明日を夢見て~神様と筋ジストロフィーと共に生きる~

クリスチャン。デュシェンヌ型筋ジストロフィー患者で電動車椅子と人工呼吸器を使っている。

空想科学読本

2013年04月28日 18時40分15秒 | 読書
こんにちは。

僕はいま柳田理科雄さんの「空想科学読本」という本にはまっています。
アニメや特撮の疑問に対して、必要な情報を集めて、その現象を科学的に解き明かしていく、という内容です。

例えば
「アンパンマンは顔を食べられても、なぜ平気なのか?」

「クレヨンしんちゃんの野原しんのすけは、おならで空を飛ぶが、しんのすけのお尻は大丈夫?」

「北斗の拳の『お前はすでに死んでいる』とは、一体どういう状態?」

「ウルトラマンに登場するバルタン星人のハサミの切れ味はどれぐらい?」

といったようなことを解説しています。

僕は理科が苦手で、学生時代の理科の成績も悪かったのですが、そんな僕にも分かりやすいし、とっても面白いです!

柳田さんには「子供の夢を壊している」という批判が多いみたいですが、アニメや特撮を題材にマジメかつ楽しく論証をおこなうことにも夢はあると思います。

ちなみに、下記のサイトで、「アルプスの少女ハイジのブランコは時速68キロ」という柳田さんの解説が載せてあるので、よかったら読んでくださると嬉しいです♪

サイトはこちら





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喜びのいのち

2011年05月13日 18時13分23秒 | 読書


『喜びのいのち―出生前診断をめぐって / 全国キリスト教障害者団体協議会』

【レビュー】

障害児の出生前診断をめぐって書かれている。主に医学的、キリスト教的な側面から。また障害者本人・家族、医療関係者の意見もあるのがよい。

安易に科学技術を出生前診断に応用して遺伝子を調べ、障害の有無を予測すること、また障害を負って生まれてくるかも知れない、ということが判れば、その命を奪うことを当然とする社会の有りようこそ、おかしい。「すべての命に生きる権利がある」という生命倫理に立って、真剣に考え直すべきだ。

また「障害」というふるいにかけて、胎児の命を奪うことになるだけでなく、障害者を好ましくない存在であるとする、偏見と差別を助長するだけの結果に終わる危険性がある。

仮に障害者がいない社会が出来上がったとすれば、それは理想的な社会とは程遠く、強い者と弱い者とがぶつかり合い、いたわりも思いやりも失われた、実に冷え冷えとした、惨憺たる社会になるのではないか。家庭に障害者がいることによって、かえって和やかで、楽しさが満ちている、という実例があることに目を向けるべきだ。

私たちは顔かたち・身長・趣味・得意なわざ・個性などが皆違い、それによって豊かな人間関係を作っている。障害もひとつの個性なのだから、障害を負う人と負わない人が混じり合い、補い合って、かえってお互いを豊かにしていく。障害者がいない方が望ましいのではなく、障害を負う人がいることが当たり前という社会こそが、本当に「健全」なのだ。

障害を負う者の命が軽視され、障害者の存在そのものも疎んじられるとき、「人の命は重い」という価値観が失われ、それだけ人の命が軽く扱われる事態とならないだろうか。そうならないために、疎んじられがちな障害者の命と人格が、ただ人間であるという理由だけによって、障害を負わない人と同様に尊重されることが大事なのである。これは社会が、人間お互いの暖かさを失わないために重要なことだ。

出生前診断のことを取り上げる時に、必ず持ち出されるのは、「これは親の幸福権を守るためである」「親となる人の要望に添ったものだ」という主張だ。

この場合、障害児の親となるかも知れない人や医師が、障害者本人や障害児を育てた体験を持つ人について、「どれほど知っているか」ということが問題である。ほとんど知られていないのではないだろうか。「障害とともに豊かな人生を歩む人がいることを知らない医師も多い」と、ある新聞の社説は指摘している。

障害者や、その家族との接触がほとんど無いのに、「障害者がいないほうがよい」「生まれる前に処置したほうが、本人や家族のためだ」とするのは、実態が全く知られていないのだから、無謀な考えだと思う。もし、本当に障害者について知っていたら、別の結論が出されていたかもしれない。


