明日を夢見て~神様と筋ジストロフィーと共に生きる~

クリスチャン。デュシェンヌ型筋ジストロフィー患者で電動車椅子と人工呼吸器を使っている。

水族館とコスモス

2010年10月18日 21時58分45秒 | 日常
先週の水曜日、マリンワールドという水族館に行ってきました。
10年ぶりに行ったんだけど、あまり中身が変わってなかったよ。

アシカに餌やりをしてみたら、同じアシカが、あらゆる客が投げる餌をキャッチして食べていた。
欲張りなやつだなぁ。
酔っ払いの変な親父みたいな声を出して催促するし。(笑

10年前、イルカのショーを見ていて、イルカのシュートという大きいボールを客席に向かって蹴る場面があるんだけど、1番上の席に座っていたのにも関わらず、僕の頭にそのボールが顔面直撃して失神した苦い思い出があるんだよね。Σ(・□・;)

あれ以来イルカのショーが嫌いになっていましたが、10年ぶりに見ちゃいました。
今回は直撃しなかったから良かったよ。( ´ ▽ ` )ノ

ただ昔と変わっていたことは、クジラがイルカと混じってショーをしていた。
クジラも仕込めば芸を習得するんやなぁ。
ノロノロしていたけれど。(笑

水族館の帰りは近くのコスモス公園に行きました。
7分咲きだったから、まぁまぁ綺麗だったな。

150万本もコスモスが植えてある風景は初めて見た!!
青空の下、あたり一面に延々と広がるコスモス。
気持ちいいぞー!ヽ(;▽;)ノ
思わずコスモス園の中心で愛を叫びました。(ぇ

熊本

2010年10月12日 21時09分02秒 | 日常
昨日は遺伝子治療の市民講座に参加するために熊本に行き、その帰りに熊本城を見物しました。

いま臨床に応用されようとしている日本の筋ジストロフィーの遺伝子治療は、治験参加に登録する人数が少ないので、2008年から進歩がないみたいだね。
2年前に聞いた内容と変わらないし。
ただ細胞治療のほうは、まだ基礎研究の段階だけど、少しずつ進歩しているんだな。

僕の遺伝子は重複にも欠損にも当てはまらなかったので、今回の遺伝子治療には残念ながら参加できませんが・・・。

不治の病と言われている難病だけど、治療に向けて少しずつ進んでいることは間違いないから、最後まで希望は持っていたいなと思う。

ただ人生に生きがいを感じていなければ、治療に参加したいと患者は思わないから、QOLの向上はしていかなければいけないよね。

治療に参加できる人をなるべく増やしていくために、NPPVで呼吸を楽にし、カフアシストで楽に痰を取り、呼吸・嚥下リハビリなどで、できるだけ気管切開や胃ろうなどにならないように、病状の悪化を遅らせ、少しでも長生きできるようにしていくことも大事だ。

遺伝子・細胞治療とQOLの向上はどちらも必要不可欠だよね。

ちなみに熊本城には初めて行きました。
やっぱり評判が高いだけはあるなぁって思ったね。
当時のまま残っている石垣や門は、見ているだけでタイムスリップしたような感覚になったよ。
生で見ると価値が分かる!!
ただ新しく再現された城は綺麗だったけど、匂いや雰囲気が違うような気がした。

日帰りで夕方に熊本城に行ったので、時間があまり無かったから、全て見ることができなかったのは残念でした。

今度は姫路城に行きたいぜ!

救い

2010年10月11日 08時08分58秒 | キリスト教
僕は自分の人生を心から喜べていないと思う。
やっぱりどこか自分中心になっているからじゃないかな。。
すぐ欲を求めてしまうから。
せめて普通の体になりたかった、この体じゃなかったら色んなことができるのに、と夢見てしまう。

同じ病気の人と話すと似たようなことを言う。
「この病気が憎い。体が不自由になり、呼吸や食事が不可能になり、若く死ぬから。」

でも他人と比較することはもうしたくないんだよね。
だってむなしくなるだけだから。
自分は自分以外の何者にもなれないし。
こんな弱い体でも、できることはあるし、生きる意味はあるはずだ。

ローマの信徒への手紙5章1~11節

「1 このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、 

2 このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。 

3 そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、 

4 忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。 

5 希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。 

6 実にキリストは、わたしたちがまだ弱かったころ、定められた時に、不信心な者のために死んでくださった。 

7 正しい人のために死ぬ者はほとんどいません。善い人のために命を惜しまない者ならいるかもしれません。 

8 しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。 

9 それで今や、わたしたちはキリストの血によって義とされたのですから、キリストによって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。 

10 敵であったときでさえ、御子の死によって神と和解させていただいたのであれば、和解させていただいた今は、御子の命によって救われるのはなおさらです。 

11 それだけでなく、わたしたちの主イエス・キリストによって、わたしたちは神を誇りとしています。今やこのキリストを通して和解させていただいたからです。」

クリスチャンは患難も喜ぶことを神から求められている。
忍耐というのは「患難の中で神様が意図しておられる意味を読み取ろうと追求する努力」。
練達は確固たる信仰を得るためのもの。
そして希望は神様を信じる人は必ず救われる、神様の栄光の世界に入ることができるという恵み。

