機関車は、やはりずしんと重量感があり何か子供時代にタイムスリップしたような感じになりました。
 遠い昔に親戚の叔父さんにお年玉や贈り物でも貰った時のような、ワクワクした感覚が甦ってきました。思わず我が年齢も忘れて「童心」に帰った私の身辺に、なにか「変事」が起きそうな予感が‥

(妄想ひとり旅)(4) 懐かしのブルー・トレイン

2006-03-22 00:17:26 | 旅 おでかけ
 それにしても機関車はあったけど私が乗る客車はどれやねん‥ああ!あったぞ!
懐かしのブルー・トレイン‥でもこれはEF系の電気機関車が牽くはずなんだが‥電気系統が故障して動かなくなったのかも判りません。
 この[EF66]系の直流電気機関車は東京ー九州連絡の特急車両用で、従来「EF65」系に比べて出力が高くスタイルが抜群にスマートなのが特徴です。がこの機関車が見当たりません。
 しかし電気機関車がなければ仕方ないし、「D51」にでも牽いて貰うことにしました。蒸気機関車「D51」‥愛称「デゴイチ」は1936年(昭和11年)以来1115両も量産された貨物用標準型機関車で、4個の主動輪とバッファローのような力強い姿には憧れを感じましたね。
 関西は電化が遅れていたのか1970年代でも、関西線や参宮線あたりではジーゼル列車に混じってSLも結構走っていました。その頃私はあのあたりの国道をSL列車と平行して走ったことをよく覚えています。

 

(妄想ひとり旅) (1) さらば!寝台特急「出雲」

2006-03-21 00:22:48 | 旅 おでかけ
 先日JRの寝台特急「出雲」が1956年にデビュー以来、半世紀にわたる役目を終えるて引退することになりました。
3月17日17時43分、出雲市駅では、赤いボデイの機関車に牽かれた列車が、多数のフアンに見送られながら東京を目指し、最後の旅に出発して行きました。
 私はこの列車に乗ったことはありませんが、かって雄姿を誇ったブルー・トレインが合理化の名の下に一つ、また一つと消えていくことに言い知れぬ寂しさを感じます。 (写真は新聞記事から‥)

(妄想ひとり旅)(2) Oh!懐かしのSLよ!

2006-03-21 00:20:56 | 雑記帖
 引退する列車もあればその一方で先日は大井川鉄道のSLが、元気に営業運転している姿が映り大変心強く感じました。この鉄道の蒸気機関車はC11で石炭や水は機関車自体に積込んまれているため、炭水車が連結されていないのが特徴でした。
 この型式のSLは私が住んでる町に、旧国鉄の路線が走っていた頃に使われていたSLでした。たった二両の客車を牽きながらかなりきつい勾配を喘ぎながら、今にも止まりそうなゆっくりした速度で登っていく姿は、勇壮といったイメージには程遠くなにか悲壮感さへ漂っていました。
 今は第三セクターとなり明るく軽快でスマートになったジーゼル・カーが学生や通勤客を運んでいます。
   (写真は本文の内容と関係ありません)
 

(100円CD)(1)結婚行進曲(メンデルスゾーン)

