ことばを鍛え、思考を磨く 

長野市の小さな「私塾」発信。要約力、思考力、説明力など「学ぶ力」を伸ばすことを目指しています。

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教えない「教育」

2005年11月28日 | 学習一般
「教育」とは「教え育てる」ことである。
それを「教えない」とはどういうことか?
「教えない」塾なんて存在できるのか?
今回はそんな話である。

今日の信濃毎日新聞教育欄に、数学者の秋山仁氏の寄稿が載っていた。
「教えすぎる日本」というタイトル。
副題として「効率優先より試行錯誤を」とある。

秋山氏の教育論には共感する部分が多い。
特に「教えない」こと、試行錯誤を重んじることについての主張には全く同感である。
私のブログの記事の根底に共通してあるのは、効率優先より手間暇かけてじっくり勉強し、ゆったり生活することを良しとする考え方なのだから.....。

氏は記事の中で、元横浜ベイスターズ監督の権藤博氏が大リーグにコーチ修行に行ったときのことに触れている。
右方向に打つ練習を課された新人選手が一向にうまくできないので、権藤氏が見かねてコツを教えたら簡単にできるようになった。
ところが、それを知ったアメリカのコーチに怒られたというのである。

「教わったことはすぐに忘れるんだよ。彼は何となくできているだけなんだ。調子が悪くなったら行き詰まる。だけど、自分で試行錯誤してコツをつかめば、技術は彼のものになる。」
これを聞いて権藤氏はハッとしたそうだ。

秋山氏は日本の今の教育を、権藤氏の「コツの伝授」と同じだと批判している。
「生徒たちが自分で取り組んで自分で何かをつかむまで待っているのはジレッたいと、大人がおぜん立てし、「こうすればいいんだ」と教え込み、あとはテスト。」
「日本の学校では〝なぜ、そうなのか〟〝他に方法はないのか〟をあまり考えさせていない気がする。」


多くの学校や塾がこのパターンに陥っているのではないだろうか。
たくさん教えてあげるのがいいこと、時間をかけさせないで速く処理できるようにすることが善だと信じて実践している。
解き方のコツや便利な「公式」などを教えることが親切だと思っている。
そんな教師、講師が多いのではないか。

そういう教育を受け続けていると、やがて子どもの側もその方が楽だと考えるようになる。
自分で苦労してあれこれ考えるより、大人に楽なやり方を速く教えてもらいたい。
以前にも書いたが、考えるのを面倒がり、すぐに解法を知りたがる子が増えている気がする。
親も「たくさん教えてくれる先生」や「手取り足取り指導してくれる塾」を求める傾向が強いようだ。

実は教える方にとっても、はじめから丁寧に一つ一つ教え込んでしまった方が楽なのである。
秋山氏の指摘のように、子どもに試行錯誤させるには十分な時間、待ってやれる姿勢が必要だ。
その過程で正しい考え方に至る道からそれてしまった子を、もとの道に戻すにもその子に応じた対応が必要で手間がかかる。
だったら最初からすべて与えてしまった方が手っ取り早い。
そう考える教育者が圧倒的に多いのが現状であろう。

だが私は非効率でも泥臭くても、教えない教育を追究したい。
この子にはどういう課題を与えれば自分で道を切り開いて行けるか、一人ひとりに応じて考えていきたい。

そのためには、それを実現できる教材が欠かせない。
市販の教材も利用しているが、なかなかこれといったものがないので自作教材で補っている部分も多い。
体系化はまだできていないが.....。

全く説明がなければ講師に聞かなければ試行錯誤さえできないし、かと言って説明を詳しくしすぎれば、自習はできるかも知れないが「なぜ?」「他の方法は?」を考える機会は大きく奪われる。
その兼ね合いが難しい。
万人向けのものなどできないのかも知れない。
私自身も試行錯誤の森の中を歩き回っている最中である。


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漢字随想

2005年11月25日 | ことば・国語
(その一)
簡単な漢字なのに、ずっと見ていると「あれ?こんな字だっけ?」と悩み出すことはないだろうか。
私はときどきこの経験をする。
やはりそれで正しかったのだと納得してしまえば、あとから振り返ってもなぜそんなに悩んだのかわからない。
難しい字や思いっきり簡単な字ではそういうことはないのだ。
何の字で悩んだかさえ忘れてしまうので、例を挙げるのが難しいのだが、たとえば「衆」とか「幻」「昇」といったレベルの漢字である。

