こんばんは。
明日は僕が取材を受けた番組
『余命コミュニティ~あなたは死を前にして何を想う~』が
関東地方で放送されるので
余命宣告を受けた後に
半年ほど経って書いた日記と
僕が生きる上で
信条にしていることを
載せます。
余命宣告を受けてから
半年ほど経って書いた心境はこちら
【信条にしていること】
*聖書とキリスト教信仰。
自分らしさの根幹にあるもの。
これがなければ今の僕はいない。
どんなことが起ころうとも、神様は信仰を守り続けてくださると信じている。
*見栄を張らず、自分の弱さや悲しみも出していきたいと思う。
大切なのは弱さ故の向上心だから。
聖書に「『しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。』と言われたのです。
ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。」という言葉がある。
弱さは神様や隣人の力が働くために必要なものなんだよね。
*どれほど困難な人生でも、意味を見出だすことが出来れば、希望を持つことが出来ると信じている。
希望があるからこそ明日を夢見て生きていけるんだよね。
でも、意味を発見するためには、状況そのものが問いかけてくる声に、耳を傾けることが大切だと思う。
状況そのものが主人公であって、人はその主人公が語りかける声に、じっと耳を傾ける。
そうすると、そこを生き抜くための意味が見えてくるんだよね。
聖書に「軛を負わされたなら、黙して、独り座っているがよい」という言葉がある。
辛い思いを抱え込むようなとき、あえてその辛さの中に黙って身を置き、軛そのものが語る声を聞けと勧めているんだ。
もし辛い思いを持つなら、そのときこそ、新しい意味がそこにあることを発見する機会があるのだと思うよ。
*病気の自分は不幸だと思うことから自由になることで、幸せを目指していけるんだよね。
だって、心に形はなく、心の在り方次第で自由自在に姿を変えることができるから。
人はいつでも生まれ変わることができると信じている。
*悲しみ・寂しさ・苦しみ・困難・涙・笑顔・幸せ・喜び・夢・希望・愛などは、人生の中で味わうものだけど、それぞれ違う色を持っている。
こうした違う色のものが重なり合うからこそ、人生の輝きという虹ができるんだよね。
だから、人生の全てのものがつながっているのであり、無駄なものは一つもないのだと思うよ。
僕は神様が全てのことを働かせて益としてくださると信じている。
*僕は生まれつきの病気なので、身体の痛みで苦しくなるときがよくある。
昔は痛いことが嫌いだった。
でも今は違う。
なぜなら痛みは痛みのままで終わらないことを知ったから。
身体と心で痛みを感じることで、他人の痛みも少しは見えるようになり、少しずつ愛や優しさを学んでいくんだよね。
痛みとは愛を創り上げていくものなんだと思う。
そして、周りに愛をプレゼントしていくことが自分のためになる。
自分のことだけ考えていたら辛くなる。
でも、他人の重荷を背負うことで、自分の重荷が軽くなるんだよね。
また、僕は病気の痛みで苦しんでいると、いつも寂しさや孤独感を感じる。
でも、心に佇んでいる寂しさや孤独感も確かな愛の姿なんだよね。
「漫画 フルーツバスケット」の『そっと扉を開ける人間。そんな人間を求めずにはいられないから。
孤独は恐いと知ってる人間は、人間を愛さずにはいられないから』という言葉のように、寂しさや孤独感を感じるからこそ、愛を育んでいけるのだと思うよ。
いつまでも残るものは愛なんだ。
*努力していても、理想とは程遠い自分にショックを受けることがある。
人間は弱いから、周期的にネガティブになってしまう。
でも、その度に立ち上がっていけばいいんだよね。
人生は浮き沈みの繰り返しで、押し寄せては引いていくのだと思う。
だから、ネガティブな感情も肯定していくことが大事なんだ。
人間には欠けがあるのだから。
ネガティブな感情も自分のなかに生命がまだ残っている証拠だから、理想の自分を目指していくときにできる影を見る勇気があれば大丈夫なんだよね。
その勇気があれば、また立ち上がることができる。
たとえ落ち込んでも、理想や希望を信じていれば、それは失望ではない。
理想や希望は消えかかりながら灯火のように輝くのだと思うよ。
*「漫画 フルーツバスケット」の『だけどボクは思うんだ。ボクはちゃんと思い出を背負って生きていきたいって。
たとえばそれが悲しい思い出でも、ボクを痛めつけるだけの思い出でも、いっそ忘れたいって願いたくなる思い出でも、ちゃんと背負って逃げないでがんばれば いつかそんな思い出に負けないボクになれるって信じているから。信じて…いたいから。
忘れていい思い出なんて ひとつも無いって思いたいから。』という言葉がある。
今は苦しくても、生きていれば今が思い出になる。
そして、生きていれば、苦しい思い出に負けない自分になれるはずだ。
それを積み重ねていけば、死を迎えたときに人生全ての出来事は無駄じゃなかったと言えると思うよ。
*人間は、性別・顔かたち・身長・体重・趣味・得意なこと・苦手なこと・考えていること・感じていること・病気や障がいの有無・性格・民族などが皆違い、それによって豊かな人間関係を作っている。
ひとりひとりが補い合い、助け合い、受け入れ合うことで、お互いを豊かにしていくのだと思う。
どのような人間もひとりで生きていくことはできないんだよね。
聖書に「一つのからだには多くの器官があって、すべての器官が同じ働きはしないのと同じように、大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです。」という言葉がある。
だからこそ、補い合い、助け合い、受け入れ合い、愛し合っていくことが大切なんだ。
♪BGM♪
花の匂い / Mr.Children
「どんな悲劇に埋もれた場所にでも
幸せの種は必ず植わってる
こぼれ落ちた涙が如雨露一杯になったら
その種に水を撒こう」
*********************
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『余命コミュニティ~あなたは死を前にして何を想う~』が
