今日は、学習とは何の関係もない我が家の暮らしの話だ。
実はここ何年か、引っ越し先を探していた。
今の町には自然養鶏をやるために十数年前に来た。
長野市の隣だが、過疎・高齢化が進む自然豊かな町である。
農場は1反歩(10アール)6000円/年で借り、古いけど広ーい一軒家も8000円/月という安価で貸してもらっている。
初めはもちろん養鶏に専念し、多いときには月1万個以上の自然卵を個人宅やスーパーなどに配達して回った。
ただ、それでも収入的には厳しいので、昔の仕事の経験を生かして家庭教師や塾の講師も掛け持ちするようになったのだ。
やがて鶏に病気が発生したり獣にやられたりして、配達する卵の数を確保するのが大変になってきた。
当然収入も減るので、教育関係の仕事の比重が増えていくことに...。
さらに鶏舎(パイプハウス)の屋根が台風で飛ばされたり、大雪でハウスが潰れたりという事故が重なり、次第に養鶏は縮小の方向に...。
鶏はもう長いこと補充していないので、今では自分の家で消費する卵にも事欠くほどだ。
引き継ぎで今の塾を始めてからは仕事場のメインは長野市になり、長い通勤距離が時間的にも経済的にも負担となってきた。
子どもたちも長野に通学するようになり、その定期代も馬鹿にならない。
この借家にいつまでもお世話になっているのも何だし、できればもう少し長野に近いところに家を探そうかということになった。
新築する金銭的余裕はないので、中古物件で広くて安めのものを探す。
幸いなことに長野県は都会から田舎暮らしをしに移住してくる人向けの物件も豊富なので、いわゆる古民家なども含め、ずいぶんいろいろ見に行ったものだ。
子どもたちは現代風の小綺麗な家がいいと言う。
町中で駅に近くて、トイレも水洗、「閑静な住宅街」的な立地がお好みのようだ。
だが私と妻は彼らとは違う。
何より敷地が広いこと、できれば地続きの畑があることが最優先。
住宅がひしめき合っているところはパス。
できれば里山が迫っている所がいい...。
新幹線に乗って東京へ行くとき、高崎が近くなってくると沿線に山が見えなくなる。
これがどうにも落ち着かないのだ。
四季折々の姿を見せる名もない小山の景色や風や鳥の声や...。
そんなものが無性に恋しくなってくる。
東京生まれの私だが、十数年の長野暮らしですっかり田舎の生活に馴染んでしまったようだ。
今では都会では絶対暮らせない。
長野市内で住宅地に住むのでは東京暮らしと大差ないような気がしている。
だから里山のある風景を探した。
家は少々古くてもいい。
しゃれた庭など要らないが、土地は150坪くらい欲しい。
そして春には一斉に咲く花々に、夏にはヒグラシの声に、秋には燃え立つような紅葉に囲まれて暮らしたい。で、職場に近ければ言うことなし...。
昨年暮れに懇意にしている不動産屋から連絡を受け、一つの物件を見に行った。
小さな川沿いの大きな家だ。
土地も広い。里山もある。
それでいて塾にも近い。
今の通勤距離の半分以下だ。
おまけに価格が安い!!
少し山の方に入った所なので、一日中日が当たるというわけにはいかないが、まあ許容範囲。
雪も今の場所と変わらない...。
私も妻も、もうこれだけの物件はなかなか出ないという考えで一致した。
というわけで、ようやく終の棲家を見つけた。
子どもの頃から父親や自分の仕事の関係で転居を繰り返してきた私も、実に21回目の引っ越しで落ち着くことになりそうだ。
家族それぞれの事情があるので、実際に移り住むのは早くても4月以降になると思うが、まずは一段落。
今の集落には、これまでの人生の中で一番長く(12年以上)住んだことになる。
高齢化が進み若い衆が少ないため、数年前にはついに自治会長の大役まで仰せつかった。
田舎ゆえの人付き合いの煩わしさもあったが、こちらから積極的にとけ込むことで徐々にでも受け入れてもらうことができたと思う。
新しい土地でもその姿勢を忘れずに、田舎暮らしを満喫したいものだ。
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