明日を夢見て~神様と筋ジストロフィーと共に生きる~

クリスチャン。デュシェンヌ型筋ジストロフィー患者で電動車椅子と人工呼吸器を使っている。

スキャナーと裁断機

2011年08月30日 11時26分17秒 | 難病のこと
質問があります。

僕は車椅子に乗った状態で、体を起こしたまま前かがみの姿勢で、読書をすることができなくなってきました。すごく体に負担がかかり、痛くてたまらないんです…。

なので、車椅子のリクライニングで楽な姿勢をとりながら、または、ベッド上で仰向けになりながら、読書をしようと思っているんですよね。

それで、みなさんはスキャナーで本をパソコンに取り込んで、読書をしていますか?

それとも、自動ページめくり機などを使いながら読書をしていますか?

教えてくださると助かります。

ちなみに僕は、スキャナーで本をパソコンに取り込んで、読書をしていこうと考えています☆

自動ページめくり機は値段が35万円もして買えないので…。

スキャナーは、PFUのScanSnap S1500 FI-S1500

裁断機は、PLUSの手動断裁機 PK-513L

この2つの購入を考えています!

オススメのスキャナーや裁断機があれば、教えてくださると助かります。

宜しくお願いします。

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願い

2011年08月25日 19時21分49秒 | エッセイ
どうして叶わない願いがあるんだろう。
欲しいと思っている形のないものほど手に入らないような気がする。

生涯願い続けても叶わないと思える願いが誰にでもある。
それでも諦めるまでは願っていたい。
無理矢理、自分の気持ちを押し殺そうとしても苦しくなってしまう。
今は諦めようとすることすらできないのだから。。

でも、今ここにあるものを大切だと思える気持ちも持ちたいよ。
そうすれば感謝が生まれるんだ。
人間の生活は感謝から始まっていくんだよ♪

また、意外と欲しいと思っているものは、すぐ近くにあったりする。
もちろん理想の形ではないのだけど、その原石はすぐそばにある。

その原石を本当に理想のもの・輝くものにできるかどうかは自分の生き方次第だと思う。


そう考えたら、いつか願いが叶うかな?
こういった思いが希望なのかもしれない☆

大切なことは、心の中に限界を設けないことだと思う。

もちろん、僕は理想と現実の程遠さによく落ち込むよ。
でも落ち込んで良いと思う。
それでも願いや希望は信じているから。

希望は消えかかりながら灯火のように輝くんだろうなぁ。

【徳川家康】

願いが正しければ、時至れば必ず成就する。

【故郷 / 魯迅】

思うに希望とは、もともとあるものとも言えぬし、ないものとも言えない。
それは地上の道のようなものである。
もともと地上には道はない。
歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。


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お願いがあります

2011年08月22日 19時13分20秒 | 日常
みなさんにお願いがあります。

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痛みは痛みのままで終わらない

2011年08月21日 14時47分01秒 | キリスト教
今使っている車椅子が徐々に自分の身体に合わなくなってきているみたいで、毎日ずっと両足がしびれて痛くてたまらない。早く新しく自分の身体に合う車椅子を作らないとなぁ。

痛みの中であることを考えていた♪

僕は人の痛みと自分の痛みを比べることが苦手なんだ。

「あの人に比べればまだ君の痛みはましだ」「あの人に比べればまだ君は幸せだ」と言われると、余計に辛くなる。。だから僕は人に対して、こういうことは言わないようにしている。

でも主イエス・キリストの痛みと自分の痛みを比べるときだけは違う。

全人類の罪という十字架を背負ったイエス様の痛み、罪ある人々から蔑まされたイエス様の痛みを思い巡らすと、僕の痛みなんてちっぽけなものだと思える。神様であるイエス様が痛みを引き受けて下さったのだから。


そして、十字架で亡くなられた後にイエス様は復活し、全人類の罪と死の力に打ち勝ち、愛と希望を示して下さった。

どれほどの大きな痛みを感じていても、それを乗り越えたとき、必ず光・喜び・祝福を感じることができ、人間にとって最大の痛みである死を迎えたとき、罪と悲惨が何ひとつない天国という栄光の世界に入ることができる、と身をもって教えて下さった。

