前回の記事「必修科目未履修問題」については、ブログ上やメールで大きなご批判の声を頂きました。初めはカチンと来て反論しようとしましたが、そこでまともに反論さえできない自分に気がつきました。コメントを頂いた方にも失礼なレスで逃げていただけです。
皆さんのご批判を反芻してみて、そのどれもが深い考察の元になされたものであることを実感し、ようやく目が覚めました。
よく調べもせず、深く考えもせず、また人の意見の根拠に思いを巡らすこともなく、偉そうに断言する記事を掲載したことを心からお詫び申し上げます。特に、学習指導要領を変えればいいという意見は「言語道断である」と書いた部分は、多くの方のご意見を冒涜したものであり、また不快感を呼び起こす表現でした。申し訳ありませんでした。
顧みれば前回だけではなく、最近の私の記事は、独りよがりで格好をつけているだけの薄っぺらなものが多かったと思います。人の忠告に耳を傾けようともせず、ただ一人で生意気なことを書き並べていただけです。言葉にこだわるブログでありながら言葉の重みがわかっていなかった、論理的思考の大切さを訴えながら自分が実践できていなかったのだと思います。
なお、今回の件を反省するため、勝手ながら今月いっぱい新たな記事のエントリーを自粛させていただきます。また再開後も、確かな根拠なき暴論は二度と掲載しないとお約束いたします。
多くの方々にご迷惑をおかけし、本当に申し訳ありませんでした。
皆さんのご批判を反芻してみて、そのどれもが深い考察の元になされたものであることを実感し、ようやく目が覚めました。
よく調べもせず、深く考えもせず、また人の意見の根拠に思いを巡らすこともなく、偉そうに断言する記事を掲載したことを心からお詫び申し上げます。特に、学習指導要領を変えればいいという意見は「言語道断である」と書いた部分は、多くの方のご意見を冒涜したものであり、また不快感を呼び起こす表現でした。申し訳ありませんでした。
顧みれば前回だけではなく、最近の私の記事は、独りよがりで格好をつけているだけの薄っぺらなものが多かったと思います。人の忠告に耳を傾けようともせず、ただ一人で生意気なことを書き並べていただけです。言葉にこだわるブログでありながら言葉の重みがわかっていなかった、論理的思考の大切さを訴えながら自分が実践できていなかったのだと思います。
なお、今回の件を反省するため、勝手ながら今月いっぱい新たな記事のエントリーを自粛させていただきます。また再開後も、確かな根拠なき暴論は二度と掲載しないとお約束いたします。
多くの方々にご迷惑をおかけし、本当に申し訳ありませんでした。
先生のブログもよく拝見しています。今度はコメント残しますね。
しばらくはこれからのことをじっくり考えたいと思います。再開の暁にはまたよろしくお願いします。
世の中には、いろんな価値観があります。時には対立することがあるのは当たり前です。ただ、お互いを否定することはいけないことだと思います。
今回の記事は、桐さんの想いが込められていたと思います。それを恥じることはありません。
僕も、たくさんの失敗をします。失敗はするものだとあきらめています。でも、それが正しいか間違っているかは、時間が経たなければわからないことばかりだとも思っています。
桐さん。僕は、桐さんの考え方に大部分で賛同するものです。どうか、これからもメッセージを出してください。お願いします。
楽しみにしています。
嬉しくて涙が出そうです。
来年はぜひ甲子園行き実現させたいです。
文字上ではつかめる考えがある程度限られているので、私はそう難しく考えてません。したがって、桐さんより、私の方が多々炎上はありますから(笑)。
味方も多いですが、敵も多いというのが私の現状であり、また周りの人間もそういう方が多いです。単純に、自ら敵を作っている感はないのですが...(爆)。
来阪はお待ち申し上げております。いっぱいやりましょう!
テツさんの強さにはいつも感服しています。きっと確かな裏付けがあるから過激な意見も書けるのだと思います。今回の私の姿はお恥ずかしい限りです...。
甲子園行き、マジで計画します。よろしくです!
ちなみに私は教養とは「自分や他人に対して心豊かに生きる時間を与えられる知識」と定義しています。
。大体ブログなんて記事と言うより私見の発表の場なんだから、この程度の内容で皆様にご迷惑云々はやり過ぎです。
教養とは何か?普通高校の存在意義は就職か?
こんな質問の方が余ほどナンセンスで、日本の教育も
このような輩を生む事を今までやってきたのかと言う典型と思いますよ。
今の日本は教養を軽視しているなんて至極名言と
思いますよ。
教養の客観基準は?なんて質問自体がナンセンスで
あえて言えば客観基準で計れない物が教養なんですよ
。知識と言う物が短史眼的、主観的に物を考えるのに
役立つとすれば、教養とは大局的、客観的に物を見る
知性であって点数つけたり比較できる物ではないんです。しかしこの教養を軽視すると人も国も変な方向に
行きます。まあ今の日本国、政治家、官僚、医者見てみれば分かりますよ。彼らは皆、ご批判主のお好きな
客観的基準の点数や偏差値では優秀な者ばかりです。
あえて言えば教養は無駄な事からしか身に付きません
。少なくも今の受験受験の学校生活の中では無駄と言われている物。まあ良く考えてみる事です。
「教養」の定義、納得です。「心豊かに」が重要ですね。そんな記事を満載したブログにしたいものです。またいろいろ教えて下さい。