いつだったか塾で生徒に説明しているときに、「商」の書き方がわからなくなった。
どう書いても違和感があって自信が持てない。
こういうとき、難しい(画数が多い)漢字ならグチャグチャと誤魔化すこともできるが、小学校で習う字ではそうも行かない。
そのときは恥を忍んで漢字帳で調べた。
生徒はどう思ったろう.....。

(その二)
昔「○○ん」式の本部に勤めていたことがある。
当時から早期教育にも力を入れていたが、幼児向けの教材の一つに「漢字カード」をいうのがある。
オモテ面にはイラストと漢字、ウラ面は漢字のみ。
繰り返し見せて漢字を刷り込む。
誤解している人が多いが、漢字を覚えるのが目的ではなく、「パターン認識」という幼児ほど豊かな能力をさらに伸ばすための教材である。

トランプの「神経衰弱」で子どもが強いのは、1枚1枚を覚えているのではなく、全体をあたかも一つの絵のように丸ごと覚えているからだそうだ。
漢字も「なに偏」とか書き方にこだわらず、絵として認識する。
そのため「九」よりも「鳥」、それらより「鳩」の方が幼児はすぐ覚える。
手がかりが多いということだろうか。
私が簡単な漢字に時折不安を覚えるのも、似たようなところに原因があるのかも知れない。

(その三)
名前の漢字が難しい人は気の毒である。
姓と名の画数を足すと、その数は人によって大きな開きがある。
つい、テストの時に名前を書くだけでも損をしてるのでは?と同情してしまう。
同じように住所でも、これは度々書くのは大変だろうなと思う例がある。
10年ほど前住んでいた「長野県南安曇郡」でも面倒だったが、全国を見ればもっと画数が多い地名はいくらでもあるだろう。

県の名で一番画数が少ないのは?
正解は「山口」の6画。ついで「大分」の7画。
多い方は「鹿児島」と「新潟」が同数の28画で首位である。

以前新潟の長岡市に住んでいたことがあるが、新潟県の人は自分の住所を書く際、「潟」の字をサンズイに「写」で済ませていたことを思い出す。
因みにこの「潟」という漢字、生徒のほとんどが「臼」の部分の横棒を1本多く書いているので、大人でもチェックを要する字である。

(その四)
恥ずかしながら、浪人時代までずっと間違えて覚えていた漢字がある。
一つは「教」。偏の部分を「考」にしていた。
そんな私が今は人を教える仕事に就いているのだから皮肉である。
もう一つは「備」。旁の「用」の部分を「扁」の下部のように縦4本にしていた。
いずれも習ったときは正確に覚えていたのが、何かのきっかけで間違って刷り込み直されたのだと思う。
浪人のとき必死に勉強した成果の一部が、この二つの字の再発見である。
現役で失敗した原因はこのあたりにあったかも.....。おそまつ!


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勤労感謝の日によせて

2005年11月23日 | ことば・国語
昔は祝日になると日の丸を掲げる家が多かったが、最近では本当に少なくなりました。
「旗日」という言葉も「絶滅危惧種」ですかね.....。

国旗を掲げるどころか、今日が何の日で休みなのかということも知らずに遊び回っている若者よ。
今日は昔で言えば新嘗祭。農作物の恵みに感謝する日でした。
今の法律では「勤労をたっとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」日ということになっています。
働けること、それによって物や金を手にできることに感謝し、子どもであれば働いてくれる大人に感謝する日なんですよ。
フリーターとかニートとか気取っている人、今日ばかりは「働く」ということをもう一度じっくり考えてみてはどうでしょう?

「働く」という語は平安時代以降に生まれたようですね。
で、もともとは単に「体を動かす、動く」という意味だったものが、後に「精を出して仕事をする」「努力して作業をする」という精神的な意味も加わったとのこと。
この過程で「人」と「動」を合体させた「働」という国字ができたようです。

おもしろいのはその語源。
「ハタ」から派生したようです。
「ハタ」というのは物の動く様子を表す言葉で、バタバタとかパタパタという擬態語、擬音語もここから生まれているそうです。
「ハタとひらめく」というときの「ハタ」も同じでしょうか?
「バッタバッタとなぎ倒す」の「バッタ」もそう?