もちろん障害者がちゃんと生活していくためには、社会がそういった人々を受け入れていく心構えがなければいけない。この子が産まれると果たして幸せに生きていけるだろうか、と不安になる障害児の両親がいることは当たり前だと思う。そのためにも医療機器や福祉制度をより充実させて、障害者のQOLを高めていくことが大切である。

また医学は完璧ではないので、出生前診断で障害を持つかもしれないと判断されても、産まれ来れば障害を持っていなかったという実例もある。

生まれくる命を、「障害を持って生まれてくれば不幸になるから命を奪う」という社会の考えが間違っているのだ。

僕も障害を抱えている者として、「自分は不幸だ。生まれて来なければよかった」といつも絶望するのではなく、「障害を抱えていても心の在り方次第で、心豊かに幸せに生きることができる」ということを、人生を通して社会に伝えていきたい。


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ONE PIECE 62巻

2011年05月10日 18時17分07秒 | 読書
「ONE PIECE 62巻」を買って来て、読み終わったから、早速レビューを書いてみる。

ネタバレしているから、まだ読んでいない人はこの日記を無視してね。

魚人島までの航路のストーリーが長かったけど、面白くてずっと笑うことができたから、良い気分転換になった♪

麦わらの一味が物凄く強くなっているね。なんだかみんなの攻撃が巨大化してない?この調子だったら、これからあり得ないぐらいの大きさの敵が登場するんだろうな。

また相変わらずサンジは、女性を見ると鼻血が出るね。(笑
まだリハビリが足りない……血が足りなくなって死にかけるなんて、どんだけエロいんだ。でもあのシーンだったら、誰でもこうなるよね。(笑

あと、しらほし姫が可愛すぎる!!ONE PIECEの女性キャラで一番好きになった!!いや、これは恋だよww

ちなみにネットで調べてみたら、しらほし姫に魅了されたファンは数え切れないほどいるんだなぁ。

予想だけど、しらほし姫はルフィに恋するのかも。そうなるとハンコックとライバル!?

最後に62巻で考えさせられたシーンを書いてみる。

『人間に血液を分かつ事を禁ず。これはいわばお前ら人間の決めたルールさ。長い歴史において、我らの存在を化け物と恐れ、血の混同をお前達が拒んだ』

人間が魚人を差別してきた歴史。人間が魚人を化け物と勝手に決め付け、血の混同を恐れ、奴隷として扱う。そのせいで魚人も人間を差別するようになる。お互いがお互いを差別してしまうと、交流がなくなってしまうから、いつまでも差別はなくならない。

尾田先生は深いテーマを出してきたね。でもルフィ達が人間と同じように魚人達と交わり、魚人達が魚人と同じようにルフィ達と交わっていることが、大事なことなのだと思う。

『戦争の前は白ひげの名で、この島は海賊達の手から守られてたんだが、今はビック・マムがそうだ。そのかわり毎月大量の甘いお菓子を要求してくる。そうやって巨大なものに守って貰わなきゃ、国が成り立たねぇ程、ここは海賊達の往来の激しい危険な場所なんだ。

白ひげは少なくとも見返りは求めなかった。ビック・マムはビジネス程度に考えてんのかもな』

巨大なものに守って貰わなきゃ、国が成り立たない。でも白ひげは見返りを求めなかったけど、ビック・マムは大量の見返りを要求してくる。

同じ抑止力を持つ勢力でも、こんなに違うんだね。やっぱり見返りを大量に要求してくる勢力は、危険視すべきなのかもしれない。

でも僕も人間関係において、見返りを無意識に求めてしまっているときがある。だからこそ、よく気を付けていきたいよ。

それにしても白ひげやエース達は、もっと登場シーンを増やしてほしかったなぁ。まだ生きているマルコや白ひげ海賊団の残党はまた登場するのかな?

早く63巻が読みたいよ!


