明日を夢見て~神様と筋ジストロフィーと共に生きる~

クリスチャン。デュシェンヌ型筋ジストロフィー患者で電動車椅子と人工呼吸器を使っている。

誕生日

2012年03月18日 22時50分12秒 | 日常
こんにちは♪
僕は3日前に21歳の誕生日を迎えました。

たくさんの方々からお祝いのメッセージをいただいて、中にはプレゼントを送って下さった方もおられて、すごく嬉しかったです。

本当にありがとうございます。。
愛と幸せをいっぱい感じることができました。
感謝の気持ちでいっぱいです。。

よく孤独を感じてしまうけど、僕はひとりじゃないんですね。。
涙が出るほど嬉しいです。。

僕は進行性の病気なので、ひとつ歳を取ることは、みなさんからお祝いされた喜びと共に、同じくらい不安もあります。
でも、20代になったのに、未だ僕に欠如しているものは、大人の自覚・自己責任能力・コミュニケーション能力なので、神様にあって、成長していきたいです☆

また、大切な人たちを守ることができる男になりたい。
最近、男は優しさだけでは足りなくて、大切な人たちを守ることができなければ…と痛いほど感じているので。

【ネイティブアメリカン口伝】
「あなたが生まれたとき、あなたは泣いていて周りの人達は笑っていたでしょう。
だから、いつかあなたが死ぬとき、あなたが笑っていて周りの人たちが泣いている。
そんな人生を送りなさい。」


♪誕生 / 中島みゆき




ひとりでも私は生きられるけど
でもだれかとならば人生ははるかに違う
強気で強気で生きてる人ほど
些細な寂しさでつまずくものよ

呼んでも呼んでもとどかぬ恋でも
むなしい恋なんて ある筈がないと言ってよ
待っても待っても戻らぬ恋でも
無駄な月日なんてないと言ってよ

めぐり来る季節をかぞえながら
めぐり逢う命をかぞえながら
畏れながら憎みながら いつか愛を知ってゆく
泣きながら生まれる子供のように
もいちど生きるため泣いて来たのね

Remember 生まれた時だれでも言われた筈
耳をすまして思い出して最初に聞いた Welcome
Remember 生まれたこと
Remember 出逢ったこと
Remember 一緒に生きてたこと
そして覚えていること

ふりかえるひまもなく時は流れて
帰りたい場所がまたひとつずつ消えてゆく
すがりたいだれかを失うたびに
だれかを守りたい私になるの

わかれゆく季節をかぞえながら
わかれゆく命をかぞえながら
祈りながら嘆きながら とうに愛を知っている
忘れない言葉はだれでもひとつ
たとえサヨナラでも愛してる意味

Remember 生まれた時だれでも言われた筈
耳をすまして思い出して最初に聞いた Welcome

Remember けれどもしも思い出せないなら
わたし いつでもあなたに言う生まれてくれて
Welcome

Remember 生まれたこと
Remember 出逢ったこと
Remember 一緒に生きてたこと
そして覚えていること

 
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希望

2012年03月12日 16時56分25秒 | 日常
3.11から一年。。。

僕は被災地に足を運んでいないので、僕のような人間は何も語るべきではないのかもしれません。。

でも、僕が生きている時代に3.11が起こったことを絶対に忘れたくないですし、おこがましいですが、少しでも自分の中に3.11の出来事を植え付けたいので、この日記を書きます。

昨日は3.11の番組を観ていました。
何度映像を観ても言葉を発することができなくなりますし、ただ観ているだけしかできない、ただ祈ることしかできない自分の無力さに悲しくなります。。。

でも、おこがましいかもしれませんが、祈りも愛であり、奉仕だと信じたい。。
ひとりひとりにできることがあると信じたい。。
祈り以外に、昨日ひとつできることを見つけたので、塵のようにちっぽけなことですが、ただいま実行中です。。


僕は「困難な人生であっても、希望を感じることができれば、人生に意味を見出すことができる」という信条を持ちながら、いつも生きています。

でも、3.11の出来事に意味を見出すことは不可能です。。。

また、僕の難病の困難さなんて、被災地の方々から見れば、ちっぽけなものだと思います。。。

僕は自分の人生で得たことしか語れません。
でも、僕はそれをたくさんの人々に伝えていきたいと思っています。
苦しみのレベルは全く違うけど、僕が人生で得たことを分かってくださる方々がおられることを信じています。

「希望」

僕は「希望」を感じることで、今日を生きることができるし、明日を生きる勇気を持つことができると思います。


僕の「希望」はイエス・キリストです。
次の南米の讃美歌がこのことをあらわしています。

「だから今日希望がある」




主が貧しい馬小屋で

お生まれになられたから

この世界のただ中で

栄光しめされたから

主が暗い夜をてらし

沈黙破られたから

固い心解き放ち

愛の種まかれたから

(くり返し)

