明日を夢見て~神様と筋ジストロフィーと共に生きる~

クリスチャン。デュシェンヌ型筋ジストロフィー患者で電動車椅子と人工呼吸器を使っている。

クリスチャン・オフ会

2015年01月30日 21時16分48秒 | キリスト教
一昨日は、日本イエス・キリスト教団の神戸大石教会で行われたFacebookクリスチャン・オフ会に参加して来ました♪

美味しいお弁当とデザートに、聖書パズルのゲーム、ギターでの賛美、ゴスペルフラダンス、ゴスペル、音楽の先生の賛美レッスンなど、楽しいプログラムのフルコースで、ずっと笑顔のとても幸せな時間でした~ヽ(^◇^*)/

みなさんのトーク力もすごくて、笑いが絶えませんでした。(*^_^*)

ちなみに、僕は簡単に証しをさせていただきました。(^-^*)/

あらゆる教派を超えての交わりだったので、お友達の輪が広がって嬉しいです♪
次回も参加したいなぁ☆

集合写真



賛美レッスン




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<出版>元暴走族の牧師が本 少年院出た後も希望、伝えたい

2015年01月25日 17時53分49秒 | キリスト教
仲良くしていただいているアドラムキリスト教会の野田先生が
「私を代わりに刑務所に入れてください-非行少年から更生支援者へ」という本を出版します。

その記事が毎日新聞に掲載されました。発売が待ち遠しいです。

記事を読むにはこの文字をクリックしてください

以下は記事より引用しました。

<出版>元暴走族の牧師が本 少年院出た後も希望、伝えたい
毎日新聞 1月20日(火) 配信


 非行少年らの立ち直り支援に取り組む東大阪市の牧師、野田詠氏(えいじ)さん(39)が来月、
非行に走った自らの少年時代や当時の心境をつづった「私を代わりに刑務所に入れてください--非行少年から更生支援者へ」(いのちのことば社、1080円)を出版する。
野田さんは「少年院にいる少年たちに『出院後にも希望がある』ということを伝えたい」と話している。

 野田さんは3歳の時に両親が離婚。
母は女手一つで年の離れた2人の兄と野田さんを育ててくれたが、仕事で帰りが遅く、いつも寂しさを感じていた。
母との関係はぎくしゃくし、成績も振るわず進路に悩んでいた中学3年の時、暴走族が居場所になった。

 鉄パイプを手に数十台のバイクで暴走すると「自分の存在が大きくなったように錯覚した」
交番襲撃を繰り返し、覚醒剤にも手を染めた。
「誰かに襲われる」と不安になり、ナイフか包丁が枕元にないと眠れなくなった。
16~19歳まで毎年1回少年鑑別所に入り、4度目の1995年にとうとう少年院に送られた。

 「私を代わりに--」。少年院送致を言い渡した裁判官に、母は泣き叫んだ。
その言葉を著書のタイトルにした。
当時は「何で俺が入らなあかんねん!」と思ったが、一方で「母に愛されていると実感できた」という。

 少年院に入った後、転機が訪れた。
クリスチャンの兄が差し入れてくれた聖書を読み進むうち「神はすべてお見通しだ。もう悪いことはできない」と思うようになったという。
出院後に奈良県内の神学校に入学。2000年4月に教会を開設した。
現在は自立準備ホームも運営し、地元の保護観察所とも連携しながら社会復帰を目指す少年らに一時的な住まいを提供するなどの支援をしている。

 「『少年院上がり』の自分でも何とか地に足をつけて生きている。どんな人にも可能性はある」。
野田さんは力を込め「親御さんや少年司法に携わる人も読んでほしい」
と話した。【和田武士】


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愛は

2015年01月19日 22時12分39秒 | キリスト教
【新共同訳聖書 コリントの信徒への手紙一 13章4~8節】

「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。
礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。
不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。」


僕もそうですが、人間の愛は嫉妬することを含んでいますよね。
人の心に踏み込むような無礼なこともしてしまいます。
しかも人間は、愛の名でこのようなことを正当化するんですよね。

僕の愛は結局、自分の利益を求めているのではないか?とよく後悔します…。
映画「ある愛の詩」で『愛とは決して後悔しないこと』というセリフがありましたが、
人間の愛は限界があるから、後悔するのだと思います。

「僕は忍耐強くありません。僕は情け深くありません。
僕は無礼です。自分の利益を求めます。いらだちます。恨みます」とよく感じます。

でも、「主イエスは忍耐強い。主イエスは情け深い。ねたまない。
主イエスは自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。
主イエスは不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える」
んですよね。

