先日、昔の全日本男子バレーボールチームの物語をテレビでやっていました。
東京五輪で銅メダルに終わってから、ミュンヘンで金メダルを獲るまでの一大プロジェクトの話です。
まだ「プロジェクト」という言葉自体も浸透していなかったあの頃、実に綿密に構築された計画のもとに悲願の金メダルを掴んだのだということがよくわかりました。
そう言えば「ミュンヘンへの道」というアニメ番組がありましたが、あれもプロジェクトの一環だったようです。
その番組の中で、当時の全日本代表監督だった松平康隆氏がこんなことを言っていました。
長期的な見通しで選手を育てていた氏は、その場でいい顔をして選手を甘やかすのではなく、たとえどんなに憎まれても後になって感謝されるような指導をしたといいます。
それこそ、鬼になって選手に接したのでしょう。
こういう、いわゆる「シゴキ」についてはいろいろ問題もあると思いますが、氏は上記のことを親子関係にもたとえて語っていました。
「今、いい親と思われたい」という気持ちで子どもに接していてはダメで、子どもの将来を考えて厳しくすべきところは厳しくする、「クソオヤジ!」と思われても譲れないところは絶対譲らない...。
そんなことの大切さを説かれていました。
今の世の中の親子関係を見ていると、この辺りのタガが緩んでいるように見えて仕方ありません。
ここで叱ったら反感を持たれるのではないか、あまり厳しくするのも可哀想...などと、子どもの顔色を窺い、変に「物わかりのいい親」になっている例が多いのではないでしょうか。
まだ必要ないと思っていても、「みんなが持っているから」と言われれば中学生にも携帯電話を買い与える。
勉強もきちんとしてほしいと思っていても、部活で疲れて眠ってしまえば「好きなことに打ち込んでいるんだから」と放っておく。
子育てとか教育についての確固たる信念が持てない、自信がないということもあるでしょうが、「子どもに嫌われたくない」と安易に迎合している面も少なくないと思います。
いつだったか、何の話の時だったかは忘れましたが、長男に「そんなこと言ってるから子どもに嫌われるんだよ!」と言われたことがあります。
私はすかさず言い返しました。
「子どもに好かれようなんて、これっぽっちも思っていない!」
核家族化が進み「ニュー・ファミリー」という言葉が出てきた頃から、「友だちのような親子関係」が一つの理想とされ、「親の威厳」とか「頑固オヤジ」などは時代遅れであるかのような風潮が広まったのだと思います。
もちろん私も親にはさんざん反抗したし、戦前の家長制度のような、有無を言わさぬ独裁制を支持するものではありません。
それでも、ここだけは譲れない、これだけは筋を通すというケジメだけは大事にしたいと思っています。
今はどう思われても将来のことを考えて...。
これは教育関係者にも求められる思想ですね。
「友だちのような先生」「和気あいあいとした楽しい塾」というだけでは、子どもたちは決して伸びないと思います。
ただ最近、「厳しくしてくれ」という親が減ってきているのも感じています。
自分たちが厳しくしていないから、子どもが耐えられないと思っているのでしょうか?
かくして、甘やかされた王子様、王女様が次々と世に送り出されることになります...。
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東京五輪で銅メダルに終わってから、ミュンヘンで金メダルを獲るまでの一大プロジェクトの話です。
まだ「プロジェクト」という言葉自体も浸透していなかったあの頃、実に綿密に構築された計画のもとに悲願の金メダルを掴んだのだということがよくわかりました。
そう言えば「ミュンヘンへの道」というアニメ番組がありましたが、あれもプロジェクトの一環だったようです。
その番組の中で、当時の全日本代表監督だった松平康隆氏がこんなことを言っていました。
長期的な見通しで選手を育てていた氏は、その場でいい顔をして選手を甘やかすのではなく、たとえどんなに憎まれても後になって感謝されるような指導をしたといいます。
それこそ、鬼になって選手に接したのでしょう。
こういう、いわゆる「シゴキ」についてはいろいろ問題もあると思いますが、氏は上記のことを親子関係にもたとえて語っていました。
「今、いい親と思われたい」という気持ちで子どもに接していてはダメで、子どもの将来を考えて厳しくすべきところは厳しくする、「クソオヤジ!」と思われても譲れないところは絶対譲らない...。
そんなことの大切さを説かれていました。
今の世の中の親子関係を見ていると、この辺りのタガが緩んでいるように見えて仕方ありません。
ここで叱ったら反感を持たれるのではないか、あまり厳しくするのも可哀想...などと、子どもの顔色を窺い、変に「物わかりのいい親」になっている例が多いのではないでしょうか。
まだ必要ないと思っていても、「みんなが持っているから」と言われれば中学生にも携帯電話を買い与える。
勉強もきちんとしてほしいと思っていても、部活で疲れて眠ってしまえば「好きなことに打ち込んでいるんだから」と放っておく。
子育てとか教育についての確固たる信念が持てない、自信がないということもあるでしょうが、「子どもに嫌われたくない」と安易に迎合している面も少なくないと思います。
いつだったか、何の話の時だったかは忘れましたが、長男に「そんなこと言ってるから子どもに嫌われるんだよ!」と言われたことがあります。
私はすかさず言い返しました。
「子どもに好かれようなんて、これっぽっちも思っていない!」
核家族化が進み「ニュー・ファミリー」という言葉が出てきた頃から、「友だちのような親子関係」が一つの理想とされ、「親の威厳」とか「頑固オヤジ」などは時代遅れであるかのような風潮が広まったのだと思います。
もちろん私も親にはさんざん反抗したし、戦前の家長制度のような、有無を言わさぬ独裁制を支持するものではありません。
それでも、ここだけは譲れない、これだけは筋を通すというケジメだけは大事にしたいと思っています。
今はどう思われても将来のことを考えて...。
これは教育関係者にも求められる思想ですね。
「友だちのような先生」「和気あいあいとした楽しい塾」というだけでは、子どもたちは決して伸びないと思います。
ただ最近、「厳しくしてくれ」という親が減ってきているのも感じています。
自分たちが厳しくしていないから、子どもが耐えられないと思っているのでしょうか?
かくして、甘やかされた王子様、王女様が次々と世に送り出されることになります...。
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