脳というのは基本的に怠け者であり、楽をしたがるようにできているそうだ。→「フリーズする脳~思考が止まる、言葉に詰まる」
できていたことがうまくできなくなると、苦手意識が出てさらにやらなくなる。
やらなくて済むようになれば、体と同じように脳もどんどん退化していく。
こうして、やがてボケの症状が致命的になってしまうと言う。
私の父も喜寿を迎え、ボケが進んできた。
もちろん90歳、100歳でも頭の働きが衰えを見せない人もいるが、年を取ればある程度のボケは仕方ないと思う。
ところが最近では40代、50代といった働き盛りや、20~30代の若者に至るまでボケが広がってきているそうだ。
病気ではなく、器官としては健全な脳を持つ普通の人たちがである。
一見精力的に仕事をしているように見えても、実は本人は「うわのそら」状態で、半ば無意識のうちに毎日のパターンをなぞっているだけのことも多い。
たとえば歯を磨いたり風呂で体を洗ったりするように、何も考えなくても体が勝手に動いている状態で仕事をしている。
セールストークもクレームに対するお詫びのセリフも、特に考えなくても自動的に口から出てくる。
こんな毎日を送っていると、脳はどんどんサボり始めるようだ。
さらにテレビやパソコン、インターネットやカーナビなどの文明の利器が、若年層のボケに拍車を掛ける。
インターネットで検索すればほしい情報はすぐに手に入る。
何をどうやって調べればいいか考える面倒もなければ、入手した情報を記憶しておく必要もない。
車に乗れば地図を読まなくてもカーナビが案内してくれる。
どこで曲がるか周囲の情景に気を配っていなくても、音声が教えてくれるままに従っていればいい。
最近では暗くなると自動的にライトが点いたり、雨を感知してワイパーが勝手に動いてくれたりという車まである。
極論すれば、ドライバーはほとんど何も考えなくてもいいのだ。
こんな生活に慣れていくと、機械が故障したときに的確に対処できなくなるのではないか。
自分で判断すべきことを機械任せにしていては、脳の機能は明らかに低下する。
センサーが感知していないからまだ大丈夫と、暗くなっても点灯しなかったり雨が降ってきてもワイパーを作動させなかったりでは危険である。
今さかんに宣伝されている「歩行者を感知するシステム」も、そういう意味では怖いと思う。
自分で危険を判断できない人間がますます増えるのではないか。
人間のための機械がかえって人間を不幸にすることになりかねない。
(信号のない交差点やセンターラインのない道路の方が事故が起こりにくいのと同じである。)
そして、私がもっとも危惧しているのが、この傾向が子どもたちの学習面にも広がっているように思えることである。
自分から考えようとはせず教えてもらうのを待っている子、教わったことの何の疑問も持たずひたすら覚えようとする子などなど.....。
大人が手取り足取りめんどうを見てやる教育では、こういう子が増えるばかりであある。
考えないことに慣れれば、そのうち考えようとしても考えられなくなる。
.....それが怖い。
少し頭を使えばできることまですべて機械や他人に任せ、楽な方向ばかりへ流れている現在の日本の行きつく先は、一億総思考停止であろう。
ロボットが人間を支配する世の中はSFの世界だけで勘弁願いたいものだが.....。
※応援してくださる方はクリック(↓)をお願いします!

