ことばを鍛え、思考を磨く 

長野市の小さな「私塾」発信。要約力、思考力、説明力など「学ぶ力」を伸ばすことを目指しています。

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部活三昧

2006年07月25日 | 学習一般
私の塾は中学生は週2回か3回、時間は午後6時から10時までで何時間いても構わない。
教科数も関係ないので、やる気のある生徒は4時間ビッシリで5教科学習することも可能だ。

部活を終えてから来る生徒も多い。
9時近くに来て10時半くらいまで粘っていく高校生もいる。
みんな部活と勉強を両立させようとがんばっているのだ。

幸か不幸か、最寄りの中学校は長野市の中でもいろいろなスポーツが強い方なので、運動部に入っている子が圧倒的に多い。

部活に加えて地域のクラブにも加入している数名は、週2回も通えないとのことで、特例で週1回で受け入れている。
週1回ではとても5教科をバランス良くとは行かないので、やむをえず数・英・国を優先することになる。

中3の今頃、部活を卒業した子どもたちは、ようやく高校受験を意識し始める。
それまで週1回しか来られなかった子も、今までの分を取り戻そうと週3回通い出すことが多い。
夏休み前にその態勢に入ってくれれば、3月までに十分何とかなるのだが...。

当然、最後の大会で早々に負けた子ほど、早くその態勢に入ることになる。
毎年この時期は複雑な心境だ。
2年と少しがんばってきた部活の最後の大会だから、できるだけ勝ち進んでほしいという思いの一方、少しでも早く勉強に専念してほしいとも思う。

特に、それまで週1回さえまともに来ていない子に対しては、本人には申し訳ないが後者の気持ちが強い。
いい加減、部活から卒業してくれ!そんなことやっている場合じゃないだろ!というのが偽らざる心境だ。

塾に来られなくても学校や家で十分な勉強ができているというのならいいが、たいていの場合はそうではない。
中2までの範囲が覚束ないことが多いので、学校ではお客様状態のことも多かろうし、家に帰れば疲れ切って寝てしまうというのが標準的なパターンだろう。

皮肉なことに、そういう子(orそういう子がいるチーム)ほど勝ち進むことになるわけだから、勉強への切り替えが遅くなる。
9月なってから本格的に受験勉強に取り組もうと思っても、基礎を固め直すだけで今年が終わってしまう...。

以前見学に行った横浜の塾の先生は、週4日も5日も練習がある部活と勉強の両立は難しいと公言していたし、周りでは部活禁止の塾もあるという話だった。
全国ではどうなのだろう...。

勉強に対してだけでなく、部活は家族のあり方にも大きな影響を及ぼしている。
土曜も日曜も、練習だ試合だと駆り出され、家族揃って出かけることもままならない。
さらに送り迎えや応援にと、子どもの部活中心の休日に振り回されている親も少なくないだろう。


「たかが部活」が子にも親にもこれだけ大きなウェイトを占めていることが、私にはどうしても異常な状況に思われる。
以前にも書いたが、部活やスポーツに打ち込むのは良いこと、という根強い信仰にとらわれて思考停止になっていないか。
世の風潮は部活の良い面ばかりを強調しすぎているのではないだろうか...。


せめて週のうち3日は休みとか、土・日のどちらかは休みとかできないものだろうか。
「部活命」の教師がいては無理かも知れないが...。


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文の背景を読む

2006年07月19日 | ことば・国語
彼はこう言った。

これは事実だけしか述べていない。
話者の気持ちも、「彼」を取り巻く前後の状況もわからない。

なんと彼はこう言った。

これだと、「彼」が発言した内容が話者にとっては意外だったことがわかる。
単なる事実以上の情報が読み取れる。

やはり彼はこう言った。

今度は先ほどの逆で、「彼」の発言は話者の予想通りだったということだ。
たった一言で、話し手(or書き手)の心の中まで探ることができるのだ。

それだけでなく、「彼」が発言した前後の状況を推測することもできる。

ところが彼はこう言った。

これも話者の「想定外」のことが起こったことを意味している。
話の流れから行けば当然そうなる...と予測したことが外れたわけだ。
「なんと」ほど驚きはなく、客観的な意外性という感じがする。

ついに彼はこう言った。

ここから読み取れるのは、それまで「彼」が沈黙を続けていたか、少なくとも重要な発言はしなかったこと、そしてこれから決定的な発言をするということだ。
当然、このあとの「彼」の言葉には大いに注目する必要がある。

さらに彼はこう言った。

「ついに」と違って、すでに「彼」は中身のある発言をしている。
しかし、このあとの言葉に重みがある点は同様である。
それまでいくら喋っていようが、これから発せられる言葉が結論に近いものになる可能性は高い。

