明日を夢見て~神様と筋ジストロフィーと共に生きる~

クリスチャン。デュシェンヌ型筋ジストロフィー患者で電動車椅子と人工呼吸器を使っている。

願いと希望

2018年02月15日 18時46分16秒 | エッセイ

どうして叶わない願いがあるんだろう。

欲しいと思っているものほど、手に入らない気がする。


一生、願い続けても叶わないと思える願いが誰にでもある。

それでも努力したい。


無理矢理、自分の気持ちを押し殺しても苦しくなってしまう。

今は諦めることすらできないのだから。


でも、今ここにあるものを大切だと思える気持ちも持ちたい。

そうすれば感謝が生まれる。

人間の生活は感謝から始まっていくんだ♪


また、意外と、欲しいと思っているものは、近くにあったりする。

もちろん理想の形ではないけど、その原石はすぐそばにある。


その原石を理想のもの・輝くものにできるかどうかは、

自分の生き方次第だと思う。


そう考えたら、いつか願いが叶うかな?

こういった思いが希望なのかもしれない。

大切なことは、心の中に限界を設けないことだ。


もちろん、僕は理想と現実の遠さによく落ち込む。

でも、落ち込んで良いと思う。

それでも願いや希望は信じているから。


努力していても、理想とは程遠い自分にショックを受けることがある。

人間は弱いから、周期的にネガティブになってしまう。

でも、その度に立ち上がっていけばいいんだよね。


人生は浮き沈みの繰り返しで、

押し寄せては引いていく。

人間には欠けがあるのだから。


ネガティブな感情も自分のなかに生命がある証拠だから、

理想の自分を目指していくときにできる影を見る勇気があれば、

大丈夫なんだよね。

その勇気があれば、また立ち上がることができる。


たとえ落ち込んでも、理想や希望を信じていれば、それは失望ではない。

希望は消えかかりながら灯火のように輝くんだろうなぁ。


【デール・カーネギー】

この世で重要なことのほとんどは、

全く希望がないように見えたときでも、

挑戦し続けた人々によって成し遂げられてきた。


【ネルソン・マンデラ】

何事も達成するまでは不可能に見えるものである。



生きる意味などは後からつく

2017年04月04日 21時44分10秒 | エッセイ
これから、日常の中でふと感じたこと(独り言?)も、
書いていこうと思います。

無意味な時の流れは、
「生きている意味」を分からなくさせる。

でも、「いま」に意味を見つけられたら、
人生を見失うことはない。

たとえ病気の痛みで何もできない日でも、意味はある。
「いま」が大切だ。今日という日は今日しかない。

海の底に沈んだ日でも、青空を飛ぶことはできるよ。
心に形はなく、自由に姿を変えていけるから。

人生に重い意味を与えているのは、
この世での人生が一回きりだということ。

人生は取り返しのつかないものであり、
全てやり直しがきかない。

一日一日、一瞬一瞬が一回きりだということが、
人生に素晴らしい重みを教えてくれる。

僕は難病を通して、
人生が限られたものであることに気付き、

残された貴重な時間をどう生きるか、
考えるきっかけを与えてくれた。

死を恐れて、
単に「死なないこと」を願うのではなく、

死すべきものとして、
「どう生きるか」が大切なんだ。

♪BGM♪

季節は次々死んでいく / amazarashi

「明日は次々死んでいく
急いても追いつけず過去になる

生き急げ僕ら 灯る火はせつな
生きる意味などは後からつく」

歌詞はこちら→青字をクリックしてください





にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村

この画像をクリックしてくださると、当ブログのランキングがアップします。
ありがとうございます。

支えるケア、寄り添うケア

2013年10月27日 22時08分52秒 | エッセイ
昨日は、日本ホスピス・緩和ケア研究振興財団が主催のチャリティ講演会&コンサートに行って来ました。講演会(支えるケア、寄り添うケア)の感想を綴ってみます。

ケアとは、その人らしい生を全うするのに寄りそうこと。

寄りそうとは、励ますことではない。

『励ます』は、「頑張ってください!」と外から相手に働きかけることなので、自分があまり関与する必要がない。

でも、『寄りそう』は、相手から逃げないで、時間や空間を共にして、自分が関与していくこと。


ある医者は「患者さんの痛みがとれると困るんです。」と言った。身体の痛みが少し和らぐと、精神的な痛みが出てくるので、それに対応できない。寄りそうことができない。

寄りそう人には『人間力』が求められる。
『人間力』に特に必要なものは、聴く力・共感する力・忍耐する力・引き受ける力・ユーモア力・相手から逃げ出さないこと。

聴く力とは傾聴すること。目と目を合わせて、心を耳に・耳を心にして、自分の関心をもって、しっかりと聴く。

共感しようとするとき、自分を相手の立場に置き換えることが大切。相手は自分に何をしてほしいか、少しは感じることができるようになる。


人に寄りそおうとするとき、相手が自分のことを全く信頼してくれず、大きな壁を感じることがある。相手は信頼していた人から裏切られた辛い過去があって、傷付かないために壁を作っているのかもしれない。

