ことばを鍛え、思考を磨く 

長野市の小さな「私塾」発信。要約力、思考力、説明力など「学ぶ力」を伸ばすことを目指しています。

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にしむくさむらい

2006年02月28日 | ことば・国語
はやいもので今日で2月は終わりだ。
ついこの間新しい年になったばかりだと思ったのに...。
昔、母から教わった「1月は行く、2月は逃げる、3月は去る」という言葉を思い出した。
年度末は本当に何かと忙しく、時の経つのが速く感じられる。

ところで2月はなぜ28日までしかないかご存知だろうか?
1年を約365日に収めなければならないのはわかるとして、他に31日まである月がたくさんあるのに、なぜこんな中途半端なことになっているのか...。
普通に考えたら365÷12=30あまり5だから、5ヶ月を31日までにして残りの7ヶ月を30日にすれば、こんな偏りは起きないはずである。

これについては、2年前に塾で暦に関する特別講座を実施したときに勉強した。
事の始まりは古代ローマまでさかのぼるのである。
詳しくはこちらを参照願いたい。→YOMIURI ONLINE 「ものしり百科」

閑話休題、塾で使っているオリジナル教材で、算数の問題を途中の考え方も含めてすべて文章にさせるプリントがある。
もとは私立や国立の中学の入試問題だが、それを解くだけでなく過程も論理的に書かせるよう加工してあるのだ。
対象は主に中学生。
当初の思惑としては、解くこと自体は難しくないので、このプリントで考え方を言葉にする説明力を鍛えるつもりだった。

ところが実際やらせてみると、説明の前段階の「問題を解く」ことで苦労する子も少なくない。
たとえばこんな具合だ。

最小公倍数などを駆使して、誕生日を当てる問題。
最終的に月と日を足して42という結果が出るのだが、ここから迷う子がいる。
正解はもちろん12月30日だが、「11月31日」もあるし...と悩んでしまうのだ!

え?!11月って何日まであるか知ってる?
と確認してみると、何月が何日まであるか、きちんとわかっている子の方が圧倒的に少ない。
4月が31日まであったり、7月が30日までしかなかったり、中3でもメタメタである。
そんなものなのだろうか...。

「これ知ってないと困らない?」と聞いても「別に...」である。
ま、今のところそうかも知れない。
今月が何日まであろうが、中学生の日常生活には関係ないかも知れない。
でも大人になったら、月給にしても日給にしても、1日の違いは大きいんだよ...。

そもそも中学生だって、2月28日に「あさって」の約束をして、「2月30日」だと思っていたら困るんじゃなかろうか...。

聞けば、31日まである月を「大の月」、それ以外を「小の月」と呼ぶことも知らないと言う。
私は子どものときに「小の月」の覚え方を次のように教わった。
「に・し・む・く・さむらい(西向く侍)」。

同年代以上の方はご存知の方も多いと思うが、知らない方のために一応説明しておく。
「に・し・む・く」までは2月、4月、6月、9月でいいですね。
問題は「さむらい」=11月です。
「十」と「一」を漢数字で書いて縦に並べる。
それをくっつけると「武士」の「士」になるので「さむらい」=11月というこじつけである。

こじつけであろうが何だろうが、わたしはこれで完璧に「小の月」を覚えた。
当然、それ以外が「大の月」。
学校で教わったのか、親に教えてもらったのか定かではないが、この年になるまでしっかり記憶しているのだ。
もちろん、こんな重宝なものを私の代で途絶えさせてはならないと、生徒にも伝授している。

今の子どもたちはこういうこと、どこでも教わらないのだろうか。
冒頭に書いた「1月は行く...」やことわざ、慣用句なども含め、生活の知恵や豆知識的なものが受け継がれることが少なくなってきた時代に、淋しさと共に若干の危惧を感じている。


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目からウロコの...