それが「はたらく」という動詞になったということは、やはり「働く」とは「バタバタする」ことなんですね。
バタバタ働いて、心を亡くして「忙しく」なる。
うまく辻褄が合いますね。
因みに、関西でよく言われているという「ハタが楽やからハタラクや」というのは完全な俗説のようです。
でも、これはこれで哲学的だと思いますが.....。

外国の言葉に目を向けると、アメリカで勤労感謝の日にあたるのがLabor Day。
laborはwork、task、jobなどと比較して「つらい」「苦しい」というニュアンスが含まれるようで、laborだけで「産みの苦しみ、陣痛」という意味もあります。

また、よく知られているように、フランス語で「働く」を表すtravail(トラバーユ)がえいごではtravel(トラベル)
昔は旅も命がけの労苦だったことは想像に難くありません。
ドイツ語で「働く」はArbeitだそうで、これが日本ではちょっとした仕事を表す「アルバイト」として使われています
彼らの労働は日本人には「ちょっとした仕事」にしか見えなかったということでしょうか.....。

なんだか、西洋の「労働」に対する考え方がかいま見えますね。
彼らには日本人の「ワーカホリック」など絶対に理解できないでしょう。
苦痛なら少しでも減らしたいのはあたりまえ。
チェコ語で「強制労働」を意味するrobotaからrobotという造語が生まれたのも納得がいきます。
「ロボット」に代わりに働いてもらい、人間は苦痛から解放されたい。
そんな思いが伝わってきますね。


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スポーツ信仰

2005年11月21日 | 学習一般
前回、小学生がプロテインを飲んでまで強くなろうとするスポーツ指導のあり方に疑問を投げかけました。今日はその続きです。

「スポーツ」の語源を調べてみると、もともとは「気晴らし」「楽しみ」など、日常生活からちょっと離れて息抜きすることを指していたようです。
従ってハイキングはもちろん、カードで遊ぶこと、食事会をすること、果ては女性を口説くことまで「スポーツ」だったとのこと。

今国語辞典を引いてみたら、「スポーツ」は「余暇活動・競技・体力づくりのために行う身体運動。陸上競技・水泳・各種球技・スキー・スケート・登山などの総称。」とありました。
多少狭い意味になったとは言え、現在でも「スポーツ」という言葉自体は原義のニュアンスを保っています。

ところが、なぜか日本では「競技」の部分のみが必要以上にクローズアップされています。
日本人ほどオリンピックが好きな国民は珍しいと聞くし、さらにメダルの数にまで一喜一憂する。
お年寄りの親睦、健康のためのゲートボールでさえ、勝敗を巡って殺人事件まで起きるお国柄です。

特に青少年に関して、スポーツを楽しむことより強くなること、勝つことに重きが置かれている状況は憂うべきことだと考えています。
もともと彼らにスポーツを奨励した目的からして、不良化を防止するためや思春期のモヤモヤを「健康的に」解消させるため、あるいはチームワークを大切にする人間を作るためという「不純な」ものも含まれるのですが、今はそこには触れません。
(ここに踏み込むと、競うことや根性論が好きで和を重視する国民性を巧みに利用しようとする国家の思惑まで読みとれて、話が怖ろしい方向に進むので.....)

それにしても、部活から地域クラブまで、なぜあんなに子どものスポーツ指導に「熱心な」(←もちろん皮肉です)大人が多いのか.....。
みんなが一流選手を目指しているかのように、量的にも質的にもハードな練習が課されることが少なくありません。
高校生ともなれば、朝練から始まって放課後も7時、8時まで練習し、家では暇さえあれば寝ているという子がいかに多いか.....。
授業中さえ疲れでボーッとしていては、本来の責務である勉強がわかるわけがありません。

どうも「勉強よりスポーツ」という価値観が、大した根拠もなく世の中に蔓延している気がします。
真面目に勉強することが悪であるかのようなムードはいったいいつ頃から生まれてきたのでしょう?
二宮金次郎の銅像がなくなって行くのと並行して、寸暇を惜しんで勉学に励むことが「ダサく」なってきたのかも知れません。
学校でモテる男子は学年一番の秀才よりもサッカー部のキャプテン。
「ガリ勉」という言葉には馬鹿にするニュアンスが含まれているし、テスト前には「全然勉強してない」とうそぶくのが仲間外れにされない知恵だったりします。
そして企業でも、理屈をこねる文化系より、素直で「根性」のある体育会系の学生を好んで採用するところも未だにあるようです。