だから今日希望がある

だから恐れずたたかう

貧しい者の未来を

信じて歩みはじめる

だから今日希望がある

だから恐れず戦う

貧しい者の未来を信じて

2.主がおごる者をちらし

高ぶる者を低くし

小さく貧しい者を

引き上げほめられたから

主が私たちのために

その罪と咎を背負い

苦しみと痛みを受け

十字架で死なれたから

3.主がよみがえられたから

死を打ち破られたから

もう何も主の御国を

さえぎることはできない


いつものようにキリスト教の話になってしまいました。。。

でも、人の数だけ「希望」の数もありますよね。。。
みんなの「希望」がつながって…一筋の「光」となりますように…。


【シモーヌ・ヴェイユ】

「人間が存在する唯一の目的は、
生きるという闇夜に火をつけることである。」

「たとえ、歳月を重ねた奮闘努力が、少しも報われないと思える時でも、
いつの日か、その努力にちょうど見合うだけの光が、
あなたの魂にみなぎるものです。」

【マザー・テレサ】

「沈黙の果実は祈りである。
祈りの果実は信仰である。
信仰の果実は愛である。
愛の果実は奉仕である。
奉仕の果実は平和である。」


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2012年03月04日 23時13分19秒 | キリスト教
久しぶりの日記です。
体調が優れなかったですし、少し忙しかったので、しばらく書けていませんでした。

【新共同訳聖書 コリントの信徒への手紙 一 13章4~8節】

「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。」


僕もそうですが、人間の愛は嫉妬することを含んでいますよね。
人の心に踏み込むような無礼なこともしてしまいます。
しかも人間は、愛の名でこのようなことを正当化するんですよね。

僕の愛は結局、自分の利益を求めているのではないか?とよく後悔します…。
映画「ある愛の詩」で『愛とは決して後悔しないこと』というセリフがありましたが、人間の愛は限界があるから、後悔するのだと思います。

「僕は忍耐強くありません。僕は情け深くありません。僕は無礼です。自分の利益を求めます。いらだちます。恨みます」とよく感じます。

でも、「主イエスは忍耐強い。主イエスは情け深い。ねたまない。主イエスは自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える」んですよね。

ここで語られる愛の姿の描写は、「すべてに耐える」という言葉で終わります。
この耐えるという言葉は、もともと「下に居続ける」という言葉だそうです。
下にいて、下から支えて留まり続けるということだそうです。
十字架を負って下さったイエス様を思います。

だから、クリスチャンは絶望する勇気を持つことができるんですよね。
イエス様のみ手に支えられて、暗闇の深みへ落ちないように、イエス様は守ってくださるのだから。
人間は「絶望」から脱け出るたびに高められるのだと思います。


ここで愛とは、主イエス・キリストであるということを語っています。
イエス様から自分は愛を知った。
クリスチャンは、愛そのものであられるイエス・キリストを主としているのです。
だから、愛は永遠に留まる、愛は決して滅びないのです。

信仰という手段によって、神様と私たちが結び合わされたのは、愛という目的のためなのです。

愛には忍耐が必要ですが、忍耐するためには希望が不可欠ですよね。
愛にも希望が必要だと思います。

愛は多くの弱さを覆うものですし、痛みや悲しみの中で育まれるものですし、永遠につづくものです。
また、愛し愛されることは人間の一番の幸せですから、どんな状況に置かれても、愛そのものが希望になると信じています☆


【テモテへの手紙二 2章13節】

「わたしたちが誠実でなくても、
キリストは常に真実であられる。
キリストは御自身を
否むことができないからである」。

【ヘルマン・ヘッセ】

「神が我々に絶望を送るのは、我々を殺すためではなく、我々の中に新しい生命を呼び覚ますためである。」


Amarantine / Enya




ね あなたが 誰かに愛を投げかけるとき
あなたの 心は ひらき ゆらめき
すべてが きらめき 新しくなる

そして そう 時はいつも それを見つけ
あなたの 心を導いてくれる それが真実だと

ね あなたが語る言葉は すべて 愛
ささやく 語る
あなたの くれる約束
日々の 鼓動の中 あなたは感じる
ね これが愛

amarantine・・・ amarantine・・・ amarantine・・・

amarantine・・・ amarantine・・・ amarantine・・・

そう 愛・・・ 愛なの・・・

愛の形・・・  そう 愛・・・

愛・・・    愛・・・

ね 愛は 時として 切なく 涙誘うもの
あふれる涙は そっと そのままに
いつか 流れ去るのだから

でもね 知ってるでしょう 
愛が あなたを羽ばたかせてくれる事を
心が どんなに遠くまで 飛んでいけるかを

amarantine・・・ amarantine・・・ amarantine・・・
そう 愛・・・  愛なの・・・   愛・・・

amarantine・・・ amarantine・・・ amarantine・・・
そう 愛・・・  愛なの・・・   愛・・・

amarantine・・・ amarantine・・・ amarantine・・・
そう 愛・・・  愛なの・・・   愛・・・ 

ね あなたの目の中に きらめく愛
それは 空から落ちてきた 星のかけら達
そして あなたは知ってるでしょう
愛は 朝の目覚めのときから 一緒なの
だから きらめく夜も 輝く昼も 愛のため

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