2006年02月24日 | ことば・国語
先日2日続けて、テレビとラジオでことわざについて「目からウロコ」の話を聞きました。

一つは日本語をテーマにしたタモリの番組。
「白羽の矢が立つ(当たる)」は元々は人身御供に選ばれることで、自らが望んでいる役職に抜擢されるときなどに使うのは間違いということ。
「のれんに腕押し」の「腕押し」とは腕相撲のこと....などなど。

中でも意外だったのが「二足の草鞋(わらじ)を履く」です。
私も塾の他にわずかながら自然卵養鶏をやっているので、普段からこの表現を使ったり人から言われる機会は多い方です。
で、そのときのニュアンスは単に「二つの仕事をしている」という程度...。
私だけでなく、こう思っている人が圧倒的に多いのではないでしょうか?

ところが本当の意味は違うんですね。
聞いてビックリ!
「二足の草鞋を一度には履けないように、二つのことを同時にはできない」というのが正しい意味だそうです。
...そうか...今まで「二足の草鞋を履いています」と言っていたのは、「だから両方とも中途半端にしかできません」という言い訳をしていたようなものだったんだ...。

もう一つはNHKラジオの「気になることば」からです。
正に「目からウロコ」そのものについて...。
このことわざ、何かに開眼したときのリアルなイメージが浮かぶので、特に本のタイトルなどによく使われますね。
私もメンバーになっている「考える学習をすすめる会」のテキストや書物にも、このフレーズが入っています。
21世紀でも使用頻度が多いことわざの一つに入るでしょう。

ところがこれ、日本のことわざじゃないんですね。
出典はなんと新約聖書!...驚きです。
正確に言うと「目からウロコのようなもの」だそうです。

キリスト教会を激しく迫害していた男が、ある日キリストと出会って目が見えなくなってしまう。
その後教会の人が来て、イエスの名によって彼に手を置くと、たちまち「目からウロコのようなものが落ち」目が見えるようになった。
そして、男は180度人生の転換をして、キリストの伝道者となったという話です。(引用元はこちら→「有名な聖書のことば」

他にも「豚に真珠」は聖書から来ているようですね。
「猫に小判」とセットのように使っているから、てっきり由緒ある日本のことわざだと思っていました。

ことわざや四字熟語、慣用句などは、やはり元の意味をしっかり理解した上で使いたいものです。
ただ、これらに限らず言葉というものは、いくらこちらが本来の意味で使っても、相手の解釈と違えばうまく伝わりませんね。
誉めたつもりが気分を害されるという誤解も生じかねません。
....どうやら、その言葉について相手がどう認識しているか確かめながら使うしかなさそうです。


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なつかしの筆記体

2006年02月20日 | 学習一般
私は小6の一時期、英語教室に通っていた。
そのせいか、中学の早い時期から英語は筆記体で書いていた記憶がある。

ノートを少し傾けて(右側を上げて)スラスラと書き、最後にtの横棒やiの点をチョンチョンと付けてできあがり!
...こうやって書く英語は好きだったし、我ながらきれいに書けていたと思う。
私は日本語の字が汚いので、英語の方がよほどうまいと言われたものだ。

この筆記体、今の子どもたちのノートにはほとんど見られなくなった。
私の塾では、4年前の卒業生に1人いたのが最後である。
英語塾で身につけたということで、同級生の中でも特異な存在だったらしい。

学校で筆記体を教えなくなってどれくらいになるのだろう。
教科書では一応紹介されてはいるが、その練習はしていないようだ。
教えないどころか、筆記体の使用を禁止している中学校もあると聞いた。
「筆記体でもいいが、教科書のお手本と少しでも違ったら×」という馬鹿げた話もある。

学校での扱いが縮小された理由は様々あるだろう。
土曜休みでただでさえ時間がないので、余分な指導や練習は省く...。
ブロック体でさえまともに単語が書けないのだから、まずそちらを徹底すべき...。
教えても、下手に筆記体で書かれると読みにくい...。

ワープロがこれだけ普及している現状では、手書きで大量の文を書くことは日本語でさえ稀である。
まして英文を、筆記体でなくてはやっていられないほど多く書くなど、一般人は想定しなくていいことなのかも知れない。
それでも、テストの答案を書く程度でも、筆記体の方がずっと速くきれいに書けると思うのだが...。

