おまけの時間

仕事に追われて過ぎゆく日々の“しおり”として。

懐かしのツールに感動

2010年12月30日 23時21分59秒 | Weblog
アンドロイド携帯、だいぶカスタマイズされてきました。
どんどん自分仕様になっていくと非常に嬉しい。
そして、使い勝手も良くなっています。

HTCは動作も軽快。
心配されたソフトバンクの電波状態も生活圏内ではまったく問題なし!
まぁ、仙台市内の中心部で悪いわけないか。

WiMAXをお試しレンタルしたので、その間にバンバンとアプリをダウンロードしています。

さて、ここまで導入してきたアプリの中で、最も感動したアプリ。

それは… Graffiti for Android です!

Palmを使っていた人なら体に染み込んだあの文字入力方法。
携帯打ちよりも、フリック入力よりも数倍速い!(僕にとっては)
フリックに慣れようと頑張った1日は無駄になりました。

思えばPalmでスケジュール管理をし、
自宅メールをPalm受信したいがために、
赤外線通信機能付きのNOKIA携帯を購入したりしてたなぁ。
あれから10年は経つのか…

あの頃やりたかったことが、アンドロイド携帯に詰まっています。
いや、その数十倍の魅力があります。
10年ひと昔って本当なんだなぁ~。

コメント (3)
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父親になりました

2010年12月30日 22時14分05秒 | Weblog
思うことをつらつらと。

実は10月中旬に子どもが生まれました。
その時の体重は1300グラム台。
この子はどうなるんだろう…と心配してから約2か月。
ようやく退院することができたので、ひとつの区切りとして少し遡って書いてみます。
(ほとんど自分のための記事なので長くてスミマセン)

妻は前置胎盤だったので夏からずっと安静状態。
僕の実家で寝たきり安静状態を続けていたので大変だったと思います。
食事も寝ながら食べたり、少しの出血に不安になったり。

そして、9月頃、少し不安な兆候があったことから大事をとって入院。
いわゆる管理入院に近いものかもしれません。
出産予定は12月後半だったので、これから4か月近くも入院生活が続くのかと思うと妻がかわいそうでなりませんでした。
うちの実家でも気を遣うことはあったかもしれないけれど、人の声がしたり、テレビを見ながら談笑したりは出来るわけですから。

入院は大部屋6人部屋。
入ったのはその真中で、四方八方がカーテンで閉ざされていて気が滅入ることこの上ない。
長期入院になるのにこれは厳しいと思って、ナースセンターにお願いに行くとしばらくして窓際に移ることができました。
長期であることを考慮してくれたのだと思います。
離れて暮らしているので何もできませんでしたが、少しは役に立とうと思っていたなぁ。
それからは2週間に1回のペースでお見舞いにいく感じ。

10月上旬、少し早いかな~と思いつつも、妻の気分を上昇させるために赤ちゃんが最初に着る肌着を購入へ。
仙台といえば「FUJISAKI」ということで、ひとりベビー用品売り場へ。
それにしても、お店の人に聞いてはじめて知ることばかり。
聞かずに買っていたら新生児用じゃない物買っていたかも…。
悩んだ末、女の子なのでかわいい花柄のものを購入。
妻に伝えると、そういう買い物ができることをうらやましがっていた。
産まれるまでまだあと2か月もあるけれど、楽しみだと。
そして、ようやく30週を迎える…。

Xデー。夕方、職場に母親から
「これから帝王切開することになった」
「何がなんだかわからない」
との電話。
何が何だかわからないのはこちらのほう。
それでも手術に入ったら30分で産まれるという。
職場の上司に事情を伝え、飛び出して病院へ。
頭の中では「まだ30週なのに、まだ30週なのに」というフレーズが繰り返される。

同時に、意外に冷静なところもあって、
「出産には間違いなく間に合わない、行ったらしばらくは帰ってこれない。
タクシーに乗れば一度家に戻って荷物をかき集めても新幹線発車までタイムロスは殆ど無い。」
そんなこと考えて動き、もろもろコミで30分後には新幹線に乗り込んでいました。

(あとでわかったけれど、新幹線の発車時刻とほぼ同時刻に娘は生まれていました。)

新幹線の中では電話ができなく、もどかしい。
そもそも、病院にいる両親は電話にでない。
手術室の前にいて携帯の電源を切っているからのようだ。
状況がわからないことがこんなに人を不安にさせるとは思わなかった。

新幹線に乗っていると色々なことを想像してしまいました。
「子どもは無事に産まれるのだろうか?」
「週数が早過ぎるんじゃないか? 障害とかが出る可能性もあるのでは?」
「いや、そもそも母体は大丈夫だろうか?」
「手術に備えて輸血用の血液をとるはずだったのに、そんな準備をする前に産まれるなんて…。」
「2人に何かあったらどうしよう」

…と、まあ頭はフル回転しているけれどもろくな事を考えない。
「引き寄せの法則」が悪いことを引き寄せるぞ!と自分を戒めて、
努めて前向きなことを考えるようにしました。

「会ったら最初になんて呼びかけようか。」
「そういえば、まだまだ余裕があると名前も考えていなかったな。」
「妻にはなんてねぎらいの言葉をかけてやろうか。」

前向きに考え始めると、
「あれ?金沢のご両親にはこのこと伝わっているのか?」
と違う心配が。

そんなことが頭の中を駆け巡っていると、母からメールで
「赤ちゃん生まれた。小さいけれどしっかりした顔している」
「保育器で別室に。両親しか会えない」
「妻も元気に病室に戻った」

ここまで読んで本当にほっとした…。
でも、やはり見るまではわからない。
そして、病院についたのが21時頃。
受付で事情を説明するとNICUへ。
そこで医師と看護師さんから、未熟児の抱えるリスク、おこなっている治療、
などの説明を受け、色々な書類にサインをすることに。
リスクの話を聞くときには「何がおこっても受け止めよう」と覚悟。
1時間近く説明を聞いたあとで、まだ赤ちゃんにも妻にも会っていないことに
看護師さんが気づき「ええ~!そうでしたか!」とビックリされました。

手の消毒などをおこなって、ようやく保育器の赤ちゃんのもとへ。

女の子。
小さな体です。
その体には沢山のチューブが。
命を守るために仕方が無いのだと分かっていても痛ましくて。
そして、こんな小さな体で一生懸命生まれてきたんだな…そう思うと涙が止まらない。
薄暗い新生児室で声に出したり、心で語りかけたりしていました。

その後は、妻のいる病室へ。
麻酔が効いて寝ていれば顔を見るだけにしようと思ったけれど、ちょうど覚醒していました。
やはり帝王切開の痛みが大きいらしく、顔面も蒼白。
子どもの様子などを伝えて、また明日来るからと励まして帰りました。

両親に会ったのは病院到着からなんと2時間近く経ってから。
連絡が取れなかったから心配したらしい。
そりゃそうだ。

それからは毎日NICUに通う日々。
会社は1週間休みをもらいました。
妻は10日後に退院。

そこからもさらに一喜一憂の日々。
無呼吸が心配され、気管内挿管を繰り返したり、
敗血症にかかったり、
ミルクを飲めるようになったと思ったら中止になったり…

そんなことを繰り返しながら、親の心配に反比例するように丈夫になっていきました。
そして、今年も残り僅かとなったところで退院。
感無量です。

あす、大晦日に帰省すれば、初めて病院からでた娘と対面です。
初めて対面したときと同じように感動しそうだな。


ということで、父親になりました。

コメント (5)
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