明日を夢見て~神様と筋ジストロフィーと共に生きる~

クリスチャン。デュシェンヌ型筋ジストロフィー患者で電動車椅子と人工呼吸器を使っている。

iPad2

2011年11月30日 21時55分47秒 | 日常
iPad2が届いた♪ 
でも僕の手は動きが悪くて小さすぎるから全く操作できない。。。
iPhoneならちょうど良いサイズなんだけど。

何か良い方法がないかなぁ。
タッチパネル操作ができないから、特殊ペンを作成して、口でくわえて操作してみるとか?
この映像のように。

筋ジス患者のiPhone活用

あと、iPhoneでiPadが操作できるみたいだけど、やり方がよく分からない。

でも主に親が使うと言っているから、夢中になったら貸してもらえないかもしれないけど。(笑)

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天に宝をたくわえる歩み

2011年11月24日 20時16分46秒 | キリスト教
『天に宝をたくわえる歩み』

Podcast(音声)はこちら

【新改訳聖書 マタイの福音書 6章19~21節】

「自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。そこでは虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗みます。

自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。

あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。」


人生は旅だよ。
なぜなら帰る場所があるから。
喜びと平安で満たされた天国という自分を造って下さった神様の国に帰ることができるからこそ、人生を喜んで生きていけるんだ。

だから、一日一日生きていくことが天に宝をたくわえることにつながっていくと思う。
神様が定めた寿命の最後まで命を使うことは人間に与えられた使命だし、人生の歩みは天国までつづいているから。
まずは今日を生きることから始まるんだ。


でも、人間は生きていく日々の中で、人の目や世間体を気にして人と比べて疲れたり、「いつまで生きればいいのだろう」と思う自分の弱さに落胆してしまう。

また、地上で得た宝や人の評価はいつ失われるか分からない。
だから、どこまでも求めて増やそうとし、その結果、いつも人の目や世間体を気にして人と比べてしまう生き方が続いてしまう。

ここで大事なことは、人の目や世間体を気にしなくてもよい生き方があるんだという理由を見出すことだよ。

自分の心が人の目や世間体ではなく、神様に向けられていることが大切なんだよね。


天に宝をたくわえるとは、神様が喜ばれることは何なのか、神様の御心は何なのか祈り、神様を見上げながら生きていくこと。
大小はあっても、誰にでも神様から与えられた賜物や役割があるのだから、それを用いて、生かしていくこと。

神様が一番喜ばれることは「心をつくし、精神をつくし、力をつくし、思いをつくして、主なる私たちの神を愛すること、また自分を愛するように私たちの隣人を愛すること」だから、賜物や役割も神様や隣人のためにつながっていくために与えられていると思う。

また、人と比べなくていいんだ。

社会は、小学校→中学校→高校→大学・短大・専門学校→就職~や10代→20代→30代→40代~という暗黙のレールがあるわけだけど、人間の成長過程や賜物や役割はひとりひとり違うのだから、「10代はこうでなくちゃいけない」「40代はこうでなくちゃいけない」と一括りにすることなんて無理なんだよね。

大切なことは、人と比べて「この年齢なのにあれこれもできない、あれもこれもない。」と思うのではなく、自分に与えられたものや自分が成し遂げたひとつひとつのことを喜んで、感謝していくことじゃないかな。

何もできない、何もない人なんていないと思う。
誰の生命も誰かの生命を輝かせるための光なんだから。

目には見えないけど、 人間を罪から救うために、イエス様を遣わして下さった神様を覚えて生き出す時に、世間体や人の目を気にする生き方から少しずつ解放されて、平安や希望を感じていけるんだろうなぁ。

そう思うと、自分は罪人だということを自覚し、「神様なしでは生きていくことはできません。僕を憐れんでください」と祈り、神様を見上げること自体が天に宝をたくわえることになるんだよね。


生きていく一日一日を神様の憐れみの中に踏み込んでいくような歩みをすることで平安と喜びを感じることができるのだと思う。

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賛美礼拝と僕のPodcast

2011年11月23日 22時01分19秒 | キリスト教
今日は僕が通っている長丘教会で青年会主催の初めての賛美礼拝を行った♪
 
初めての試みだったから分からないことばかりだったけど、リードして下さった金度亨先生、青年会メンバー、たくさんアドバイスやお手伝いして下さった兄弟姉妹の方々のおかげで、楽しく充実した時間を持つことができたから良かった。
 
雨が心配だったけど、バーベキューのときは晴れたから、安心した。。バーベキューの終わりのときにまた雨が降ってきたけどね。
 
やっぱり賛美も楽しい!!心の渇きが満たされるし、神様を褒め称える喜びに包まれる。神様に心の焦点を向けることが人間にとって最高の幸せだってことを改めて感じられたよ。
 
