以前、民放(フジかな?)のドキュメンタリー番組で取り上げられていたのをみました。
司馬遼太郎さんが、小学生の教科書用にと書き下ろした文章です。
「二十一世紀に生きる君たちへ」
番組では、ある小さな出版社が教科書を作ることを決心するところから始まります。
6年生向けの国語の教科書の中に、子どもたちの心に残る文章を入れたい…
半ば断られることを覚悟して司馬さんに頼むと、これが快諾。
できあがったのがこの文章です。
先日、この本をある人からいただきました。
もう一度読み直したいと思っていたので本当に嬉しかったです。
司馬遼太郎記念館で出しているこの本には、司馬さんが推敲した原稿そのものも収められています。
どれだけ思いをこめて書かれたかが感じられます。
言葉は平易で、本としては短いですが、子どもたちに託す思いが溢れんばかりです。
冒頭のほうで、
「歴史とはなんでしょう、と聞かれるとき、『それは大きな世界です。かつて存在した何億という人生がそこにつめこまれている世界なのです』と、答えることにしている。」
というくだりがあります。
推敲部分では、ここに
「…別な言い方をすると、たくさんの人間の体温であたためられた世界でもある。もっとすっきりした言い方でいえば、人間のよろこびやかなしみであふれた世界であり、右に述べたように、人間そのものの世界といっていい。」
という文が続いていました。
6年生には表現が抽象的すぎると思われたのか、このあとの流れから不要としたのかはわかりませんが、僕はこの省かれた部分が好きで気になっています。
同じ本の中におさめられている「人間の荘厳さ」という文章にも通じると思うのですが、
過去から未来につながる人の流れの中にいることの素晴らしさ
そして、同じ流れの中にいる人々への思いやりを育むこと
色々な人が、色々な表現で発しているメッセージではありますが、司馬さんのメッセージはストレートです。
エッセンスのような文章だからかもしれません。
この本は、21世紀に生きる僕たちへのバトンのひとつです。
司馬遼太郎さんが、小学生の教科書用にと書き下ろした文章です。
「二十一世紀に生きる君たちへ」
番組では、ある小さな出版社が教科書を作ることを決心するところから始まります。
6年生向けの国語の教科書の中に、子どもたちの心に残る文章を入れたい…
半ば断られることを覚悟して司馬さんに頼むと、これが快諾。
できあがったのがこの文章です。
先日、この本をある人からいただきました。
もう一度読み直したいと思っていたので本当に嬉しかったです。
司馬遼太郎記念館で出しているこの本には、司馬さんが推敲した原稿そのものも収められています。
どれだけ思いをこめて書かれたかが感じられます。
言葉は平易で、本としては短いですが、子どもたちに託す思いが溢れんばかりです。
冒頭のほうで、
「歴史とはなんでしょう、と聞かれるとき、『それは大きな世界です。かつて存在した何億という人生がそこにつめこまれている世界なのです』と、答えることにしている。」
というくだりがあります。
推敲部分では、ここに
「…別な言い方をすると、たくさんの人間の体温であたためられた世界でもある。もっとすっきりした言い方でいえば、人間のよろこびやかなしみであふれた世界であり、右に述べたように、人間そのものの世界といっていい。」
という文が続いていました。
6年生には表現が抽象的すぎると思われたのか、このあとの流れから不要としたのかはわかりませんが、僕はこの省かれた部分が好きで気になっています。
同じ本の中におさめられている「人間の荘厳さ」という文章にも通じると思うのですが、
過去から未来につながる人の流れの中にいることの素晴らしさ
そして、同じ流れの中にいる人々への思いやりを育むこと
色々な人が、色々な表現で発しているメッセージではありますが、司馬さんのメッセージはストレートです。
エッセンスのような文章だからかもしれません。
この本は、21世紀に生きる僕たちへのバトンのひとつです。