この問題が全国的になってから、やはり一言書き残しておかなければと思いながら一週間が過ぎた。
対象者のあまりの多さに、当初救済策は考えないと言っていた政府も、ここに来て必要な時間数を削減する「徳政令」の適用を考え始めた。
マスコミの論調としては、生徒がかわいそう、生徒に負担のないようにというものが多いと感じる。
補習のうち何割かは大学入試が終わった春休みに行うことになりそうだ。
しかし、これでは学習指導要領を遵守してきちんと履修させてきた学校、学んできた生徒が馬鹿を見る。
今でさえ、なぜそういう立場の人間からもっと声が上がらないのか不思議なくらいだ。
入試までに正規の時間数を履修した生徒は、受験で優遇されるような措置を大学側は考えてもいいのではないか。
この問題は多くのブログでも採り上げられているが、気になる論調のものも少なくない。
一つは「なぜ世界史を必修で学ばなければならないのか」というもの。
これは論点のすり替え以外の何物でもない。
何が必修かという問題ではないのだ。
では、日本史が必修なら意見が変わってくるのか?
世界史と共に多くの高校で未履修が続出している「情報」についてはどう考えるのか?
もう一つの気になる論調は、学習指導要領が現実に即していないのであり、現場の実情に合わせて変えるべきだというものである。
これについては言語道断であると断言する。
言うまでもなく、高校は大学入試のためにあるのではない。
義務教育を終えた者が、さらに広い、あるいは深い教養を身につけるための高等学習機関である。
今の日本は「教養」を軽視しすぎているのではないか。
大学の「教養課程」も絶滅しつつある。
生物をろくに学ばないままでも医者になれる教育システムは、根本的におかしいのではないかと思う。
大学入試に直結する教科だけを効率的に学べばいいという考え方の高校が増えれば、やがてそれが中学にも降りてくる。
高校入試に必要なことだけ...。
小学校では中学で必要なことだけ..。
そう望む親や子が増えてきても不思議はないだろう。
かくして、まともな教養もない、人格的にも未熟な若者が量産されて行く...。
少し極論に過ぎたかも知れないが、今回の問題の根はそれだけ深いものだと思う。
私は、高校は本来やるべきことを徹底するべきだと考えている。
大学入試のことまで世話を焼く必要はない!
学校に面倒を見てもらわなければ入試にも対応できない生徒は、大学へ行く資格などないということだ。
入試に関係ない科目も履修しながら、一方で自分で受験勉強もきっちりできる。
そんな自立した生徒だけが大学生になれる...それが本当の姿だと思うのだが...。
長野県内でも多くの高校で未履修が明らかになった。
いわゆる進学校が名を連ね、そうでない高校の方がきちんと履修させている傾向が強い。
この状況をどう思われるだろう。
やはり進学校はそれなりの受験対策をしてくれている、と再認識するだろうか。
私はむしろ、だったら自分の子には「そうでない高校」で学んでもらいたい。
受験テクニックより幅広い教養を身につけてほしいと考える。
それにしても、歴史と伝統のある県内のトップクラスの高校がすべて未履修問題を抱えていたのは残念である。
ウチは高校のやるべきことをやるのみ、という気概を持った有名校が一校くらいあってほしかった。
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対象者のあまりの多さに、当初救済策は考えないと言っていた政府も、ここに来て必要な時間数を削減する「徳政令」の適用を考え始めた。
マスコミの論調としては、生徒がかわいそう、生徒に負担のないようにというものが多いと感じる。
補習のうち何割かは大学入試が終わった春休みに行うことになりそうだ。
しかし、これでは学習指導要領を遵守してきちんと履修させてきた学校、学んできた生徒が馬鹿を見る。
今でさえ、なぜそういう立場の人間からもっと声が上がらないのか不思議なくらいだ。
入試までに正規の時間数を履修した生徒は、受験で優遇されるような措置を大学側は考えてもいいのではないか。
この問題は多くのブログでも採り上げられているが、気になる論調のものも少なくない。
一つは「なぜ世界史を必修で学ばなければならないのか」というもの。
これは論点のすり替え以外の何物でもない。
何が必修かという問題ではないのだ。
では、日本史が必修なら意見が変わってくるのか?
世界史と共に多くの高校で未履修が続出している「情報」についてはどう考えるのか?
もう一つの気になる論調は、学習指導要領が現実に即していないのであり、現場の実情に合わせて変えるべきだというものである。
これについては言語道断であると断言する。
言うまでもなく、高校は大学入試のためにあるのではない。
義務教育を終えた者が、さらに広い、あるいは深い教養を身につけるための高等学習機関である。
今の日本は「教養」を軽視しすぎているのではないか。
大学の「教養課程」も絶滅しつつある。
生物をろくに学ばないままでも医者になれる教育システムは、根本的におかしいのではないかと思う。
大学入試に直結する教科だけを効率的に学べばいいという考え方の高校が増えれば、やがてそれが中学にも降りてくる。
高校入試に必要なことだけ...。
小学校では中学で必要なことだけ..。
そう望む親や子が増えてきても不思議はないだろう。
かくして、まともな教養もない、人格的にも未熟な若者が量産されて行く...。
少し極論に過ぎたかも知れないが、今回の問題の根はそれだけ深いものだと思う。
私は、高校は本来やるべきことを徹底するべきだと考えている。
大学入試のことまで世話を焼く必要はない!