さらに困るのが、数学などで文字を扱う場合である。
方程式のエックスは断然筆記体がいい。
xでは掛け算記号と紛らわしいし、教科書の活字を写して「)」と「(」をくっつけたようなエックスを書こうとすると、時間がかかるかエックスに見えないかのどちらかになる。
筆記体なら速くて正確だ。
これは小学校でエックスが出てきたときから教えている。

B,L,Qの小文字も、ブロック体だとそれぞれ6,1,9と区別がつきにくい。
自分で自分の字を見まちがえて、ミスを起こす可能性が高くなる。
筆記体なら一目瞭然なのに...。

中学校では、全員に徹底させることは難しくても、興味のある子にはもっと積極的に筆記体を薦めてもらいたい。
禁止など言語道断である。
筆記体を自在に操れるようになることで、さらに英語が好きになる子も出てくるだろう。

そしてそれ以外の子にも、上記の数学で使う文字のような最低限の筆記体は教えてもらいたいものだ。
第一、少なくとも自分の名前くらいは筆記体でスラスラ書けないと、サインの時に恥をかきますよ。


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道案内の力

2006年02月16日 | 学習一般
以前の記事で、地図を見て特定の場所までの道順を説明するオリジナル教材について触れたことがある。
駅を中心に南北に広がる町の地図があり、その角の方に「ココ」がある。
初めて来る地図を持たない人に、駅を降りてから「ココ」までの道を教える
という想定である。
もちろんそんなに複雑な道ではなく、主要箇所には目印も描いてある。

ところが、この教材を一発で合格する生徒(主に中学生が対象)は少ない。
そして、普段の教科学習の様子を見ていると、ほぼこのプリントの出来が予測できてしまうのだ。

論理的思考力や説明力を養成することの重要性を著書で訴え続けている芳沢光雄氏(東京理科大教授)が、こんなことを書いている。

「2004年2月に行われた千葉県立高校入試の国語で、地図を見ながらおじいさんに道案内するという記述問題が出題された。200字以内で作文する問題であったが、なんと受験生の半数が0点だったという。」(from「数学的思考法」)

塾での現状を見ている身には、さもありなんと思われた。

千葉県の問題は「おじいさんに配慮して」という条件が付くものの、私の作った教材とほぼ同じ内容である。
道筋が示されている点では、むしろ易しいとも言える。
私の教材では、どの道をどう教えるかも採点ポイントの一つなのだ。

それにしても「半数が0点」は驚きであり、ショックでもあった。
いくら記述式が苦手と言っても、この問題は専門的な知識や技量はほとんど必要とされていないのではなかろうか。
いったいどんな力の不足が、この悲惨な結果を招いたのだろうか。

実は芳沢氏も指摘している通り、地図を説明するのは数学の証明問題に似ている
ここには単に道案内が上手、下手というレベルを超えた、大きな課題が隠れているのではないか。
以下、私の塾での例を元に少し考えてみたい。

先日もこのプリントに苦闘する中3生の姿があった。
書き出しでまず大切なのは、駅をどちら側に降りるかということである。
北側に出ないといけないのに、それに触れずいきなり道案内を始めては、へたをすると全く違う場所に導いてしまう。

地図には「北口」などの表示はないので、模範解答は「電車の進行方向右側に降りて」であるが、都会と違って普段電車に乗る機会が少ない当地の子どもたちには、
この表現は難しいようだ。
従って「北側に降りて」でも良しとする。

多いのは「交番がある側に降りて」という記述。
地図では交番は次の道の角にある。
駅から見えるかどうかはわからない。
しばらく歩いてみないと、正しいかどうか判断できない(かも知れない)のだ。

仮に駅から交番が見えたとしても、もし初めに出た側になければ、また反対側の出口まで戻らなければならない。
大きな駅では何分も歩かされる。
親切な道案内とは言い難い。

駅を出ても、とりあえずそこからどちらに進めばいいかの指示がない。
曲がる箇所の目印がない。
そして目的地近くまで行っても、道のどちら側(右?左?)を探せばいいのが書いていないのでわかりにくい...。