親も、「うちの子は全然勉強しない」「成績が上がらない」と言いながら、スポーツでがんばっているのだから仕方ないという思いがどこかにあるようです。
特に父親にその傾向が強いのではないでしょうか。
勉強ができるよりたくましく育ってほしいという思いが.....。
親に少しでもそういう思いがあれば、子どもは面倒な勉強から逃げてスポーツに打ち込みます。
少々練習がきつくても、勉強よりは楽しいので平気です。
かくして、本格的に勉強もしないまま、すなわち勉強の楽しさに触れもせず、「頭を使うより体を使う方が向いている」などと安易な自己診断を下す子が出てくるのです。
10年早い!と言いたいところですが、大人も結構すんなりと受け入れたりするのが驚きです。

健康が第一なのはもちろんです。
そのためにスポーツをやるのは大賛成!
でも、上にも書いたように、今の青少年スポーツは明らかにやりすぎです。
楽しむため、気晴らしのため、健康のための範囲を超えています。
健康の次に考えるべきは、勝つことや強くなることよりも、広い意味で学力をつけることではないでしょうか。
少なくとも学校の部活はそうあるべきだと思います。
部活で疲れて勉強ができないというのは、どう考えても本末転倒です。
部活は「楽しみ」「健康」の範囲でとどめるべきです。
その上で、やっぱりスポーツが向いている人、そしてもちろんその才能がずば抜けている人は、学校外の地域クラブなどで練習を積むという形が一番だと思います。

中3で、1・2年の範囲にあやしいところが山積みの子については、正直「部活なんかやってる場合じゃないだろ」という思いが強くあります。
でも親は「悔いの残らないように最後までやらせたい」と、疲れて休みが多くても、塾に来て寝ていても容認している.....。
では勉強には悔いを残してもいいのでしょうか?
スポーツや部活は無条件に是とする根強い信仰、もう一度考え直してみませんか?


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小学生にプロテイン?

2005年11月18日 | 日々雑感
小6で地区のスポーツクラブに入り、県下でも強豪に数えられる子が塾に来ている。
先日その子と雑談をしていて驚いたことがある。
筋肉を増すためにプロテインを飲んでいるそうだ。

プロテインは長男が高校野球をやっているときに飲んでいたから知っている。
でも、精々高校生以上が利用するものだと思っていた。
小学生が飲んでいると知って検索をかけてみると.....。
結構使われているようである。
初めから「小学生用」と謳っている商品まである。

成分についてはよく知らないが、決して害になるものではないのだろう。
しかし私は、いわゆるサプリメントで栄養を補うことにも抵抗がある人間だ。
本来食事をバランスよく摂れば事足りるものを、その部分を手抜きして「薬」で辻褄を合わせるのは本末転倒ではないか?

子どもなら尚更である。
毎日の食事を好き嫌いなく、よく噛んでよく味わって食べること。
そして何より、家族や友だちと語らいながら食事を楽しむこと。
これ以外に何が必要だろう.....。

若者の中に、食事は栄養を摂る手段に過ぎないと考える者が増えているそうだ。
時間に追われて朝食は抜き、昼はファストフード、夜はカップ麺。
栄養面が気になればウィダー・イン・ゼリーやカロリーメイト、その他諸々の補助食品.....。
食文化を考え直し、子どもたちに「食育」を進めることが急務だと感じている。

かなり脱線したので、小学生のプロテインに話を戻す。
ネットで得た情報によると、激しい練習に対応するためにプロテインの摂取は有効なのだそうである。
そこまでして練習しなければいけないのか。
普通の食事だけでついていける練習ではダメなのか。


それだけの練習をするためには、当然多くの時間が費やされているだろう。
勉強の時間も、友だちと遊ぶ時間も、一人本を読む時間も犠牲になっているはずだ。
そして先に触れた食事を含む家族とのゆったりした時間、睡眠時間までも.....。

イチローや松井、中田や中村を始め、様々なスポーツで世界を舞台に活躍する日本人が増えてきた。
その影響か、部活も含め、スポーツで強くなるためには何でもありという風潮がジワジワと蔓延しているように思う。
行きすぎた練習で事故が起きたというニュースに触れるたびに、勝利至上の日本の青少年スポーツ指導を、根本から考え直す必要を強く感じている。

