先月書いた里山の古民家だが、4月から暮らせるようにいささかのリフォームを検討中。
もちろん流行の「古民家再生」ほど大がかりなことはできないので、最低限の補修+αくらいのものだが...。
隅の方の雨漏り箇所のトタンを張り替える。
アルミサッシになっている所も多いのだが、何カ所か残っている木枠の窓もすべてサッシに交換。
居間(10畳)の畳だけは新調したい。
脱衣所を通らないとトイレに行けない構造を、ちょっと直して使いやすく...。
と、ここまでで150万はかかりそうだ。
他にも直したい所はいくらでもあるが、きりがないので自分でできる所はDIYで頑張りたい。
冬に備えて寒さ対策はしっかりしたいところだが、やたら隙間が多い。
板壁や戸や軒下や...。
アレレ?ここのフスマがないぞ...。
外と障子1枚で隔てられているだけの所もあり、そのそばで寝ていた形跡が...。
寒くなかったのだろうか...。
現代風のいわゆる「高気密」住宅とは月とスッポンほどの隔たりがある。
夏は涼しそうだが...。
そう言えば、かの兼好法師も「家のつくりやうは、夏をむねとすべし」と言っていたっけ...。
そんなことを考えていた折、ネットである文章を見かけた。
細かい表現は忘れたが、大旨次のような内容だ。
「夏の暑さ、冬の寒さを感じなくていいのか。ひたすら快適さだけを求めて高気密・高断熱で床暖房...。冬でも家中暖かい。たとえば夜中にトイレに行くときには1枚羽織って行くというように、自分で調整する必要がほとんどない。そんな暮らしでいいのか。」
自らの感覚を頼りに自分で判断し、着る物を決めたり暖房を調整したりという当たり前の行動が、苦手になってきている日本人が多いのではないだろうか。
私もつい、着ていく服の選定に天気予報の最高気温や最低気温を参考にしてしまう。
幼い頃から快適な環境に慣らされている子どもたちは尚更だろう。
先人が持っていた生きるための様々な感覚は、便利な世の中になればなるほど退化して行くに違いない。
頼りにできるのは他の人や機械によるセッティングと情報だけである。
「あるある」の捏造に簡単に踊らされた日本人を見れば、その「自信(=自身)のなさ」がよくわかる。
不二家の賞味期限問題も、初め耳にしたときは、私はそれほど悪いことだとは思わなかった。
そもそも「賞味期限」や「消費期限」はお役所が機械的、画一的に定めたものであり、それを1日過ぎたからと言って品質が悪化しているとは限らない。
製造に携わった人は、自らの嗅覚や味覚で大丈夫と判断したのではないか?
大量生産の現場では、そういう「職人」は必要とされていないのかも知れない。
まだ十分に食することができても、期限を1分でも過ぎた物は廃棄処分にするのが正しい対応なのかも知れない。
しかし、本当にそれでいいのか...。何か間違っていないだろうか...。
本来保存食のはずの干し柿や新巻鮭にも「消費期限」が明示されていると言う。
感覚が退化してきたから期限表示が幅を効かすのか、期限表示があるからそれを頼りすぎて感覚が鈍ってくるのか...。
私は後者の方が強い気がしている。
どうも今の世の中のシステムは、地球に優しくないだけでなく、人類を滅亡の方向へ導いているものが多いと思う。
清潔を追究するあまり、ちょっとの菌にも脆くなったり...。
地球環境のためにも、生きる強さを身につけるためにも、ここらで大きな発想の転換が必要ではないか。
子どもたちには外遊びや手伝いを通して五感を鍛え、自らの判断に自信と責任を持てる人間になってもらいたいものだ。
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もちろん流行の「古民家再生」ほど大がかりなことはできないので、最低限の補修+αくらいのものだが...。
隅の方の雨漏り箇所のトタンを張り替える。
アルミサッシになっている所も多いのだが、何カ所か残っている木枠の窓もすべてサッシに交換。
居間(10畳)の畳だけは新調したい。
脱衣所を通らないとトイレに行けない構造を、ちょっと直して使いやすく...。
と、ここまでで150万はかかりそうだ。
他にも直したい所はいくらでもあるが、きりがないので自分でできる所はDIYで頑張りたい。
冬に備えて寒さ対策はしっかりしたいところだが、やたら隙間が多い。
板壁や戸や軒下や...。
アレレ?ここのフスマがないぞ...。
外と障子1枚で隔てられているだけの所もあり、そのそばで寝ていた形跡が...。
寒くなかったのだろうか...。
現代風のいわゆる「高気密」住宅とは月とスッポンほどの隔たりがある。
夏は涼しそうだが...。
そう言えば、かの兼好法師も「家のつくりやうは、夏をむねとすべし」と言っていたっけ...。
そんなことを考えていた折、ネットである文章を見かけた。
細かい表現は忘れたが、大旨次のような内容だ。
「夏の暑さ、冬の寒さを感じなくていいのか。ひたすら快適さだけを求めて高気密・高断熱で床暖房...。冬でも家中暖かい。たとえば夜中にトイレに行くときには1枚羽織って行くというように、自分で調整する必要がほとんどない。そんな暮らしでいいのか。」
自らの感覚を頼りに自分で判断し、着る物を決めたり暖房を調整したりという当たり前の行動が、苦手になってきている日本人が多いのではないだろうか。
私もつい、着ていく服の選定に天気予報の最高気温や最低気温を参考にしてしまう。
幼い頃から快適な環境に慣らされている子どもたちは尚更だろう。
先人が持っていた生きるための様々な感覚は、便利な世の中になればなるほど退化して行くに違いない。
頼りにできるのは他の人や機械によるセッティングと情報だけである。
「あるある」の捏造に簡単に踊らされた日本人を見れば、その「自信(=自身)のなさ」がよくわかる。
不二家の賞味期限問題も、初め耳にしたときは、私はそれほど悪いことだとは思わなかった。
そもそも「賞味期限」や「消費期限」はお役所が機械的、画一的に定めたものであり、それを1日過ぎたからと言って品質が悪化しているとは限らない。
製造に携わった人は、自らの嗅覚や味覚で大丈夫と判断したのではないか?