すべてがこんな調子の解答が少なくないのだ。
一言で言えば、相手の立場に立っていないということになろう。
自分は地図を見ながら説明しているのだからいいが、それを持たない人への配慮が感じられないのだ。

道案内に必要なのは、第一に、この相手の立場に立ってみる想像力であろう。
次に多くの情報から大切なものだけを選び出す力(要約力)
そしてそれらを元に、筋道立ててわかりやすく説明する言語表現力ということになるだろう。
教えるのがすぐ近くのわかりやすい場所であれば、身振り手振りで「あそこをこっちに曲がって...」式で十分だが、目的地が遠かったり込み入った所なら、これらの力が不可欠になる。

言葉だけでなく、相手に地図を描いて教える場合ももちろん同様である。
上記の中3生は昨日、逆バージョンの「道案内の文を元に地図を描く」プリントでさらなる苦戦を強いられていた。
ランドマークとなる大切なポイントが、あるべき場所に描かれていないのだ。

そう言えば、彼は国語の要約問題でも苦労していた。
数学の証明、社会や理科の記述問題でも然り...。
本人が避けたがるので強制はしてこなかったが、やはりもっと文章を読み、書く作業を多くさせるべきだったと反省している。
次回は塾から自宅までの地図を描き、さらに文章で説明させるプリントである...。


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色の名前

2006年02月12日 | ことば・国語
塾で今度出す折込チラシを作っているとき、用紙の色をどれにするかでさんざん悩みました。
いつもは薄い緑とか水色系が多く、アイボリーとかクリーム色も好きです。
ただ、この厳寒の時期、少しでも春を感じられる暖色系の方がいいかなと思ったのです。

かと言ってピンクや黄色は何となく品がない感じがするし...。
ということで、結局「ピーチ」というのにしてみました。
ごく淡いピンクです。
桃の皮の色より果肉の色と言った方がいいでしょう。
これなら、ほんのり暖かい感じと上品さが共存できそうです。

しかし色の名前というのは、それこそ「いろいろ」ありますね。
耳で聞いただけではサッパリ区別がつきません。
だから色見本というのがあるわけですが、いつもお世話になっている印刷屋さんから貰った色見本はすべてカタカナ名のみです。
レモンとダークレモンとダークイエロー、ブルーとライトブルーとオーシャン、グリーンとミントとダークミント、ピンクとライトピンクとローズ....違いわかりますか?

一番凝っていて、その結果違いがよくわからないのは車のボディカラーですね。
今私が乗っている車の色は「ウォームシルバー」だそうです。
当然「クールシルバー」もあり、比べれば違いがわかりますが、他の車種では同じような色でも違う名前になっています。
カタログを見ればわかりますが、今や車の色にストレートな「ブルー」とか「レッド」は皆無ですね。
どう見ても白なのに「ピュアホワイト」とか「パールホワイト」「ホワイトソリッド」など、飾りが付いた名前になっています。
新しい車種が出るたびにメーカー側は頭を絞っているんだろうなと思うと、もはや滑稽ささえ感じてしまうくらいです。

色の名と言えば、日本には古くからの伝統的な呼び名がたくさんありますね。
昔から興味があって「色の手帖」という本を買った記憶があります。
同じような色でも、少しの違いで別の呼び名が存在します。
それも、「ライト○○」「ダーク××」というワンパターンではなく、実に趣のある名前が付いているのです(「薄○○」「濃××」というのもあるにはありますが...)。

歌でおなじみの「鳶(とび)色」「浅葱(あさぎ)色」「亜麻色」、正確にどんな色かわかりますか?
正解を知りたい方はこちらからどうぞ。→「色見本の館」
私は「亜麻色」をもっと濃い色だと思っていました。
「亜麻」という植物の繊維の色だったんですね。

よくよく見てみると、他にもなるほどと思うものがたくさんあります。
こちらのサイトには色名の由来もあるので楽しめます。→「日本の伝統色名」
「萌葱(もえぎ)」はかなり知られているかな?
「鉄色」「鈍(にび)色」はどうですか?
「利休鼠」もだいたいわかってはいましたが、「利休」がお茶の葉の色の代名詞として使われていることは初耳でした。

