岡崎直司の岡目八目

歩キ目デス・ウォッチャー岡崎が、足の向くまま気の向くまま、日々のつれづれをつづります。

“わらぐろ”づくり、その三。

2007-10-10 12:32:07 | 季節感


大きな立派なものが仕上がった。

約小一時間、この大きさだと一反以上の藁が使われている。こうした農の手技(てわざ)は、次第に受け継がれなくなっていて、宇和盆地特有の文化的景観である当たり前の“わらぐろ”風景が見られなくなる時代も、実はそう遠くないと思われるのだ。

“わらぐろ”づくり、その二。

2007-10-10 12:24:17 | 季節感


何が難しいかと言って、この屋根の部分がムツカシイ。

藁を投げる役(通常は奥さん)と積む方(ご主人)の息が合ってないといけないが、積む方はどんな形に仕上がっているか見えない。また、自身の体重移動のこともあり、あまり上で動きすぎると形が崩れる。

大きな“わらぐろ”程、その難易度は高くなるが、特にこの肩から上の屋根にあたる部分で全体の形も決まるが、不安定な上での作業は、実際にやってみるとそれは熟練の技が必要になる。下で見ているのとは大違い。

八幡浜みてみん会 ⑧

2007-10-10 11:40:02 | 建見楽学


その筋向かいに建つ商家菊池家。かつて伊予の大阪と呼ばれた八幡浜の江戸期からの旧家である。

戦後間もなくの八幡浜市長だった菊池清治氏はここの出身。東大出の物理学者でもあった市長の理解、擁護もあり、当時の市職員であった建築家松村正恒氏は、名建築の数々を世に送り出すことが出来た。そう晩年に述懐されている。

八幡浜みてみん会 ⑦

2007-10-10 11:32:06 | 建見楽学


こちらは浜之町にある若松旗店。

文政五年(1822)の創業ということで、185年前から続く老舗。大漁旗や神社の幟(のぼり)、あるいは法被(はっぴ)など、地域の文化を支える貴重な職人技。
お勧めは“マイ風呂敷”。オリジナルの世界に一つだけの自分の風呂敷を注文することが出来る。

八幡浜みてみん会 ⑤

2007-10-10 11:13:54 | 土木遺産


禅宗の名刹“大法寺”。

名僧禾山(かざん)和尚を輩出したこの寺は、佐田岬半島界隈の独特な景観である青石の石垣で造成されている。積み方は俗に“落とし築(づ)き”と呼ばれる緑泥片岩の性質を利用したもので、鋭角に組むその技法は、今ではもう築く石工職人は居ない。
また、この地方では石工のことを“えばさん”と呼び、土木に関係した年配の方くらいには通じるかも知れない。今となっては、殆ど死語に近い言葉。

なお、岡山県出身の有名な木彫家平櫛田中(ひらくしでんちゅう)も、かつて禾山和尚の元に参禅し、その縁で和尚が大笑いをしている様を彫った“かか大笑”という名作が残されている。

八幡浜みてみん会 ④

2007-10-10 11:09:27 | 路上観察


八幡神社の本殿にある基壇の青石には、笹の彫り物が入れられている。

これを発見したのはもう20年くらい前になるが、拙著「歩キ目デスは見た!」で取り上げたので懐かしい。
この社殿は、元々宇和島藩の伊達家により造営されているので、恐らくは伊達家の家紋「笹に雀」に因んだものと思われる。石工が気を効かせたのだろう。
緑泥片岩の青い色と青竹の取り合わせが絶妙。

八幡浜みてみん会 ②

2007-10-10 10:57:59 | まちづくり


八幡浜が生んだ飛行機界のパイオニア、二宮忠八翁の生誕地前で。

説明によると、愛媛県知事加戸守行氏も若い頃はここに居住されていたとか。大洲のご出身で、かつてはここに菅田屋(すげたや)という旅館があったらしい。