それでも彼はこう言った。

ここまでの「彼」の立場を想像してみよう。
形勢不利、孤軍奮闘という感じが伝わってこないだろうか。
そんな中でなお主張を貫こうとする、「彼」の必死な態度が伝わってくる。

すると彼はこう言った。

これはなかなか面白い。
「すると」自体の意味を辞書で引くと、次のように載っている。

 (1)前の事柄に続いて次の事柄が起こることを示す。
  「ドアの前に立った。―ひとりでに開いた」
 (2)前の事柄の当然の結果として次の事柄が導かれることを示す。
  「―あなたは会議には出なかったのですね」


「すると彼はこう言った。」のニュアンスは少し違うようだ。
(2)の「当然の結果として」ではもちろんないし、単なる時の経過を示す(1)とも異なる。
どちらかというと、これも話者にとって意外な発言だったときに使われることが多いのではないだろうか。

同じ文の先頭に付いた言葉が少し変わっただけで、その裏に読み取れるものがこれだけ違ってくる。
こういった短い文の比較をすることは、文章を読んだり書いたりするいい練習になるのでないか。
そんな教材も作りたいと思っている。


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「ただ」の功罪

2006年07月13日 | 日々雑感
過去に2回ほど、救急車を呼んだことがある。
自宅に1回、塾に1回。
特に塾で生徒が倒れたときは、到着までの時間がずいぶん長く感じられた。

テキパキと対応してくれる救急隊員の態度に、ようやくホッと一息つけたことを思い出す。
半分パニックになっているときには、彼らの落ち着いた行動が実に頼もしい。
救急車のありがたさが身に染みる瞬間だ。

そんな大切な救急車を、タクシー代わりに利用するケースが増えているそうだ。
そのために、本当に緊急性の高い出動要請に支障を来すこともあるという。

「指を切った」とか「歯が痛い」、あるいは軽い風邪...。
中には「病院の場所がわからない」というふざけた理由まで、お気軽に救急車を使う例が各地で報告されている。

自力で、あるいは家族の協力で病院に行ける状況か否か、考えもせずに119番する...。
一度でも緊急で救急車のお世話になった経験があれば、こんなマネは絶対にできないし、許し難い行為だと思うに違いない。

つまるところ、「ただ」だから気軽に使ってしまうのだろう。
1回の出動で何万円もの経費がかかるそうだが、日本では何回呼ぼうが、何km走ろうが、公共の救急車は無料である。

税金を払っているのだから当然の権利だと言われるかも知れないが、他の国の例を見るとそうでもないことがわかる。
金額はそれこそ何万円という国から何百円程度の国まで様々だが、救急車は有料という国が多いようだ。

たとえわずかな金額でも、有料となればよく考えてから要請する人が増えるのではないか。
もちろん、そのために躊躇して手遅れになるようなことがあってはならないが、現状を打開するには有効な方法であろう。
すでに、自治体単位で有料化を検討するところも出始めている。

「平等」という観点からすれば、無料が一番であろう。
しかし、「ただ」であることは「ありがたみを感じない」という面も合わせ持つ。
サービスが「あたりまえ」になってくる。
だからこそ上述したような例が横行するわけだ。

日本では義務教育の間は教科書は無償提供される。
これだって同じことが言えないだろうか?
教科書を大切な物として扱っている生徒は、学年が進むにつれ少なくなるように思う。
ひょっとしたら親もそうかも知れない...。

原則有料にすれば、ずいぶん意識が変わるのではないか。
経済的理由で購入できない家庭は、申請をすれば無料で貰えるようにしてはどうか。
本当は子どもの小遣いから100円でも50円でも支払って購入する形にすれば、学習に対する真剣みも変わってくるのだろうが...。

今もあるのかどうか知らないが、昔公文に勤めていた頃、会費の全額免除制度というのがあった。
経済的理由で会費(月謝)が払えない生徒のための制度だったが、多くの場合、この制度の適用を受けた子どもは長続きしなかった。
「どうせ無料だから」という意識が親の深層にあると、子どもが気分が乗らないと気軽に休ませてしまったりしがちなのだ。

「ただ」には良い面と悪い面がある。
いろいろな場面でそのことを再認識し、無料を続けるべきか否か、基本的人権との兼ね合いの中で考えていくべき時代なのではなかろうか。


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一人でできるもん!