大量生産の現場では、そういう「職人」は必要とされていないのかも知れない。
まだ十分に食することができても、期限を1分でも過ぎた物は廃棄処分にするのが正しい対応なのかも知れない。
しかし、本当にそれでいいのか...。何か間違っていないだろうか...。
本来保存食のはずの干し柿や新巻鮭にも「消費期限」が明示されていると言う。
感覚が退化してきたから期限表示が幅を効かすのか、期限表示があるからそれを頼りすぎて感覚が鈍ってくるのか...。
私は後者の方が強い気がしている。
どうも今の世の中のシステムは、地球に優しくないだけでなく、人類を滅亡の方向へ導いているものが多いと思う。
清潔を追究するあまり、ちょっとの菌にも脆くなったり...。
地球環境のためにも、生きる強さを身につけるためにも、ここらで大きな発想の転換が必要ではないか。
子どもたちには外遊びや手伝いを通して五感を鍛え、自らの判断に自信と責任を持てる人間になってもらいたいものだ。
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そういやあ、菌は横に置いておき、腐っているということが分からない人が目につくことがありますねえ。
私の周りでのちらほら....そんな舌の感覚しかない連中ほどグルメ気取りであーだこーだいう。
おかしい限りだ!!!!!(`ヘ´) プンプン。
自らの感覚でおかしいと思えば食わなければいい。ただそれだけ....。あまりにも他人にたよりすぎではないか!他人は言い過ぎかも知れないが...。
今年会えるかなあ?
餃子!!!!!
>自らの感覚でおかしいと思えば食わなければいい。ただそれだけ....。
そう、ただそれだけのことなんですけどね...。
自分の五感に自信が持てない人間が増えていますね。
今年会いたいです。
餃子!!
甲子園!!!
世の中便利になればなるほど、よくよく考えてみると無駄が増え、そればかりかますます不便になるものです。有史以来、人間はそのことに気がつきながらも同じことを繰り返している愚かな動物でもあります。
でも、どう考えても、自分の判断能力を信用できないというのは、動物としても終わってます。
ひょっとすると、失われた古代文明って、そうやって滅びたのかもしれません。
「足るを知る」姿勢が大事だとつくづく思います。
人間だけがそれができないんですね...。
「失われた古代文明」...この次は人類滅亡かも...。
また、よろしくです。
昔の子供は計算ドリル、漢字練習なんかの何倍もの時間を否応なしに「考える生活」に費やしていたのではないでしょうか。
そうですね。自分で考えなくても機械がやってくれることが増えていますもんね...。それに加えて、周りの大人が「転ばぬ先の杖」で手出ししすぎて「考えない子ども」を増産しているのでしょう。「考える生活」の体験が少ないことが、コミュニケーション能力の不足も招いているような気がします。
お湯を沸かすにも、「電気ポット」と「ヤカン」では考えること、気づくこと、気をつけることが全然違いますよね。
桐さんも都市での生活と田舎の生活を両方とも長く経験していると思うのですが、田舎での生活の方が「考えること」「感じること」が「生きること」と強く結びついているような気がしませんか?
コミュニケーション能力も、田舎の生活の方が、より必要性(有用性)を感じるから身につくのではないかと思っていますが、どうでしょうか?
お湯を沸かすたとえ、よくわかります。万事がそこに集約されているようですね。
勉強も、自分からは何もしなくても先生が教えてくれる、わからなくても誰かが(or何かが)助けてくれるという受け身の子が多いです。ウチの塾に入って最初は戸惑うようですね(教えないので...)。
親も教えてくれるのを期待している人が多いので、初めにはっきり説明して納得して入ってもらうのですが、伝わらない親には何度言っても伝わりません...。
Mr.Hotさんのページでやり取りしている中で、勝手な思い込みで桐さんのことに触れてしまいました。
知らなかったこととはいえ、今や無関係の桐さんの名前を出してしまって、本当に申し訳ありませんでした。
これからも、これに懲りずよろしくご指導ください。
いえいえ、そんなこと気にしません。ご丁寧なお詫び、かえって恐縮です...。
「考える会」は結局1年経たずにやめてしまいました。初めからちょっと違和感があるにはあったのですが...。
あまり書くとまた騒ぎになるのでやめておきます。
更新がなかなかできませんが、またお出でください...。