関東地方で放送されるので
余命宣告を受けた後に
半年ほど経って書いた日記と
僕が生きる上で
信条にしていることを
載せます。
余命宣告を受けてから
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【信条にしていること】
*聖書とキリスト教信仰。
自分らしさの根幹にあるもの。
これがなければ今の僕はいない。
どんなことが起ころうとも、神様は信仰を守り続けてくださると信じている。
*見栄を張らず、自分の弱さや悲しみも出していきたいと思う。
大切なのは弱さ故の向上心だから。
聖書に「『しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。』と言われたのです。
ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。」という言葉がある。
弱さは神様や隣人の力が働くために必要なものなんだよね。
*どれほど困難な人生でも、意味を見出だすことが出来れば、希望を持つことが出来ると信じている。
希望があるからこそ明日を夢見て生きていけるんだよね。
でも、意味を発見するためには、状況そのものが問いかけてくる声に、耳を傾けることが大切だと思う。
状況そのものが主人公であって、人はその主人公が語りかける声に、じっと耳を傾ける。
そうすると、そこを生き抜くための意味が見えてくるんだよね。
聖書に「軛を負わされたなら、黙して、独り座っているがよい」という言葉がある。
辛い思いを抱え込むようなとき、あえてその辛さの中に黙って身を置き、軛そのものが語る声を聞けと勧めているんだ。
もし辛い思いを持つなら、そのときこそ、新しい意味がそこにあることを発見する機会があるのだと思うよ。
*病気の自分は不幸だと思うことから自由になることで、幸せを目指していけるんだよね。
だって、心に形はなく、心の在り方次第で自由自在に姿を変えることができるから。
人はいつでも生まれ変わることができると信じている。
*悲しみ・寂しさ・苦しみ・困難・涙・笑顔・幸せ・喜び・夢・希望・愛などは、人生の中で味わうものだけど、それぞれ違う色を持っている。
こうした違う色のものが重なり合うからこそ、人生の輝きという虹ができるんだよね。
だから、人生の全てのものがつながっているのであり、無駄なものは一つもないのだと思うよ。
僕は神様が全てのことを働かせて益としてくださると信じている。
*僕は生まれつきの病気なので、身体の痛みで苦しくなるときがよくある。
昔は痛いことが嫌いだった。
でも今は違う。
なぜなら痛みは痛みのままで終わらないことを知ったから。
身体と心で痛みを感じることで、他人の痛みも少しは見えるようになり、少しずつ愛や優しさを学んでいくんだよね。
痛みとは愛を創り上げていくものなんだと思う。
そして、周りに愛をプレゼントしていくことが自分のためになる。
自分のことだけ考えていたら辛くなる。
でも、他人の重荷を背負うことで、自分の重荷が軽くなるんだよね。
また、僕は病気の痛みで苦しんでいると、いつも寂しさや孤独感を感じる。
でも、心に佇んでいる寂しさや孤独感も確かな愛の姿なんだよね。
「漫画 フルーツバスケット」の『そっと扉を開ける人間。そんな人間を求めずにはいられないから。
孤独は恐いと知ってる人間は、人間を愛さずにはいられないから』という言葉のように、寂しさや孤独感を感じるからこそ、愛を育んでいけるのだと思うよ。
いつまでも残るものは愛なんだ。
*努力していても、理想とは程遠い自分にショックを受けることがある。
人間は弱いから、周期的にネガティブになってしまう。
でも、その度に立ち上がっていけばいいんだよね。
人生は浮き沈みの繰り返しで、押し寄せては引いていくのだと思う。
だから、ネガティブな感情も肯定していくことが大事なんだ。
人間には欠けがあるのだから。
ネガティブな感情も自分のなかに生命がまだ残っている証拠だから、理想の自分を目指していくときにできる影を見る勇気があれば大丈夫なんだよね。
その勇気があれば、また立ち上がることができる。
たとえ落ち込んでも、理想や希望を信じていれば、それは失望ではない。
理想や希望は消えかかりながら灯火のように輝くのだと思うよ。
*「漫画 フルーツバスケット」の『だけどボクは思うんだ。ボクはちゃんと思い出を背負って生きていきたいって。
たとえばそれが悲しい思い出でも、ボクを痛めつけるだけの思い出でも、いっそ忘れたいって願いたくなる思い出でも、ちゃんと背負って逃げないでがんばれば いつかそんな思い出に負けないボクになれるって信じているから。信じて…いたいから。
忘れていい思い出なんて ひとつも無いって思いたいから。』という言葉がある。
今は苦しくても、生きていれば今が思い出になる。
そして、生きていれば、苦しい思い出に負けない自分になれるはずだ。
それを積み重ねていけば、死を迎えたときに人生全ての出来事は無駄じゃなかったと言えると思うよ。
*人間は、性別・顔かたち・身長・体重・趣味・得意なこと・苦手なこと・考えていること・感じていること・病気や障がいの有無・性格・民族などが皆違い、それによって豊かな人間関係を作っている。
ひとりひとりが補い合い、助け合い、受け入れ合うことで、お互いを豊かにしていくのだと思う。
どのような人間もひとりで生きていくことはできないんだよね。
聖書に「一つのからだには多くの器官があって、すべての器官が同じ働きはしないのと同じように、大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです。」という言葉がある。
だからこそ、補い合い、助け合い、受け入れ合い、愛し合っていくことが大切なんだ。
♪BGM♪
花の匂い / Mr.Children
「どんな悲劇に埋もれた場所にでも
幸せの種は必ず植わってる
こぼれ落ちた涙が如雨露一杯になったら
その種に水を撒こう」
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