感謝だなぁ♪
 
今日をきっかけに長丘教会でも定期的に賛美礼拝を催していけたらいいなぁ。楽器や道具、奉仕者も必要になるから、祈りながら歩んでいきたい☆
 
それと、僕は新しくPodcastのブログを始めました。よく自分のブログに載せている聖書や人生観のメッセージを音声にもしてみることにしたんです。
 
明日を夢見て~神様と筋ジストロフィーと共に生きる~ Podcast
 
よろしければご覧くださると嬉しいです。

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2011年11月15日 23時04分19秒 | 難病のこと
【ニーバーの祈り】

「変えることができるものは変える勇気を、変えることができないものは受け入れる平静心を、そして変えることができるものと変えることができないものを峻別する知恵をお与えください」


今の僕に求められていることは、この祈りにあらわれていると思う。
半年前にできていたことが今できなくなるこの病気。
病気の悪化を受け入れたと思ったら、また悪化していき、落ち込むことの繰り返し。

今できることを頑張ったり、楽しむことは大切だけど、それと同時に、どれだけ病気が悪化しても、どんな状況に置かれても、人生の終わりまで、死んだ後も永遠に残るものを身に付けていきたい。

心の豊かさ、信仰、希望、愛。目に見えないものばかりだけど、どれも人のためになると信じている。


以前「聖書と福音」というラジオ番組で聞いた話だけど、あるALSのクリスチャンの人がいて、なかなか外出することはできなかったけど、その人は自宅を開放して、悩みや人生相談をしに訪ねて来る人々のために話し相手になっていた。その人の自宅はいつも活気で満ちていたみたいです。

僕が目指すべきところもこの人と同じなのかもしれない。
メッセンジャーとしての働き。
今はインターネットもあるわけだし。
だからそのために、これからも永遠に残るものを身に付けていく努力をしていこう。
今の僕はまだまだ未熟だから。

少しずつ自分の道が示されているのかな。

【コリントの信徒への手紙第二 4章17~18節】

わたしたちの一時の軽い艱難は、比べものにならないほど重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます。

わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。


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意志と希望

2011年11月11日 19時48分11秒 | エッセイ
♪BGM♪
ultra soul / B’z

「祝福が欲しいのなら
底無しのペイン迎えてあげましょう
そして戦うウルトラソウル

希望と失望に遊ばれて鍛え抜かれる Do it…

夢じゃないあれもこれも
今こそ胸をはりましょう
祝福が欲しいのなら
歓びを知りパーっとばらまけ」


今使っている電動車椅子がほとんど身体に合っていないせいで、電動車椅子に乗っているときはずっと身体が痺れたり、痛んだりするから辛いなぁ。

だから、ベッド上ですごす時間がメインになっているのだけど、なんだかやるせない気持ちになる。

寂しさがこみ上げてくるから、誰かと話したくなる。

でも、ベッド上でも工夫次第で趣味はできるし、外出するときに楽しみがあれば一時的に痛みを忘れることができるんだけどね。

ただ、一時的に痛みを忘れても、あとから倍返しで痛みと疲れの反動がくるのが辛いし、ずっとベッド上ですごしていると身体がきつくなる。

新しい電動車椅子が完成するまでの辛抱だけど、来年4月までは待たないといけないから、今は忍耐するときだね!

この痛みは僕にとって必要なものなんだ。

痛みも苦しみも悲しみも喜びも幸せも、自分ひとりのものではなく、人のためにつながっていくものなんだ、という思いが大切なんだよね。

この痛みを乗り越えて成長できれば今よりもっと人の支えになることができるし、痛みの中でも希望や喜びや幸せを感じながら生きていれば人を励ますことができるはずだよ。

痛みは人のためにつながっていく、という意志を持つことが大切だ。

この意志から行動や努力が生まれ、幸せや喜びを感じることができる。

そして、この意志の原動力となるものが痛みは人のためにつながっていくという希望なんだ。

希望があるからこそ忍耐することができる。希望と忍耐は表裏一体なものだから。


僕にとって一番の幸せは人とつながっていることを実感することだから、痛みの中にいても幸せになることができるんだよね


もちろん、ずっと痛みを感じていることは辛いから、痛みを無くしていく対処法は見つけていくけど。

【アラン 幸福論】

「悲観主義は気分のものであり、楽観主義は意志のものである。」

【新改訳聖書 ローマ人への手紙 5章3~4節】

「患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出す」


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