「塩狩峠/三浦綾子」
永野信夫という主人公が、クリスチャンになるまでの道のりと、キリスト教信仰を貫き通した物語。聖書の教えを、登場人物たちの日常と共に分かりやすく伝えている。何より主人公が実在の人物なのでリアリティがある。クリスチャンにも、キリスト教を知らない人にもオススメしたい本だなと思った。
「だれにも知られない、奥深い心の中でこそ、ほんとうに罪というものが育つのではないだろうか」P151
「でもね、おとうさまはご自分を決して正しい人間だとは、おっしゃらなかったのよ。自分は罪深い人間だ。すぐに人よりも自分が偉いものであるかのように思い上がりたくなる。これほど神の前に大きな罪はない、とおっしゃっていられましたよ」P162
「神の愛を知りながら、ともすれば不信仰におちいるわれわれキリスト教徒の姿」P171
「何の罪もないイエス・キリストを十字架につけたのは、この自分だと思います。これはね永野君、罪という問題を、自分の問題として知らなければ、わかりようのない問題なんですよ。君は自分を罪深い人間だと思いますか」P257
暴走する列車の乗客を救うために、自分の命を犠牲にしてまで、乗客を救った信夫の姿。まさにイエス・キリストと同じ生き方ではないだろうか。もちろん罪深い人間は、キリストのように生きることはできない。しかし主人公が語った言葉の通り、「いついかなる瞬間に命を召されても、喜んで死んで行けるようになりたいと思いますね(P343)」「神のなさることは、常にその人に最もよいことなのですよ(P343)」と心の底から思うことができれば、キリストにならいて生きることはできるはずだ。この生き方は、自分の力ではなく、神が信仰によって与えて下さるものだと思う。それを信じて疑わないことが大切なのだろう。
主人公の遺言が忘れられない。
「余は、諸兄姉が余の永眠によりて天父(神)に近づき、感謝の真義を味ははれんことを祈る」P340
どんな死に方になろうとも、クリスチャンの人生は死で終わるものではない。死とは、神の国という栄光への入り口なのだ。神の国を信じているからこそ、主人公のように、生に執着せず、犠牲の死を選ぶことができるのではないだろうか。
「一粒の麦、地に落ちて死なずは、唯一つにてあらん(P345)」という聖書の言葉のように、残された人間が、その人の死を意味ぶかく受け止めて生きていく時に、ほんとうの意味で、死んだ人の命が残された人間の中で生きていくのだろう。僕も人々の心に残るような信仰生活を歩んでいきたいと思う。
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永野信夫という主人公が、クリスチャンになるまでの道のりと、キリスト教信仰を貫き通した物語。聖書の教えを、登場人物たちの日常と共に分かりやすく伝えている。何より主人公が実在の人物なのでリアリティがある。クリスチャンにも、キリスト教を知らない人にもオススメしたい本だなと思った。
「だれにも知られない、奥深い心の中でこそ、ほんとうに罪というものが育つのではないだろうか」P151
「でもね、おとうさまはご自分を決して正しい人間だとは、おっしゃらなかったのよ。自分は罪深い人間だ。すぐに人よりも自分が偉いものであるかのように思い上がりたくなる。これほど神の前に大きな罪はない、とおっしゃっていられましたよ」P162
「神の愛を知りながら、ともすれば不信仰におちいるわれわれキリスト教徒の姿」P171
「何の罪もないイエス・キリストを十字架につけたのは、この自分だと思います。これはね永野君、罪という問題を、自分の問題として知らなければ、わかりようのない問題なんですよ。君は自分を罪深い人間だと思いますか」P257
暴走する列車の乗客を救うために、自分の命を犠牲にしてまで、乗客を救った信夫の姿。まさにイエス・キリストと同じ生き方ではないだろうか。もちろん罪深い人間は、キリストのように生きることはできない。しかし主人公が語った言葉の通り、「いついかなる瞬間に命を召されても、喜んで死んで行けるようになりたいと思いますね(P343)」「神のなさることは、常にその人に最もよいことなのですよ(P343)」と心の底から思うことができれば、キリストにならいて生きることはできるはずだ。この生き方は、自分の力ではなく、神が信仰によって与えて下さるものだと思う。それを信じて疑わないことが大切なのだろう。
主人公の遺言が忘れられない。
「余は、諸兄姉が余の永眠によりて天父(神)に近づき、感謝の真義を味ははれんことを祈る」P340
どんな死に方になろうとも、クリスチャンの人生は死で終わるものではない。死とは、神の国という栄光への入り口なのだ。神の国を信じているからこそ、主人公のように、生に執着せず、犠牲の死を選ぶことができるのではないだろうか。
「一粒の麦、地に落ちて死なずは、唯一つにてあらん(P345)」という聖書の言葉のように、残された人間が、その人の死を意味ぶかく受け止めて生きていく時に、ほんとうの意味で、死んだ人の命が残された人間の中で生きていくのだろう。僕も人々の心に残るような信仰生活を歩んでいきたいと思う。
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自分の命を犠牲にして他の人を助ける。
イエス・キリストのなさったことと同じですよね。
永野さんがしたことを、果たして自分が同じことを出来るか
というと、私は怖くてできないかもしれません。でも、できるようになりたいと思います。
中でも、私が一番感銘を受けたのが「塩狩峠」でした。
この小説を読み終えたとき、思い出したみことばがありました。
「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」ヨハネ15:13
イエスさまのように、永野さんのように、己を儀性にしてでも相手を守るという愛を、実践していくことができるものになりたいと思います。
あらゆる欲望に打ち勝ったし。
やっぱり神様が自分の信仰を深くしてくださるんだと信じることから始まっていくんだろうね☆
三浦綾子さんの作品はよく旭川が舞台になるので、いつか行ってみたいなぁと思っています。
「塩狩峠」は傑作ですよね。
見ず知らずの乗客のために犠牲になった永野さんは凄いとしか言いようがありません。
でも信仰があったからこそできたんですよね。
僕も神様への信仰を信じることから始めていきたいです。