2006-03-20 00:10:18 | 音楽
 昨年のこと時々行く100円ショップで不思議ななものを見つけました。「クラシック・ホーム・コンサート」と云うアルバムで、バラ売りOKでしたので試しに「5枚だけ」買って帰りました、
 捨てても500円‥それらしき音楽が流れればOK‥それは掘り出し物‥と云う軽ーい気分で買って帰りました。その中の一つが表題のメンデルスゾーン「結婚行進曲」です。
 長女が結婚するときに「チャペルで挙式する‥」と云い出し、古いタイプの私は吃驚仰天でありまして‥でも先方のご両親も承知されているとのことなので、新しいムコ殿へも理解のあるところを見せたくて、若い二人の言う通りに致しました。
 最近は増えてきましたが親子が入場のときの「ウエディング・マーチ」挙式の際の「賛美歌」「フラワー・シャワー」など変わった体験も、当時は珍しかったので昔風の気難しい親戚の人たちにも、意外に好評でホッとしたのを覚えています。
 このCDに収録された「結婚行進曲」は有名なメンデルスゾーンの、歌劇「真夏の夜の夢」1842年の作品だそうです。
 長女の結婚の時には若い二人が披露宴の会場へ入ってくる時に流れましたが、華やかなムードを演出する上において効果的でした。
 さて、問題はこのCDの出来具合ですが、あの時の雰囲気を思い起こすような気分もして悪くはなかったですね。音質とか録音やノイズがどうの‥と云うと、知った人から見るとそれは大いに問題あり‥かも判りませんが、自分ひとりでこっそりと聴く分にはいいんじゃないか?と得心しています。
 ああ、そーです。実はこの音楽は、どこのオーケストラが演奏したものかさっぱり判らないのですよ。勿論、解説書などもありません。
 「100円」なんですから仕方ないですねぇー。きちんとした正規の盤が欲しければ「十字屋」さんへ‥と云うところですが私はこれで十分納得ですよ‥。
 この音楽は紛れもない「結婚行進曲」でしたから‥
 

(映画音楽)(81)「To Love Again」/ショパン「夜想曲第2番」(映画「愛情物語」)

2006-03-19 00:03:39 | 映画音楽
、 この映画は若い頃に観た「グレン・ミラー物語」を想起するような、数々の珠玉の名曲がちりばめられる中で、夫婦愛あるいは親子愛を描いた感動的な作品でした。主人公のエディ・デューチンと云うピアニストは、私が音楽に関心を持ち始めた頃はすでに他界していたため、この映画を観るまではよく知りませんでした。
 ピアニストのエディ(タイロン・パワー)は長男ピーターの出産時に妻のマジョリー(キム・ノヴァック)を失ってからは、音楽に対する情熱も失い妻が亡くなったのはピーターのせいだと思い、長男を素直に愛することが出来ません。
血を分けた子供を愛せない‥子供もそれを本能的に感じ取って父親に一歩距離を置いている‥親子でありながらお互いに理解し合えない‥これはほんとに悲しいことなんですね。
 この親子に愛を甦らせたのは音楽でした。ピーターは友人達と子供ばかりのバンドを作って父親の前で演奏します。エディの驚き‥やがてそれは大きな‥大きな喜びに変わって行きます。
 雷鳴の夜‥恐ろしくなったピーターは、父親に助けを求めてベッドにもぐり込みます。ここで雷雨が大嫌いだった母親のマジョリーの面影を見出します。お互いが親子の絆で結ばれていることを確認し合えた感動的なシーンでした。こうして親子の間にあった見えない垣根が少しづつなくなり、お互いが理解し合えるようになったのですが非情な運命はこの親子を‥
 映画で流れるピアノ曲を実際に弾いていたのは、当時の人気ピアニストのカーメン・キャバレロでしたが、エディ役のタイロン・パワーの「指の演技」は素晴らしかった‥そうです。
 主演のタイロン・パワーは大昔に「ミシシッピーの賭博師」とか云う映画で見た記憶があるのですが、特に印象に残ることもなく‥でしたが、この映画では親子間の深刻な相克と和解そして永遠の別離‥この心の動きを見事に演じていて、彼を再評価するようになりました。
 
 この映画にしばしば登場するショパンのノクターンが、アレンジされてジャズ曲になっているのは有名ですが、私の手元にも2枚のCDがあります。
 ① 「To Love Again」 (カーメン・キャバレロ) 映画のサウンド・トラック
 ② ショパン 夜想曲第2番変ホ長調 (ピアノ フイリップ・ロソコフ)
  2曲共にパソコンにインプットしてありますので、これを聴きながらブログつくりをしています。この外に映画の中でジャズ風にアレンジした軽音楽「サンバ・ブラジル」とか、元はシャンソン曲で映画「麗しのサブリナ」にも使われた「ラ・ヴィ・アン・ローズ」などが流れていました。
 私は途中からムード派に転向したので、本格的なジャズ曲には疎いので外の曲はよく判りませんでしたが、ジャズ愛好家の方にも良い映画だったと思います。
 彼が病に侵されることなく、もっと長命であっていてくれていたら‥戦後の音楽界に大きい足跡を残してくれたことと惜しまれます。
 この映画の主題曲として使われた前記のショパン「Nocturne No2」と「To Love Again」は、若くして世を去った彼への鎮魂の曲として、いつまでも永遠に残る名曲だと思います。
 