学力はどうでもいいのか!?.....については次回に。


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いただきます&ごちそうさま

2005年11月15日 | ことば・国語
朝日新聞の「声」欄にこんな投書が載っていました。
「いただきます言わせない親」というタイトルです。
北海道のある中学校で、生徒の母親から「学校側に給食費を払っているのだから、うちの子に『いただきます』を言わせないでほしい」という要望があったと知り驚いたという話。
私もこれを読んで唖然としてしまいました。

金を払っているんだから「いただきます」は必要ない.....なんと貧しい発想なのでしょう。
お金を貰う側のときはペコペコしているくせに、払う側になるととたんに態度が大きくなり上からものを言う.....私が一番嫌いなタイプの人間です。
ウェイトレスや料金所のおじさんに横柄な口をきく奴、よくいませんか?

本来「いただきます」は、食卓に上ってくれた動物や植物に対して「あなたの命をいただきます」という感謝の言葉です。
もちろん食事を作ってくれた人に対する「ありがとう」の気持ちも含まれます。
よく英語では「いただきます」にあたる言葉がないと言いますが、その代わりに神に対する祈りを捧げることが一般的ですね。
洋の東西を問わず、今日も無事食事を摂ることができる感謝の気持ちを自然や人すべてに対して表しているのです。

ところで「いただきます」に比べて語源がわかりにくいのが「ごちそうさま」です。
調べたところ、「馳走」というのは漢字からもわかる通り、馬に乗って走り回ること。
何のために走り回るかと言えば、食べ物を得るためですね。
それが、客のために走り回ることから「もてなし」の意味になった。
で、もてなされた側がそのことに感謝する言葉として「ご」「様」が付いた形に変化し、江戸時代後半頃から今のように食後に使う習慣ができたようです。

結局、あたりまえですが、「いただきます」も「ごちそうさま」も根本にあるのは「感謝」の思いですね。
合掌して言う人も多いせいか、仏教色を強く感じてそれを嫌う人も多いようですが、言葉自体は宗教を越えて日本人の生活に根づいているのではないでしょうか。
いや、根づいてきたと言うべきか.....。
伝え残したい日本語の一つですね。

冒頭の話のような、お金を払えば感謝は要らないとうのが資本主義の究極の考え方だとしたら、あまりにも淋しい.....。
物を買うためにお金は必要だけど、売った側だけでなく買った側にも「ありがとう」の気持ちはあると思うし、あるべきだと思います

そう言えばアフリカのある部族では、プレゼントを貰った方ではなく、あげた方が「ありがとう」と言う習慣があるそうです。
小学生の国語教材で読みました。
「もらってくれたお陰でいい行いができた。ありがたいことです。」という意味だそうです。

今の殺伐とした世の中を少しでも変えられるのは、日常の何気ない感謝の一言かも知れませんね。


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まる まる まる

2005年11月12日 | ことば・国語
またまた地元の信濃毎日新聞からのネタです。

温暖化で桜などの開花は早くなり、紅葉は遅くなっているという気象庁観測についての記事。
具体的なデータが表になっていますが、ツバキやタンポポ、サクラなどの開花の方は「早まり」、そして紅葉や落葉の方は「遅まり」とまとめてあります。
.....「遅まり」???

皆さん違和感ありませんか?
私は思わず「そんな言い方しないだろ!」と声に出してしまいました。
「早まる」はあっても「遅まる」なんて聞いたことないぞ.....。
この場合「早まり」に対しては「遅れ」ではないのか.....。

辞書を引いても「遅まる」は載っていません。
さっきから苦労しているようにワープロも「お染まる」としか変換してくれません。

でもなぜ「早まる」は使うのに「遅まる」はないのか?
ということで、他の「形容詞+まる」も探してみました。
以下、○は普通に使われるもの、×は聞いたことがないもの。
もちろんすべて私の独断です。

強まる...○ 弱まる...○
広まる...○ 狭まる...○(ただし読みは「せばまる」)
高まる...○ 低まる...△(ビミョー)
深まる...○ 浅まる...×
近まる...○ 遠まる...×
薄まる...○ 濃まる・厚まる...×
暖まる...○ 涼まる...×


「~まる」を「~める」に変えて他動詞にしても同様です。
「低まる」は「低める」の方が○に近い気がしますね。

片方だけ○というパターンが結構多いのが不思議です。
「大きい・小さい」「多い・少ない」など頻繁に使う形容詞が、両方とも「~まる」を伴わないのも不思議ですね.....。

歴史的には形容詞にいきなり「まる」が付いたというより、「強む」「広む」などの形を経て「強める」「広まる」になったと考えるべきでしょう。
そうすると「涼し」→「涼む」→「涼まる」も不自然じゃないかな?