「水色」は一般に使われている色とずいぶん違う感じ...。
ま、本来「水の色」ですもんね。
謎がいっぱいの「薄色」「半(はした)色」「新橋色」「憲法色」...奥が深いです。

春の甲子園の優勝旗で知っている「紫紺」、力士の「まわし」の色で覚えた「茄子紺」も確認できましたが、誰かが締めていたまわしの「いぶし銀」はなかったな...。

そう言えば昔、24色とか36色とか、色鉛筆の色の多さを自慢しあっていたことがあります。
あの頃は日本語の名前の方が主流だったように思います。
「山吹色」「えび茶色」「群青色」「朱色」「深緑」...。
だからこそ、たまにしかないカタカナ表記の「エメラルド色」などは、とてもハイカラな感じがしたものです。

今の色鉛筆やクレヨンはどんな色の名が付いているのでしょう。
やっぱり「ライト○○」「ダーク××」のオンパレードでしょうか?

たしか「肌色」は人種差別にあたるとかで使わないことになったんですよね?
「えんじ」「ねずみ色」も死語に近いですね。
「小麦色」「きつね色」「玉虫色」(?)などは、色の名というより修飾表現として健在ですが...。

伝統ある日本の色の名前を安易に外来語に置き換えず、少しでも後世に残し伝えたいと思います。

ところで「カーキ色」と聞いてどんな色を思い浮かべますか?
これ、年代で差があるようですよ。
詳しくはこちら。→「カーキ色って...」


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幸運の確率

2006年02月09日 | 日々雑感
富山市の主婦に届いたお年玉付き年賀はがき18枚の中から、なんと1等当選が2枚も出たというニュースがありました。
1等の当選確率は50万分の1!
確率大好きの私は、さっそく18枚中2枚(以上)が1等になる確率を計算してしまいました。

しかし...これが大変な作業なんです。
とにかく計算がハンパじゃない...。

「18枚中1等が2枚以上ある確率」は、「①1枚もない確率(これが圧倒的)」と「②1枚ある確率」を1から引いたものです。

(ここからの計算式は苦手な方は飛ばしてください。)
まず①を計算します。
式は簡単です。499,999/500,000の18乗=0.999964000612...になりました。
次に②です。(499,999/500,000)×(1/500,000)×18=0.000035998776...です。
で、①+②を1から引くと、0.000000000612...。
つまり0.0000000612%...なんじゃこりゃ!?

確率って簡単なようで、実は奥が深いんです。
たとえば5枚のうち1枚が当たりのくじを、5人家族が1人1枚ずつ引けば、1人は当たりそうに思いませんか?
誰も当たらないと、よほどついていないのかと思ってしまう...。
でもきちんと計算してみれば、5人のうち誰かが当たる確率は約3分の2。
つまり5人家族が3組いたら、そのうち1家族は誰も当たらないことになるのです。

そう言えば、年賀はがきのお年玉くじって、去年からだか今年からだか、4等(切手シート)の当選番号が2つに減りましたね。
前は3つ(100枚中3枚あたり)だったのに...。
もっと前は3等の「ふるさと小包」が下3ケタで当たったものです。
その当時1回だけ3等を当てたのが今までの最高成績。
今では下4ケタなので5000枚に1枚...絶望的です!
その分1等や2等が増えているらしいですが、庶民としては下等の当たりを増やしてほしいと思いませんか?

ところで、もしも冒頭の主婦のような大当たりをしたら、「ついてるから宝くじも当たるかも?」と考えますか?
それとも「運を使い果たした」と考えてしばらく自重しますか?