 

 
 
  

〔映画音楽)(79)「ザッツ・アモーレ」 (映画 「月の輝く夜に」)

2006-03-18 00:34:21 | 映画音楽
 最近はタイトルを見てすぐに内容が判る映画が少なくなりました。アクションやサスペンスは私の好みでないので別にどちらでも良いのですが、ラブ・ロマンスとかヒューマン・ドラマなどは今でも、やはりタイトルから受ける感じで見たくもなるし、パスしてして仕舞うこともあります。この映画のタイトルは近年には珍しく、私好みの題名だったので借りて見ました。
 ロレッタ(シェール)は7年前に夫を事故で亡くし現在は独身‥幼い頃からの知り合いの男の求婚を受け入れます。が‥いつの間にか婚約した人の弟ジョニー(ニコラス・ケイジ)に惹かれます。このややこしい恋の行方は一体どこへ‥
 シェールという女優がこの映画で、アカデミ-主演女優賞を得たという映画だそうですが、アカデミー賞もなにか軽くなったような感じもしましたが‥。

 内容はともかくとして私が気に入ったのは、冒頭から流れてきた歌声です。これぞ我が青春の頃、結構流行った「ザッツ・アモーレ」なんですよ。お笑い役者兼歌手として人気のあったディーン・マーテインの歌でしたが、画面から流れてきたメロディも多分同じ歌声だったのでは‥と思うのですが‥
私が今でも覚えている日本語盤の歌詞の一部を思い出して見ると‥
  <恋の都 それはナポリ ザッツ・アモーレ
   霧深き街 彷徨えば 鐘も‥ 歌も‥ >
 映画の画面に映った日本語歌詞は
  <ナポリは愛に包まれた街 恋する二人の夢見る街
   瞳に映るのはピザのような月 恋の歳月ワイン色の人生>
 日本語盤を歌っていたのは誰だったのかな‥思い出せないのですが,笈田敏夫や柳沢真一とか‥もっと外に男性歌手では誰がいたっけ‥
 私の「40-50ヒットアルバム」に「Thats Amore]はデイーン・マーティンの歌で収録されているので、私のPCにも取り込み済みでしばらくは、この音楽繰り返し聴いて過ごすことになりそうです。
 不思議なのはCD付属の英文歌詞にも、映画のストリーにもナポリなんて全然出てこないのに‥何故ナポリやねん‥と首を捻っております。
 それにしても近年の映画から1950年代の音楽が流れて来る‥と言うことは、愉快なことですが軽い陽気な感じの歌なので、コミック調のこの映画にはピッタリでした
 「アンチェンド・メロディ」は1950年代の歌でしたが、「ゴースト・ニューヨークの幻」で使われてリバイバル再び息を吹き返ししました。
 名曲は年代を超えていつまでも生き残るもの‥古い音楽を捜し出しして、再び生命を吹き込むヤンキー気質というものは、やっぱりお世辞ヌキで尊敬に値するな‥と私は思います。
 
  
  
 
 

 

 
 

