明日を夢見て~神様と筋ジストロフィーと共に生きる~

クリスチャン。デュシェンヌ型筋ジストロフィー患者で電動車椅子と人工呼吸器を使っている。

思っていたよりも早く

2011年10月31日 18時14分45秒 | 日常
今日は九州に遊びに来ていた名古屋の友達と初対面した。

友達の新幹線の時間があったから、30分ほどしかお話できなかったけど、会えて嬉しかった♪

ちなみに、その友達は筋ジストロフィーでクリスチャンなんだけど、なかなか筋ジスでクリスチャンの方はいないので、友達になれて良かったし、思っていたよりも早く初対面できたから嬉しいな。

全能の神様に感謝の気持ちでいっぱいです。

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反省点&改善点

2011年10月30日 23時04分45秒 | キリスト教
今日は改革派の小倉教会で証(キリスト教の体験談&メッセージ)をした。
神様が働いて下さって、自分の言葉を聞いてくれる人がいることは感謝だなぁ。

ただ、今回は反省点や改善点に気付かされた!
準備していた原稿を読みながら話したのだけど、棒読みかつ早口になってしまったから、内容が分かりづらかったみたい。

これからは、大事なポイントだけしっかり頭に入れておいて、そのときにアドリブでゆっくり話していくことにしよう。

先週のディスカッション企画のときは、このやり方でやってみたら上手く伝えることができたからね☆

また、公の前で話すことに慣れていないから、練習を重ねていこうと思う!

あとは、もっと分かりやすい内容の証やメッセージを書いたり、話していく努力をしたい!

そして、デベット宣教師の東北被災地でのボランティアの報告を聞いた。

被災者と共に復興の作業をし、そのなかで相手の話を真摯に聞いて、寄り添っていくことが大切だと改めて感じたよ。

僕はボランティアには行けないけど、これからも引き続き毎日東北のためにお祈りしていこう。。

新しい出会いもあったし、デベット宣教師ご夫妻とも一年ぶりに再会できた楽しい時間だったなぁ。

それにしても今年になってから、なぜ僕が何かするときはいつも雨が降るの?
僕が雨男だったとは知らなかった。。。

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10/22 ディスカッション企画 3-2

2011年10月27日 21時41分36秒 | 子どもホスピス
*僕は生まれつきの病気なので、身体の痛みで苦しくなるときがよくある。
昔は痛いことが嫌いだった。
でも今は違う。
なぜなら痛みは痛みのままで終わらないことを知ったから。

身体と心で痛みを感じることで、他人の痛みも少しは見えるようになり、少しずつ愛や優しさを学んでいくんだよね。
痛みとは愛を創り上げていくものなんだと思う。

そして、周りに愛をプレゼントしていくことが自分のためになる。
自分のことだけ考えていたら辛くなる。
でも、他人の重荷を背負うことで、自分の重荷が軽くなるんだよね。

また、僕は病気の痛みで苦しんでいると、いつも寂しさや孤独感を感じる。
でも、心に佇んでいる寂しさや孤独感も確かな愛の姿なんだよね。

「漫画 フルーツバスケット」の『そっと扉を開ける人間。そんな人間を求めずにはいられないから。
孤独は恐いと知ってる人間は、人間を愛さずにはいられないから』
という言葉のように、寂しさや孤独感を感じるからこそ、愛を育んでいけるのだと思うよ。
いつまでも残るものは愛なんだ。

*努力していても、理想とは程遠い自分にショックを受けることがある。
人間は弱いから、周期的にネガティブになってしまう。
でも、その度に立ち上がっていけばいいんだよね。

人生は浮き沈みの繰り返しで、押し寄せては引いていくのだと思う。
だから、ネガティブな感情も肯定していくことが大事なんだ。
人間には欠けがあるのだから。

ネガティブな感情も自分のなかに生命がまだ残っている証拠だから、理想の自分を目指していくときにできる影を見る勇気があれば大丈夫なんだよね。
その勇気があれば、また立ち上がることができる。


たとえ落ち込んでも、理想や希望を信じていれば、それは失望ではない。
理想や希望は消えかかりながら灯火のように輝くのだと思うよ。

「漫画 フルーツバスケット」の『だけどボクは思うんだ。ボクはちゃんと思い出を背負って生きていきたいって。
たとえばそれが悲しい思い出でも、ボクを痛めつけるだけの思い出でも、いっそ忘れたいって願いたくなる思い出でも、ちゃんと背負って逃げないでがんばれば いつかそんな思い出に負けないボクになれるって信じているから。信じて…いたいから。
忘れていい思い出なんて ひとつも無いって思いたいから』
という言葉がある。

今は苦しくても、生きていれば今が思い出になる。
そして、生きていれば、苦しい思い出に負けない自分になれるはずだ。
それを積み重ねていけば、死を迎えたときに人生全ての出来事は無駄じゃなかったと言えると思うよ。

人間は、性別・顔かたち・身長・体重・趣味・得意なこと・苦手なこと・考えていること・感じていること・病気や障がいの有無・性格・民族などが皆違い、それによって豊かな人間関係を作っている。