そして、イエス様は僕と共におられる♪

だから、いま僕がイエス様と共に苦しみを受けていることが、もう将来の栄光が用意されているという保証なのだと思う。

栄光を受けるためには、イエス様のように苦難の道を通らなければいけないのだから。。


この世の人生で味わう苦難は軽い一時的なもので、永遠に天国で味わう栄光こそ輝かしいものなんだ。

そう思うと、痛みの中で苦しんでいても、力がみなぎってくるんだ。

また、無意識かもしれないけど、人間の心は日々成長している☆

どのようなことも、「無駄にするものか!」と思っていれば、必ず人生の糧になる。なぜならクリスチャンは、神様が万事を益としてくださると信じているのだから。

イエス様は人類最大の痛みを味わい、その痛みを克服して下さった。その痛みは全人類のためであった。

だから、僕も痛みは痛みのままで終わらずに、何かプラスの意味あることにつながっていくと信じている。


【コリントの信徒への手紙 第二 4章15~18節】(口語訳聖書)

すべてのことは、あなたがたの益であって、恵みがますます多くの人に増し加わるにつれ、感謝が満ちあふれて、神の栄光となるのである。

だから、わたしたちは落胆しない。たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく。

なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからである。

わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである。


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修養会

2011年08月17日 19時50分00秒 | キリスト教
15日と16日は、僕が所属している改革派教会の九州沖縄 信徒修養会がありました。場所は僕がいつも通っている長丘教会でした。

今回は伝道がテーマでした。

伝道にあたって、以下のことが大事だと教わりました。

*三位一体の神様との交わりの喜びと神様が与えてくださる教会に連なる喜びを感じること。

*信仰の恵みに招かれ、信仰の人生を共有する仲間が与えられ、その交わりへと大胆に人を招いていくこと。

*礼拝の祝福から始まり、礼拝の祝福に連なり続ける人生を送ること。


今回の修養会で改めて気付いたことは、信徒が伝道を担い、信徒の力で教会が大きくなっていくということだ。

これまで長丘教会も、信徒の方々が友人知人を教会に招き、牧師が受洗に導いていった経緯がある。


この積み重ねが大切なんだよね。

申し訳ないことに、今まで僕は教会に一人も招くことができていないので、反省です。

ノンクリスチャンの前でも、クリスチャンとしての証しは、19歳になってから少しずつ出来るようになってきたけど。

自分の口や言葉を通して福音を語り、自分の生き様を通して福音を宣べ伝えていきたいです。

ちなみに、クリスチャン新聞 福音版の僕が掲載された記事は、全国のあらゆる教派の教会で伝道に用いられているみたいなので、嬉しいです。

僕が難病で生きていること、2年前に死にそうな状態になったこと、全ては神様の聖なるご計画の中にあり、こうして人々に福音と信仰・希望・愛を宣べ伝えていくことにつながっていたんだね。

どれだけ辛い過去があったとしても、これからどれだけ病気が悪化していったとしても、今までのように未来も、神様の御業が僕にあらわれて、救いは降り注いでいくのだと信じている。

たとえ今は苦しくても、未来において素晴らしい神様の御業が行なわれ、神様の栄光と恵みが現れてくるのなら、喜んで忍耐できるんだよね。

もちろん泣きたいときは泣いて良いと思う。辛いときは辛いと言って良いんだよね。

僕の人生が、たくさんの人々の救いのしるしやきっかけになれば、大きな幸せです。


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最後に開会礼拝のまとめを載せます。

【フィリピの信徒への手紙 1章12~14節】

兄弟たち、わたしの身に起こったことが、かえって福音の前進に役立ったと知ってほしい。

つまり、わたしが監禁されているのはキリストのためであると、兵営全体、その他のすべての人々に知れ渡り、

主に結ばれた兄弟たちの中で多くの者が、わたしの捕らわれているのを見て確信を得、恐れることなくますます勇敢に、御言葉を語るようになったのです。



パウロの不在が福音の後退になるかもしれないと、フィリピ教会の人々は悲しんでいた。

しかしかえって、パウロが獄中にいるという悲しい出来事は福音の前進になっていると、パウロは知らせたいと願っている。

福音の前進という言葉は、福音の一歩、質が向上していくという意味だ。【フィリピの信徒への手紙 1章14節】が福音の前進のことを説明している。

フィリピ教会の全ての兄弟たちが、パウロが投獄されたことで信仰から離れていったのではなく、パウロに感化されて、フィリピ教会の兄弟たち全てが福音を宣べ伝えるようになった。これこそ福音の前進なんだ。

牧師や役員だけではなく、クリスチャンの全ての人々が福音を語っていくことが大切なんだ。

自分の口で福音を語り、自分の生き様を通して福音を宣べ伝えていくことで、福音の前進につながっていくんだ。

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