(シネマ雑記帳) 「総括 オードリー・ヘップバーン」

2006-03-17 00:13:59 | 映画
 ここしばらくオードリー・ヘップバーンにこだわって、いろんなことを書いていたら私と同様の思いの方から、コメントなどを戴いて彼女の良き理解者が、私一人でない事に気付いて大変嬉しく大いに心強く思いました。
 敗戦後間もなくでNHKラジオか映画の外、何の娯楽もなかった時代に生きた私たちの年代は勿論ですが、更に若い年代の方たちなどの広範囲の何世代かにわたり、愛され親しまれているのは、ただ単に美人女優であるだけでなく、何か人を惹きつける未知の魅力を秘めているからと思います。
 私が新しい彼女の魅力に気付いたのは「パリの恋人」でした。この映画は彼女と云うよりもフレッド・アステアが見たくて観たのですが、アステアと踊る彼女にすっかり魅せられて仕舞いました。元来バレエを習っていたので、驚く方が可笑しいのですが私にとってもパリは憧れの街‥素晴らしい映画でした。
 「ティフアニーで朝食を」の「ムーン・リヴァー」は、つい先日うだうだと執拗に書きまくったばかりでした。
 でも考えてみれば美人で歌えて踊れて演技が出来て‥と云うスターはそう沢山いなかったように思います。「カラミティ・ジェーン」のドリス・ディは歌手が本職だから当然だし、「紳士は金髪がお好き」のマリリン・モンローぐらいかな?
 この映画のジェー・ラッセルが「腰抜け二挺拳銃」で、「ボタンとリボン」を歌っていたっけ‥‥デビー・レイノルズは自前の歌‥と思っていたのに、「ザッツ・エンターティメント」で「吹き替えなんです」と白状しました。(黙っていれば判らないのに‥でも正直で良い子です。益々好きになりました)
 「マイ・フエア・レディ」でもヘップバーンは歌うつもりで、レッスンに励んでいたのに、映画は吹き替えだったため、演技は良かったのに彼女はアカデミー賞を逃しました。
 そしてオスカーのプレデンテーターとして登場したヘップバーンは、「メリー・ポピンズ」で主演女優賞を射止めたジュリー・アンドリュースに、暖かい祝福のメッセージを贈ったそうです。この心温まるエピソードは広くて深い彼女の性格を示すものと思います。
 アフリカの恵まれない子供達のためにユニセフ国際親善大使として福祉に努めること4年間、1993年に63歳という若さで他界したことは残念なことでした。
 短い生涯を閉じた彼女が残した足跡は、とても大きく偉大なものだったことを、今更ながらしみじみと感じるのです。
 
 
 

(シネマ雑記帳)〔79〕 「ローマの休日」

2006-03-16 05:27:32 | 映画
 この数十年の間で‥
 一番、見た回数の多かった映画は「ローマの休日」
    それは劇場、テレビ、VTR,家で観られるようになれば、もうキリがありません。
 一番、多く観た女優もオードリー・ヘップバーン‥
 一番、好きな映画音楽もやっぱり「ムーン・リヴァー」
 何故そうなるの‥と問われても、何故か結果的にそうなった‥と云うより外に理由がありません。
 彗星のごとく現れた彼女は瞬く間に、全世界の人々の心を魅了しました。私も彼女に魅惑された一人‥その残り火は、数十年立った今でも心の奥底で消えることなく燃えているようです。
 昨年のアテネ・オリンピックに近所の女の子が、出場することになり応援団がアテネへ行きました。その時の報告ビデオで私は試合の経過も大いに関心がありましたが、ついでに立ち寄ったローマ観光のビデオの方も、あの映画の場面を思い出しすことが出来て興味がありました。
 髪もショートにして自由と開放感に溢れた彼女は、とても新鮮な魅力一杯だったし、スクーターで暴走や船上での乱闘シーンはドタバタ喜劇でした。
 が、別れの場面で一転して女の子なら「涙腺うるうる」(この表現は友達の文章から無断借用‥ごめんね)というシーンが更なる哀愁と感動を呼びます。
 記者会見で某国王女の姿に戻った彼女と、記者(グレゴリー・ペック)の対面‥
王女のために折角手に入れた特種記事や写真を、すべてボツにした記者とカメラマンの心意気‥
 「一番印象に残ったのは」‥と云う問いに対して、お決まりのコメントでなく、「それはローマです‥」と言い切った王女の胸の中には、万感の思いが込められていたのでしょう。本当に爽やかななラストでもありました。
 ちなみに私が何度も繰り返して観たのも、やはりこのラストの場面でした。
 ユーモアとペイソス‥これがこの映画を成功させた要因と思います。