難病というのは僕にとって絶望的なものだけど、このような患難の中にあっても、神様が約束しておられる栄光のゴールを目指して、耐え忍ぶことができ、また神様を喜んで生きることができる者とされていることを感謝していきたい。

だから大丈夫だよ。
神様は僕らを心の底から愛しておられるのだから心配することは全くないんだ。

去年の11月から今年の2月まで呼吸不全で本当に体が苦しくて、3月に徳島で入院したときは、「もし病院に来るのが遅れていたら、死んでいたかもしれないね。」と医者から真剣に言われたくらい、死にそうな状態だった。

でも人工呼吸器が与えられて今も生かされている。
生かされているということは、まだ生きている意味があるのだと思う。
今は耐え忍ぶとき。

どんどん病気は進行しているけど、希望を抱いていきたい。

たとえ途中で死んでも、信仰さえあれば神の国に入ることができるのだから、死さえも受け入れていける。

この前、19世紀のロシア人農民の信仰生活に関する本を読んで、心を動かされた箇所があった。

「困難、病気、貧困、飢え、死などあらゆる苦しみも、全て神様が我々に必要なことだとお思いになられたからこそ、我々にお与えになられた。

だから神様がお与えになられる全てのことを受け入れていこう。神様を信じる者は必ず救われて、天国に行けるのだから。」

滅びるに値する僕ら人間だったけど、イエス様を通して永遠の命という救いが与えられたのだから、その救いをいつまでも喜んでいきたい。

少しずつだけど、苦難もいずれ祝福に変わるのだなと実感できるようになってきた。

信仰を持って、苦しい人生を最後まで生き抜けば、天国での永遠の命が与えられる。
でもその信仰さえも神様が与えて下さるのだから、感謝してもしきれないよね。

神様がなさることは人間には理解できない。
だからもう自分中心に考えるのはやめようよ。

『神についての正しい認識はすべて服従から始まる by ジャン・カルヴァン』という言葉があるように、自分中心に考えると神様から離れてしまう。
だから神様に「すべて神様のみ心のままに導いてください」と祈っていきたい。
神様は僕らを心の底から愛しておられるのだから、安心して従っていこう。
そして救いが訪れたことを喜ぼう、神様を賛美しよう。
苦しい人生だからこそ、この救いを喜びたい。

最後に先日、励まされた榊原康夫さんという牧師の祈りを書かせて頂きます。

『神様。「神を喜ぶこと」ー「わたしの大きな喜びである神へ行く」ことを古えの詩人も歌いましたし(詩篇43章4節)、またネヘミヤもそのように教えておりますが、しかし現実にわたくしたちは、神を信じていると言いながら喜びが少なく、多くの悲しみ、苦しみ、つぶやきと疑いの中に沈む者でございます。

しかし、わたくしたちがそのような自分の心理をいじくり回し思い煩うのではなくて、主イエス・キリストの死を通して、神ご自身がわたくしたちを和らがせ、わたくしたちを神の子として受け入れてくださいました客観的な驚くべき恵みの御業を思いまして、あなたがもう既にわたくしたちにとって怒りの神でなく、「わが大いなる喜びの神」に変わっておりますことを、繰り返して確認することができますように、わたくしたちの信仰を導いてください。

この「わたしの大いなる喜びである神」の御手の中にあって、今わたくしたちは生かされ、またわたくしたちに起こり来るすべてのことは営まれているのでございますから、わたくしたちはその根拠に立って「神にありて喜ぶ」ことができますように、また未来に向かってはっきりとした望みを持って胸を張って生きることができますように、わたくしたちを導いてください。

キリスト・イエスの御名を通して、乞い願い奉ります。アーメン。』

教会を新築

2010年10月04日 18時36分27秒 | キリスト教
僕が通っている教会が新築されたので、昨日は新しい会堂で初めての礼拝でした。

屋根は爽やかな緑で、壁はクリーム色の綺麗な建物!!
しかもエレベーターとスロープが付いて、バリアフリー!!
40年ぶりに建て変わったので、気持ちええです。

昨日は大雨だったので写真が撮れませんでした。
だから教会の写真は後日アルバムにアップしますね。

しかしエレベーターに閉まるボタンがないのに驚いた。
なかなか閉まらないしな。(笑
まぁ家庭用だからね。

早速、教会のみなさんは、新しい会堂の2階でご飯を食べたり、勉強をしたり、委員会をしたりして、まるで自宅みたいにくつろいでいました。
僕もあまりの居心地の良さに寝てしまいましたよ。(笑

みんなが居心地良く時間を過ごす、これが教会のあり方だと思うんですけどね。

今年の春から牧師がいない教会になりましたが、早く新しい牧師が赴任されるように祈っていきたいです。
来年の9月に新しい牧師が赴任する可能性は高いみたいなんですが、まだ確定ではないので。。

これでようやく車椅子でも動き回ることができるようになりました。
あちこちぶつけないように注意しなきゃ。(笑