できていたことがうまくできなくなると、苦手意識が出てさらにやらなくなる。
やらなくて済むようになれば、体と同じように脳もどんどん退化していく。
こうして、やがてボケの症状が致命的になってしまうと言う。
私の父も喜寿を迎え、ボケが進んできた。
もちろん90歳、100歳でも頭の働きが衰えを見せない人もいるが、年を取ればある程度のボケは仕方ないと思う。
ところが最近では40代、50代といった働き盛りや、20~30代の若者に至るまでボケが広がってきているそうだ。
病気ではなく、器官としては健全な脳を持つ普通の人たちがである。
一見精力的に仕事をしているように見えても、実は本人は「うわのそら」状態で、半ば無意識のうちに毎日のパターンをなぞっているだけのことも多い。
たとえば歯を磨いたり風呂で体を洗ったりするように、何も考えなくても体が勝手に動いている状態で仕事をしている。
セールストークもクレームに対するお詫びのセリフも、特に考えなくても自動的に口から出てくる。
こんな毎日を送っていると、脳はどんどんサボり始めるようだ。
さらにテレビやパソコン、インターネットやカーナビなどの文明の利器が、若年層のボケに拍車を掛ける。
インターネットで検索すればほしい情報はすぐに手に入る。
何をどうやって調べればいいか考える面倒もなければ、入手した情報を記憶しておく必要もない。
車に乗れば地図を読まなくてもカーナビが案内してくれる。
どこで曲がるか周囲の情景に気を配っていなくても、音声が教えてくれるままに従っていればいい。
最近では暗くなると自動的にライトが点いたり、雨を感知してワイパーが勝手に動いてくれたりという車まである。
極論すれば、ドライバーはほとんど何も考えなくてもいいのだ。
こんな生活に慣れていくと、機械が故障したときに的確に対処できなくなるのではないか。
自分で判断すべきことを機械任せにしていては、脳の機能は明らかに低下する。
センサーが感知していないからまだ大丈夫と、暗くなっても点灯しなかったり雨が降ってきてもワイパーを作動させなかったりでは危険である。
今さかんに宣伝されている「歩行者を感知するシステム」も、そういう意味では怖いと思う。
自分で危険を判断できない人間がますます増えるのではないか。
人間のための機械がかえって人間を不幸にすることになりかねない。
(信号のない交差点やセンターラインのない道路の方が事故が起こりにくいのと同じである。)
そして、私がもっとも危惧しているのが、この傾向が子どもたちの学習面にも広がっているように思えることである。
自分から考えようとはせず教えてもらうのを待っている子、教わったことの何の疑問も持たずひたすら覚えようとする子などなど.....。
大人が手取り足取りめんどうを見てやる教育では、こういう子が増えるばかりであある。
考えないことに慣れれば、そのうち考えようとしても考えられなくなる。
.....それが怖い。
少し頭を使えばできることまですべて機械や他人に任せ、楽な方向ばかりへ流れている現在の日本の行きつく先は、一億総思考停止であろう。
ロボットが人間を支配する世の中はSFの世界だけで勘弁願いたいものだが.....。
※応援してくださる方はクリック(↓)をお願いします!

所詮パソコン、たかがパソコンです。
今の仕事でもすごく思うのですが、パソコン無しではできないあほが多いですよ。うちの業界。
基本的にアナログからという設定にしてます私のところでは、考えられません。
これぐらいにしておこうっと。
これ方ビール祭りですので...いや忘年会...。
jackさん、桐さんと忘年会がしたい、テツでした(欲望...違った切望....)
アナログからできるようになっていることが大事ですね。機械ごときに使われてなるものか!
忘年会、したいですね.....。
便利すぎる世の中。
頭を使わなくなる。まさにそうですね。
最近は、小学生も携帯で普通にメールをしている時代です。
これが、作文能力に繋がっているっぽいです。
最近の中学生。作文が、口語表現なんです!
『正直いって』や『~とか~とか』や、
メールみたいな文があるのです・・・
そして、電話もいきなり本人に繋がる携帯電話。
電話の話方も知らないようです。
こんにちわ。
いつもお世話になっています。
○○君いらっしゃいますか?
って友達宅に電話していたのに、いまはめったにこんな電話をする子供はいないみたいです。
電話の件、実感しています。好きな女の子の家にかけて父親が出たときのドキドキ感、懐かしいです。それが体験できない今の子は、ある意味可哀想ですね。
確か20年前ぐらいに、だれかが人間の次の進化の形態は「機械」って言っていましたが、最近の技術の発達や世の中の状況を見ているとうなずけますね。人間が進化しなくても人間らしく生活できる方向を選びたいですね。
技術が発達しても必ずしも人間が幸福になっていないというのは問題ですね。「3丁目の夕陽」が映画で大盛況なのも、やはり「人間らしさ」への回帰現象でしょうね。
便利な生活は、確実に人間を退化させます。
で、退化した分寿命も短くなればいいのですが、これだけは延びてます。最後はどうなってしまうのか・・・。
つまらんことを考えてしまうまえに、そうですねぇ、やっぱり忘年会したいなぁ・・・。
寿命もこれからはそんなに延びないでしょう。なんせ昔の人と食生活が違いますから....。すべてが退化する方向へ行きつつあるような気がします。
またまたTBさせていただきました。わたしの記事のなかで、桐さんのこの記事は大きな位置を占めています。
勝手に引用させていただき、どうか、宜しくお願いします。
寿命も、桐さんのおっしゃるように、これからは縮まるようですよ。わたしが勤務した学校の校医さんが言っていました。「今の若い人の多くは食生活がめちゃくちゃです。ケーキが主食だったり同じものばかり食べていたりしています。将来の平均寿命は、四十代になるでしょう。」この校医さん、食生活の改善運動をされています。
こちらからもTB返させていただきました。よろしくお願いします。
将来の平均寿命、40歳ですか。平安、鎌倉時代ころ(?)に戻るのでしょうか。還暦や古稀の価値もぐんと上がりそうですね。70歳など本当に「古来稀なり」になるのでしょう。