体や心が「やすまる」というとき、どういう漢字を使いますか?
「休まる」と書くことが多いのではないでしょうか。
私も何の迷いもなくそう書いてきましたが、今回いろいろ調べて考えが変わりました。
「安し」(値段じゃなく安心、安全などの意)→「安む」→「安まる」という流れを重視すべきではないか。
「休む」ももとは「安む」ではなかったか.....と思うのです。

「静か」→「静む(鎮む)」→「静める(鎮める)」と同じように.....。

ところで私が違和感を感じる「遅まる」「遠まる」なども、検索をかけてみると意外に使われているようで驚きました。
特に詩や俳句などの世界では多いようですね。

ということで今日の記事は、気になる日本語にイチャモンをつけるというより、それを追究する中で出会った新たな発見についての話でした。

あ、そう言えばよく使う「○○まる」、もう一つ忘れてました。
そう、「○○」=「まるまる」=「丸まる」!
.....おあとがよろしいようで.....。


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「文化住宅」

2005年11月09日 | ことば・国語
NHKのBS1では昼の1時過ぎから、全国の主要局で12:15から放送した地域のニュースをまとめて流してくれます。
ちょうど昼食の時間にあたり、ローカル色豊かな話題が楽しいのでよく見ています。

先日大阪局のニュースで「大阪市○○区の文化住宅で火事」というのがありました。

文化住宅?何それ?.....なんか聞いたことはあるけど実態がよくわからない.....。
文化的な住宅?.....いまどき、文化的じゃない住宅を探す方が大変です。
昭和40年頃までの言葉じゃないの?.....死語でしょ.....。

と思って調べたら、いやぁ、驚きました。
辞書に「関西地方で、木造二階建ての棟割りアパートの俗称」というのがしっかり載っているじゃあーりませんか!
東京で言う「アパート」を関西では「文化住宅」と言うんですか.....初耳です。

全国ニュースで聞いていれば馴染みがあるはずですから、大阪の事件でも全国に流すときは「アパート」などに言い換えているんでしょうか?

もともとは近代的で合理的な新しいスタイルの住宅をそう呼んでいたのが、関西では集合住宅を指す言葉として残ったということでしょうね。
昔はもっと全国的に使われていたんでしょうか.....?

「文化」という言葉自体、非常に漠然としていて広い意味に使われますね。
文化の日、文化革命、平安文化、文化人、文化村、文化的、文化人類学.....。
一言で定義するのはとても難しい。

「文明」と言うと少しニュアンスが異なるけれど、「文化的」な暮らしを支えている道具を「文明の利器」と言ったりしますね。
「文化の利器」とは言わない。
このへんも突っ込んで考えると面白そうです。

ところで「文化住宅」と同じように「文化」が使われている物、ほかに何があるか探したら、「文化包丁」「文化鍋」くらいしかありませんでした。
研がなくても長持ちするから「文化」包丁、吹きこぼれしない「文化」鍋.....。
どうも「便利な」という形容動詞の代わりに「文化」を付けているようですね。
「文化放送」は関係ないですね.....。)

どれにしても世に出た当時はオシャレなネーミングだったのかも知れませんが、今となっては逆にノスタルジーを感じさせます。
3つしか思い浮かびませんが、よくぞ残ってくれたと言いたいところです。

なかでも関西における「文化住宅」の使用頻度はずば抜けているのでは?と推察します。
「文化包丁を持った男が.....」というのもニュースで聞いたことはありますが.....。

関西の方、教えてください。

「文化住宅」のほかに「アパート」とか「コーポ」とかあるんでしょうか?
あるとしたらその境い目はどこ?
「マンション」は別ですよね?
鉄筋コンクリートだと「マンション」?
(←これ、他の地域の人にも訊きたい!)

よろしくお願いします!