ひとりひとりが補い合い、助け合い、受け入れ合うことで、お互いを豊かにしていくのだと思う。
どのような人間もひとりで生きていくことはできないんだよね。


聖書に「一つのからだには多くの器官があって、すべての器官が同じ働きはしないのと同じように、大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです。」という言葉がある。
だからこそ、補い合い、助け合い、受け入れ合い、愛し合っていくことが大切なんだ。

つづく…

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10/22 ディスカッション企画 3-1

2011年10月27日 21時32分05秒 | 子どもホスピス
ディスカッション企画
『僕が生きる上で大切にしていること』
保田広輝

聖書とキリスト教信仰。
自分らしさの根幹にあるもの。
これがなければ今の僕はいない。
どんなことが起ころうとも、神様は信仰を守り続けてくださると信じている。

*見栄を張らず、自分の弱さや悲しみも出していきたいと思う。
大切なのは弱さ故の向上心だから。

聖書に「『しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。』と言われたのです。
ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。」
という言葉がある。

弱さは神様や隣人の力が働くために必要なものなんだよね。

どれほど困難な人生でも、意味を見出だすことが出来れば、希望を持つことが出来ると信じている。
希望があるからこそ明日を夢見て生きていけるんだよね。


でも、意味を発見するためには、状況そのものが問いかけてくる声に、耳を傾けることが大切だと思う。
状況そのものが主人公であって、人はその主人公が語りかける声に、じっと耳を傾ける。
そうすると、そこを生き抜くための意味が見えてくるんだよね。

聖書に「軛を負わされたなら、黙して、独り座っているがよい」という言葉がある。

辛い思いを抱え込むようなとき、あえてその辛さの中に黙って身を置き、軛そのものが語る声を聞けと勧めているんだ。
もし辛い思いを持つなら、そのときこそ、新しい意味がそこにあることを発見する機会があるのだと思うよ。


*病気の自分は不幸だと思うことから自由になることで、幸せを目指していけるんだよね。
だって、心に形はなく、心の在り方次第で自由自在に姿を変えることができるから。
人はいつでも生まれ変わることができると信じている。

悲しみ・寂しさ・苦しみ・困難・涙・笑顔・幸せ・喜び・夢・希望・愛などは、人生の中で味わうものだけど、それぞれ違う色を持っている。
こうした違う色のものが重なり合うからこそ、人生の輝きという虹ができるんだよね。
だから、人生の全てのものがつながっているのであり、無駄なものは一つもないのだと思うよ。

僕は神様が全てのことを働かせて益としてくださると信じている。

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10/22 ディスカッション企画 2-2

2011年10月26日 19時00分50秒 | 子どもホスピス
でも、そうは言っても、人間はあやまちを犯したり、疲れて立ち止まったり、苦しみのあまり生きることが嫌になって、人生に躓くことも多いよね。

僕の場合は、病気の痛みで苦しんでいると、自然と涙が出るし、生きることが嫌になってしまう。
やっぱり病気の痛みはどれだけ経験しても苦しみは変わらない。
むしろ増していく。。
なんでこんなに苦しまなければいけないんだろう。
どうして死を身近に感じなければいけないんだろう。
そんなことを考えてしまうよ。

また、人間はみな孤独感があるから、ひとりで過ごしていると、人生を耐え抜いていく力が失われていき、孤独な夜につぶされそうになったり、満たされない現実にただ泣きたくなってしまう。

そして、自分の弱さや脆さに気付いていても、見ないふりをしたくなる。
すると、次第に自分の弱さを人にさらけ出すことが恐くなるんだ。
ひとりでは苦しみや自分の弱さの全てを受け入れることはできないよ。

先ほど書いたダグ・ハマーショルドの「道しるべ」という本に、「昔の伝説は語っている。獣だの、目に見えぬ霊だのに変えられてしまった者が、もとの人間の姿をとり戻すには、だれかほかの人に愛されなくてはならないのである」という言葉がある。
愛がなければ、人間は真の平安を得ることはできない。
だって、愛は人間を創造した神様から出るものだからね。


苦しみや弱さを抱えている自分であっても、「私にとってあなたはかけがえのない素晴らしい一人の人間なんだよ。」と言ってずっと関わってくれる隣人がいてくれたら、苦しみや弱さを赦し、ありのままの自分を受け入れていけるんだよね。
ずっと関わっていくことも愛のひとつだと思う。
神様はずっと人間に関わってくれているよ。


大事なことは、病気になったり、挫折したり、愛されなかったりと悔やんでいる過去から再生し、残された人生を生き直すことだと思う!
受け入れて寄り添い、赦すことや和解することによって、戻ることのできない過去の出来事に新しい意味を作り、人生や人間関係を回復することができる♪
重荷を負っている人間は、心の解放や赦されることの体験が必要なんだよね☆


そして、死を迎えるときまで生きていくことができるようになるのだと思う。

【パール・バック】

「悲しみを越えるには『あるがままのものを、そのまま受け入れる』ことが必要である。『これが自分の生活なのであり、私はそれを生き抜かねばならない』と考えるのだ。

『なぜ自分だけこんな目にあうのか』などと自分中心に物事を考えたり行動したりしている限りは人生は耐えられない。

自分の苦しみは自分一人のものではない。苦しみの中で自分は人々と共にあるのだということを自覚するとやがて苦しみの中で人々と手をつないでいこうという積極的な姿勢に変わってくる。」


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