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道しるべ

2011年03月01日 11時08分53秒 | 読書
読書レビュー

「道しるべ/ダグ・ハマーショルド」

第二代国連事務総長であったダグ・ハマーショルドの著作。日記、己との対話、神との対話、自作の詩などが綴られてある。精神的生活、人間の弱点や可能性が主要なテーマ。今で言えばブログやTwitterのつぶやきのような内容だ。

人間は物事が成功したとき、自分でも気付かないうちに自慢し、傲慢になってしまう。サタンが悪魔となったのは、自分が成し遂げた天使としての行いをはじめて自慢したときであった。だからこそ常に謙虚でなければならない。しかし自分を卑下してもいけないのだ。バランスを保つことが大事なんだと思った。

また人間がより良く生きるためには、自己犠牲・自己滅却の精神が必要になる。自分の欲望に支配されないこと。それから見返りを期待するのではなく、隣人のために魂を尽くして奉仕していこうとする心がけを持っていきたいと感じた。

そして愛がなければ、人間は真の平安を得ることはできない。なぜなら愛は神から出るものだからだ。悪魔の心には愛だけが存在しない。愛がないばかりに、他人を支配したいという欲望が湧き出てしまうのだなと思った。愛はこの世界で最後まで残る一番偉大なものなのだろう。

国連事務総長という権力の頂点に立った著者は、自分を律することに相当苦労したのではないだろうか。やっぱり祈りや瞑想する時間は誰にでも必要なんだよな。

最後に特に気に入った言葉を載せてみる。

「昔の伝説は語っている。獣だの、目に見えぬ霊だのに変えられてしまった者が、もとの人間の姿をとり戻すには、だれかほかの人に愛されなくてはならないのである」P114

「おまえは、もし無思慮にも自分の死後に語られるおまえ自身の姿を思い描くようになると、自分自身にたいする墓碑銘と死刑判決文とを同時に書きつづることになるであろう。

  できることをせよ。そうすれば、任務が手にあまることもなく、軽やかに片づけてゆくことができよう。その軽やかに力を得て、おそらくはつぎにやって来るかもしれぬ、より厳しい試練にむかって、希望をもって向かってゆくことができよう」P121

「他人から好評を博したいと切望し、彼らが<栄誉>を受けそうなのを見て嫉妬しつつ、自分のした行いや自分のいままでのありようから、どんな行く末をたどることになるのだろうかと思いあぐねるほど、おまえは情けない状態にたちいる。

  不安は自分のなかに生命がまだ残っている徴だと思って、ありがたく思うがよい」P133

「われわれは、わが亡きあとにせめて端正さだけでも生き残ってくれるよう、端正さを保ちつつ死ぬべきであると、私は信じている」P139

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氷壁

2011年03月01日 10時55分57秒 | 読書
読書レビュー

「氷壁/井上靖」

井上靖の山岳小説。登山しているときの描写がリアリティがあって、まるでその風景を直に見ているようだった。また恋愛の要素もあり、企業間のエゴや商品の品質問題など社会派小説の側面もある。 

僕はこの小説を読んで次の3つのことを感じた。 

一つ目は他人は自分の意見を素直に聞いてくれないということ。だからこそ譲れないものがあるときは信念を決して曲げず、自分の意志を貫くことが大事なのだ。 

友人である小坂が自殺したのではないということを主張し続ける魚津。そのために自分が殺人犯であると疑われても、友人をかばうために自分の意志を貫く魚津の精神は素晴らしい。 

二つ目はなぜ登山家は山を登るのだろうか。それは自分のあらゆる執着や迷いを払い落とし、頂上に辿り着くという目的を達成する醍醐味を体感するためなのかもしれない。 

また登山には常に死が潜んでいる。でも人間は死にさらされて始めて、自分があるべきところに立つことができるのだろう。 

そして神聖なる山で自殺する登山家など存在しないのだなと思った。 

三つ目は氷のように冷たい大きな山を登ることは、厳しい社会の中で人生の壁をよじ登っていくのと何ら変わらないのだ。 

でも氷壁のような人生を登るとき、自分を支えてくれているものは、信じ合える人と人の絆なのだと感じた。

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