だからこそ、寄りそう人には、相手から逃げないで、時間や空間を共にし、自分から関与していくことが大切だと思った。まだ今の僕にはとても難しいことだけど・・・。

愛とは、ずっと関わり続ける『関わり合い(愛)』。

♪しるし / Mr. Children♪

「半信半疑=傷つかない為の予防線」を
今、微妙なニュアンスで君は示そうとしている





にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村

この画像をクリックしてくださると、当ブログのランキングがアップします。
ありがとうございます。

朝日新聞 福岡版に僕の記事が掲載されました

2013年07月02日 22時35分50秒 | エッセイ
今日の朝刊の朝日新聞 福岡版に、僕の記事が掲載されました。
明日、九大で行われる「LIFE×LIVE-筋ジストロフィーと共に生きる-」に関連した記事です。
記者の山下さん、濱田先生、ありがとうございます!



それと、プロフィールの以下の箇所を更新しました。

リンク先 保田広輝のプロフィール

【信条にしていること】

*聖書とキリスト教信仰。
自分らしさの根幹にあるもの。
これがなければ今の僕はいない。
どんなことが起ころうとも、神様は信仰を守り続けてくださると信じている。

*見栄を張らず、自分の弱さや悲しみも出していきたいと思う。
大切なのは弱さ故の向上心だから。

聖書に「『しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。』と言われたのです。
ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。」
という言葉がある。

弱さは神様や隣人の力が働くために必要なものなんだよね。

*僕はこの難病で生まれて来たからこそ、今の自分の性格や人生になれたし、今まで築き上げて来た人間関係がある。
ひとりの命は自分に関わっている人たちの人生に何かしらの影響を与えている。
もし僕がこの難病になって生まれて来なかったら、今まで自分に関わってくれた人たちの性格や人生が何かしら変わってしまうと思うんです。
隣人との関係から考えたら、僕にとって難病は賜物なのです。


どれほど困難な人生でも、意味を見出だすことが出来れば、希望を持つことが出来ると信じている。
希望があるからこそ明日を夢見て生きていけるんだよね。

でも、意味を発見するためには、状況そのものが問いかけてくる声に、耳を傾けることが大切だと思う。
状況そのものが主人公であって、人はその主人公が語りかける声に、じっと耳を傾ける。
そうすると、そこを生き抜くための意味が見えてくるんだよね。

聖書に「軛を負わされたなら、黙して、独り座っているがよい」という言葉がある。

辛い思いを抱え込むようなとき、あえてその辛さの中に黙って身を置き、軛そのものが語る声を聞けと勧めているんだ。
もし辛い思いを持つなら、そのときこそ、新しい意味がそこにあることを発見する機会があるのだ
と思うよ。

不自由であることと不幸なことはイコールじゃない。
病気の自分は不幸だと思うことから自由になることで、幸せを目指していけるんだよね。
だって、心に形はなく、心の在り方次第で自由自在に姿を変えることができるから。

人はいつでも生まれ変わることができると信じている。

幸せとは、今得ているもの、今していることを、好きになることから生まれる。
言い換えれば、今得ているもの、今していることを、好きになることで、幸せを感じられる心を手に入れることができるんだ。
僕は難病の自分を受け入れて好きになることで、幸せを感じられるようになりました。


悲しみ・寂しさ・苦しみ・困難・涙・笑顔・幸せ・喜び・夢・希望・愛などは、人生の中で味わうものだけど、それぞれ違う色を持っている。
こうした違う色のものが重なり合うからこそ、人生の輝きという虹ができる
んだよね。
だから、人生の全てのものがつながっているのであり、無駄なものは一つもないのだと思うよ。
僕は神様が全てのことを働かせて益としてくださると信じている。

*僕は生まれつきの病気なので、身体の痛みで苦しくなるときがよくある。
昔は痛いことが嫌いだった。
でも今は違う。
なぜなら痛みは痛みのままで終わらないことを知ったから。

身体と心で痛みを感じることで、他人の痛みも少しは見えるようになり、少しずつ愛や優しさを学んでいくんだよね。
痛みとは愛を創り上げていくものなんだ
と思う。

そして、周りに愛をプレゼントしていくことが自分のためになる。
自分のことだけ考えていたら辛くなる。
でも、他人の重荷を背負うことで、自分の重荷が軽くなるんだよね。