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算数に電卓をつかうこと

2005年11月06日 | 学習一般
今の小学校算数の教科書には、問題番号の横に電卓マークが付いているものがあり、ここでは電卓の使用が認められ、と言うより使用することが義務づけられています。
非常に大きな数の概数を見積もりの学習をし、その確かめのために実際の計算は電卓でするわけです。

それ以外にも教師の裁量で「ここは電卓使用可」とされることもあるようですが、算数に電卓を使うことに関しては、誤解も含め圧倒的に反対意見が多いようです。→小学生の算数に電卓?

電卓を使うと言っても、それ以降すべての計算に使用するわけではないですよね。
基本となる計算方法は四則すべてについて、小数や分数も含めて手書きで十分に練習するはずです。

だったら大人でもうんざりする複雑な計算は、電卓を使っても一向に差し支えないのではないでしょうか?

円周率=3で計算する」ことについても、マスコミの過剰な反応によって「とんでもない」という声が支配的になっていますが、「3である」と断言しているわけではなく、本当は3.1415.....ことも教えています。
その上で面積を出すときなど、計算に使うときは3と考えていいと言っているだけです。

中学に入ればπを使って簡単に計算できるのに、小学校でわざわざ面倒な計算をするのは大いなる無駄だと以前から思っていました。
だいたい、もともと円周率は無限なのですから、どこで切ったって不正確なわけです。
では3.14で切る理由は何でしょう?3だとなぜいけないのでしょう?
面積の出し方を考えることが目的なのですから、計算で余計な労力を使わせる必要は全くありません。

どうも、小学校ではひたすら計算力をつければいいと考えている大人が多いようですね。
反復練習を重ね、億や兆でも小数でも、とにかく桁数の多い同士の四則計算を筆算でできるようにする。
そのことが中学から数学を学ぶ上での土台になるという考え方です。

本当にそうでしょうか?
計算力は単なる技術です。
技術だけをいくら伝授しても、習ったことから先のことは自力ではできません。
なぜそうなるのか原理を理解し、考える力を育てる必要があります。


3桁×2桁は習わなくても、2桁×2桁の筆算の原理がわかっていれば応用が利くはずです。
3桁×2桁まで学習させないと基礎学力が.....という発言は、子どもの考える力を過小評価していることから生まれるものだと思います。

結合法則や分配法則を使った「工夫して計算する」箇所も、機械的にやり方だけ覚えて解いている子が少なくありません。
「工夫」などどこにも見られない.....。
一方、意味を本当に理解している子は、教わったこと以外にも自分で工夫して計算を楽にしているものです。

小学校での計算練習は、たし算・ひき算なら3桁同士、かけ算は2桁×2桁、わり算は3桁÷2桁までで十分ではないでしょうか。
小数の計算も基礎だけわかればOKです。
中学以降はめったに使わない小数を、なぜあそこまでしつこく練習するのでしょう?

むしろ分数計算の比重をもっと高めてほしいくらいです。

大きな数や小数の複雑な計算は電卓に任せ、浮いた時間で分数や割合、「単位あたり」の考え方、図形などをさらに深める.....。
それこそが中学以降の数学的な思考力に繋がる王道だと強く思います。


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デシメートル&センチリットル

2005年11月03日 | ことば・国語
「弟」や「湖」は仮名にすると4文字、「志」や「詔」は5文字.....。
もっと多いのがないかと探していたら、「糎」(センチメートル)という字を見つけました。
他に「粁」(キロメートル)「粍」(ミリメートル)なども.....。
「米」=「メートル」はよく知られていますが、それを偏にして旁を変えることでいろいろな単位を表しているんですね。
「米」の代わりに「立」=「リットル」「瓦」=「グラム」を使うとさらにバリエーションが広がります。

もちろんすべて日本で作られた国字ですが、特に旁の方はよく考えたなあと感心させられます。
たとえば旁に「百」がくれば100倍、「千」がくれば1000倍。
小さい方は「厘」が100分の1、「毛」が1000分の1.....。

ん?「分」が10分の1、「厘」が100分の1というのは普通の割合の「○割○分○厘」とは一桁ずれてますよね。
これって「九分九厘」のときの使われ方と同じです。
ああ、ややこしい!

