朝食を食べながらのTV原爆忌。
今年は御気楽にお茶の間です。
今日も射るような強い日差し。
毎年の事ながら、この日は雨の日がないように感じる。
慰霊碑の周りのコンクリートの乾いた感覚。
水がたたえられているのに潤った感じがない公園。
あの公園は元は町並みだったことなど思い、
今日も凍ったおしぼりが配られているのだろうかとか
平和宣言している小学生はきっと何回も練習していたのだろうなとか
髪の毛の間に汗の粒が光っていて、さぞ暑いのだろうなぁとか
あれだけ廃絶を訴えながらなかなか平和な世界が来ないのはなぜだ
とか、どうでもいいようなこととか、
すぐに答えが出ないようなことをぼんやり思いながら見ていた。
一人で出来ることの範囲は小さいけど、何かは出来るだろう。
まずは自分にとってそれが何であるかを見つけなければならないのだが。
アメリカの高校生が原爆展をみて、
素直に「自分たちに出来ることをしたい」と言ってたのが、
好感が持てて、なんだかほっとした想いで見た。
数年前、あの暑い日差しの下に居たことを思って、
祈りを運んだ。
今年は御気楽にお茶の間です。
今日も射るような強い日差し。
毎年の事ながら、この日は雨の日がないように感じる。
慰霊碑の周りのコンクリートの乾いた感覚。
水がたたえられているのに潤った感じがない公園。
あの公園は元は町並みだったことなど思い、
今日も凍ったおしぼりが配られているのだろうかとか
平和宣言している小学生はきっと何回も練習していたのだろうなとか
髪の毛の間に汗の粒が光っていて、さぞ暑いのだろうなぁとか
あれだけ廃絶を訴えながらなかなか平和な世界が来ないのはなぜだ
とか、どうでもいいようなこととか、
すぐに答えが出ないようなことをぼんやり思いながら見ていた。
一人で出来ることの範囲は小さいけど、何かは出来るだろう。
まずは自分にとってそれが何であるかを見つけなければならないのだが。
アメリカの高校生が原爆展をみて、
素直に「自分たちに出来ることをしたい」と言ってたのが、
好感が持てて、なんだかほっとした想いで見た。
数年前、あの暑い日差しの下に居たことを思って、
祈りを運んだ。