本当はどちらでもないんですよね。
くじはこの前誰が当たったなんて記憶していませんから、大当たりした人もはずれた人も、次のくじで当たる確率は同じです。

飛行機事故って続けて起きるという印象を私は持っているのですが、これもデータを取ってみればたぶん間違いでしょう。
この場合は、一度事故があったら点検などが入念になるので、むしろ続けては起こりにくいと考えるべきでしょう。
これは、人間の努力によって確率をある程度支配できる例ですね。

それにしても、くじ関係の大当たりにはホント縁がないです。
たぶん人生をトータルしたら、誰でも良いときと悪いときがあり、プラスマイナスしたらゼロになると思います。
だから、これからの人生のどこかで「大当たり」に遭遇するのかも知れません。
その前に息が絶えないよう、粘って行きたいものですね。


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同じことなのに

2006年02月05日 | 学習一般
英語の書き換えで、よく次のような問題があります。

It snowed a lot last winter.
→We had much snow last winter.

同じことを2通りの言い方で表現しているわけです。
どちらで表現されても頭の中に同じ情景が広がらなければなりません。

日本語でももちろん、似たような例はいくらでもありますね。
難しい表現と易しい表現、抽象的な言い方と具体的な言い方、あるいはちょっと視点を変えた物言いなど....。

文章を読むときに頭の中を整理するためには、これとこれは同じことを言っているんだとか、この具体例がこの部分だということを分析しながら読むことが大切です。
自分の中でこの作業がうまくできない文章は、その人にとって「難しい」文章ということになるのでしょう。

ところが実は、長い文章ではなく簡単な文でも、言い方を少し変えるとわからないという例が結構あるのです。
以下、塾で生徒を観察していて気づいたことを書いてみます。


例1:(算数)「あさみさんは300円持っています。れいこさんはあさみさんの3分の2のお金を持っています。れいこさんはいくら持っていますか。」だとできるのに「あさみさんは300円持っています。あさみさんとれいこさんの持っているお金の比は3:2です。れいこさんはいくら持っていますか。」だとわかならい。

例2:(数学)「2点(-1,2)、(2,5)を通る直線の式を求めなさい。」だとできるのに「x=-1のときy=2、x=2のときy=5である一次関数の式を求めなさい。」だとわからない。

例3:(理科)気温と飽和水蒸気量が書かれた表を見て、「気温○℃で湿度△%」とあれば空気中の水蒸気量(1立方メートル当たり)が出せるが、「露点が□℃」だと求められない。(ずっと簡単なのに....)



例1の場合だと、「比」の部分の理解がたりないということもあるかも知れません。
また、例3なら、「露点」の意味がわかっていないと言うことも考えられるでしょう。

ただ私が気になるのは、たとえば「割合」を習ったときはそれなりに理解していた、「比」のときも教わった通りにやって行けば何とかできた、なのに例1のような問題が実は同じことを言っているということに気づかない....そんな子が多いのでは?ということです。

つまり、学習したことが細切れになっていて、相互の結びつきがほとんど成されていない。
「割合」は「割合」、「比」は「比」の単元で完結してしまっているのです。

中3でも、たとえば二次関数の問題を解くときに、二次方程式や因数分解が十分使いこなせない例が見受けられます。

以前にも少し書きましたが、私は学習するということは、新しく仕入れた情報を既存の知識に照らし合わせ、これは全く新しい情報だとか、これはあれと同じことだとか、今までのこれとこれの上位概念であるとか、頭の中を整理することだと思っています。
これができないと頭の中は断片的な情報だらけになり、スペースばかりいっぱい取って機能的な働きができなくなるのだと思います。

出題する方は手を変え品を変え、同じことを様々な角度から、いろいろな表現で問うてきます。
その手にまんまとはまって、少しでも違う表現の問題の解法を一つ一つ丸覚えしていたのでは、いくら勉強しても非効率極まりないものになります。
初めて見るような問題でも、今までに学習したどういう問題と同じパターンなのかを落ち着いて考えれば何ということはありません。