学校に面倒を見てもらわなければ入試にも対応できない生徒は、大学へ行く資格などないということだ。
入試に関係ない科目も履修しながら、一方で自分で受験勉強もきっちりできる。
そんな自立した生徒だけが大学生になれる...それが本当の姿だと思うのだが...。
長野県内でも多くの高校で未履修が明らかになった。
いわゆる進学校が名を連ね、そうでない高校の方がきちんと履修させている傾向が強い。
この状況をどう思われるだろう。
やはり進学校はそれなりの受験対策をしてくれている、と再認識するだろうか。
私はむしろ、だったら自分の子には「そうでない高校」で学んでもらいたい。
受験テクニックより幅広い教養を身につけてほしいと考える。
それにしても、歴史と伝統のある県内のトップクラスの高校がすべて未履修問題を抱えていたのは残念である。
ウチは高校のやるべきことをやるのみ、という気概を持った有名校が一校くらいあってほしかった。
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全くです...。
やるべき事をしてから、それ以上のことはして欲しいです。
教育ってばれなければナニをしてもいいというモノではないはずですよね。
でも久々にTBできた(^o^)
拙ブログでも取り上げてますけど、桐さんのおっしゃるとおり、学習指導要領を実態に合わせるなんてのは本末転倒の場当たり的意見に過ぎません。保護者が賢くなればいいことですが、それが望めないのならば、その原因となっている入試制度の見直しが先です。
物事の順序がわからなくなるような教育は、百害あって一利なしです。
ただ言えるのは、'受験に必要がないから学習しない’っていうのはおかしいんじゃないかと。
そこそこ名のある大学出身だというのに、おバカ丸出しの芸能人の多いこと!一般常識も教養のかけらもないのね。才あるはずのタレントが、バカさ加減をきそって笑いを取るとは。
といいながら「ヘキサゴン」を笑いながら見てしまうのですが・・・。
これについては言語道断であると断言する。
学習指導要領は「憲法」ではない、
絶えず改定していくべき文科省の告示です。
文科省自体が「現場の実情に合わせて変えていく」ものですので…
断言するポイントが間違っています。
>今の日本は「教養」を軽視しすぎているのではないか。
教養という曖昧模糊としたテーマで強い論調は、
少々危険ではないかと思います。
>大学入試のことまで世話を焼く必要はない!
学校に面倒を見てもらわなければ入試にも対応できない生徒は、大学へ行く資格などないということだ。
入試に関係ない科目も履修しながら、一方で自分で受験勉強もきっちりできる。
そんな自立した生徒だけが大学生になれる...それが本当の姿だと思うのだが...。
普通高校の存在意義は就職ですか?
学校の学習を達成したという客観基準はなんでしょうか?
特に「自立した生徒だけが大学生になれる...それが本当の姿」
こういう生徒をどう生み出すかという方法論をお教え下さい。
気になります。
>受験テクニックより幅広い教養を身につけてほしいと考える。
これです。この「教養」の判断基準を知りたい。
大学入試よりも客観的に判断できるモノをお知りのはず。
でなければこんな強い口調で述べれないでしょう。
ぜひとも続きを期待しております。
TBもありがとうございました。
「やるべきことをやってから」という理想がなかなか伝わらないようです。何でも「現状に合わせればいい」ではないと思うのですが...。
あえて過激に書かせてもらいました。極端な意見として...。
確かに大学入試制度が変わらなければ、似たような問題は次々起こると思います。「まともな」AO入試を実施しているところもチラホラ増えてきているようですが...。
「おバカ」を売り物にしているタレント、それで盛り上がる番組って何なんでしょう...。たまに息抜きに見る程度ならともかく、そういう番組のオンパレードじゃねぇ...。日本はどうなってしまうのか...。
私の主張している内容は理想です。そんな甘いものじゃないと言われればそれまでです。
>学習指導要領は「憲法」ではない、
>絶えず改定していくべき文科省の告示です。
>文科省自体が「現場の実情に合わせて変えていく」
>ものですので…
>断言するポイントが間違っています。
なるほど、そうかも知れません。
学習指導要領にはそういう面もあるでしょう。
しかし、今回の件で「だから実情に合わせて」変えればいいというのは本末転倒のような気がするのです。ここだけは譲れない、という指針としての役割も重要なのではないでしょうか。
>教養という曖昧模糊としたテーマで強い論調は、
>少々危険ではないかと思います。
これはおっしゃるとおりです。
私も曖昧な表現だと自覚しています。何か違う表現を探してみます。
>特に「自立した生徒だけが大学生になれる...そ
>れが本当の姿」
>こういう生徒をどう生み出すかという方法論をお教
>え下さい。
これも理想です。具体的方法論は確立していません。小中学校のときから、教科を超えた学ぶ力(読む、考える、書く力)をじっくり育てていけば可能だと思っていますが...。
>大学入試よりも客観的に判断できるモノをお知りの
>はず。でなければこんな強い口調で述べれないでし
>ょう。
客観的判断にはペーパーテストが一番でしょう。私は多少主観的になっても構わないのでは?と思っています。一部の大学で行われている「まともな」AO入試が理想だと思います。特に、模擬授業を聴講させてレポートを出させたり、ディベートをさせたりする、そしてそれらをもとに面接をする、などという形は有効だと思います。
私は子供心に、セルピコのような正義を貫く姿にあこがれました。(あ、高校生だから子供とはいわないか)
今回の騒動では、先生たちの中から問題を訴えた人はだれもいなかったのかな?私が生徒だったら、教師全体に対する信用を失い、それが人生に大きな影響をあたえるだろうなと思います。
生徒が訴えたという例もあったようですね。自分がその立場だったら、そんな勇気があるかどうか自信がありません。
今回の記事について、お詫びの文を掲載しましたのでご覧下さい。