また、僕は病気の痛みで苦しんでいると、いつも寂しさや孤独感を感じる。
でも、心に佇んでいる寂しさや孤独感も確かな愛の姿なんだよね。

「漫画 フルーツバスケット」の『そっと扉を開ける人間。そんな人間を求めずにはいられないから。
孤独は恐いと知ってる人間は、人間を愛さずにはいられないから』
という言葉のように、寂しさや孤独感を感じるからこそ、愛を育んでいけるのだと思うよ。
いつまでも残るものは愛なんだ。

*努力していても、理想とは程遠い自分にショックを受けることがある。
人間は弱いから、周期的にネガティブになってしまう。
でも、その度に立ち上がっていけばいいんだよね。

人生は浮き沈みの繰り返しで、押し寄せては引いていくのだと思う。
だから、ネガティブな感情も肯定していくことが大事なんだ。
人間には欠けがあるのだから。

ネガティブな感情も自分のなかに生命がまだ残っている証拠だから、理想の自分を目指していくときにできる影を見る勇気があれば大丈夫なんだよね。
その勇気があれば、また立ち上がることができる。


たとえ落ち込んでも、理想や希望を信じていれば、それは失望ではない。
理想や希望は消えかかりながら灯火のように輝く
のだと思うよ。

*「漫画 フルーツバスケット」の『だけどボクは思うんだ。ボクはちゃんと思い出を背負って生きていきたいって。
たとえばそれが悲しい思い出でも、ボクを痛めつけるだけの思い出でも、いっそ忘れたいって願いたくなる思い出でも、ちゃんと背負って逃げないでがんばれば いつかそんな思い出に負けないボクになれるって信じているから。信じて…いたいから。
忘れていい思い出なんて ひとつも無いって思いたいから。』
という言葉がある。

今は苦しくても、生きていれば今が思い出になる。
そして、生きていれば、苦しい思い出に負けない自分になれる
はずだ。
それを積み重ねていけば、死を迎えたときに人生全ての出来事は無駄じゃなかったと言えると思うよ。

人間は、性別・顔かたち・身長・体重・趣味・得意なこと・苦手なこと・考えていること・感じていること・病気や障がいの有無・性格・民族などが皆違い、それによって豊かな人間関係を作っている。

ひとりひとりが補い合い、助け合い、受け入れ合うことで、お互いを豊かにしていくのだと思う。
どのような人間もひとりで生きていくことはできないんだよね。

聖書に「一つのからだには多くの器官があって、すべての器官が同じ働きはしないのと同じように、大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです。」という言葉がある。
だからこそ、補い合い、助け合い、受け入れ合い、愛し合っていくことが大切なんだ。

「生きる」について思うこと

2013年06月19日 17時58分49秒 | エッセイ
【鋼の錬金術師】

「たしかにこの身体だと不自由なことはたくさんある
だけど不自由であることと不幸なことはイコールじゃない
哀れに思われる言われはないよ!」


不自由であることと不幸なことはイコールじゃない・・・。
痛みを伴わない教訓には意義がない。
人は何かの犠牲なしに、何も得る事などできないのだから・・・。

僕は「病気」「不自由な身体」という犠牲から何を得たのだろう。
苦しみで錬られる希望・心の豊かさとか、痛みから芽生える優しさとか、逆境をはねかえす生きる意志とか、かたちないものばかりだけど、決して「不幸」というちっぽけなものじゃないことは確かだ。


人は外見や才能、環境を選んで産まれることはできない。
他人の人生と比べてもしょうがない。
ひとりひとりのできることは違うのだから、ひとりひとりの人生だって違っていいはずだ。
たとえ夢見た自分になれなかったとしても、生まれ持った自分、失いながら得てきた今の自分にあるもの、今までの経験や出会い、全てを含めて今の自分が存在している。

僕は生まれながらの病気でなければ、今の自分になれてはいない。
もちろん病気は不自由だ、病気であるが故に嫌な過去もあった。
でも、病気や過去を否定することは、今の自分を否定することになってしまう。
今の自分を受け入れることで、病気や過去を肯定できるんだ。

幸せとは、今得ているもの、今していることを、好きになることから生まれる。
言い換えれば、今得ているもの、今していることを、好きになることで、幸せを感じられる心を手に入れることができるんだ。


【銀河鉄道の夜】

「何がしあわせかわからないです。
本当にどんなに辛いことでも、それが正しい道を進む中の出来事なら峠の上りも下りもみんな本当の幸せに近づく一足づつですから」


♪BGM♪
今を生きる / DOES




歌詞はこちら


下のバナーをクリックしてくださるとこのブログを訪問する方が増えます。宜しくお願いします。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ 村

にほんブログ村 病気ブログへにほんブログ村