2006年07月07日 | 学習一般
子どもが小さい頃、自我が芽生えて何でも一人でやりたがることがあった。
親が手出しをしようとすると、「じぶん!」と言い放って拒否したものだ。
少しの寂しさと、我が子の成長に対する嬉しさが入り交じった思いだった。

子どもが狙われる犯罪の増加に伴い、登下校時に親などが通学路に立っている姿を見ることが多くなった。
これだけ異常な世の中になっては、他人事と思えない気持ちはよくわかる。
田舎だからといって安心などしていられないのだ...。

先日も塾の近くの横断歩道で、地区の安協役員と覚しきおじさんが下校の小学生を見守っていた。
子どもたちが横断歩道に差しかかる。
と、おじさんが通りかかる車を止めて、小学生を安全に渡らせた。

一見、何でもないようなことだ。
大人がいるのだから当然そうすべきと考えられる方もあろう。
でも、私にはよけいなお世話のように思われた。

その横断歩道にはこれまで大人は誰もいなかった。
それでも子どもたちは安全に渡っていた(と思う...)。
上級生が下級生の面倒を見ながら、自分たちで安全を確認して渡っていたはずだ。
子どもたちなりに危機意識が育っていたのではなかろうか。

大人が車を止めてやって何の心配もなく渡らせるという行為は、一見子どもたちのためのように見えるが、実は子どもの自立を阻んでいることにならないか?

もしかしたら私が知らないだけで、その横断歩道で最近事故があったのかも知れない。
しかし仮にそうだとしても、そのあと短期間だけ大人が誘導することに大きな意義があるとは思えないのだ。

四六時中待機しているわけではなかろうし、同じくらいの危険度で誰も付いていない場所もいくらでもあるだろう。
大人がいなくても自分で判断して安全に渡れる力をつけてやることが、真に子どものためなのではないだろうか。

大人が付いていてもいい。
せめて「見守る」とか「声をかける」程度にしてもらえないだろうか。
テレビの「はじめてのおつかい」のスタッフのように、危険がないように注意は配りながら決して手出しはしない、という具合にはできないものだろうか。

勉強も同じである。
学校や塾が手取り足取りお膳立てし、つまずかないように、わかりやすく...ばかりで接していては、子どもは決して自ら学ぶ人間にはなれない。
一見不親切のようでも、将来自分の力で問題を解決していける力を育てることを念頭に置いた指導が成されなければならない。

自分から積極的に学ぶ姿勢ができ、自らの力で調べたり考えたり表現したりすることを楽しめる。
そしてつまづいたとき、疑問を持ったときにそれらを解決する術(すべ)を知っている。
...そんなレベルになってくれれば、いつ塾を卒業しようと大歓迎だ。

もう君は一人でやっていける。
たまに相談でもあれば顔を見せればいい...。
すべての塾生をそんなふうに送り出したいものだと思っている。




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「傘かしげ」の心

2006年07月02日 | 日々雑感
長野は雨の少ない所です。
雪国でありながら、年間降水量は県別でも県庁所在地別でも一、二を争う少なさ...。
全国平均のほぼ半分、最多の所の4分の1から3分の1しか降りません。

加えてほとんどの所に車で出かける生活を余儀なくされているため、傘をさすという行為が極めて少なくなっています。
一応車にも傘は積んであるのですが、めったに使いませんね...。

もちろん、東京にいた頃はよく傘を使いました。
なくした(置き忘れた)本数も数知れず...。

満員電車にみんなが濡れた傘を持ち込む、あの不快感は思い出すのも嫌です。
デパートなどの入り口でくれるあのビニール袋、駅でも配ってくれればいいのにといつも思っていました。
最近の事情は全く知りませんが、どうなんでしょう?

「傘かしげ」という言葉をご存知ですか?
狭い道で傘をさした人同士がすれ違う際に、互いの傘がぶつからないように自分の傘を外側に傾ける所作のことをこう呼ぶのだそうです。
自分が多少濡れても相手に雫がかからないようにそうするんですね。

先日地元紙の投稿で知り、調べてみたら「江戸しぐさ」という知恵の一つだということがわかりました。
これがなかなか面白いんです。
格言集のようなものですが、「傘かしげ」の他にも「肩引き」「こぶし腰浮かせ」などの作法を説いています。
詳しくはコチラ→江戸の賢者の知恵「江戸しぐさ」

どれもたいそうなことではないですが、相手を思いやるちょっとした気配りが素敵ですね。
そういうことがさり気なくできるのが、江戸っ子の「粋」とされたのでしょう。

今のギスギスした世の中に一番欠けている精神ではないでしょうか。
街を歩けば点字ブロックの上に平気で置いてある自転車、障害者用の駐車スペースに堂々と駐車している車、詰めればもう一人座れるのに電車の座席を2人分占有している若者...。
自分さえよければ、という人間ばかりが目につきます。

小学校で英語を教えるより、愛国心をたたき込むより、「江戸しぐさ」を教える方が先決だと思いますよ。


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