明日を夢見て~神様と筋ジストロフィーと共に生きる~

クリスチャン。デュシェンヌ型筋ジストロフィー患者で電動車椅子と人工呼吸器を使っている。

愛は

2015年01月19日 22時12分39秒 | キリスト教
【新共同訳聖書 コリントの信徒への手紙一 13章4~8節】

「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。
礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。
不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。」


僕もそうですが、人間の愛は嫉妬することを含んでいますよね。
人の心に踏み込むような無礼なこともしてしまいます。
しかも人間は、愛の名でこのようなことを正当化するんですよね。

僕の愛は結局、自分の利益を求めているのではないか?とよく後悔します…。
映画「ある愛の詩」で『愛とは決して後悔しないこと』というセリフがありましたが、
人間の愛は限界があるから、後悔するのだと思います。

「僕は忍耐強くありません。僕は情け深くありません。
僕は無礼です。自分の利益を求めます。いらだちます。恨みます」とよく感じます。

でも、「主イエスは忍耐強い。主イエスは情け深い。ねたまない。
主イエスは自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。
主イエスは不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える」
んですよね。

ここで語られる愛の姿の描写は、「すべてに耐える」という言葉で終わります。
この耐えるという言葉は、もともと「下に居続ける」という言葉だそうです。
下にいて、下から支えて留まり続ける、ということだそうです。
十字架を負って下さったイエス様を思います。


だから、クリスチャンは絶望する勇気を持つことができるんですよね。
イエス様のみ手に支えられて、暗闇の深みへ落ちないように、イエス様は守ってくださるのだから。
人間は「絶望」から脱け出るたびに、新しい生命へと造り変えられていくのだと思います。

ここで愛とは、主イエス・キリストであるということを語っています。
イエス様から自分は愛を知った。
クリスチャンは、愛そのものであられるイエス・キリストを主としているのです。
だから、愛は永遠に留まる、愛は決して滅びないのです。

信仰という手段によって、神様と私たちが結び合わされたのは、愛という目的のためなのです。

愛には忍耐が必要ですが、忍耐するためには希望が不可欠ですよね。
愛にも希望が必要だと思います。

愛は多くの弱さを覆うものですし、痛みや悲しみの中で育まれるものですし、永遠につづくものです。
また、愛し愛されることは人間の一番の幸せですから、
どんな状況に置かれても、愛そのものが希望になると信じています☆


♪賛美♪




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