ところで漢字で10分の1(デシ)を表す旁は「分」
すると「デシメートル」は「米」に「分」で「粉」.....あれ?「こな」?
漢和字典で「粉」を調べても載っていませんでしたが、理屈ではそうなるようです。

でも、そもそもほとんどの中学生が「センチ」は100分の1、「ミリ」は1000分の1などが理解できてないですね。
おそらく新しい単位が出てくるたびに丸覚えしているだけです。
「ミリ」や「キロ」の意味を正確に知っていればmAだってkAだって覚える必要なんか全然ないのに.....。

小学校で習うデシリットルって、日常生活ではまず使わないですよね?
まあそれでも、そういう単位があるってことは知っておいてもいいでしょうが、だったらセンチリットルデシメートルも教えてほしいものです。

長さなら「メートル」が基準でその10分の1には「デシ」、100分の1には「センチ」、1000分の1には「ミリ」がそれぞれ頭に付く。
重さなら「グラム」、容量なら「リットル」を基準に同様に考えればよい。
ついでに10倍、100倍、1000倍も.....。
これらを体系的に理解しておけば、中学で「ミリアンペア」や「ヘクトパスカル」が出てきても応用がききますよね。
豆知識的に漢字も教えれば、こちらも規則的に作られていることに面白みを感じてくれるはずです。

因みに、先日取り寄せたアメリカの算数の教科書にはちゃんと「デシメートル」も載っていましたよ。

といろいろ調べていて、恥ずかしながらこの年になって初めて知ったことがあります。
「ヘクタール」って「ヘクト」+「アール」で「ヘクトアール」なんですね!
う~ん、とても得した気分です。勉強は楽しいですね!


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住みよい、読みよい、学びよい?

2005年11月01日 | ことば・国語
地元の有力紙、信濃毎日新聞の販促キャッチフレーズは「早い、読みよい」です。

「早い」は「速い」じゃないですかね。
「朝早く」届くことより「ニュースを速く」伝えることを訴えていると思うので.....。

それはともかく、今日採り上げたいのは「読みよい」の方です。
私はどうもこれが気になって仕方ありません。
何回聞いても違和感が拭えないのです。

「気持ちよい」「心地よい」「形よい」など、名詞に「よい」が付いて形容詞になっているものはすんなり受け入れられるのですが、「動詞+よい」の形はすべてダメですね.....。

同じように感じている人がいるだろうとネットで検索してみましたが、そんな話題は見つかりません。
もしかして、私だけの感覚なのでしょうか.....?

辞書で調べると、「よい」の使い方には確かに「(動詞について)その動作を良い気分ですることができる。むずかしくない。たやすい。」(by広辞苑)とあり、万葉集での使用例も載っています。

最も普及しているのは「住みよい」でしょうか。
「住みよい町作り」「住みよい環境」などと広く使われています。
「住みやすい」と言うと「たやすい」ニュアンスの方が強く感じられるので、「良い気分で」が前面に出る「住みよい」が好まれるのだと推測します。
自治体などがやたら使いたがるのが納得できますね。

でも、これって最近の傾向だと思うのですが.....。
もともとは「住みやすい」の方が主流だったのでは?
因みにYahoo検索では、「住みよい」88万件に対し、「住みやすい」は115万件.....いい勝負です。

これだけ私以外の人々に受け入れられている「住みよい」ですが、ではこれ以外の「動詞+よい」はどうでしょう。

「使いよい」47,000件、「食べよい」11,000件、「暮らしよい」7,500件、「見よい」4,000件.....。
あとはぐっと減って「行きよい」「走りよい」「書きよい」「聞きよい」、そして冒頭の「読みよい」も3けた止まり。
「話しよい」は32件、「遊びよい」16件、「着よい」13件
という結果でした。

「住みよい」の使用例が際だって多いのは、やはりお役所などが好んで使うことのほかに、地名や神社名などに「住吉」が使われていることも影響していると思われます。

ところでこの「動詞+よい」、上に書いたように元はあまり使わなかったものが今増えているんでしょうか?
それとも昔は結構使われていたものが減ってきて、「住みよい」など一部のみが根強く残っているのでしょうか?

私はどうも前者のように感じています。
「住みよい」のヒット件数が「住みやすい」を抜くのも、おそらく時間の問題でしょう。
私は今後も絶対使いたくありませんが.....。

さあ、それでは今日も「わかりよい」(19,500件)教材作りと「学びよい」(22件)環境の整備に励むことにしましょうか.....。


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