明日を夢見て~神様と筋ジストロフィーと共に生きる~

クリスチャン。デュシェンヌ型筋ジストロフィー患者で電動車椅子と人工呼吸器を使っている。

東須磨教会で証し

2014年10月27日 21時20分28秒 | キリスト教
26日は東須磨教会(ホームページはこちら)で証しをさせていただきました。
今回は礼拝中と午後のコンサート中に2回しました。

礼拝中の証しは、きちんと準備して暗記した内容をそのまま話したので、ガッチリと型にはまった証しになってしまい、伝わりづらいものになったので、反省しました。
午後の証しは、準備した土台の上に、その場で浮かんだアドリブをいくつか入れて話したのですが、感想を聞いたりして、人の心に伝わる証しになったと感じました。
型にはまった内容より、土台の上で自由に語る内容のほうが伝わるし、神様の恵みを大胆に届けられるんだなぁと勉強になった。。

コンサートは音楽事務所に属しておられるゴスペルシンガーの安永啓太さんの賛美でした。詩篇のみ言葉からイメージされた素晴らしいゴスペルを弾き語りしてくださり、慰め深い詩篇に思いを馳せながら、安永さんの歌詞とメロディに引き込まれて、透き通る歌声に感動しました♪

是非とも多くの人たちに聴いてほしいなぁ。
ちなみに、 安永啓太さんのブログはこちらをクリックです。

当教会の坂井先生から、与えられた命の日々をただ『余命』ではなくて『与命』として、神様の愛とイエス様からの救いによる尊い一日一日として生きる、という言葉をいただき、難病クリスチャンとして生きていく思いを新たにしました☆

坂井先生、安永さん、教会のみなさま、心からありがとうございました!
















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キリストの体によってひとつ

2014年10月25日 13時40分27秒 | キリスト教
福音が人々の間に語り伝えられるようになるために、神様は、私たちが神様の生ける言葉を、兄弟の証しを通して、人間の口を通して、見出すことを望まれた。

ひとりが御言葉に打たれると、その人は他の人に伝えずにはいられない。

兄弟の言葉のなかのキリストは、自分の心のなかのキリストより強いのだから、キリスト者は自分に御言葉を語ってくれる兄弟を必要とする。

僕は兄弟の証しを聞くとき、自分の人生では決して経験することができない出来事を通して、神様の恵みと深い計画を知ることができる。

そう考えると、兄弟の信仰の成長が自分の信仰を育むことになるのだと思う。


僕たちはキリストの体によってひとつなんだ。

【エペソ人への手紙4章16節】

「キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。」





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東須磨教会で証し チラシ

2014年10月19日 21時43分45秒 | キリスト教
10月26日に、神戸市にある東須磨教会(日本キリスト改革長老)で、僕が証し(体験談)をさせていただきます!
よかったら、ご近所にお住まいの方は来てくださると嬉しいです。(*^_^*)

10時30分からの礼拝と午後2時からのミニコンサートで僕は証しをします。
僕の後にあるゴスペルシンガーの安永啓太さんのコンサートはとても楽しみです♪

場所 日本キリスト改革長老教会 東須磨教会 (神戸市須磨区大手町4−2−26)

時間 10月26日(日)
お問い合わせ 078−731−5702



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無限の希望を決して失ってはならない

2014年10月14日 17時31分17秒 | キリスト教
【キング牧師】
「私たちは有限の失望を受け入れなければならない。
しかし、無限の希望を決して失ってはならない。」


人生には「どうして私がこんな目に遭わなければいけないの?」と無力感に悩む苦難がある。神様の愛を信じているからこそ、「これが神様が私に用意してくださっている最善の道なの?」と失望する。人生が神様の統治の中にあると言っても、なかなか苦難を受け入れることができない。

でも、苦難は、運命のいたずらや悪霊の仕業でも、先祖の怒りや罪の結果でもなく、神様の御心が全うされ、神様の偉大なご計画が実現するための道なんだ。

そして、苦難には続きがある。人間からは敗北のように見えるイエス様の受難と十字架に、罪と死に打ち勝ち、私たちへの愛を貫いてくださったイエス様の完全な勝利があること。また、この神様のご計画は、やがて復活の勝利に私たち信仰者すべてがあずかることができる希望の未来へと続いている。

だから、苦難の中でこそ、神様の偉大なご計画のもとに、人間への愛を全うするために徹底的に低くなられたイエス様の姿を見上げることが大切なんだ。そして、イエス様はいつも私たち信仰者と共におられるのだから、イエス様と共に苦しみを受けていることが、すでに将来の復活が用意されていることの保証なんだ。

人生は神様の御心の中にあるのだから、神様を信じながら生きていくことで、神様のご計画が実現されていくんだ。昔の僕は自分の不治の難病がコンプレックスだった。でも、神様の視点に立つならば全く違う。神様は、難病を含めた私を愛するために、私を創造してくださり、私の人生を計画してくださった。だから、私が難病の人生を生きていくことで、神様のご計画が実現されていくのです。

人間が生きる価値は、自分や人が決めるのではなく、自分を存在させている神様が決めてくださるのだから、自分の苦しみだけを見るのではなくて、神様のご計画の実現という広い視点から自分の苦しみを捉えたら、生きる力が湧いてくるようになりました。

私たちの人生は神様によって計画されていますし、神様は私たちの人生を初めから終わりまで全てご存知だからこそ、私たちは神様に信頼し続けることができるのだと思います。

【新共同訳聖書 イザヤ書46章9~11節】

「思い起こせ、初めからのことを。わたしは神、ほかにはいない。わたしは神であり、わたしのような者はいない。

わたしは初めから既に、先のことを告げ、まだ成らないことを、既に昔から約束しておいた。わたしの計画は必ず成り、わたしは望むことをすべて実行する。

東から猛禽を呼び出し、遠い国からわたしの計画に従う者を呼ぶ。わたしは語ったことを必ず実現させ、形づくったことを必ず完成させる。」


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存在することが最大のできること

2014年10月07日 14時55分35秒 | キリスト教
『あなたが私を愛してから、私はどれだけ価値のある人間になったでしょうか』【ゲーテ】

できることが少なくなっていく進行性の病気、誰もが訪れる老化。でも、「できなくても良い」「存在するだけで良いんだ」と思うことは大切だ。

人の生命は神様の御心によって創造されたものだから、存在するだけで尊いはずなんだ。僕は何ができるかではなくて、自分が存在しているだけで人生に喜びを感じたい。言い換えるなら、存在することが最大のできることなんだ。

そのためには自分を無条件で愛してもらうことが必要なんだけど、神様は僕のことを存在で愛して喜んでくださっているから、僕も存在しているだけで自分や隣人を愛して喜んでいきたい。あなたが存在してくれることが「ありがとう」と伝えていきたい。

自分のことのように隣人を愛する。愛とは「私はあなただよ」なんだと思う。この思いを心に宿しているなら、隣人を存在で喜びに感じることができるはずだ。

どんなときも神様や隣人とつながっていることを感じているのなら、ずっと人の尊厳や幸せは守られると信じている。自分は神様や隣人と共に存在しているのだ、と自覚していると、苦しみの中でも、神様や隣人と手をつないでいこう、という積極的な姿勢に変わってくるんだ。

また、どのような身体の状態になっても、祈ることはできる。祈りとは、神様と隣人への愛のあらわれなんだ。

【新改訳聖書 ヨハネの黙示録4章11節】

「主よ。われらの神よ。あなたは、栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方です。あなたは万物を創造し、あなたのみこころゆえに、万物は存在し、また創造されたのですから。」




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