そんなことを考えて、今、小学1年生の学習にこんな自作プリントを採り入れています。


「上の ぶんと おなじ いみに なるように (   )の 中に ことばを  いれましょう。

 ・たかしは けんじより せが たかい。
  けんじは たかしより せが (       )。

 ・おかあさんは きのう ほんやで かいものを しました。
  おかあさんは きのう (      )を かいました。

 ・おとうさんは 中がっこうで えいごを おしえています。
  おとうさんは 中がっこうの えいごの (       )です。 

 ・ともこの まえに 5人の 子どもが ならんでいます。
  ともこは まえから (   )ばんめです。

 ・きょうは 4がつ 11にちです。あした おじいちゃんが うちに 
  きます。
  おじいちゃんは 4がつ (   )にちに うちに きます。 



これから多くのことを学ぶ中で、彼がどれだけ「同じことを言っている」に気づき、どれだけ頭の中を整理してくれるかに注目し続けたいと思います。


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裏と表

2006年02月01日 | ことば・国語
先日のテレビで、永六輔氏が色紙(「「いろがみ」ではなく「しきし」の方)の裏・表のことを話していました。
あれって、普通みんなが字を書く白い方が裏なんですね。
「本当は金粉の方に書くのだが、私のような者が表に書くのはおこがましい」という謙遜の意味で白い方に書くのだそうです。
そう言えば、昔の貴族の和歌などは金粉の方に書かれていますもんね...。

で、そこからいろいろとオモテとウラについて考えてみました。

硬貨の裏・表はわりと知られていますね。
十円玉で言えば平等院鳳凰堂の描かれている方が表。
これを初め知ったときは、それまでなんとなく表だと思っていた「10」と書かれた方が裏だったので驚いたものです。
ただ、なぜそちらが表かという理由の部分の記憶が曖昧で、自分の中では「日本国」と書いてある方が表だと定義してきました。

ところがこれも違っていたのです!
硬貨の表は「年号が書かれていない方」だそうです。
十円玉や百円玉、一円玉ではそれでも私の考えていた「表」と矛盾しませんが、五円玉だけは別です。
五円玉だけは「日本国」と年号が同じ面に書かれているんですね。
従って「五円」と漢数字がある方が表です。
今すべての硬貨を調べてみましたが、「漢数字のある方が表」、あるいは「絵柄がある方が表」と解釈しても間違いはなさそうです。

ところで「表」に対して「裏」は、どうしてもマイナスイメージがありますよね。
「裏目に出る」「裏切る」「裏表がある」「裏ぶれる」「裏金」などなど...。
どうしても日の当たらない暗いイメージが付きまといます。
かつて日本海側を「裏日本」と呼んでいた時期もありましたね。
わざわざ「日本海側」と言い換えたのも、「裏」という語が差別的ニュアンスを含んでいるからでしょう。

でも、「裏」が付く言葉でも必ずしもマイナスイメージだけでなく、それはそれで味があるという例も多くあります。
「裏町」「裏街道」「裏磐梯」「裏庭」「裏方」「裏番組」などです。
「表」の方がメジャーで注目を集めているのだけど、そうじゃない「裏」の渋い魅力にも目を向けている感じがします。
「もののあはれ」や「わび・さび」に通ずるところもありそうな...。

「裏千家」は単なる分類上の言葉ですから評価の要素は入っていません。
ま、これは、表も裏もそれぞれの良さがあるというだけのことですね。

さらに「裏」がプラスの意味を持ったものを探してみましょう。
「裏打ち」「裏書き」「裏付け」「裏をとる」などでしょうか。
いずれも「裏」が「表」を支える重要な役目を果たしています。
「表」だけではやって行けないのです。

「裏ワザ」はもっと積極的。
「表」を越えています。
「裏を返す」「裏をかく」は微妙なところ...。
立場や状況によってはプラスイメージになりそうです。

将棋の駒は裏になるとパワーがアップします。
「歩」が一挙に「金」に昇格するなんて、その最たるもの!
まさに「成金」ですね。
将棋では圧倒的に「裏」の勝ちです。

オセロも、挟んだ方に取ってみれば裏は宝の山。
野球だって延長戦に入れば裏が断然有利...。

こうしてみると「裏」の魅力も捨てがたいですね。

ところで、コピー用紙の裏・表の見分け方がわかりません。
昔聞いたのですが忘れてしまいました。
どなたか、ちゃんと教えてくれませんか?


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