ここで語られる愛の姿の描写は、「すべてに耐える」という言葉で終わります。
この耐えるという言葉は、もともと「下に居続ける」という言葉だそうです。
下にいて、下から支えて留まり続ける、ということだそうです。
十字架を負って下さったイエス様を思います。


だから、クリスチャンは絶望する勇気を持つことができるんですよね。
イエス様のみ手に支えられて、暗闇の深みへ落ちないように、イエス様は守ってくださるのだから。
人間は「絶望」から脱け出るたびに、新しい生命へと造り変えられていくのだと思います。

ここで愛とは、主イエス・キリストであるということを語っています。
イエス様から自分は愛を知った。
クリスチャンは、愛そのものであられるイエス・キリストを主としているのです。
だから、愛は永遠に留まる、愛は決して滅びないのです。

信仰という手段によって、神様と私たちが結び合わされたのは、愛という目的のためなのです。

愛には忍耐が必要ですが、忍耐するためには希望が不可欠ですよね。
愛にも希望が必要だと思います。

愛は多くの弱さを覆うものですし、痛みや悲しみの中で育まれるものですし、永遠につづくものです。
また、愛し愛されることは人間の一番の幸せですから、
どんな状況に置かれても、愛そのものが希望になると信じています☆


♪賛美♪




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暗闇

2015年01月14日 17時50分22秒 | キリスト教
【V・レイモンド・エドマン】
「神が光の下で言われたことを、決して暗闇の中で疑ってはならない」


人間は生きていると、暗闇にいると感じるような苦難を味わうことがある。
神様を信じている人はすでに救われているけど、それでも暗闇を歩むことがある。
暗闇は死の世界であり、神様から引き離された世界だ。
「どうしてこんな苦しい目に遭わなければいけない!」と神様から遠く引き離されたような気持ちになる。

でも、イエス様が寄り添うことのできない人間の絶望や暗闇はないんだ。
イエス様は全人類の罪を背負い、陰府にまでくだられたのだから。
ひどい苦難の中に置かれ、苦痛のどん底で何の希望もないように感じるときも、イエス様は共にいてくださる。
イエス様が共におられるなら、そこは暗闇ではないんだ。

もちろん暗闇の中にいれば神様を疑ってしまう時もある。
でも、神様の救いの力は人間の疑いより遥かに勝るから、その力を信じることが大切なんだ。

また、救いを実感するためには、自分は神様なしには生きていけないと自己に失望して、神様に委ねることが大事なんだ。
そうして、絶望する勇気を持つことができる。
イエス様の御手に支えられて、暗闇の深みへ落ちないように守ってくださるのだから、本当の絶望は無いんだろうなぁ。

また、祈ることで、自分が重荷に感じていることを全て言葉にでき、神様に助けを求めることができる。
言葉にしている時点ではまだ大丈夫なんだ。
そして、祈りにできるように神様は導いてくださるんだ。




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明けましておめでとうございます

2015年01月04日 21時27分25秒 | 日常

明けましておめでとうございます。\(*^▽^*)/
今年も宜しくお願いします。

昨年は、全国の多くの教会で証しをさせていただいて、
難病の自分であっても、神様から豊かに用いられるんだ!と、
生きる喜びを大いに感じた充実の一年でした。

神様とみなさんに感謝でいっぱいです。<(_ _*)>

今年の課題ですが、教会での証しに加えて、
残りの人生で生涯かけて取り組みたいことが
長い祈りの中で定まってきたので、
今年はその準備に努めていこうと思います。

まだ人には言える段階ではないので、分かりづらくてごめんなさい。

あとの課題は、病の進行のせいか、
身体の痛みが徐々にきつくなってきたので
痛み苦しみを長く忍耐できるようになること、ですね。

【新改訳聖書 ピリピ人への手紙 2章14~16節】

「すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行いなさい。

それは、あなたがたが、非難されるところのない純真な者となり、
また、曲がった邪悪な世代の中にあって傷のない神の子どもとなり、

いのちのことばをしっかり握って、彼らの間で世の光として輝くためです。
そうすれば、私は、自分の努力したことがむだではなく、
苦労したこともむだでなかったことを、キリストの日に誇ることができます。」


♪音楽♪
いつまでも若く Forever Young / ボブ・ディラン

歌詞の日本語訳はこの文字をクリック



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